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第一章 第3話

 コンビニに行こうとした明日葉の腕を亜笠が引っ張った。明日葉はそのまま引きずられて駅前のカフェに入ることになった。てっきりコンビニで買って職場で食べるのかとばかり思っていたが、亜笠は明日葉を席に座らせるとカウンターで二人分の注文を済ませて戻ってきた。  あたたかいカフェラテと厚切りパンのBLTサンドだった。思わず「わぁ……」と声が漏れた。思い出したようにお腹が鳴る。 「20時間ぶりのまともな食事……!」  呟くと亜笠の椅子がガタッと音を立てた。明日葉は首を傾げた。 「あ、っていうかお金――――」  財布を出そうとすると止められた。 「いいです。奢ります」  これからお世話になるので、と亜笠は真顔のまま言った。感情が読めない。でも嫌われているわけではないのかな……どうなんだろうか。明日葉の脳裏に初対面での第一声がちらついた。まあ、とりあえずは目の前にあるご飯を食べよう。 「ありがとう。なんかごめんな」 「いいんで、とりあえず食べて下さい」 「いただきまー…………」  そこで明日葉の動きが止まった。亜笠が首を傾げる。明日葉はごそごそとズボンのポケットを探ると、振動する携帯を取り出した。亜笠が目を見開く。 「今時ガラケーって……」 「――――はい、明日葉です」  明日葉は死んだ目をして電話に出た。会社の電話番号だった。 『あ~明日葉くん、お疲れ様です~』  今どこにいるんですかぁと言われ、お昼で外出中ですと返事する。大柴は全く困っていない声で呑気に言った。 『困りましたね~また麻薬製剤が出まして、あの、パソコンを使いたいんですけど……』 「パスワードは『kowa』です」  何を聞かれるか熟知している明日葉は即座に答えた。 『コウワ……?』  パソコンの前で首を傾げているであろう大柴が、容易に想像できた。明日葉は忍耐強く言った。 「k、o、w、a、です」 『k、o、w…………エーですか?イーですか?』 「エーです! エー! ABCの、Aっ!」 『…………ダメですよ、明日葉くん、このパソコン壊れ』  明日葉はそこで電話を切った。沈黙する亜笠に向き直る。 「…………亜笠さんは、ゆっくり食べてきてください」 「明日葉さん?」 「おれちょっと会社に戻る。ごめん、せっかく奢ってくれたのに」 「じゃあ僕も行きます。5分待ってください」 「え、いいって。亜笠さんはちゃんと休憩取りなよ」 「でも」 「休憩短縮とか残業とか絶対止めた方がいいよ。こういうのは最初が肝心なんだ。おれみたいな働き方してると損するから、しなくていい」  言ってて涙が出そうになった。しまった、自分で自分の言葉に傷付いてしまった。はたらきつかれてる……。  そんな明日葉を知ってか知らずか、亜笠は眉を寄せて奇妙な表情をした。 「明日葉さんって……」 「何?」 「いえ、何でも」  どことなく不機嫌そうに口を閉ざす。二人の間に気まずい空気が流れた。 (途中で黙るなよ、気になるだろ!)  思ったが、そんな場合でもない。 「とにかく、おれは先に戻るよ。亜笠さんはゆっくりしてていいから」 「わかりました」  意外にも彼は素直に頷いた。店を出て急ぎ会社へ戻る。  案の定、詰所に戻ると大柴がパソコンの前で首を傾けていた。すぐにパスワードを打ち込み、受注システムで麻薬の入出庫履歴を出した。 「急ぎですか?」 「いいえ~午後4時までで良いそうです」  江南さんには確認済みです、と大柴はウインクした。だから50代がやめろ、と思ったが明日葉は言わなかった。ため息をつく。  自席に座ってデスクの引き出しを探る。財布、タバコ、ライター……さらに奥を探る。たしかあと一個くらいゼリー飲料があったような。