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第7話

「明日から冬休みにはいるが、夏休み同様羽目を外しすぎないように。以上」 「きりーつ」  クラス委員の号令で生徒たちが挨拶し、ホームルームが終了した。途端、これからの予定を話し合う声や部活に向かう人同士の会話などで教室内が一気に騒がしくなる。俺も忘れ物が無いかだけ改めてチェックして、鞄を持って席を立った。それと同時に前の席の小堀も立ち上がる。 「うっし、行こうぜ佐崎」 「うん」  実はこの後、小堀含めた数人の友達とハンバーガー屋に行く約束をしているのだ。学校が午前中で放課となったので、昼食と無事期末テストを乗り切り補習無しで冬休みを迎えられたお祝いを兼ねての寄り道である。  数人で駅前のハンバーガー屋に入り、各々注文したバーガーを食べながらそれぞれの冬休みの予定の話に花を咲かせる。 「うちは家族で温泉旅行、めっちゃ楽しみ」 「マジか。お土産よろしく!」 「うちはじいちゃんばあちゃんの家に行くんだー。県跨ぐから、気分は小旅行!」 「いいなぁ。うちは今年も家でだらだらだよ」 「それもそれでいいじゃん。いい年末年始送れそう。佐崎は? なんか予定あんの?」 「ん、俺? 俺も特には……兄ちゃんが恋人と帰省してくるくらいかなぁ。ちょくちょく帰ってきてるから特別感はあんまないけど」  相変わらず仲良いのな、なんて若干からかわれながら、その後もいろいろと話題を移らせつつ楽しく会話する。俺はみんなの話を聞きながら、ばれないよう小さくため息をついた。  狩矢くんが転校してから数ヶ月が過ぎた。  当時はあの狩矢くんの転校ということでそれなりに話題になったしいろいろ憶測とか噂が飛び交っていたが、今はみんな忘れてしまったかのように話題に上がることはない。以前まではみんなで面白おかしく噂していたのに。  まぁ、そういうもんだと言われてしまえば、そうなんだけども。  狩矢くんが転校したと聞かされてから、俺は彼に連絡を何度か入れた。でも返事はなくて、彼が今何処に居て、どんな状態で、どういうふうに過ごしているかは全くわからない。おじいさんのお店にも行ってみたけど当然ながら狩矢くんは引っ越した後だった。  おじいさんは、詳しいことは口止めもされてて話せないけど、元気ではあるとだけ教えてくれた。  元気であるならば、それでいい。でも……既読がつかないメッセージや、繋がらなかった通話履歴を見る度に、気持ちがしゅんと沈んでしまう。  こんなことになるならば、あのときうじうじと悩んでないで会いに行けばよかった。  無意識に、ズボンのポケットに手を伸ばす。そこには、狩矢くんが買ってくれたあのハンカチがおさめられている。  以前までは大事にしつつも、ちゃんとした用途で使っていた。でも、狩矢くんがいなくなってからはどうにも使えなくなってしまった。じゃあなんで持ち歩いているのか。狩矢くんと連絡がつかない現状、このハンカチが、彼との繋がりがある唯一のものだ。肌身離さず持っていたらまた狩矢くんに会えるんじゃないか、なんて、淡くも重たい期待を抱いてしまい、今は使うようのハンカチと共にお守りのようにして常に持ち歩いている。  我ながら乙女チックな思考回路だなと呆れてしまうが、こんなことに縋ってしまうくらい狩矢くんと再び会える日を待ち望んでいる。  そんな感じで会話そっちのけで狩矢くんのことをぼーっと思い出していたら、友人に「ぼーっとしてんかねー!」と小突かれてしまい我に返った。  それからしばらくみんなと話して、ぼちぼち解散しようか、という流れになった。ハンバーガー屋を出てから「良いお年を」と言い合い、それぞれ帰路についていく友人たちをなんとなく見送る。  さてそろそろ俺も帰ろう、と同じく残っていた小堀にも別れを告げ、自宅の方に足を向けたとき、不意に小堀に呼び止められ立ち止まった。振り向いてどうしたのか聞けば、小堀にしては珍しく少しだけ言い淀み、躊躇いがちにこちらを見る。 「あのさ、佐崎って狩矢と連絡取ってる?」 「えっ……?」  まさか狩矢くんの名前が出るとは思わず、驚きの声を上げてしまった。しかも連絡とってるかなんて、なんで小堀が気にするんだろう。 「その、狩矢が転校してからずっと、佐崎の元気が無い気がして。