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第2話
周りとの関わりを拒否している狩矢くんと関係を保つにはどうしたら良いのか。
俺にはひとつ心当たりがあった。
それは、とにかくしつこく絡むというものだ。脳筋だと思われるだろうが、根は優しい人相手には経験上これが一番効く。相手の精神を削ってるからかもしれないが……しばらくしたら相手が折れてじょじょに目を見て話をしてくれるようになるのだ。だから、とにかく粘るのが大事。
と、いうわけで早速、俺は狩矢くんに一日一回は話しかけるというのを目標に定め、生徒玄関での一件の翌日から実行した。
その名も「めげない! しょげない! 狩矢くんと仲良くなろう大作戦」である。
……とまぁ大作戦なんて銘打ったが、やっていることはいたってシンプルだ。
朝はいつもより早く登校するようにして、校門近くで狩矢くんを待ち伏せし、登校してきたら偶然を装って声をかける。朝に見かけなかったら彼のクラス付近をうろうろして、下校するまでに見かけたらこれまた偶然を装って話しかける。そもそも狩矢くんが学校に来ていない日もあったので厳密に毎日話しかけることはできていないが、できる限り毎日話す(というか一方的に話しかける)ようにした。
そんな作戦を実行して一週間ほどがたっても、狩矢くんは相変わらず俺を鋭い目つきで睨みつけてくる。というか、途中からは見向きもされずガン無視された。
まぁ、そりゃそうだよな。あの態度は他人を近付けさせないためだったとはいえ本気だった。にも関わらず空気を読まない見ず知らずの男がしつこく話しかけてくるんだ、苛立って睨み付けたり無視もする。
そんな狩矢くんの気持ちは大いにわかる。が、俺は引く気はない。こういうのはどれだけ強引にしつこくいけるかが肝になってくる。俺の経験上、彼みたいなタイプは強引に懐に入ってきた者を完全には無下にはできないだろうから、俺を認める(というか突き放すのを諦める)まで根比べだ。
それともう一つ、どうにかしたい問題がある。それは狩矢くんの負っているケガに関してだ。
彼と会う度に、彼には傷が増えていく。治りかけていたケガが悪化している箇所もって、あの時の手のひらの切り傷も、包帯が血で滲んでいるのを見たからおそらくまだ治っていない。
狩矢くんからしたら、ただの同級生がいちいち干渉してきて鬱陶しいことこの上ないだろう。しかし、自らを傷つけるような行為をなんとも思っていないような状態を見てしまったら、余計に放っておけるわけがない。
俺は神経が図太い上にしつこくてお節介なんだ。覚悟してもらおう!
そうこうして、狩矢くんに無視されてもめげずに話しかけ続けて更に数日。
今日はちゃんと登校している狩矢くんの後ろ姿を校門で見かけたのでいつも通り声をかけると、般若のような形相をして振り返った彼に腕を掴まれ、俺たちが初めて言葉を交わした校舎裏へと連行された。
そして壁際に追いやられたかと思ったら、硬い校舎の壁がドンッと揺れるほどの強い力で顔の横に手が置かれた。
王子様のごとく顔がいい彼にこんなことをされたら性別関係なくドキッとしてしまいそうだが、残念ながら違う意味でドキドキした。
これが本当の壁ドンというやつか……。
なんて現実逃避のように考えていれば、「おい」という低い声で我に返る。
「なんなんだよてめぇは」
「ひぇっ……な、なにがでしょう……」
「しらばっくれてんじゃねぇわかってんだろーが。俺言ったよなぁ、関わるなって」
「い、言っていました……」
「じゃあなんで毎日毎日毎日毎日アホ面引っ提げてアホみてーに声かけてくんだよ? 日本語理解できてねぇんか? それとも救いようのないバカなのか? あぁ?」
「ぅ、しゅ、しゅみましぇん……」
狩矢くんが壁についていない方の手で俺の両頬を潰す勢いで掴んできたため、まともに言葉が紡げない。
あとすごくブサイクな顔になっていると思う。