が、結局それもなく空腹のままパソコンを開いた。コンビニに買いに行く時間も惜しかった。  棚卸データを黙々とチェックしていく。ふと見ると、時刻はすでに13時に近付いていた。 (とりあえず急ぎでなくて良かった。麻薬製剤の在庫今週末まで間に合うかな……ああ、サンドイッチ……)  食べたかったなぁ、と思うのとほとんど同時に、明日葉の目の前に紙袋が差し出された。 「え」  見上げると隣に亜笠が立っていた。眉を寄せて不機嫌そうに。 「休憩、ありがとうございます」 「お疲れ――――って、15分早いんじゃ」 「上司が早いのに部下がゆっくりしているわけにはいかないでしょう」  ぐ、と言葉に詰まる。ってーことは何か、おれは部下に無理矢理休憩短縮させてしまった空気の読めない上司ってことか?  自己嫌悪に冷や汗をかいていると、目の前に紙袋が揺らされた。 「これ、明日葉さんの分です」 「え」 「テイクアウトしてもらったんです。デスクワークなら食べながらでも平気でしょう」 「あ、ありがとう……」  気遣いに戸惑っていると、亜笠は眉を寄せた不機嫌そうな表情で口を開いた。 「僕に構わず、食べて下さい。午後は引き続きピッキングでいいですか?それとも入荷処理やりましょうか?」 「あ、ピッキングをお願いしたいです。入荷はおれやるから」 「わかりました。終わったら声かけます」 「…………」  パソコンに向かい、渡されたサンドイッチを取り出す。亜笠はカフェラテも置いて行ってくれた。紙のカップを触ると、まだ少しあたたかい。  と、立ち去ったはずの亜笠が5分もしない内に戻ってきた。  何かあったかな、と思い顔を上げると、彼の手には明日葉のカップがあった。 「どうぞ」 「…………いただきます」  湯気の立ったほうじ茶。どうやら給湯室で淹れてきてくれたらしい。カフェラテがあるのに? その疑問を口にする前に大柴が言った。 「あのぉ、私のは」 「大柴さんはご自分でどうぞ」 「えー?」 「暇ですよね」  亜笠がにべもなく言い切った。明日葉は心の中だけで小さくガッツポーズした。  ほうじ茶を一口飲んで、サンドイッチにかぶりつく。ふわふわの厚切りパンにみずみずしいレタスがとても合っていて、たまらなく美味しかった。  相変わらず目線だけは棚卸のデータを追って、だが。  昼食を15分で済ませて、作業用手袋をはめる。亜笠が午前中にピッキングを進めてくれたおかげでかなり助かった。入荷処理を進めることができ、倉庫内のいたるところに積み上げられていた段ボールがかなり少なくなった。次は午後便のピッキングを優先しなければならない。明日葉は伝票を持って詰所を出た。  途中、作業中の亜笠とすれ違ったので声をかける。 「亜笠さん」 「はい」 「あの、サンドイッチと、お茶ありがとう。おいしかったよ」 「…………いえ」  眉を寄せて、それだけ言うと彼は立ち去った。少し気まずさが残った。  休憩時間短縮したのがまずかっただろうか……。不機嫌そうだった。  明日葉は複雑な思いに駆られた。  仕事が、できるやつだ。しかも相当。頭も回るが気も利くタイプだ。空気も読めるからこちらが仕事しやすい事この上ない。自分の拙い指導で一を教えても、次にはもう百を理解している。MRだとは聞いたが、まさかこんなに仕事がスムーズに行くとは。  が、しかし―――― (なんか、最初の一言が強烈すぎて、素直に喜べないんだよな……)  どう考えてもあれは嫌がらせ……の、ような気がする。一目見て頭の悪いダメ人間だと見破られたのだろうか。何せ朝から『はたらきたくない』フルコーラスだ。この有能な新人ならばそのくらい見透かしそう。  自分の教育係がこんなのは嫌とか? だったらさっきの気遣いは何だったんだろう。