もしかしてもう、疎遠になっちゃってるのかなって気になってたんだ」 「……うん。連絡つかないんだ」 「そ、っか……。あのさ、あのとき、俺すごい余計なこと言ったよな。佐崎にとって狩矢は大事な友達だったのに……ごめんな」  あのときって、小堀が俺にもう狩矢くんに会わない方がいいって言ったときのこと、だよね。  どうやらあれから考えることがあったらしく、俺の言ったことを踏まえて狩矢くんに対する評価を改めたらしい。でも俺に謝るタイミングを今日まで逃し続けていたんだとか。別に気にしてないのに、律儀なやつだ。 「ううん、気にしないで。俺を心配しての言葉だってわかってるから。俺も感情的になってごめん」 「それこそ気にすんな。……狩矢とまた連絡繋がるといいな」 「うん……ありがとう」  それから小堀とも挨拶を交わし、改めて帰路についた。  小堀が以前の考えを改めてくれたのはとても良いことだと思う。そういうのを変えられる人はなかなかいないから。でも、どうせなら狩矢くんがいる間に変えて欲しかったな、なんて。それはさすがに望みすぎか。  自宅までの道を歩きながら、ぼんやりと曇り空を見上げる。吐いた息は白く、時折吹く冷たい風から逃れるよう、俺は首に巻いているマフラーに顔を埋めた。  狩矢くんは今頃、どうしているだろう。辞めたではなく転校と聞いたからきっと他の学校に通っているのだろうけど、ちゃんと登校しているだろうか。ケガとかも、していないかな。穏やかに過ごせているといいんだけど。  毎日毎日、そんなことを考えている。  普通会えなくなった人のことは思い出す機会も少なくなっていき、記憶も段々と薄れていくものだけれど、俺は懲りずに毎日狩矢くんのことを思い出しては身を案じていた。そして、結局昼休みに一緒にお弁当を食べるのも遊びに行くことも全然できなかったなとため息を吐く。いつもそんな感じだから、小堀の言っていた元気がないというのも間違いじゃない。  それから、彼への好きだという気持ちも消える気配はない。毎日思い出しているからか、寧ろ想いは積もり積もっていくばかり。  だから狩矢くんに会えないことがひどく寂しいし、何も言わず遠くへ行ってしまったことがひどく、悲しい。  こうやってうだうだ考えて立ち止まってるなんてバカらしいとは思う。さっさと切り替えろ、きっとすぐにいい人が見つかるって兄にも言われた。  でも……報われなくてもいいから、狩矢くんのことは忘れたくないと思ったのだ。  彼を気にかけ始めたきっかけはもちろん、荒れていた頃の兄と狩矢くんを重ねたからだ。だから狩矢くんに入れ込んだし、おこがましくもどうにかしてあげたいと思った。けれど関わっていくうちに、それだけじゃない感情も生まれた。  意識し始めたのはやっぱり、狩矢くんのあのきれいすぎる顔があったからだとは思う。だってあんな、見つめられるだけで照れてしまうレベルの顔から繰り出される無邪気な笑顔とか呆れた表情とか、殺傷能力高すぎて全人類惚れてしまうだろう。  そんなアドバンテージから、彼の不器用な優しさや深い心の傷に触れて、あっという間に恋に落ちて。自分に可能性が無いんだったら他の誰とも結ばれないで、なんて考えたこともあった。なにより俺自身が彼のすぐ傍で、彼を支えたかったんだ。そうなってしまうくらい、俺の中で狩矢くんは特別な人になっていた。  特別だから忘れたくない。たとえ狩矢くんが忘れたとしても、俺だけはずっと、覚えていたい。  そう思っていることを狩矢くんに知られたらドン引かれそうだけど、これだけは許してほしいな。  ひとつ息を吐いて、再び曇った空を見上げる。そのとき、ポケットに入れていたスマホが震えた。取り出して見てみれば兄からメッセージで、家に帰ってきたということと、俺はいつ頃帰ってくるのか、という内容のものが何件か届いていた。  そうだった、今日から兄が恋人の洋介さんを連れて帰省してくるんだった。友達には兄の帰省は特別感はないとは言ったけど、兄に会えるのは単純に嬉しく思う。先程まで感傷的になっていた気持ちがぐんっと上昇した。  兄のメッセージにあと数分で帰る旨を返信しスマホをポケットにしまう。早く帰ろう、と先程よりも早足に歩き出した。  ――が、しかし。十数メートル先に立っている人物を見て、俺は思わず足を止めた。  その人はすらっと背の高い黒髪の男性で、俺と同じく立ち止まってこちらをじっと見つめていた。