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終章
リヴィントン商会から正式な返答が届いたのは、それから四日後の午後だった。
窓の外には、雨の名残を含んだ薄い雲が流れている。執務室の机上には、灰薔薇の採取記録、北部峡谷の支出控え、ハーグリーヴズの証言書、そしてマルグリットから届いた封書が並んでいた。
商会からの書状には、灰薔薇の試料を受領し、初期評価に入ること。香調は一般的な薔薇油とは異なり、安定採取と精製の検証に値すること。商取引としての条件は今後の試験結果によるが、少なくとも現時点で温室を処分する判断は早計であることが記されていた。
セドリックは最後の一文を読み終えると、大きくひとつ息を吐いた。
隣に立つエリアスも、黙ってそれを見守っている。クラインの来訪から何かと慌ただしく、二人きりで何かを話す機会は随分久しぶりのように感じられた。
執務室には、紙とインクの匂いが満ちていた。温室の空気とは違っていたが、これもまた花を継ぐための香りだった。
「クラインへは、写しを送ります」
エリアスが静かに言った。
「うん」
「マルグリット様へも、受領のお礼を」
「それも頼む」
「温室の維持費については、会計係が新しい項目へ移しました。北の谷の管理費も別立てに」
「ハンナから聞いた」
「では、あとは」
そこで、エリアスは一度だけ言葉を切った。
あとは、何だろう。
すべきことはまだ山ほどある。返済計画を見直し、北の谷への道を整備する。試験採取の時期や、商会との条件交渉も気掛かりだ。灰薔薇が本当に利益を生むまでには、まだ長い時間がかかる。
それでも、ひとつだけ決まったことがある。
灰薔薇温室は、売られない。
少なくとも、今は。
セドリックは机の上に置かれた鍵を見た。温室と北の谷へ続く旧門の、その小さな鍵を、彼は手に取る。
「エリアス、これはお前の鍵だ」
エリアスは、差し出された鍵を見つめた。
今、白手袋は身に付けていない。素手の掌が、少しだけためらってからゆっくりと開かれる。セドリックはその上へ鍵を置いた。
金属の冷たさと重みが、そっと指先を離れる。
城の責務の全てを負わせるためではなく、後ろめたさを隠すためでもない。
エリアスが明日また、あの硝子張りの温室を開けるための鍵だった。
セドリックより少しだけ大きな掌が、鍵を柔らかく包むように握る。
エリアスの瞳には穏やかな色が宿っていた。嬉しそう、というにはまだ控えめで、けれど以前のように感情を秘めきってもいない。受け取ったものの重さを、怖がりながらも確かめているような顔だった。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは僕の方だ」
首をわずかに傾げたエリアスを、椅子に掛けたままセドリックは見上げる。
「灰薔薇を残してくれた」
エリアスは顔を上げ、静かに首を横に振った。
「私だけではありません」
知っている、と頷いて、セドリックは書類へ目を落とした。そこに並んでいるのはただの情報ではない。灰薔薇に関わった人々の思いが、それぞれの記録へ込められている。
どれか一つでは足りず、誰か一人でも守れなかった。
「それでも、お前が戻らなければ揃わなかった」
エリアスの指が、鍵を握る。
「私が、戻りたいと思いました」
「うん、そう言っていたな」
エリアスは、セドリックと視線を合わせる。
窓から差す残照が彼の瞳に淡く差し、不思議な煌めきを湛えていた。温室ではなく、灰薔薇もない。花の香りに守られていない場所で、それでも彼は逃げずにセドリックを見つめていた。
「今は、ここにいたいと思っています」
その言葉は、静かに響いた。
戻りたい、ではなく、ここにいたい。
その違いが、セドリックの胸の奥に深く沈んでいく。役目に戻るのではなく、逃げた場所へ帰るのでもなく、今この場所を選ぶという言葉だった。
エリアスは、手の中の鍵を見下ろした。そして、もう一度顔を上げてセドリックの瞳を真っ直ぐに見る。
エリアスの短い黒髪が、夕陽を受けて銅色に光っている。
「あなたのそばに、いたいのです」
薄い唇から零れた言葉に導かれるように、セドリックは立ち上がり、ゆっくりと手を伸ばした。