「いいかこれが最後の警告だ。二度と俺に近付くんじゃねぇ。次言う事きかなかったらぶん殴るからな。わかったか」
「…………」
「わかったかって聞いてんだけど? 返事は?」
「……だ……」
「あ?」
「やだ!」
「は……はぁ⁉」
俺の返答に狩矢くんは驚愕の表情を浮かべた。
わかりやすく脅しているのに「やだ」とか言われたらそりゃそういう反応にもなるだろうな。俺が狩矢くんの立場でもそうなる。
でも俺にだって、脅されたとしても譲れないものはある。
それに彼の脅したいという気持ちは本物だろうが、だからといって俺を本気でどうこうするつもりはない、と思う。狩矢くんはそうやって暴力をふるう人じゃないって、なんとなく、そんな感じがするから。
「殴られても構わねぇってことだな?」
俺の顔から手を離した狩矢くんが、目を細めて俺を見下ろす。
その視線はゾクリとするほど冷たく、鋭くて、俺は思わず後ずさるように背後の壁に背中をより押し付けてしまった。
狩矢くん、顔がきれいだから冷めた表情もより怖く感じる。
その表情がふと、俺の大事な人――兄のかつての姿に重なった。
なんかこういうの、懐かしいな……。
俺と兄は仲がいいけど、数年前、兄が精神的に不安定だった時期があって、そのときだけは会話もろくにできていなかった。兄のことが好きだったから頑張って話しかけてたんだけど、俺に構うなって突き放されたっけ。
兄は俺とは違って顔が整っているかつ目つきも鋭いから、睨まれる度に猛獣と対峙しているかのような錯覚に陥っていた。
今の狩矢くんは、そんな不安定だった時期の兄と同じ目をしている。
自分は一人ぼっちで味方なんかいなくて、誰も自分の苦しみを理解できない。傷つきたくないから誰も近付けさせたくなくて、一人になりたくて……でも誰かに手を差し伸べてもらいたい。そんな矛盾した気持ちを無意識のうちに抱えている。兄もそうだったが、そういう人は自己犠牲に走りがちだ。
狩矢くんのケガがいつまでたっても治らないのはそれが原因であると俺は踏んている。
だからこそ、彼のことを放っておけないのだ。
「構わない。傷ついてる人を放っておくことなんて、俺にはできないから」
気合を入れるよう拳を握り、真っ直ぐに彼を見つめた。
狩矢くんはそんな俺の目を見て、眉間にぐっとシワを寄せる。そして数十秒、お互いに視線を逸らさず黙って見つめ合った(睨み合ったが正しいかもしれない)。
――そうして、先に視線を逸らし盛大にため息をついたのは、狩矢くんだった。
「ほんとお前、なんなんだよ……俺に関わっても面倒なだけだって、見てわかるだろ」
彼は力が抜けたようにその場に腰をおろし、俺を睨めあげる。けれど先程のような冷たいものではなく、どちらかというと呆れの色のほうが濃いように感じた。
「傷だって、お前が余計な世話を焼かなくても時間が経てば治る。俺に恩を売るようなことして、一体なにが目的なんだ」
俺を恐怖で脅しても無意味と思ったからか、狩矢くんは静かな声で問うてきた。
傷は物理的なものだけの話ではない、と言ったとて、心の方は否定されるのが目に見えてるから今は言わないでおこう。
俺は狩矢くんと目線を合わせるようしゃがんで、できる限り安心させるように微笑んでみせた。
「目的なんてなんにもないよ」
「裏があるやつはみんなそう言う」
うーん、困った。どう足掻いても俺のことが怪しく見えてしまうらしい。
それくらい、誰も信じられない環境にいたってことなんだろうが……本心を信じてもらえないって、やっぱりちょっと悲しいな。
「本当になにもないんだけど……そうだな、敢えて理由をつけるとしたら……日々を楽しくすごしてほしいから、かな?」
「はぁ?」
意味がわからないと言いたげな目で狩矢くんが俺を見る。
そりゃ身内でも友達でもない俺にそんなこと言われたら困惑した声も出したくなるよ。でも実際俺の思いとしてもそれに近いのだから、そう言うしか無い。
「狩矢くん、全部を諦めてしまってるんじゃない?」
「!」