倍にして返せとか、それとも僕が入ったからにはお前なんていらないから、今のうちに節約して少しでも貯金を貯めておけとか、そういう遠回しな嫌がらせだったりして? そんなわけないか。いやでもそれにしたって――――  と、そこで本人が目の前に現れた。 「明日葉さん」 「ぅおわっ! なっ、何!?」  突然の本人登場に変な声が出てしまった。  後ずさる明日葉に構わず、亜笠は続けた。 「江南さんが呼んでます」  詰所に戻ると営業の江南が申し訳なさそうな笑顔で立っていた。嫌な予感がする。 「ごめん、明日葉……青梅病院に緊急でオポジーボ100ミリ1本回したい」  明日葉の首ががっくりと項垂れた。オプジーボ、ミリ数にもよるが一本70~100万はする抗がん剤だ。先月社長ともめたばかりの品物だった。 「だからあれほど月初に出るって言ったのに……!」  明日葉は恨み節を呟かずにはいられなかった。事情を知る江南は明日葉の肩をポンポンと叩いた。 「社長が『在庫置くな』って言うからには仕方ない」  どうどう明日葉、と江南は言った。明日葉は我慢できずに吠えた。 「でもせめて一本くらい残しておいてくれたって良くないですか!? 高額すぎて棚卸で置いておくわけにはいかないにしても、絶対に今日発注出るってわかってるのに!」  あのバカ社長! 江南が慌てた。江南の後ろには今日入社したばかりの亜笠が立っていた。明日葉は構わずに続ける。 「こうなることわかってたのにぃいいい!」  癖毛の頭を掻き毟る。オプジーボ、ここに在庫はない。システムで確認しなくてもわかる。社長の指示で全品返品した張本人だから。  怒り狂う明日葉に江南が手を合わせた。 「在庫はある」 「どこに!?」 「本社」 「…………」  あのバカ社長、いつか目にもの見せてやる、とそんな度胸もないのに思った。本社は三鷹、青梅病院は青梅、往復で約2時間。  明日葉は通路にはみ出た棚入れ待ちのケースたちを振り返る。よりにもよって青梅病院か―――明日葉は頭を抱えた。無精ひげを生やした薬局長を思い出す。  青梅病院と言えば、薬の配送が一秒でも遅れると怒号を放つ薬剤師がいることで有名だった。あそこには薬剤師の癖にあんまり清潔感のない、無精ひげを生やしたメガネの壮年男性――――安斎薬局長がいる。彼はこと配送に関しては非常に厳しい薬局長だった。何せ卸会社を丸ごと変えた実績を持つ。もしここでオプジーボを出せないと言えば――――購入先を変えられかねない。超高額商品だ。それはあまりにも痛い。  今から本社に取りに行く他ない。この時点で明日葉の会社への宿泊が決まった。  明日葉は江南に向き直った。 「安斎先生は何時までに来いって言ってました?」 「16時」  今の時刻は13時半前。何事もなければ余裕で着く。明日葉は財布を取り出し作業着を脱いだ。椅子に掛けっぱなしのスーツの上着を羽織る。そんな明日葉に亜笠が声をかけた。 「明日葉さん」 「今から配送行ってくる! 亜笠さんは引き続きピッキングお願いします!」 「配送なら僕が行きます、営業車は――――」 「ダメ、おれが行きます! それに今は中央道工事中で、その影響で道混んでるから電車の方が確実!」  MR経験があるとはいえ、あの安斎薬局長のところに新人(しかも初日)を行かせるわけにはいかない。せっかく入った超有能人材が取引先のパワハラで辞めかねない。  見ると亜笠が目を丸くしていたが、疑問に思う間もなく明日葉は倉庫を後にした。 「江南さんは本社に電話してすぐに引き取れるように言っておいてくださいね!」  江南が走り去る明日葉の背中に、「すまん! 頼むぞ明日葉!」と叫んだ。明日葉はもう聞いてなかった。一目散に駅へと駆け出す。  明日葉の背中を、亜笠はずっと見つめていた。その背中が見えなくなるまで。

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