触れたいと思った。けれど、伸ばした手はエリアスの手前で止まる。
「触れてもいいか?」
エリアスは頷いた。
「はい」
許しを得て、セドリックは彼の手に触れた。鍵を握る指は少し冷えていたが、逃げなかった。むしろ、エリアスは自分から指を開き、セドリックの手を受け入れた。
その小さな動きだけで、セドリックの中に熱が満ちた。
「今日は、もう仕事の話はいい」
「では、何を」
「お前の話をしたい」
エリアスは、困ったように瞬きをした。
「私の話、ですか」
「うん」
エリアスは、わずかに目を伏せた。
その沈黙は長かったが、セドリックには待つ時間さえ甘く感じられた。急かさず、言葉を重ねず、彼が自分の中から返事を探すのを待つ。
やがて、エリアスが言った。
「私も、あなたの話をしたいです」
セドリックは目を見開く。
エリアスの声は落ち着いていた。だが、その頬にはかすかな熱が差している。
「あなたが……何を恐れているのか。何を望んでいるのか。私には、まだ分からないことが多いので」
「僕も分からないことだらけだ」
「では」
エリアスの指が、セドリックの手にかすかに力を込めた。
「一緒に、確かめたいです」
その言葉を聞いた瞬間、セドリックの喉が詰まった。
温室で花を前にして言われるよりも、執務室の中で聞くその言葉の方が、ずっと逃げ場がなかった。鍵も書類も問題も、すべてが机上にあり、そのただ中で、エリアスは役目ではない望みを口にしている。
セドリックが手を引くと、エリアスが一歩近づく。
指先で顎を持ち上げると、恥じらうようにエリアスの睫毛が揺れた。
セドリックはそのまま、自分の唇をエリアスの唇に重ねる。
初めは、確かめるだけの口づけだった。触れて、離れて、互いの呼吸を聞く。だが、二度目に近づいたのはエリアスの方で、それが答えだった。
セドリックは、彼を抱き寄せる。エリアスの手が胸元に触れ、そこから少しずつ布を掴む。縋るためではなく、二人の間の距離を埋めるための動きだった。
顎に添えたセドリックの指先は、いつの間にかエリアスの頬を包み込むように伸ばされている。触れているところから、互いの熱が溶け合うように上がっていく。
執務室の机の上で、鍵が小さく鳴った。その音で、セドリックは一度だけ唇を離す。
「……部屋へ行こう」
息を整えてそう言うまでに、少し時間がかかった。
エリアスの肩が小さく跳ねる。セドリックは、すぐに腕を緩めた。
「嫌なら、ここで終わりにする」
エリアスは顔を上げた。紫紺の瞳に、斜陽が揺れて滲んでいる。
「いいえ……嫌では、ありません」
小さな声だったが、そこに迷いはなかった。
「あなたと、行きたいです」
エリアスの目元にはうっすらと朱が差している。セドリックは逸る鼓動を宥めるように、わざとゆっくり頷いた。
急がないし、奪わない。
けれど、もう自分の望みをなかったことにはしない。
彼はエリアスの手を取り、執務室の扉へ向かった。
出る前に、エリアスが机へ戻り、温室の鍵を手に取る。胸元の内ポケットへ大切そうにしまうと、セドリックを見た。
「明日、使います」
「うん」
セドリックは、短く頷いた。
「お前の手で」
重たげな音を立てて扉が閉まる。
執務室の中には、インクの匂いと、まだ乾ききらない書類だけが残った。
◇
セドリックの部屋へ向かう廊下は、静かだった。
遠くで使用人たちの足音がしたが、こちらへ近づいてくる者はいない。窓の外では、いつの間にか太陽は去り、雲の隙間から細い月が見えていた。濡れた庭がその光を受け、黒い硝子細工のように沈んでいる。
手は、繋いだままだった。
エリアスは時折、ほんの少し指に力を込める。セドリックはそのたびに歩調を緩めた。止まるかと目で尋ねると、エリアスは静かに首を横へ振る。
扉の前で、セドリックは立ち止まった。
「ここで引き返してもいい」
「何度もお聞きになるのですね」
責める調子ではなかった。少しだけ困ったようで、甘い声色だった。
「もう……疑ったり、誤解したり、決めつけたりしたくない。だから、何度でも聞く」
「では、何度でもお答えします」
エリアスは、繋いだ手を握り返した。
「行きます」
セドリックが自室の扉を開く。
部屋の中には、暖炉の火が低く残っていた。赤い光が壁を揺らし、机の上の書類や椅子の背を柔らかく照らしている。ここはウォーレンが生きていた頃から一貫して、今までずっとセドリックだけの部屋だった。
