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第1話

 入学式で新入生代表として登壇したのは、誰もが見惚れてしまうくらい綺麗な顔をした男だった。  艶のある黒髪、遠くを見据える切れ長の目、すっと通った鼻筋、白くするんとした肌、薄い唇、高校生になったばかりとは思えない程スラリと高い身長。更には、宣誓書を読み上げる低すぎず高すぎない、耳に心地の良い声音。新入生代表として挨拶をしているくらいだから、頭も良いのだろう。まさに完全美とも呼べる人物が今、堂々とした姿勢で壇上に立っている。  みんな彼の姿に見惚れて、心地の良い声に耳を傾けてはいるものの、喋ってる内容なんか頭に入っていない。かくいう俺も、その美しさには目を見張った。  少しして、教員だか、保護者だかの拍手で漸く宣誓書を読み終えたのだと気付き、生徒たちからも拍手がわく。心なしか、校長先生のお話が終わったときよりも拍手が大きい。 「ねぇ今の人、絶対アルファだよね⁉」  俺の隣りに座っている同じく新入生の女子が、更に隣りの女子に興奮気味に話しかけた声が俺の耳にも届いた。 「絶対そう! あんなイケメンアルファが同級生とかやばい!」  拍手に紛れてこそこそ盛り上がっている女子二人を横目に、スムーズな足取りで降壇する例の男を見る。  彼女たちの言う通り、彼は十中八九アルファだろうと、俺も心の中で同意した。  この世には男女とは別に三つの性別、いわゆる第二次性が存在する。  あらゆる能力や容姿が優れているアルファ。  能力は並の者が多く、人口の殆どを占めているベータ。  そして、男女問わず妊娠し、子どもを産むことができるオメガ。  十歳になる年に第二次性の検査を行うことが国で義務付けられており、大抵の者はそこで自身の第二次性を知ることになる。  第二次性は親族の遺伝による影響が強く、両親ともベータな俺も、ベータだと診断された。容姿も成績も何もかもが普通なので納得である。  たぶん、今俺の周りに座ってる新入生、いや、周りどころか学校に在籍している生徒のほとんどが俺と同じベータだろう。  俺が入学した高校は、偏差値は高くも低くもなく、力を入れている部活動も大して無い、本当にその辺のベータが入るような学校だ。だからよっぽどのことがない限りアルファが入学してくることはないらしい。  しかし今年はアルファが入学してきた。  まさかアルファと同じ学校に通えるなどと思っていなかった生徒たち、主に新入生たちは、彼の姿を見た瞬間わかりやすく色めきだった。オメガほどではないが希少で、ちょっとやそっとじゃ手の届かない存在のアルファとワンチャンお近付きになれるかもしれない、と。  こりゃあの人も、アルファのいろんなものにあやかりたい人たちのせいで学校生活はかなり大変になってしまうだろうなぁ、なんて、俺は大して興味もないまま同情心を抱いていた。  しかし入学式の翌日。  生徒たちの淡い期待は、アルファの彼自身によって打ち砕かれることとなった。 ――― 「なぁ佐崎、聞いたか? あいつの話」  朝、登校するやいなや、俺の前の席で友人の小堀がこちらを振り向いて声をかけてきた。だいたい誰のことかの察しはついてるが、あえて知らないふりをして「あいつって?」と聞き返す。 「決まってんだろ、狩矢のことだよ」  内緒話をするように小声で囁かれた名前は、やはり予想通りの人物のものだった。 「狩矢くんがどうかした?」 「今朝、また他校のやつとケンカしてたんだって」  俺の問いに小堀は、どうやらこういう状況だったらしいぞと誰から聞いたかもわからない話をしてくれて、俺はそれにいつものように適当に相槌をうった。他のクラスメイトからもちょくちょく狩矢くんの名前が上がっているから、小堀や他の誰かから同じような噂を聞いたのだろう。  高校に入学して二ヶ月たったが、生徒たちの間で一週間に一回は必ず狩矢くんのことで話題が埋め尽くされる。他校の生徒とケンカしたらしいとか、先輩をボコって病院送りにしたらしいとか、カタギではない友達がいるらしいとか。眉唾ものの話題が大半を占めている。  だがそうやって面白おかしく噂するくらい、みんな彼が気になっているようだ。