適度に筋肉のついていそうな体にフィットした黒いチェスターコートがその人の完璧に近いスタイルを際立たせていて、ただ立っているだけなのにモデルのように様になっている。  ……って、今はそんな冷静に分析している場合じゃなくて。  あの人、もしかし……いや、違う。そんなはずない。でももしかしたら、本当に……。  否定して冷静になろうと思ったのに、心臓が段々と早鐘を打ち始める。そうであってほしいと思っている俺の声が脳にこだまして、思考がしっちゃかめっちゃかになっていく。 「…………」  男性が、こちらに向かって一歩踏み出す。  違う。だって、だって彼はもう少し、あの男性より背が低かった。髪もきらきらした金髪で、あの男性のような黒髪じゃなかった。それになにより、彼は、もうここには――。  もだもだと一人混乱しながら考えているうちに、男性が俺の目の前にまでやってきた。そして目を細め、柔らかい微笑みをその美しい顔に乗せた。 「久しぶり、佐崎」  もうずっと、頭の中だけで反芻していた声が鼓膜を震わせる。上手く声が出せなくて口をぱくぱくさせていたら、目の前の男性はくすっと笑みを漏らした。 「間抜けな顔になってるぞ」  そう言って、長い指で頬を摘まれる。 「……かりや、くん?」  ようやく声が出て、俺は目の前の男性の名前を呼んだ。すると男性――狩矢くんは、また柔らかく微笑んで「おう」と返事をした。 「な、なん、なんで……」  だって狩矢くんは遠い学校に転校したって。だからこんな所に、いるはずないのに。 「やっと寮から外泊許可が出たから、一時帰省してるんだ」 「寮……?」 「あぁ。俺が転校したのは知ってるだろ。転校先の学校が全寮制で、しかもその寮が軍隊並みに厳しくてさ。タイムスケジュールもタイトだし、スマホも持ち込み禁止だから佐崎になかなか連絡できなかったんだ」 「そ、そう、なんだ……?」  未だ状況が上手く呑み込めず、わかったようなわかってないような返事をしてしまう。だって情報が多すぎるもの。  それでも狩矢くんは特に気にした雰囲気もなく、むにむにと俺の頬を摘んでいた手を離した。途端に、触れられていた部分が外気に冷やされ冷たくなっていく。  ……狩矢くん。狩矢くんだ。髪色が変わってだいぶ印象が変わっているけど、本物……だよね?  おそるおそる、先程まで俺の頬を摘んでいた手に触れる。筋張った彼の手の感触と体温が、指先から伝わりじんわりと染み渡って、今起こっていることにようやく現実味を覚える。 「本物だ……」  いつの間にかこぼしていた独り言のような呟きに、狩矢くんが「なんだそれ」と笑った。久しぶりに間近で見た彼の笑顔に、心臓が跳ねる。  そして狩矢くんは彼に触れていた俺の手を掴んでこてんと首を傾げた。 「話がしたいんだけど、いいか?」 「えっ」  俺と?  思わぬ再会にようやく脳の処理が追いついてきたところにそう言われ、一瞬フリーズしかけたけれど、呆けている場合じゃないと必死に思考を手繰り寄せる。  せっかく会えたんだ。ずっと、話もしたいと思っていた。これを逃したらこの先チャンスはないかもしれない。  俺は大きく深呼吸してから改めて狩矢くんを見上げ、こくりと頷いた。  それから俺たちは場所を移動して俺の家にやって来た。外は寒いし、あの辺りは住宅街でゆっくりできる飲食店もないから、一番近い俺の家に狩矢くんを招待したのである。  両親は仕事でまだ帰ってきていなかったが兄と洋介さんがいたため、突然狩矢くんを連れて来た俺にすごく驚いていた。狩矢くんは二人に以前の謝罪と感謝を述べていて、兄は以外にも冷静に「次泣かせたら殺す」なんて物騒なことを言っていた。殺さないで……。  そんな二人に見送られながら、俺は狩矢くんを自室に招いた。洋介さんから託された温かいお茶を狩矢くんの前のテーブルに置いてから、俺は狩矢くんの正面に腰をおろした。  な、なんだか、自分の部屋に狩矢くんがいるって、とても変な感じだ。ちょっとドキドキするし。でも今はそんなことでドキドキしている場合ではない。狩矢くんには聞きたいことがたくさんあるんだ。 「あの、狩矢くん」  温かいお茶の湯呑を両手で持って指先を温めていた狩矢くんが顔を上げる。久しぶりに彼の大きな瞳に見つめられ、すっかり耐性をなくした俺の心臓がどきっと高鳴った。 