俺の言葉に、狩矢くんが目を見開く。
兄も、そうだった。
誰にも理解してもらえない、どうにもできない、きっとこの先も死ぬまで苦しむだけなんだと、全部諦めて、どうなってもいいって自暴自棄になっていた。
俺はそんな兄にどうか諦めないでくれと訴えていた。兄に、自分を傷つけてほしくなかったのだ。自身を大切にしてほしかった。
人生はこれから過ごす時間の方が圧倒的に長い。彼が抱えている悩みも、今は難しいかもしれないが大人になったら案外難なく解決できることかもしれない。
だから、簡単に諦めて自分自身を傷つけてしまっている人がいると放っておけない。一番大事なはずの自分のことを蔑ろにしてほしくないと、思わずいらぬお節介を焼いてしまうのだ。
「詳しいことはわからないけど……俺たち、まだ高校生なんだよ? いろいろ諦めてしまうには早すぎるって、俺は思うよ」
「……なにも知らないくせに、偉そうに説教するな」
狩矢くんは眉間にシワを寄せ、けれども戸惑ったように瞳を揺らめかせていた。
俺が言ったことはおそらく図星だったのだろう。そしてたぶん、これまで誰にも指摘されてこなかったことでもある。
誰にも心の内を悟られないよう、一人で気を張って過ごしてきたんだろうな、彼は。
「俺、狩矢くんに話しかけるの、この先もやめるつもりないから」
「…………」
決意も含めて狩矢くんを真っ直ぐ見つめながら言う。
狩矢くんはしばし俺をじっと見たあと、盛大なため息を吐いてガシガシと頭を掻いた。
「どうせ、どれだけ無視してもしつこく絡んでくるんだろ?」
「うん。狩矢くんが俺をぼっこぼこにしたってやめないよ」
「……はぁ……だったらもう、好きにしろ」
「!」
それって、俺が声をかけてもいいと許可がおりたってことでいいんだよね?
狩矢くん公認ってことで、いいんだよね?
「うん、好きにさせてもらう!」
にこにこするのをとめられないまま喜びが乗った声で言えば、また大きくため息を吐かれた。今日だけで狩矢くんの幸せが結構逃げていってる気がする。どうにかかき集めてほしい。
「変なのに懐かれちまった……」
「えぇっ、変なのって俺のこと?」
「他に誰がいる」
狩矢くんがそう言いながら立ち上がったところでチャイムが響き渡る。朝礼前の予鈴だ。狩矢くんはそのまま校舎の方に向かって歩き出したので、俺も慌てて狩矢くんのあとを追った。
教室に向かう道中、ハンカチを買ってもらったときのように一方的に狩矢くんに話しかけながら歩いていたら、ふと「そういえば」と彼がこちらを向く。
「お前の名前ってなに?」
知らなかったの⁉
と突っ込みそうになったが、確かに一度も名乗っていないのだからそりゃ知らないよなと思い直す。興味が無ければ自分で調べることもしないからね。
「俺、佐崎優希っていうの。改めてよろしくね」
「……そうか」
興味があるのかないのか、無感情にそれだけ呟いた狩矢くんは俺に背を向け教室棟とは反対方向に歩き出した。呼び止めてみても振り返ることはなくて、長い脚を活かした大股で廊下を歩く彼の背中はあっという間に小さくなる。
本当は授業に出たほうがいいけど、たぶん呼び戻そうとしても徒労に終わるだろうな。
仕方がないので今回は諦めて、彼の小さくなった背中に「またね!」と呼びかけてから自身の教室へ向かった。
校舎裏に連れてこられたときはびっくりしたけど、狩矢くんと話ができてよかった。許可ももらえたからこれからは遠慮なく声をかけられるので作戦も実行しやすい。この調子で仲良くなれるといいな。
それにしても、狩矢くんの方から俺の名前を聞いてくれるなんて意外だった。鬱陶しそうにしているのは相変わらずだけど、以前よりは俺に興味を持ってくれたのかもしれない。そうだとしたらちょっと嬉しいぞ。
心が浮き立つのを感じて、教室に向かう脚が自然と速くなった。