まぁ、あの豹変ぶりを見てしまったのだから仕方のないことではあるけども。  話題に上がっている『狩矢くん』とは他クラスの同級生だ。下の名前はなんだったか。漢字は知的そうでかっこいい雰囲気だったけど、読みはちょっとかわいい響きだったような気がする。  そして、入学式で新入生代表の挨拶をしていた例のアルファでもある。  入学式のあと、狩矢くんはいろんな人に声をかけられても笑顔を崩さずにこやかに対応していたらしい。遠目に複数人の男女に囲まれているのを見かけたが、確かに人好きのする笑顔を浮かべていたのをよく覚えている。新入生代表の挨拶という大役を任され気を張っていただろうに、大したものだ。  それからしばらくして狩矢くんはいつの間にか帰宅してしまっていたようで、話ができなかった人たちは残念がったものの、これから三年間を共に過ごすのだからいつでも話せる機会があると、彼というアルファがいる生活にみんな思いを馳せていた。  しかし翌日。みんなの理想はただの夢物語となった。  狩矢くんが、入学式ではぴしっと着こなしていた制服を着崩し、艷やかだった黒髪を金に染め上げ、両耳に複数のピアスを付けて登校してきたのだ。  みんな絶句である。流石の教師陣も驚いてすぐさま生徒指導室に呼び出していた。校則で髪染は禁止されていないので早々に解放されたらしいが。  そして変わったのは見た目だけではない。入学式の日に生徒に囲まれて話をしていたときのような愛想のよい態度が幻だったのではと思ってしまうくらい、誰も近付けさせない雰囲気を全面に出すようになった。ちょっとでも近付いたり声をかけようとすれば、射殺さんばかりの目で睨まれるらしい。実際に面白半分で声をかけようとした男子が鋭い目つきだけで返り討ちにあったんだとか。  更に翌日には顔にケガをして登校してきたため、きっとケンカをしたんだと確証もない噂が広まった。  それ以来、入学式の扱いから一転して狩矢くんには誰も近付かない、完全に浮いた存在になってしまったのだ。  実際に見ていない部分は噂の噂という感じなので、審議のほどは定かじゃない。けれど今の狩矢くんを見ていたら、噂もあながち間違いではないのかもしれないとなんとなく思わされる。  もしや周りにそう印象付けること自体が目的なのではないか、と一瞬思ったが、さすがに勘繰りすぎかとその考えは早々に捨て去った。 「家も金持ちで優秀なアルファに生まれたってのに、勿体ないよなぁ」  ひとしきり狩矢くんの噂を話し終えた小堀は椅子の背もたれに体を預けそう言った。  詳しくは知らないけど、狩矢くんお父さんはとある企業の社長で、お母さんは弁護士らしい。しかも二人ともアルファ。ご両親のその経歴だけで優秀な家系であることは一目瞭然だ。その優秀さを継いで狩矢くんも新入生代表挨拶をするくらい頭がいいし、その上顔もかっこいい。「勿体ない」という気持ちも十分に理解できる。……が、あえて口には出さない。 「きっと狩矢くんにもいろいろ事情があるんだよ」  でなければあんな豹変の仕方はしないだろうからね。しかし詮索するのは野暮だ、そっとしておくのが一番いい。  それからは昨夜放送していたテレビ番組に話題が移り、朝礼を知らせるチャイムが鳴ってからはいつも通りの学校生活を送った。 ―――  そんなことがあった数日後。  この日俺は日替わりで巡ってくるクラス当番、つまり日直だった。  日直の主な仕事としては、日誌を書いたり、先生に頼まれれば教材を運んだり、放課後に軽く教室を掃除をしてゴミを捨てに行ったりと、まぁよくある雑用だ。  特に何か問題も起こることなく無事に放課後になり、俺はゴミを捨てに校舎裏にあるゴミ捨て場へと向かった。 その道中、他クラスの二人の女子が校舎裏の方から走ってきてすれ違ったのだが、「怖かったぁ」とか「ヤバかったね」なんて少し不穏な会話をしていた。  校舎裏になにか怖くてヤバいものがあるのだろうかと不安になったが、ゴミを捨てないわけにもいかないのでそのまま歩を進める。  そしてゴミ捨て場へと続く道の角を曲がって、思わず足を止めた。  陽の光を受けるときらきら輝く金髪頭の彼――狩矢くんが、校舎の壁を背に座り込んでいたからだ。  