一瞬足を止めたセドリックに、エリアスはすぐに気づいた。
「旦那様」
「――父の影を、ここへ入れたくない」
その言葉は、ほとんど息のように落ちた。
エリアスはしばらく黙っていた。それから、繋いだ手を少し持ち上げる。
「では、私が先に入ります」
セドリックは驚いて彼を見る。エリアスは、頬に淡い熱を残したまま、それでも穏やかに言った。
「呼ばれて入るのではなく、私が選んで入ります」
そうして、彼はセドリックの手を引いたまま、一歩、部屋の中へ入る。
その一歩で、セドリックの中で何かが変わった。
記憶の影に閉じ込められていた場所が、今という瞬間の場所へと転じる。セドリックの人生から、父の影が完全に消えたわけではない。けれど、エリアスが先に踏み込んだ足音が、その影の上に静かに重なった。
セドリックは、彼に引かれて部屋へ入った。背後で扉が閉まる。
外の冷たい空気が遠ざかり、暖炉の熱が二人を包み込んだ。
「――エリアス」
「はい」
手を引かれたまま、セドリックは指先に力を込める。
「ありがとう」
何に対しての礼なのか、自分でも分からなかった。
戻ってきてくれたこと。灰薔薇を守ってくれたこと。自分から選んでくれたこと。父の影を越えるために、手を引いてくれたこと。
そのすべてだった。
エリアスは首を横に振った。
「お礼を申し上げるのは私の方です」
「お前が?」
彼は少しだけ目を伏せた。
「私を、待っていてくださって」
ありがとうございます、とエリアスは柔らかく微笑む。
その笑みに、セドリックは、胸が痛むほど満たされるのを感じた。
もう一度、抱きしめてもいいかと聞こうとしたが、エリアスが先に手を伸ばした。
ためらいながらも、セドリックの背へ腕を回す。ぎこちない抱擁だった。けれど、そのぎこちなさこそが、彼自身のものだった。
セドリックは、ゆっくりと抱き返した。
エリアスの身体が腕の中で一度強張り、次の呼吸で力を抜く。その重みを受け止めた時、ようやく本当に分かった。
彼はここにいる。
役目としてではなく、償いとしてでもなく、エリアス自身の願いとして。
セドリックは、彼の髪に口づけた。柔らかな髪からは、水とインクと薔薇の香りがする。
「嫌なことがあれば言え」
「はい」
「僕は、お前を傷つけたくない」
エリアスは、セドリックの胸元に額を寄せたまま、静かに言った。
「傷つくことは恐ろしくありません」
「エリアス……」
「あなたに、私の望みまで恐れられることが、少しだけ寂しい」
その言葉に、セドリックは息を止めた。
エリアスは顔を上げる。瞳は揺れていたが、逃げてはいない。
「私は、あなたに私を差し出したいのではありません」
温室で言いかけたことを、今度ははっきりと口にした。
「私が、あなたを求めているんです」
セドリックの中で、最後に残っていたためらいが、甘い痛みに変わった。
求めている。
その言葉を、エリアスが自分のものとして差し出した。誰かのための返事ではなく、役目の延長でもなく、彼自身の欲として。
セドリックは、彼の頬に触れた。
「僕も、お前が欲しい」
初めて、そう言えた。
エリアスの瞳が、濡れた光を湛えて揺れる。
「はい」
セドリックは、低く息を吐いた。
そして、口づける。今度は、すぐには終わらなかった。
エリアスの唇は少し震えていた。けれど、触れるたびに応える。セドリックの服を掴んでいた指が、やがて少しずつ緩み、欲を煽る動きに変わっていく。
暖炉の火が、壁に二人の影を映し出していた。
セドリックは、ひとつずつ尋ねた。
服を脱がせてもいいか。肌に触れてもいいか。髪に指を入れてもいいか。エリアスはそのたびに答えた。声にならない時は、頷いた。迷う時には、セドリックは待った。
その待つ時間さえ、甘かった。
急げば失われるものがあるのだと、セドリックはその夜初めて知った。触れたい場所へすぐに手を伸ばすよりも、エリアスが自分から近づいてくる一瞬を待つ方が、ずっと深く胸を満たした。
エリアスの指も、やがてセドリックの頬に触れてくるようになった。
おそるおそる、輪郭を確かめるように。
その遠慮がちな指先がくすぐったくて、セドリックは口元を緩めた。
「どうした」
「触れてみたくなりました」