そうして朝礼直前のほとんどの生徒が揃っている教室に上機嫌なまま足を踏み入れたら、俺が狩矢くんに拉致されたとクラスで専らの噂になっていたようで、席につくなり前の席の小堀に死ぬほど心配された。話をしてただけと説明してもいまいち信用されず押し問答を繰り返して数分、担任が教室に入ってきたのをこれ幸いと口実に使い、ようやっと会話を切り上げることができた。
心配はありがたいが、本当に嘘は言っていないんだからこれ以上は勘弁してくれ、と思わずため息が出た。
―――
無事、狩矢くんからもお許し(?)が出たので、俺は心置きなく、以前よりも更に積極的に狩矢くんに絡みに行くようになった。
そして当の狩矢くんは、俺が話しかければ相変わらず鬱陶しそうにするけど、これまでのようなガン無視はしなくなった。と言っても、ほんのちょっと返事をしてくれるようになったくらいだけども。
しかしこれは大きな前進だ。
俺が狩矢くんの助けになれるようなことはないだろうけど、周りは敵ばかりじゃないってことを知っておいてほしい。それだけできっと、幾分か気持ちも楽になるだろうから。
四限目の授業が終わるなり、俺は鞄から弁当箱を取り出して席を立った。
「あれ、佐崎どっか行くのか?」
そんな俺を見た前の席の小堀が問いかけてきた。
弁当は基本的に小堀ともう一人の友達と食べているので、いつも通りであれば今回も三人で食べる流れだった。
でも今日は違う。
「うん、狩矢くんとごはん食べるんだ」
そう、なんと今日は、狩矢くんと初めて一緒にお弁当を食べることになっているのだ。
誘ったのはもちろん俺から。
最初は断られたがしつこく……いや根気強く誘ったら、ため息とともに「わかったよ」頷いてくれたのだ。
突き放してもいいのに最終的には俺の誘いに乗ってくれるから、彼はなんだかんだ付き合いがいい。早く面倒くさいことを終わらせるために付き合ってくれてる可能性もあるけど……でも、無視されたりずっと断られるよりは全然マシだ。狩矢くんを知るきっかけにもなるしね。
いつも話しかけても短い返事しかされないけど、今日はいろんな話ができるといいな。
なんて思いながら、目を丸くして俺を見ていた小堀に行ってきますと弾んだ声で言って教室を出た。
そうして足早に向かったのは屋上前の階段の踊り場。この学校の屋上は立ち入り禁止なので、用がない限りは誰も足を運ばないような場所である。
ではなぜそんなところに俺は向かったのか。狩矢くんに昼を食べるならここでと指定されたからだ。辺鄙な場所を選ぶなぁと少し疑問に思ったものの、嫌という訳でもないので了承した次第である。
教室を出てから、狩矢くんを待たせたら悪いと思って急いで階段を駆け上がった。指定された踊り場に到着したがまだそこに狩矢くんの姿はなかったので、段差に座って待つことにした。
屋上前の階段の踊り場は、屋上へ続く扉に立入禁止の札がかけられている以外に何か特別な物が置かれているとかそういうわけでもなく、ただの踊り場のわりに少し広々とした印象を受けた。あと、誰も来ないはずなのに意外にも汚れが少ない。用務員さんが定期的に清掃してくれているのだろうか。
あぁ、いや……。もしかしたら、ここは狩矢くんの秘密基地なのかもしれない。
狩矢くんは学校に来たとしても授業を受けないことがほとんどだ。一度、「授業はつまらない」とこぼしていたのを覚えている。確かに好きな教科でもない限り授業に楽しさを見出すのは大変だ。
他の生徒たちが授業を受けている間、先生に見つからずにサボれる場所と言ったら限られてくる。その中でもここは、生徒が普段過ごす教室からは離れていて、昼間の校内とは思えないほど静かだ。サボりスポットとしてはとても優秀に思える。
授業をサボるのはどうかと思うが、彼にとって落ち着かない学校で少しでも心安らげる場所があるのならば、それは決して悪いことでは無い。
もう少し打ち解けられたら、授業出よーって誘ってみようかな。
そんなことを考えていたら階段を上る足音が徐々に近付いていることに気が付き、下の方に視線を向けたと同時に狩矢くんが階段の角から姿を現したのが見えた。
来てくれた!