なるほど、狩矢くんがいたからさっきの女子たちはあんな反応をしていたのか。確かに女子からしたら怖いだろうな。かく言う俺も少しビクついてしまってる。  しかし、狩矢くんの前を通らないとゴミ捨て場には辿り着けない。ゴミを教室に持って帰るわけにもいかないので、俺は意を決して音をたてないよう静かに歩き出した。  たぶん完全に音を殺せてはいないが、狩矢くんは俯いたままで動く気配もない。あまりにも微動だにしないことに少し違和感をいただいたものの、何事も無く前を通り過ぎゴミを捨てる事ができたのでほっと息を吐く。  よし、さっさと教室に戻ろう。  そう思って、先程よりも早足にその場を立ち去ろうとした。のだが、俺は彼の前で立ち止まった。  だって、だらんと投げ出されていた狩矢くんの左の手のひらが、真っ赤な血に塗れていたから。  ぎょっとして、慌てて狩矢くんの方へ駆け寄る。  血がついている左手をよく観察してみれば、手のひらには切り傷がついており、そこから出血しているようだった。結構広範囲にぱっくりいってしまっている。 「う、痛そう……」  こんな切り傷を負ったことはないが、相当痛いってことは容易に想像がつく。しかも血が止まっていないので深く切っているのは明らかだ。それとよく見たら、口元も赤くなっているしシャツも所々汚れている。一番大きそうなケガは左手だが、その他にも傷はあるらしい。  それにしても、俺がこんなに近くに寄っても狩矢くんはピクリとも動かない。もしかして既に息をしてないのではと……恐ろしい想像をしてしまったが、一定のリズムで肩が上下に動いていたので、本当にただ深く眠っているだけと確認できたことにひとまず安堵の息を吐いた。  えっと、こういう時って最初はどうしたらいいんだっけ。 「そ、そうだ、止血しなきゃ」  ガーゼや包帯は当然持っていないため、応急処置として自分のハンカチを狩矢くんの手に強めに巻き付ける。狩矢くんは少しだけ表情を歪めたが起きはしなかった。  さて、すぐにでも彼を保健室に運び治療をしてもらうべきだが、俺一人で自分よりも体の大きい、しかも眠っている高校生男子を運ぶのは難しいだろう。認めたくは無いが俺は結構非力だ。  ならば俺が養護教諭を呼びに行く方が確実で早い。  聞こえていないだろうが、一応狩矢くんに「ちょっと待っててね」と声をかけてから保健室に向かった。  そうして、できる限りの全速力で走って保健室に辿り着いた。のだが……ドアにはなんと、「職員会議中のため不在」という貼り紙がしてあった。しかも職員会議ということは、今職員室に行ったとしても大人は誰もいないだろう。自身の間の悪さに思わずため息をつく。  どうしようかと思案しながらも試しにドアに触れてみたら、施錠し忘れたのかあっさりとドアがスライドした。  やっぱりついてるかも、なんて呑気に思い直しつつ誰かに見つかる前に保健室内に身体を滑り込ませる。壁に貼ってある「備品を勝手に使うな」という注意書きが目に付いたが、事態は急を要するのでとりあえず無視だ。  後でちゃんと返しますので、と心の中で誓い、近くにあった救急箱を拝借する。道すがらの自動販売機でペットボトルの水を買ってから、俺は校舎裏まで急いで戻った。  そして、そこでまた思わず足を止めた。  さっきまで眠っていた狩矢くんが目を開けて、俺がハンカチを巻いた左手をまじまじと見つめていたからだ。  結構勢いよく狩矢くんのもとへ駆け込んできてしまったため、彼は俺の方を向くと怪訝な表情で睨みつけてきた。  見知らぬ男がばたばたとやって来たんだ、そりゃそんな顔もするよね。でも今狩矢くんは血が止まらないくらいの怪我をしてしまっているのだから、臆している場合ではない。 「手、痛いでしょ? 救急箱持ってきたから、とりあえずこれで応急処置しよう」  彼の傍に膝をつき、救急箱の中からガーゼを取り出す。とりあえずの止血用に巻いたハンカチを取るために狩矢くんの手に触れようとしたら、思いっきり振り払われてしまった。 「触んな――ッ、いってぇ……」  狩矢くんは強気にこちらを睨みつけてきたが、すぐに痛みに顔をゆがめて苦しそうに呻いた。  あれだけの切り傷だ、ちょっと衝撃を与えただけで相当な痛みが走るだろう。 「そんなに激しく動かしちゃだめ。