「その、えっと……」 「……いろいろ、説明させてくれるか?」 「! う、うん」  俺の頷きに狩矢くんは「ありがとう」と呟いて、なにかを思い出すよう目を伏せた。 「あれから、両親と話はしてないけど、兄とは話をしたんだ。俺が辛い思いをしているとわかっていたのに、見て見ぬふりして申し訳なかったって、謝られた」 「え?」  狩矢くんのお兄さんが?  一度だけ見た、狩矢くんとそっくりな顔をした人を思い浮かべる。確か狩矢くんと仲がいいというわけじゃなかったと記憶している。狩矢くん自身も、お兄さんに対してはいい感情を持ってなかった。そんなお兄さんが、狩矢くんに謝ったって……一体なにがあったんだ?  それも含め、狩矢くんが説明してくれた。  曰くお兄さんは、狩矢くんを異様に厳しく強く指導するわりに自分には普通に接する両親の態度に幼い頃から疑問を抱いていたらしい。たしかになんでもそつなくこなす自分と比べたら多少は劣っていたかもしれないけど、お兄さんから見ても狩矢くんは十分に優秀で、そこまでひどい言葉を投げかけるほどではないと思っていた。そして、日に日にやつれ元気をなくしていく狩矢くんを見てなんとかしてあげたいとも思っていた。  しかし、できなかった。お兄さんも小さい頃の狩矢くん同様、両親に意見したり逆らうことができなかったのだ。だから、狩矢くんが両親になにやら文句を言われているときはわざと両親の意識をお兄さんに向くよう、賞を取った話やテストの話を振っていたんだとか。結果的にそれすらも狩矢くんの劣等感や疎外感を増長させていったみたいだから、最善策ではなかったと思うと、それに関してもお兄さんは謝ってくれたらしい。  ではなぜ、お兄さんが突然狩矢くんと話をしようと考えたのか。それは、俺が狩矢くんのお父さんに立ち向かい、面と向かって「謝れ」と啖呵を切った姿を見たからだそうだ。 「逆らえないからと言い訳せず、弟を守るために自分もこうやって立ち向かえば良かったんだと気付かされた。……お前の友達は素敵な人だな、大事にしろ」  なんて言って、お兄さんは笑ったらしい。そして、遅くなってしまったけれど、自分にも狩矢くんを両親の下から解放する手助けをさせてほしい、なんて進言してきたそうだ。  お兄さんがした手助けとは、まずは両親が狩矢くんに接触を図ろうとしていたらお兄さんが足止めとどんな用事があるのか聞き取っておじいさんに報告。二人で連携を取って接触させないよう対策を講じた。それから、狩矢くんを両親の手の届かない場所に避難させた。これが件の転校に繋がる。  お兄さんが狩矢くんに紹介した避難先は、アルファ、ベータ、オメガ全員が通っているが、全国で見てもトップの偏差値かつ完全実力主義ゆえ性差別のないの全寮制の学校だった。  寮もその実力主義の学校が運営しているため、同じく時間にも成績にも厳しく、時間に一秒でも遅れたりちょっとでも規則を破ると厳しい罰則が待っている。しかも、成績がある一定の基準(これもかなり高いらしい)を超えなければ外出も外泊も許可がおりず、スマホも持ち込み禁止だから外部との連絡手段は寮母室にある固定電話か手紙のみで、身内ですら寮に入った生徒と会う機会がほぼない状態になるんだそうだ。聞いただけで俺には暮らしていけない環境だと思った。  しかし、狩矢くんにとっては両親から物理的にも距離が取れるこの上ない環境だった。厳しい環境に身を置くことになるけど、勉強には慣れているし、多少のキツい生活も両親と離れられるなら甘んじて受け入れられる。お兄さんも独り立ちするならば早いほうがいいし勉強はしておいて損はないというので、お兄さんとおじいさんから金銭面の支援を受けて転校を決意したそうだ。 「あれから少しの間こっちにいたけど、ずっと転入試験のために部屋に缶詰になって勉強して、試験に合格してからも引っ越しの準備や学校の手続きでバタバタ忙しくてさ。じいちゃんに伝言を頼む余裕もなかったし、気付いたときにはスマホも手元に無くて連絡できなかった。……心配かけたよな、ごめん」 「そんな、謝ることじゃないよ! ……でも、そっかぁ。狩矢くんの味方になってくれる人がいて安心した。ちゃんと学校にも通えててよかったよ」  心底ほっとしてそう言うと、狩矢くんはまた優しげに微笑んだ。  憑き物が落ちたからか、以前より雰囲気がかなり柔らかくなっている。