いや来てくれるとは思っていたけど、実際に姿を見たらなんだか嬉しくなったのだ。
思わず立ち上がれば、狩矢くんは俺の方を見上げ、少し呆れたように息を吐く。
「なんだ、もう来てたのか」
「うん。なんか気が急いて、走って来ちゃったんだ」
「……相変わらず、変なやつ」
狩矢くんはそう呟いて、ほんの少し口角を上げた……気がした。
ちょっと距離があったのと本当に僅かな変化だったから確信はないが、俺は狩矢くんが遂に笑ってくれたと都合よく捉えることにした。
心が舞い上がるのを感じながら、立ち止まっている狩矢くんを自分の隣りに誘う。
彼は少々不機嫌そうに口を尖らせながら僅かに視線を逸らして、再び階段を上って俺の隣りに腰をおろした。
「それじゃあ食べよっか」
二人で弁当を広げ、俺はうきうきした気持ちで箸をつけようとした。しかし隣りで、狩矢くんが両手を合わせ「いただきます」と呟いたのを見てハッとする。慌てて俺も彼にならい、手を合わせた。
夕飯時は言うけれど、学校での昼食時はいつの間にか「いただきます」と言わなくなっていった。周りも言っていないから特に気にもしてなくて、むしろちゃんと言っている方がいいこちゃんぶるなよ、なんて周りから揶揄われる。
そんな風潮からなんだか恥ずかしいことをしている気持ちになって、俺は学校では言わなくなってしまった。
でも、狩矢くんは自然と口にしていた。おそらく普段から、たとえ一人きりだったとしても食事前は当たり前のように「いただきます」と言っているのだろう。
彼は、人が考えて立ち止まったりしてしまうような事を、なんの躊躇いもなくできる人なんだと、会話をするようになってから気付くことができた。
俺にハンカチを買ってくれたのも、先程の食事前の挨拶も、俺だったら多少周りの目を気にして、一瞬行動を躊躇ってしまうと思うんだ。
……やっぱり狩矢くんは、みんなが思ってるような人じゃない。
本当は誠実で、誰かに流されることのない真っ直ぐな人間なのだと感じた。箸の持ち方ひとつとっても、彼がいい加減な性格で無い事が伺える。
こういうところ、他の人には見せたくないのだろうか。
俺のよりもひと回りくらい大きいサイズの弁当箱からひとくち大に切り分けたハンバーグを口に運ぶ狩矢くんの横顔を眺める。
食べ方も自然で丁寧だなぁ。家の人に教えられてきたんだろうか。というか、狩矢くんのお弁当すごく美味しそう。バランスもしっかり考えられていて、かつ成長期の男子高校生でも満足できるくらいのボリューム感がある。
すごい、誰が作ってるんだろう。
自分の食事そっちのけで狩矢くんのお弁当をまじまじ見ていたら、隣りからため息と共に「おい」なんて声がして慌てて顔を上げる。狩矢くんがじと、とした目で俺を見ていた。
「見すぎ、食いにくいんだけど」
「ご、ごめん」
「……食いたいのか?」
「ううん! すごく美味しそうだったからつい見ちゃってただけで、全然そんなつもりは……」
「食ってもいいぞ」
「えっ」
「ただしハンバーグひと切れだけだ」
ん、と差し出された狩矢くんの弁当箱と彼の顔を交互に見やる。
まさかなんの躊躇いもなく食べていいと言われると思ってなくて戸惑ってしまったが、あの狩矢くんのせっかくの好意だ、有難くいただいておこう。
先程狩矢くんが食べていたハンバーグをひと切れ箸でつまみ上げ、断りを入れてから口に運ぶ。
そして俺は思わず目を見開いた。
「美味しい!」
冷めているのに、食感が不思議とふわっとしていて、噛んだ瞬間肉の旨味が舌に広がった。上にかかっていたデミグラスソースも濃厚で、ジューシーな肉と非常にマッチしている。
こんなの、男子高校生のお弁当に入っていていい代物じゃないぞ。