今から血を拭くから。痛いだろうけど我慢してね」 「おい、なに勝手に……」 「いいから、ケガ人は大人しくして」  無理やり手首を掴み語気を強くして言えば、狩矢くんは瞠目して口を閉じた。  見知らぬ男子生徒に突然有無を言わさぬ圧をかけられて驚いただろうしあとで怒られるかもしれないけど、今は大人しくしてもらっていたほうがありがたいので強気にいく。  血が滲んでるハンカチを解き、自動販売機で買った水で傷を洗い流す。それからハンカチのまだ血がついていない部分で狩矢くんの手を優しく拭っていく。  傷口は深いけれど、想像していたよりはひどくないように見える。ハンカチを強めに巻いたおかげか出血もある程度止まっていて、ガーゼで更に圧迫したらすぐに血も出なくなった。  ひとまず安心だ。  傷口に合う絆創膏は残念ながら救急箱に入ってなかったので、新しいガーゼを当てて包帯を巻く。慣れていないから巻き方は不格好だけど、これで傷口の保護はできた。  俺は安心感からほっと息を吐いて、狩矢くんににこりと笑いかける。 「よし、できた。傷口はそこそこ深いからちゃんと病院に行ってね。それから、激しく動かすのもだめだよ、傷が広がってしまうから」 「……余計なお世話だ」  先程よりは弱い力でだけどまた手を振り払われる。  激しく動かすなと言ったばかりなのに。  でも大人しく包帯を巻かれてくれてよかった。暴れられたらたぶん俺じゃ歯が立たないし。 「じゃあ俺は行くよ。休憩の邪魔してごめんね」  これ以上はここにいても邪魔になると思い、救急箱を持って立ち上がる。 「あ、余った水は飲んでいいよ」  それだけ言い残して俺はそそくさとその場を立ち去った。  狩矢くんを発見してからはとにかく応急処置をすることに必死だったから、気が抜けた今、どっと疲労が襲ってきた。今更だが狩矢くん相手にあんなに強気に対応できた自分にびっくりだ。  早く帰って、今日は家でゆっくり過ごそう。  そう決意を固め、こっそり保健室に救急箱を返却してから帰宅した。 ―――  あれから数日。  狩矢くんは学校に来ていないそうで、彼に関する噂を耳にしない日が続いていた。  無理やり傷の応急処置をして、鬱陶しそうにしていたからこれ以上干渉するのもよくないと思い、病院に行くんだよと言い残すだけで校舎裏に彼を置いてきてしまったことを、家に帰ってから若干後悔した。医者からちゃんとした処置を受けないと傷が化膿して大変なことになるだろうから、本当は一刻も早く病院に行った方がよかったのに。 でもあの様子じゃ行かないだろうな。  とは言え俺にできることはあれ以上になかったのも事実。気にしても仕方がないので、ここ数日は時々思い出しては悪化していないか少し心配する、というふうに過ごしていた。  放課後。  部活動に所属している友人と廊下で別れ、帰宅部の俺は一人校舎を出た。  今日は親からおつかい等の頼まれ事もされていないので、真っ直ぐ家に帰るだけだ。  どこかに寄り道しようにも一人じゃつまらないから、自室で適当に漫画でも読んで晩御飯まで時間を潰すかな、なんて呑気に考えていた。 「おい、待てってば!」 「ぉわぁ⁉」  だから、突然結構な力で腕を掴まれたことに、俺はものすごく驚いてしまった。  何事だと振り向いた視線の先には、不機嫌そうに眉間に皺を寄せているにも関わらずきれいなままの顔とキラキラの金髪が眩しい彼がいた。 「か、狩矢くん⁉」  驚きにより大きな声が出てしまった。そのため、周りにいた生徒たちの視線がこちらに集まったのがわかった。けれど狩矢くんは周りなど気にしたふうもなく、少し面倒くさそうにため息をつく。 「何度も呼び止めてたんだが」 「えっ、俺を⁉ なんで?」  素直な疑問が思わず口をついて出た。  狩矢くんは呼び止められた理由が本当に思い至らず戸惑っている俺から手を離すと、眉間の皺を更に深くして気まずそうに視線を逸らした。 「……この前のお礼を、言ってなかったと思って」 「この前、って……」  俺が狩矢くんの怪我の応急処置をした時のこと、だよね。それしか狩矢くんと俺の接点なんかないし。  そういえば、とふと彼の怪我をしていた左手に視線を落とせば、そこは新品の包帯がしっかりと巻かれていた。