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第23話 友の献身
サトルを伴って帰宅したエイドリアンを迎えたのは、無音だった。
自動照明が淡い白光を落とす。
25世紀の集合居住区――効率を最優先に設計された、無個性な長方形の部屋。
壁一面は再生素材でできた灰銀色のパネル。
温度も湿度もAIによって常に最適化されており、空調の音すら存在しない。
まるで世界から切り離された真空のような空間だった。
だが、その中で一つだけ、エイドリアンの“選択”があった。
無機質な壁はボタンひとつで自由に模様を変えられる可変式パネルになっている。
彼はそれを、古びた木の質感にカスタムしていた。
節のある木目、温もりを帯びた褐色――まるで山間のロッジのような佇まい。
その色は、かつて過ごしたアトリエの床と同じだった。
家具と呼べるものは、最低限しかない。
簡易ベッドと、端末一体型の作業デスク。
その上には、図書館で借りた洋書が数冊、几帳面に積まれている。
ページの隙間に挟まれたしおりが、彼の執念と未練の痕を物語っていた。
サトルは、ベッドの脇にどっかりと腰を下ろした。
無骨な動作で肘を膝に乗せ、玄関に立ち尽くすエイドリアンへと視線だけを向ける。
エイドリアンの頬は涙で濡れ、目元は赤く腫れていた。
濡れた髪が額に張りつき、しゃくりあげた呼吸がまだ整わない。
そんな惨めな姿を見られたくなくて、俯いたまま唇を噛みしめる。
「……座れよ」
その一言すらなく、ただ視線だけで――サトルはそう告げた。
言葉よりも重い沈黙が、部屋の空気を静かに締めつけていく。
「……単刀直入に話す。俺は、この時間軸のサトルじゃない。少し未来から来た。正確には――今から一年後の世界だ」
エイドリアンは、わずかに瞼を伏せた。
その声に、なぜか懐かしさにも似た既視感を覚えていた。
――やはり、そうだったのか。
ベッドの端に腰を下ろしながら、彼は静かに頷いた。
「俺のいた世界線のお前は、クロノス機関のコントレイルを私的に動かそうとして捕まった。
いまは拘置所の中だ」
「……だから止めに来たっていうのか? でも、それだって危ない橋じゃないか。
そんなことをしたら、今度はお前が罪に問われるんだぞ……!」
「わかってる。でも、俺はどうしても知りたかったんだ」
サトルの瞳が、揺るがぬ決意の光を宿す。
「お前が――なぜ、そんなバカなことをしたのか。その理由を」
「……それを知って、どうするつもりだ」
「……お前に、協力したい」
その一言に、エイドリアンは息を呑んだ。
意味を測りかねて、ただサトルの顔を見返す。
「……止めに来たんじゃないのか?」
「違う」サトルは即答した。
「俺は、お前を助けたいんだ」
「……なぜ、僕なんかのために、そこまでする」
エイドリアンの声はかすかに震えていた。
サトルは少しの間、彼の瞳を見つめ、それから苦笑を浮かべる。
「……俺も、お前と同じ――バカな人間だからだよ」
その笑みには、諦めにも似た優しさが滲んでいた。
光を反射する瞳の奥には、長い年月の中で積み重ねた痛みと覚悟、そしてどうしようもない慈しみが宿っていた。
エイドリアンはしばらく言葉を失い、ただ彼を見つめた。
胸の奥で何かがゆっくりとほどけていく。
「……いつから、そんなふうに思ってたんだ」
「さあ。もう、覚えてない」
「……そんな素振り、一ミリも見せなかっただろ」
困惑が声に滲む。
サトルは肩をすくめ、少し照れくさそうに笑った。
「……見せたって、気づきもしなかったろ?」
「……そういうことじゃない。ただ――お前は……人より、機械の方が好きなんだと思ってた」
「ひでぇな」
「……ごめん」
短いやり取りのあと、サトルはふっと息を吐いて立ち上がった。
その表情は、もういつもの軽口を叩く整備士のものに戻っている。
「よし、行くか」
「……どこへ?」
問いかけるエイドリアンに、サトルは振り向いて笑った。
その笑顔は、どんな闇も照らす光のように、真っ直ぐで力強かった。
「決まってるだろ。16世紀だ。
お前が置いてきた“愛の続き”を、取り戻しに行くんだよ」
***
クロノス機関・第三区整備ベイ。
無人のはずの地下施設は、鉄と油の匂いに満ちていた。
サトルは、大型のジュラルミン製コンテナに身を潜めたエイドリアンを台車に載せ、音を立てぬよう慎重に押し進めた。薄暗い通路を一歩一歩進むたび、冷たい空気が頬を鋭く刺す。
遠くで、警備ドローンのライトが一瞬閃き、闇に溶ける。サトルはそれを確認しながら、端末を素早く操作した。
鈍い機構音とともに、格納庫の隔壁が左右にゆっくり開く。
「よし、ここなら監視の死角だ。エイドリアン、出てこい」
エイドリアンは慎重にコンテナから身を抜き出した。
目の前に現れたのは、白銀の機体――時を越える翼〈コントレイル〉。
長い眠りから覚めたかのように、無機質な照明を鈍く反射していた。
「……まさか、ここに隠していたなんて」
「木を隠すなら森の中、ってね。誰も使わない“廃棄庫”だ。管理コードも、とっくに失効してる」
「しかもこれ……旧式じゃないか」
「旧式だが、まだ飛べる。クロノスの監視網を欺くには、これしかなかった」
「……さすが、クロノスの天才エンジニアだな」
「だろ? 目的地を設定しろ、エイドリアン。それと、あとで必ずトランクも確認しろ」
「トランク?」
「ああ、俺からの餞別だ」
サトルの声には、冗談めいた軽さの奥に、揺るぎない覚悟が宿っていた。
その瞬間――
施設全体に、甲高い警報が轟いた。
《不正アクセス検知。全区画、封鎖開始》
《侵入者を拘束します。警備ドローン、展開》
赤い警告灯が激しく明滅し、鋭い電子音が空気を切り裂く。
「……くそっ、見つかったか!」
サトルが操作盤に指を叩きつけ、非常ルートを強制的に開放する。
「エイドリアン、今すぐ乗れ!」
「でも、お前は!?」
「俺が足止めする! このシステムに残されたバックドアは、俺しか知らない!」
「……サトル!」
「いいから行けッ!!」
怒鳴り声が、爆音のように響いた。
その瞳には――恐れではなく、確かな意志が宿っていた。
「お前が行かなきゃ、あいつの死も、俺の行動も全部無駄になる!」
「未来を変えられるのは……お前だけだッ!!」
通路の奥から、警備ドローンの群れが雪崩れ込んでくる。
閃光弾のような光が炸裂し、視界が白く弾けた。
エイドリアンは歯を食いしばり、コントレイルの操縦席に身を投げる。
「……サトル、ありがとう!!」
「行ってこいッ! そして――二度と戻るな!!」
次の瞬間、機体が青白く輝き出す。
轟音とともに空間が歪み、世界が裂ける。
――光の奔流に呑まれる直前、エイドリアンは見た。
警備ドローンに拘束されながらも、どこか安らいだ笑みを浮かべるサトルの姿を。
その笑顔は、まるで新しい未来への引き金のように、エイドリアンの胸に焼きついた。
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