「美味いだろ」
「うんっ、すっごく美味しい」
狩矢くんの言葉にコクコク頷きながら同意すれば、彼は得意気に、そして嬉しそうに笑みを浮かべた。
そう、笑ったのだ。先程のような微微微笑ではなく、明確な笑みを、真顔かしかめっ面しか貼り付けていなかったそのきれいな顔に、浮かべてくれたのだ。
不意打ちの笑顔に、俺の心臓がドッと高鳴る。
驚きと衝撃でまともに言葉を紡げないまま狩矢くんを凝視していたのたが、そんな俺に気付かないまま彼は自身のお弁当に視線を落とす。その口元は相変わらず弧を描いていて、お弁当を見つめる目もなんだか優しげだった。
「俺の弁当、毎回じいちゃんが作ってくれてるんだ」
「え、ぁ、おじいさんが?」
まだ心臓が落ち着かず動揺していたが、なんとかそう返す。
「じいちゃん、定年退職した後カフェ開いてさ。俺が高校に入学してから新商品の開発ついでだって弁当を作ってくれてる」
「そうなんだ。おじいさん、料理上手なんだね」
「昔から料理が好きで、ずっと店開きたいって言ってたから、仕事の合間見てずっと店で出す料理の研究してたよ。なんなら、コーヒー淹れるのも上手い」
「すごい……じゃあカフェはおじいさんの天職だ」
「まさにそう」
狩矢くんが俺の言葉に同意しふっと微笑んだ。大人しくなりかけていた心臓がまたドキリと跳ねる。
イケメンの笑顔ってこんなにも破壊力高かっただろうか。兄の恋人もめちゃくちゃ顔がいいが、ドキドキしたことなんかなかったぞ。
なんとか気持ちを落ち着かせ、改めて狩矢くんを見る。踊り場に来た時よりも明らかに上機嫌にお弁当を食べている様子に、思わず俺も口が緩んだ。
こんなにも饒舌に機嫌よく話す彼を見るのも初めてだ。おじいさんのことが大好きで、とても大切に思っていることがよくわかる。
狩矢くん、おじいちゃんっ子だったんだな。なんか意外だ。
「お店、行ってみたいな。場所教えてよ!」
ただの興味本位で軽く聞くと、狩矢くんは思案するよう眉を寄せた。
「……いやだ……けど、客が増えるとじいちゃんも喜ぶんだよな……でも……うーん」
何の気なしに言ったことだったのだが、すごく考え込ませてしまったようだ。
学校の人に安易に知られたくないが、おじいさんのお店にお客が増えることで利益も増えおじいさんも喜ぶ、けど知られたくない。という思考の間で気持ちがあちこち揺れてしまっているらしい。
まぁ、そうだよね。気持ちはわかる。
「ふふ、ごめんごめん。気が向いたらでいいよ」
「……一生気が向かないかもな」
「えーっ」
ちょっとくらいいいじゃん、とぶーたれる俺の反応に、狩矢くんはまた呆れたように息を吐いたあと、僅かに微笑んでくれた。
機嫌がいいのか、今日はよく笑ってくれる。おじいさんの話がよっぽど嬉しかったらしい。
俺としても笑ってくれて嬉しいけど、やっぱり心臓に悪いな。
「そ、それにしても、おじいさんは本当に料理上手なんだね。俺はハンバーグをあんな感じに作れたことがないから、すごく尊敬するよ」
先程いただいたハンバーグを思い出しながら、自身の弁当箱に詰め込まれていたハンバーグを口に入れる。
うん、やっぱり全然違う。焼き方がよくないのかなぁ。
頭の中で自身のハンバーグを作る工程を思い出しながらどこを変えたらいいんだろうと思案していたら、隣りから視線を感じた。
視線の主は当然狩矢くんで、彼は目を丸くして俺をまじまじ見ていた。
「料理するのか」
「あ、うん! この弁当も自分で作ってるんだー」
狩矢くんのお弁当より立派な物ではないけど、見て見てと自慢するようにお弁当の中身を見せる。
「この煮物だけはお母さんが作った昨夜のご飯の残りだけど、あとは俺が今朝作ったやつ。自信作はね、この卵焼き! あ、ハンバーグのお礼にひと切れあげる」