精神的な不安が無くなって、自分らしく心穏やかに過ごせている証拠だ。以前の狩矢くんを知っているからこそ、この目に見える変化はとても嬉しい。 「さっき寮から外泊許可が出たって言ってたけど、許可がおりる基準は達したってこと?」 「あぁ。これでも、成績は学年で一番なんだぜ」 「えぇっ、すごい! 元々すごく頭良かったけど……たくさん頑張ったんだね」 「まぁ、な。どこに出しても恥ずかしくない、お前に見合う人間にならなきゃって必死だったから」 「……え? 俺に、見合う?」  首を傾げる俺の顔に、狩矢くんの手が伸ばされる。長くしなやかな指で撫でられた口の端は、たしか狩矢くんと出かけた日に絡まれた不良みたいな人たちに殴られたところだ。 「あの頃の俺は、髪を金髪にして、ピアスも付けて、その辺のやつらとケンカすることで両親に反抗した気になっていた、しょうもない人間だった。そんなことしたってなんの意味もないっていうのに、馬鹿だよな」 「そんなこと……」  だってその頃の狩矢くんには、そうすることでしか自分を守れなかったんだから。仕方のないことだったと俺は思う。  でも狩矢くんは俺のフォローを否定するようふるふると首を横に振り、目を伏せた。 「全てを諦めて、辛い現実から目を背け向き合うべきことから逃げ回っていただけだったんだ。そのせいで、佐崎にも迷惑をかけてしまった。……でも、そんな俺をちゃんと前に進めるようにしてくれたのも、お前だった」 「!」  狩矢くんは顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見つめる。 「冷たい態度を取ってたけど、本当は俺、佐崎にすごく救われてたんだ。突っぱねてもめげずに俺のところに来て、ほんと、しつこかったし鬱陶しかったけど、その行動がどん底で蹲ってた俺を光の当たるところまで引っ張り上げて、腕引っ張って歩かせてくれてた」 「…………」 「そんであのとき……お前が諦めそうになってた俺の背中押して、おまけに俺のことを『好き』って言ってくれたから、俺は自分の足で歩き出すことができた」 「えっ……?」  俺は思わずギクッと体を強張らせた。  狩矢くん、あのときの告白覚えてたんだ。忘れられてたらそれはそれで悲しいけども。……いや、でも、正しく意味は理解してないかもしれない。友達として好きとか、その辺で解釈してる可能性も全然あるよね。 「あのときの『好き』は、恋愛的な意味って捉えてるんだけど、間違ってないよな?」 「ぅえ⁉ え、えぇっとぉ……そのぉ……」  全然普通に正しい意味で解釈してた。  咄嗟に誤魔化そうかと言葉を探したが、俺を見つめている狩矢くんの真剣な目に捕らえられ口を噤む。そして躊躇いながらも、小さく頷いた。 「……ごめんなさい」 「なんで謝るんだよ」 「だ、だって、友達って豪語してたくせに本当は好きって筋が通ってないっていうか……しかも俺、ベータで普通の男だし……。狩矢くんにとって迷惑でしかないと思って」  そうぼそぼそ言って項垂れていたら、盛大なため息のあと頭頂部に軽く衝撃が伝わってきた。どうやら狩矢くんが俺の頭に軽くチョップをかましたらしい。 「ばーか。言っただろ、お前に見合う人間になるために必死だったって」  呆れたように笑うその顔に、またしても心臓が跳ねる。  金髪で擦れた感じもとても素敵だったけど、今の黒髪で優等生っぽい感じもとても素敵だ。加えて表情や雰囲気も柔らかくなって、おそらく身長も以前より伸びているから余計に大人の魅力が増している。 やっぱりかっこよすぎるよ、狩矢くん。  ぽわーっとしながら狩矢くんを見つめていたら、また頭にチョップされて我に返る。いけない、見惚れてた。 「おーい、見惚れてんじゃねーよ」 「ご、ごめん、思わず」 「……ほんとに見惚れてたのかよ」  冗談だったのに、と狩矢くんが呟きため息を吐いた。頬が若干赤い気がするから、もしかして照れたのだろうか。不意打ちの褒め言葉等に弱いのは変わらないみたいだ。  狩矢くんは俺の視線に気付いたのちひとつ咳払いして「話を戻すぞ」と俺に向き直った。 「お前に『好き』って言ってもらえて、理解するのに時間かかったし、理解してからもすごく驚いたけど、すごく、嬉しくもあった」 「!」 「でも、このままじゃだめだとも思った。