自分がした拙い巻き方じゃないから、ちゃんとした人に再度巻いてもらったのだろう。 「病院行ったんだ、よかった。心配してたんだ」  ほっと息をついて狩矢くんに笑いかける。 「っ、なんで、お前は……」  狩矢くんはまた眉間に皺を寄せ、ぶつぶつなにかを呟いた。声が小さくて聞こえなかったのでどうかしたのか問いたが、なんでもないとあしらわれてしまった。  俺への文句だったのかな。 「そんなことよりお前、この後予定はあるのか?」 「特にないけど……」 「じゃあ着いてこい」 「え? どこに行くの?」 「いいから、着いてこい」  有無を言わさぬ圧だ。まるで狩矢くんの応急処置をしていた時の俺みたいな。  あの時の俺は結構強引でなかなか引かなかったから、普通に言っても聞かないと思ったのだろうか。そんな事はないんだけど。  とりあえず逆らわずに先を歩いて行ってしまった狩矢くんを追いかける。それと同時に、俺たちの様子を伺っていた周りの生徒たちも解散した。  狩矢くんの背中を追いかけながら、俺は感心していた。  さすがと言うべきか、モデル並みに脚の長い彼の歩幅は広くて、ちょくちょく駆け足しながらでないとついて行くのがやっとなのだ。正直羨ましい。  とまぁそんな状況なので、狩矢くんにどこに向かっているのかと聞く余裕もない。俺は現役男子高校生とは思えないくらい体力も無いのだ。  そうやって暫く移動して辿り着いたのは、俺たちの通う高校の最寄り駅前にある商業施設だった。  俺は徒歩通学なので、休日に出かける時以外は駅まで足を運ぶことはほとんどない。しかも商業施設はちょっとお高めのおしゃれな洋服とか雑貨を扱っている店が多いから、俺には縁がないのである。  そんな縁遠い商業施設の三階に連れてこられたかと思ったら、黒を基調とした装飾が施された高級感のある雑貨屋の前に立たされた。店の名前もどこかで見たことがある。 「ここは……?」 「……お前が持ってたハンカチと同じメーカーの店だ」 「え?」  思わず隣りに立つ狩矢くんを見上げる。 「俺の血でもう使い物にならなくなったから……そのお詫びだ」  確かに、俺の手元にもうあのハンカチはない。狩矢くんと共に校舎裏に置いてきてしまったことを、帰宅してから思い出したのだ。  どっちにしろかなり血がついていたので、もう普段使いはできない。残念ではあったが仕方がないので、もうあのハンカチのことは諦めていたのだ。  だからまさか、狩矢くんがハンカチのお詫びのためにお店にまで連れてきてくれるとは思わなかった。ちょっと強引ではあったけど。 「ハンカチのために、わざわざ俺の事を待っててくれたの?」 「そのままにしとくのも寝覚めが悪いだろ」  めちゃくちゃ律儀だ。  しかも、商業施設に向かう道中に気がついたが、狩矢くんの今の格好は制服ではなく私服だ。今日も登校はしていなかったが俺を捕まえるために放課後を狙って学校に来たのだろう。  帰宅や部活動に向かう生徒でごった返す生徒玄関前で、一度会っただけの俺を見つけるのは大変だったと思う。お詫びのためだけにその苦労をしてくれたというだけで、狩矢くんは噂に聞く素行不良なだけの生徒ではないと、なんとなく感じた。 「ありがとう。狩矢くんは優しいね」 「はぁ? 優しいって……馬鹿じゃねぇの……」  素直にお礼を言ったのだが、狩矢くんは怪訝な顔をしてしまった。  変なことは言っていないと思うんだけど。 「つか、お前随分いいハンカチ使ってたんだな。この店の商品、全部それなりの値段だぞ」 「え? ……あぁ、やっぱりそうなんだ。あのハンカチ、高校の入学祝いにって俺の兄ちゃんがくれたやつだったんだ」  もう既に実家を出てひとり立ちしている兄が、高校入学のタイミングでわざわざ帰ってきて俺にくれたのがあのハンカチだった。シルクの柔らかい肌触りのそれは、普通のハンカチよりも値段の張るものであると、物の良し悪しに疎い俺でもすぐにわかった。  流石に悪いと言ったのだが、「大事な弟の入学祝いだからこれくらいさせてくれ」と言われ、それならばとありがたく受け取った。俺も兄のことは大事に思っているから、申し訳ないと思いつつもお祝いをもらえたことはすごく嬉しかったのだ。  