はい、とお弁当箱を差し出した。
狩矢くんは初め遠慮したが、いいからいいからと押しまくったら折れてくれて、彼の箸で俺の作った卵焼きを摘んだ。狩矢くんって案外押しに弱いのかも。
そして口に入れた瞬間、先程の俺と同じように目を見開いてぽつり、「おいしい……」と呟いた。
「ほんと? 口に合ってよかったぁ」
「……本当にお前が作ったのか?」
「うん、そうだよ。かれこれ五、六年くらいかな? 兄ちゃんのために作り始めたらついでに家族全員分って、弁当作りはいつの間にか俺の担当になってた」
料理は好きだから全く文句はないんだけどね。
スマホの写真フォルダを開いて日々記録しているお弁当の写真を見せる。盛り付けとかを凝り始めてからはこうやって写真におさめるようになったのだ。
これが昨日ので、これが特に上手くいったやつで、といろいろ説明したら、狩矢くんは興味深そうに写真を眺めていた。
「へぇ、上手いことやるもんだな」
「俺のちょっとした特技だよ」
狩矢くんは胸を張ってドヤ顔をした俺にジト目を向けたあと、お弁当の写真に紛れていた他の写真にふと目を留めた。
「……この人、お前の兄貴?」
そう言って指をさされたのは俺と兄のツーショット写真。
早生まれの俺の誕生日かつ中学卒業間近の時期に兄がわざわざ祝いに帰ってきてくれた際に撮った写真だ。
この時は中学卒業記念と誕生日とでそれぞれプレゼントをくれて、更に一ヶ月後に例のハンカチもくれた。それ故にハンカチはめちゃくちゃ遠慮したのである。結局は押しに負けて受け取ってしまったが。
兄はそうやって記念の度に俺に物をプレゼントしてくれる。少し前まではなんでもない日にまでプレゼントをくれていたが、さすがに申し訳ないという俺の言葉と甘やかしすぎだという母の苦言でかなり頻度を減らしてくれた。
プレゼントできないことに兄はしゅんとしていたけど、「兄ちゃんありがとう、大好き」って抱きしめてあげれば、俺以上の力で抱きしめ返してくれる。愛情は十二分に伝わってる。
俺の兄は、優しくてかっこよくて、とても頼りになる素敵な人だ。
「そう! 俺の自慢の兄ちゃん。かっこいいでしょ」
「え、あぁ……そうだな」
「でもよく気付いたね。俺と兄ちゃん似てないから、初見だと誰もわからないのに」
正直驚いた。
友達に「これが俺の兄ちゃん」って写真を見せたら、十中八九冗談か嘘だと疑われる。俺と兄はそれくらい似ていない。両親曰く顔の造形は似ているらしいが、俺自身実感した事がないのであまりピンと来ない。
兄も兄で「お前はかわいい」しか言わないので、全く似ていないと兄自身も分かっているのだろう。
こんな感じで自他ともに認める似てない俺たちを、他人に興味が無さそうな狩矢くんが一発で兄弟と言い当てたことがとても意外に思えた。
「そうか? 似てると思うけど」
「えっ、ほんと? 似てる?」
「あぁ。目元とか、笑い方が特に」
初めて言われたかも……。
兄は大人っぽくて顔がいいから、平凡な俺と並んだ時は誰も兄弟だとは思わない。それが当たり前。
しかし、兄と俺が正真正銘血の繋がった兄弟なのは変わりないので、その事で何か嫌な思いをしたことはなかった。
だから狩矢くんの言葉で自分の胸がじんわりあたたかくなっていくのを感じて、思いのほか喜んでいる事に少し驚いた。
「……えへへっ、ありがとう!」
自然と頬が緩む。
それくらい嬉しかった。
兄に会ったら、この事も話そう。
兄に伝えたい狩矢くんの話が増えてくなぁ。
俺も先程の狩矢くんのようにご機嫌になりながら食事を再開する。気を抜いたら鼻歌まで歌ってしまいそうだ。