お前に向き合うには俺は未熟すぎると思った。だから俺は、お前に呆れられないよう素行も見直して勉強も必死にして、転校先でも優秀な成績取って。ちょっとは、胸を張れるかなくらいになれたから……佐崎に会いに来たんだ。俺の気持ちを伝えに」 「気持ち……」 「あぁ」  ドクンと心臓が鳴る。期待、よりも、不安が大きい。気持ちということは、あのときの返事を律儀にしてくれるということだよね。  どうしよう、聞きたいけど聞きたくない。でも聞かなければ、俺も前に進めない。  俺はテーブルに置いていた左手をぎゅっと握り込んだ。すると、その手の甲に狩矢くんの右手が乗せられた。伝わってきた体温に不安だった気持ちが緩んで思わずほっと息を吐く。 「強引で、頑固で、俺の言う事全然聞かないし、時々めちゃくちゃなこと言って、正直呆れることが多かった」 「うっ……」  身に覚えがありすぎる。 「でも……一緒に喜んで、一緒に悲しんで、俺のために泣いてくれるような、真っ直ぐで優しい佐崎のことを、俺もいつの間にか好きになっていた」  はっと顔を上げると、優しげに細められた瞳と視線が絡まった。ほんの少し緊張が滲んだ瞳が、俺を真っ直ぐに射抜いていく。 「まだまだ未熟な俺だけど、これからも努力して、誰に紹介しても恥ずかしくない人間になるから。俺を――この先も佐崎の傍に、置いてくれないか?」  ぐっと喉が詰まる感覚がして、視界がぼやけた。目の縁に溜まった雫がこぼれないよう我慢していたら、狩矢くんの袖が目元に添えられる。瞬きをしたら視界がクリアになって、せっかく我慢していた雫が彼の袖に吸われていった。 「お前って案外泣き虫?」 「狩矢くんのせいだよ!」  鼻をすすりながらからかうような声に反論し狩矢くんを見上げる。相変わらず、その目は優しげに細められていた。  本当に、狩矢くんは俺のこと……。  ぎゅっと握り込んでいた左手を緩め手のひらを上に返し、今度は重なっていた狩矢くんの右手を握る。狩矢くんも握り返してくれたことに、俺はまたも胸を高鳴らせた。  たったこれだけのことが、心の底から嬉しい。  もう、彼に触れることはないと思っていた。顔を見ることも、言葉を交わすことも。この気持が報われるなんてことも、絶対にないと。 「……本当に、俺でいいの?」 「なに言ってんだ。俺が佐崎じゃなきゃ嫌なんだよ」  即答された言葉に、俺は思わずくすりと笑みをこぼした。  狩矢くんは俺に見合うようにと言っていたけれど、釣り合っていないのは俺の方だ。俺は彼のように頭はよくない。何をとっても平凡だ。他人に俺が狩矢くんの恋人ですって言ったら、きっと十人中十人が鼻で笑うだろう。  だから――そうならないよう、俺もたくさん頑張るよ。  狩矢くんに見合う男になるために。 「また一緒に、お弁当食べたいな」 「――あぁ。佐崎の卵焼きが食べたい」 「ふふっ、腕によりをかけて作るよ」  二人でくすくす笑い合う。  そして彼の手をぎゅっと握りしめながら、俺はまたも目の端からぽろっと雫をこぼした。 「俺も――狩矢くんが好きだ」 ―――  メモ帳アプリを表示させたスマホを片手に、俺は人でごった返す駅に降り立った。 「えぇっと、南改札は……あっちか」  たくさんの文字と矢印が書かれた看板を見上げ、邪魔にならないよう人の波に従って歩き出す。前も後ろもすれ違う人も、地元の一番栄えていた駅前とは比べ物にならないくらいの人数だ。これはちょっとでもよそ見をしたら人にぶつかってしまうだろうな。  時々現れる看板をチラ見しながら矢印通りに進んだのに全然違う改札の前に出たりしてかなり迷ったけど、ようやく目的の改札にまで辿り着けた。見えた外の景色にほっと息を吐き、改札を通り抜ける。  えっと確か、改札を出たすぐ先にある柱のところに……。 「佐崎」  内容を確認しようとスマホのメッセージアプリを開いたところで、自分の名前を呼ぶ声がした。  はっと顔を上げれば、数メートル先の柱の前にこちらに向かって手を挙げている人がいた。俺は気持ちが一気に高まり、たまらずその人のもとへと駆け寄る。 「狩矢くん!」 「よう。移動お疲れ様。だいぶ迷ったみたいだな」  到着すると言っていた時間をだいぶ過ぎていたことで俺が迷子になってしまっていたことを察したらしい。その人――狩矢くんはからかうような笑みを浮かべたあと、「荷物持つよ」と手を差し出してくれた。 