だからまぁ、ハンカチを使ったことを後悔はしていないが失くしてしまったことには結構ショックを受けていた。  数日前にたまたま兄と電話する機会があり、そこでハンカチを失くしてしまったことを正直に話し謝れば、兄は優しい声で「気にするな、お前は正しいことをしたんだ」と言ってくれた。そのおかげで、ハンカチのことは特段気にすることなく過ごせていた。 「…………」 「ん? どうしたの、狩矢くん」  俺が呑気に兄に思いを馳せていれば、狩矢くんが少し俯いて口を噤んでしまっているのに気が付いた。心配になって顔を覗き込んだが、彼はなんでもないと顔を逸らし、先にお店の中に入って行く。  一人でこのおしゃれなお店に足を踏み入れる勇気はないため、俺は慌てて彼の背中を追いかけた。  兄がくれたハンカチと同じものは、残念ながら在庫切れで店頭に並んでいなかった。  どうしようか悩んでいたら、こういう素材もおすすめだって狩矢くんがいろいろ教えてくれて、せっかくなのでその中の無地のハンカチを選び買ってもらった。  他商品と比べてリーズナブルな価格だったし、色も元のハンカチと似ていてすごく気に入った。帰ったら兄に写真を送ろう。  それにしても、狩矢くんはすごいな。  選んでいるときにどういう手触りが好きかを聞かれて、「こう、するんとして、ふわっとした感じ」という曖昧な回答しかできなかったのに、すぐさまそれならこの素材がいいって提案してくれた。  人工的にブリーチされたキラキラの金髪と数々の不穏な噂で忘れ去られがちだけど、狩矢くんは家柄の良い人が多いと言われるアルファだ。そして実際、噂が本当であれば、「良い家柄の人」であるのも間違いない。  たぶんこれまで、俺なんかとは比べものにならないくらいいろんな物を見たり、触れたりしてきたんだろうな。それが節々に現れている。  俺もいつかそういうの、わかる日がくるのだろうか。  買ってもらった商品の入った店のロゴが印刷されている袋を感慨深く眺めていれば、ハンカチ以外にも何か買っていた狩矢くんが俺のもとにやって来て「行くぞ」と店を出ていく。  見送ってくれた店員さんに会釈をしてから狩矢くんを追いかけて、改めてありがとうとお礼を言った。 「狩矢くんのおかげでとてもいいものを選べたよ」 「ほんとにそれでよかったのか。値段が元のハンカチと全然違うぞ」 「俺が気に入ったんだからいいの。それより、狩矢くんは何を買ったの?」 「ただのキーケースだ」 「あぁ、俺が悩んでる間に狩矢くんがお店で見てたやつ? 自分用?」 「いや……」  答えかけたが、狩矢くんはなぜか口を閉じてなんでもいいだろとそっぽを向いてしまった。  誰かにあげる用なのかな。そうだったとしたら、プレゼントするくらいその人のこと思ってるってことだよね。やっぱり優しいな、狩矢くんは。  きっと関係ないってあしらわれてしまうだろうから、その後は特段突っ込んで聞くことはなく、ほぼ俺が一方的に話しかけて商業施設をあとにした。 「お前、家の方向は?」  少し歩いて振り返った狩矢くんにそう問われたので大体の場所を言えば、「反対方向だな」と呟いた。 「じゃあここで解散?」 「あぁ。……これで、借りは返したからな」  狩矢くんはまっすぐ俺を見つめてそれだけ言うと、別れの挨拶もせず俺に背を向けてさっさと歩いて行ってしまった。  借りだなんて、俺は思っていないんだけどな。義理堅い人だ。  返事はないだろうけど、彼の後ろ姿に「また学校でね!」と声をかけ、俺も帰路についた。 ―――  翌日。  俺は狩矢くんに買ってもらったハンカチをポケットに携帯し、学校へ向かった。  兄に同級生からハンカチを買ってもらったことを写真を添えて連絡すれば、にこにこしてる顔文字とともに「今度その子にご挨拶したいな」と返事がきた。  なんでご挨拶したいのかはよくわからないが、兄ならば変なことにはならないだろうから、次狩矢くんと話す機会があったら兄に会おうと誘ってみようかな。  そんなことを考えながら登校し、生徒玄関で会った友達と挨拶を交わす。授業ダルいよなぁなんて愚痴りながら靴を履き替え、教室に向かおうと廊下を歩いていたときだった。  騒がしかった生徒玄関の一帯が静まり返ったかと思ったら、途端に海割りの如く人が道を開けた。