「……お前は本当に、兄貴のことが好きなんだな」
狩矢くんがそう呟いた。
いつもであれば、その言葉を聞いた瞬間に兄の素晴らしさをこれでもかと語り聞かせただろう。
しかし、無感情そうに見えるけれど、どこか悲しさを感じるというか……。大切な物をなくしてしまった子どものような顔をする狩矢くんを見て、俺は咄嗟に言葉を呑み込んだ。
「……狩矢くんは、きょうだいいるの?」
なんとなく触れてほしくない話題であると察しはついた。
でも気がついたら、聞いてしまっていた。
どんなことでもいい。彼の話を聞いて、彼の心の内に触れてみたい。彼をもっと深く知りたいと思ったのだ。
狩矢くんは一度俺に視線を寄越したけど、すぐに顔を逸らして目を伏せた。
気を悪くしてしまったかもと一瞬不安になったが、そんな雰囲気ではない。
「兄貴がひとり、いる。……でもお前のところみたいに仲良くはないし、好きなわけでもない」
数秒の沈黙の後、静かな声で呟かれた。
俺の中で、兄弟というのは何だかんだで仲が良いものだと思っていた。弟がいる友達も、姉がいる友達も、文句を交えつつも仲の良さそうなエピソードを聞くことが多かったからだ。
だから狩矢くんも、本当はお兄さんのことを慕っているのではと思ったが、彼の表情を見るにどうやら好きとか嫌いとか、そういう次元の話ではないらしいことを察した。
「あんまり話、しないんだ?」
「そうだな。最後に会話したのは……もう随分前だ。ここ数年は顔も合わせてない」
「お兄さんもう家を出てるとか?」
「いや、まだ実家にいる。……中学生の途中から俺はじいちゃんの家に住んでるから、自然とそうなってる」
「……そう、なんだ」
ということは今、狩矢くんは両親やお兄さんとは離れて暮らしてるのかな?
なにか込み入った事情がありそうだ。
そういえば、今回ようやく狩矢くんのおじいさんの話を聞けたけれど、ご両親の話は一切口に出されていない。もしかしたらお兄さん同様、あまり話題に出したくないことなのかも。
俺、家族の話を無遠慮にしていたけど、不快に思わせたりしていないだろうか。狩矢くんはそういうのハッキリと言う人だから、言葉にしないってことは特に何とも思っていないんだろうけど……。
「……はぁぁ……何言ってんだ、俺。こんな話するつもりなかったのに……」
「あ、その……ごめん、無理やり言わせちゃって」
「…………」
大きなため息と共に吐き出された言葉から怒りは感じられなかったが、彼にとって話したくないことを言わせてしまったのは事実。申し訳なくなって謝れば、狩矢くんは少々非難するような視線を俺に向たが、またすぐに大きくため息を吐いた。
「謝るな、俺が勝手に言っただけだから。……なんかお前といると、いらん事まで言ってしまう」
「あ、それよく言われる。話しやすいって」
「……やっぱりお前のこと苦手だ」
「え⁉」
苦手⁉ 狩矢くん、俺のこと苦手なの⁉ やっぱりってことは何回か苦手って思ってたってこと⁉
ショックをあらわにしてしょぼんとしていたら、狩矢くんが顔を背け肩を震わせているのに気が付いた。
わ、笑ってる……?
そんなにおもしろい事言っただろうか。
「あの、狩矢くん……?」
「苦手だけど、その豊かな表情は嫌いじゃねぇよ」
「!」
年相応に見えるいたずらっ子のような笑顔に、息が止まってしまうかと思った。
そうだ、そうだよね。狩矢くん、俺と同い年だもんね。そんな顔くらいするよ。
そう言い聞かせながらもなかなか落ち着かない心臓に気を取られ、以降どんな話をしたか記憶が曖昧なまま昼休みが終わった。
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