「えっ、いいよいいよ、重たいし」 「いいから。ここからまだ少し歩くし、慣れてない奴がこの人混みの中重いの持って歩くの大変だから」  そう言われ、改めて辺りを見渡す。たしかに人の往来は多い。駅構内とは比べ物にならないくらいに。しかもみんな異様に早足だから流れも早くて、たぶんあの中に入ったら荷物を持っていなくてもついていくのがやっとな状態になるだろう。ここは大人しく、この街にも慣れている狩矢くんの言うことを聞いたほうがよさそうだ。 「そういうことなら……お願いします」  そうして手に持っていたボストンバッグを狩矢くんに手渡すと、彼は満足気に笑って頷いた。  狩矢くんと再会して、奇跡的に想いが通じ合ってから二年と数ヶ月がたった。  俺と狩矢くんはあの日からお付き合いを開始し、所謂遠距離だったため限られた時間の中で仲を深め、そして今年無事に高校を卒業し、四月から地元から離れた大学に通うこととなった。そしてたまたまお互いの通う大学が比較的近くにあったので、ついでとばかりにルームシェアも決まった。  ただこのルームシェアに兄が「まだ早すぎる!」と反対したことにより借りる部屋を決めるまでかなりの時間を要した。兄は俺たちが交際していることを知っているから、心配するのもわかる。おそらく、狩矢くんの第一印象も良くなかったし。けれど、主に狩矢くんの根気強い説得のおかげで兄もようやく頷いてくれて、無事に部屋も決まり今に至る。  俺の力が及ばず兄の説得が長引いてしまったことはさすがに申し訳なかったので狩矢くんに謝ると、「あの人を認めさせたらあとはもう怖いもんなしだ」ってなんてことないように笑っていた。狩矢くんにとっては兄が最大の難関だったらしい。それは俺も若干思っていたけども……。付き合うことになった報告をしたときからものすごく微妙で複雑そうな顔をしていたし。  でも本当に、説得できてよかった。兄の反対を押し切って微妙な関係になると悲しくなってしまうから。  新居に着いたら、兄に部屋の写真を送ろう。定期的に連絡しろよって言い含められてるしね。  それからしばらく歩いて、自分たちがこれから住むマンションへと辿り着いた。  オートロックのエントランスを抜けて、エレベーターで三階までのぼる。何部屋か並んでいるうちの奥から二番目のドアに狩矢くんが鍵を差し込んでガチャリと回した。  内見以来来ていなかった部屋に俺は足を踏み入れ、見渡すように部屋の中に視線を巡らせた。  間取りは広々とした洋室がひとつとキッチン、それから別々になっているお風呂とトイレ、おまけに独立洗面台。家賃のわりにはとてもいい条件の揃った部屋で、二人でここしかないよねと特に揉めること無く決められた。  そして今は洋室に、これまた二人で決めた男二人が余裕で寝っ転がれる大きさのベッドと事前に俺の部屋から運び出していたローテーブル、それから引っ越し祝いとして買ってもらったテレビ、更には手触りの良いカーペットも敷かれている。キッチンにも冷蔵庫や電子レンジなどの必要なものは既に設置されていた。狩矢くんが俺より早く入居してここまで整えてくれたのだ。 「荷解きとかありがとう。手伝えなくてごめんね、大変だったでしょ?」 「業者が手伝ってくれたから、そうでもない」  狩矢くんからボストンバッグを受け取り、その中身を早速取り出していく。大体は俺の服だ。  生活に必要な電化製品や家具諸々は、狩矢くんのおじいさんとお兄さん、そして俺の家族が全て用意してくれたから、俺が持ってきたのは服とか本とか勉強に必要なもの辺りしかないので、住処を変えるわりにとても身軽だった。揃えてくれたみんなに感謝しなくちゃ。  服は二人で半分にわけた収納にしまい、その他諸々は後で置き場を決めようと端に避けてとりあえず放置する。  その間に狩矢くんがお茶を淹れてくれており、少し休もうと、ローテーブル前に座っている彼の隣りに俺を誘ってくれた。お言葉に甘え狩矢くんの隣りに腰を落ち着けてからようやく、俺は体の力を抜くように深く息を吐き出した。 「電車に乗って移動してきただけなのに、なんだかすごく疲れたよ……」 「人混みもあったからな。これからは毎日あれに揉まれるぞ」 「や、やっていけるかな……でも慣れなきゃね」  それに聞いた話だと、もう何駅か行ったところの方が栄えてる駅みたいだから、ここが一番混み合ってるってわけじゃないみたいだ。