そしてその間を金髪の彼――狩矢くんが、涼しい顔で歩いていくのが見えた。  みんなひそひそとなにかを話している。隣りにいる友人も、「うわ狩矢だ……」なんて言っていた。けれど、そんなもの俺の耳には届かなかった。  昨日会った時にはなかった傷が顔に、そして包帯を巻いた左手にも若干血が滲んでいるのが見えてしまったから。 「狩矢くん!」  俺は思わず駆け出して、狩矢くんの腕を掴んだ。  こちらを振り向いた狩矢くんが俺の姿を見て目を見開く。 「おまっ、なにを……」 「昨日よりケガ増えてる、何かあったの?」 「な……お、お前に関係ないだろ、俺に関わんじゃねぇ!」  狩矢くんが動揺を顔に出しながらも低い声で言う。  たしかに関係ないかもしれないけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。せっかくきれいに治療してもらっていたのに、またボロボロになってしまっては意味がないじゃないか。  俺は首を横に振り、保健室のある方に狩矢くんの腕を引っ張る。 「関係あるとかないとかじゃない。左手の傷、開いちゃってるよね。きっと先生いるから、早く保健室に行って治療を……」 「うるせぇ、触んな!」 「わっ……!」  鋭い目つきで睨まれたあと、強い力で手を振りほどかれる。重心が後ろに乗っていたのと予期していなかったこともあり、俺はバランスを崩して無様にしりもちをついてしまった。  ちょっと払われただけで……は、恥ずかしい……。  おしりの痛さよりも自分のどん臭さを露呈してしまったことの羞恥が湧き上がって頬が熱くなる。けれど、じり、と後ずさった狩矢くんの足元を見て、俺は慌てて顔を上げた。  俺と目が合った狩矢くんは気まずそうに、そして少し申し訳なさそうに顔を歪め、けれど何も言わずそのまま背を向けて歩き去ってしまった。 「あっ、狩矢く……」 「おい佐崎、大丈夫か⁉」  呼び止めようとしたけれど、それより先に友達が俺のもとに駆け寄ってきて助け起こされる。  そうして立ち上がった時にはもう狩矢くんの姿は生徒たちに溶け込んで見えず、生徒玄関もいつもの喧騒を取り戻していた。  見失ってしまったことに肩を落としていれば、助け起こしてくれた友達が「佐崎どうしたんだよ」と心配そうに俺の顔を覗き込んできた。 「よりによって狩矢に絡みに行くなんて、危ないだろ」 「え、危ないって……」 「ケガさせられたかもしれないんだぞ? 現に転ばされてたし」  転ばされた?  違う、今のは俺が勝手にバランスを崩して尻もちをついてしまっただけだ。  慌てて弁解しようとしたが、友達は「とにかくもう狩矢なんかに絡むんじゃないぞ、お前ひょろっちいんだから!」と言って教室の方へ歩き出してしまった。  訂正するタイミングも逃してしまったため、心の内にモヤモヤを残したまま俺も教室へ向かう。  みんなが狩矢くんに対して良くないイメージを持つのは仕方のないことだと思う。噂になっているようなケンカをしているのも、あのケガの感じを見るにおそらくは本当だし、近寄り難い雰囲気を全面に出しているから。  けれどたぶん、狩矢くんは悪い人じゃない。  だって噂通りの野蛮なだけの人だったら、使い物になら無くなったからとハンカチを買ってくれたり、尻もちをついた俺に申し訳なさそうな視線を向けたりはしないだろうから。  みんな誤解してる。  ……でも、狩矢くんはあえて周りから悪く見られるよう行動している気もする。  なんでだ?  何か深い理由でもあるのか?  正直言ってとても気になる。  ……が、俺が理由を聞いたとしても彼は答えてくれないだろう。それは先程の態度から明らかだ。なので追求はしない。話したくないことのひとつやふたつあって当然だしね。  でも、彼の「関わるな」って言葉に従うつもりは無い。  ああいうのは放っておくと本人を不幸にしてしまう。狩矢くんとは知り合って間もないし深くは知らないけど、彼には不幸になってほしくない。  それに……確実に心になにかを抱えてる人が目の前にいるのになにもせず放っておくなんてこと、俺には到底、できないから。

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