そこまで行くのはここに慣れてからだな……。  狩矢くんが淹れてくれたお茶で喉を潤し、ほっと息を吐く。そして俺は改めて部屋を見渡し、最後に隣りの狩矢くんに視線を向けた。  ……ここで、これから二人で暮らしていくんだ。  胸の中にあたたかなものが溢れて、次第にそれが全身を包んだ。  短いようで、長い二年だった。  この二年の間、気持ちが常に前を向いていたかと言われたら、そうじゃない瞬間もあった。厳しい生活を送る狩矢くんとはどうしても頻繁に連絡をとれるわけでもないし、外泊もそう簡単にできないから会えた回数も両手でおさまってしまうくらいだった。手紙のやり取りはしていたけど受験が本格的な時期になってからは頻度も減って、試験日が近付きピリついてくるに従ってこのまま俺たちは終わってしまうんじゃないかと不安に駆られたこともあった。  しかしそんなときでも、俺に力を与えてくれていたのは狩矢くんからもらった手紙たちだった。不安になる度に読み返し、毎回最後には俺への気持ちを綴ってくれていた狩矢くんのきれいな文字をなぞって、「きっと大丈夫」と気持ちを奮い立たせた。不安になる原因も元気を取り戻す要因も全て狩矢くんで、我ながらおかしなことをしているなと思っていたけれど、狩矢くんがいたからこそ俺は不安に負けず踏ん張ることができたのだ。  だから、二人揃って大学に合格して、狩矢くんからルームシェアを提案されたときは、本当に嬉しかった。  ようやく、彼の一番近くで、彼と同じ時間を共有することができるんだ。 「なに笑ってんだよ」  狩矢くんが俺の顔を覗き込み怪訝な表情をする。どうやら知らぬ間に口元が緩みきってしまっていたらしい。 「んー、ふふっ。なんか、嬉しくって」  狩矢くんの方に体を向けて、相変わらず、いや、数年前よりも大人っぽくなって更に美しさに磨きがかかった顔をじっと見つめる。  狩矢くん本人から、彼の身にあった過去や抑制剤の副作用で他人のフェロモンが感じられない話も聞いた。治療は芳しく無くこの先もフェロモンを感じられることはないかもしれないと、医者からは言われたらしい。だから、本来はオメガに惹かれる性である狩矢くんが発情期中のオメガに会ったとしても理性が揺らぐことはない。俺はその事実に不謹慎ながらもほっとした。  しかし、狩矢くんは誰が見てもいい男だ。頭も良くて運動もできて、性格はちょっとドライなところがあるけど基本的に優しい。外見の威圧感もなくなったから声もかけやすい。まさに優良物件。きっと彼は老若男女第二次性問わずとてつもなくモテるだろう。俺なんか足元にも及ばないくらいの美男美女がアプローチを仕掛けるはずだ。  不安にならない、と言ったら嘘になる。俺はどこまで行っても普通のベータだから。でも、俺はそこで立ち止まるつもりも毛頭ない。彼に釣り合う人間になれるよう、これからも努力を続けるつもりだ。なにより彼はひどい裏切りはしない人だと心から信頼している。この二年間、俺たちはその信頼を積み上げてきた。  ケンカもするかもしれないけど、その度に話し合って解決して、互いに寄り添っていける。俺たちならば。  俺は狩矢くんの大きな手を取って、ぎゅっと握った。 「不束者ですが、これからもよろしくお願いします」  長いまつげに縁取られたきれいな瞳を真っ直ぐに見てそう言えば、彼は一度目を見開いて、でもすぐにふわりと微笑んだ。 「こちらこそ、よろしくお願いします」  数秒見つめ合って、どちらからともなく唇を重ねた。久しぶりの口付けに、心がぽわぽわとする。  名残惜しく思いながらも少し離れ、ちらりと見上げれば視線が絡まった。そして彼の目が優しげに細められる。  俺、狩矢くんのこの顔が大好きだ。 「そういえば、この近くに大きい公園があるんだ。今度そこにピクニックしに行こう。二人で弁当作ってさ」 「いいね。狩矢くんの好きな卵焼き、たくさん入れちゃう」 「ふっ、それは楽しみだ。……なぁ、佐崎」 「うん?」 「俺の隣りを選んでくれてありがとう」 「――うん。こちらこそ、俺の隣りに来てくれてありがとう」  大好きだよ。  小さく呟かれたその言葉が、二人の小さな部屋に甘く響いた。 END

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