その言い方があまりに真面目だったので、セドリックは苦しいほど愛しくなった。
「もっと触れてくれ」
エリアスは目を伏せる。
「……はい」
彼の手が、今度は確かな意図をもって、セドリックの髪へ触れた。金の髪を指先で掬い、戸惑うように離れ、また触れる。
セドリックは目を閉じた。
触れられることが、こんなにも満ち足りたものだとは知らなかった。求めるばかりではない。エリアスが自分を知ろうとしている。その事実だけで、胸の奥が熱くなる。
二人して寝台の端に腰を下ろした時、エリアスは一度だけ息を詰めた。
セドリックはすぐに動きを止める。
「やめるか?」
エリアスは首を横に振る。
「緊張しているだけです」
「なら待とう。僕は急がない」
「待たれると、余計に」
「困る?」
「……少し」
セドリックは笑ってしまった。
エリアスもつられるように、ほんの少し笑った。
その笑みで、部屋の空気が変わる。緊張が消えたわけではない。けれど、怖さだけではなくなった。
セドリックは彼の隣に座り、肩が触れる距離でしばらく何もしなかった。
暖炉の火が薪を崩す音がする。外では風が窓を撫でた。エリアスの呼吸は、少しずつ落ち着いていった。
やがて、エリアスが小さく言った。
「旦那様」
「うん」
「名前を、呼んでもよろしいですか」
セドリックは胸を突かれたように彼を見た。
「もちろん」
エリアスは唇を開き、けれどすぐには声にしなかった。たったひとつの名を呼ぶだけなのに、彼にとっては鍵を回すよりも難しいことのようだった。
セドリックは待った。
やがて、低く、少し掠れた声が落ちる。
「……セドリック様」
幾重にも思いのこもった呼び名が、暖炉の火のそばで柔らかく響いた。
セドリックは、もう耐えられなかった。
エリアスの頬に触れてから口づける。呼ばれた名の余韻ごと受け取るように、ゆっくりと。エリアスも、自分からセドリックの首へ腕を回した。
セドリックはベストを脱ぎ、タイを解いてシャツの前を寛げる。暖炉に暖められているとはいえ、むき出しになった肌に、部屋の空気はまだ少し冷たい。
エリアスの身体をベッドに沈め、ゆっくりと覆いかぶさった。肌と肌が密着し、互いの熱がすぐに混じり合う。その熱の奥で、セドリックの胸は別の疼きを覚えていた。
九年前、この男の身体が父のものとして揺れていた光景が、一瞬だけ瞼の裏を掠める。怒りでも嫉妬でもなく、ただ「自分はここにいていいのか」という、古い問いが静かに浮かぶ。
エリアスの瞳が、わずかに揺れた。セドリックの表情の変化を、彼は見逃さなかったのだろう。紫紺の瞳がセドリックを見つめ、唇がかすかに動く。
「……思い出していらっしゃるのですか」
声は落ち着いていて、責める色はなかった。ただ、セドリックの気持ちを確かめるように夜の空気に溶けて落ちる。
セドリックは目を閉じ、額をエリアスの額に寄せた。
「少し――でも、今は違う」
エリアスの手が、躊躇いがちにセドリックの背中をゆっくりと撫でる。その掌は少し震えていた。
セドリックは、エリアス自身もまた、過去の影を抱えているのだと気付いた。
父に必要とされたことを愛だと信じ、役目の中にしか自分の価値を置けなかった男が、今、彼の腕の中にいる。命令でもなく、義務でもなく、ただ自分の意志で。
セドリックは唇を彼の首筋に押し当て、ゆっくりと吸い上げた。皮膚の下を流れる血の熱が舌に伝わり、薄い塩気と汗の匂いが混じる。エリアスの息が乱れ、指がセドリックの髪に絡まる。その感触が、セドリックの胸の奥を優しく解いていく。
衣服を完全に脱がせると、エリアスの身体がランプの光に晒された。細い腰、腿の内側の柔らかい皮膚、滑らかな白い肌。恥じらって顔を背けたエリアスの耳朶が、夜目にも分かるほど赤く染まっている。
身体の中心では、エリアス自身がゆるく兆し、頭をもたげていた。先端からは透明な液が糸を引き、セドリックが指先で触れると、粘り気のある熱が残った。セドリックはそこを掌で包み、根元から先端までゆっくりと擦り上げた。エリアスの腰が浮き、内腿がセドリックの腰に絡みつく。
「……熱い」
エリアスの声は低く掠れていた。その一声に、セドリックは自分がどれほどこの男を求めていたかを、改めて知る。
憎み、焦がれ、忘れようとして、結局忘れられなかった。父の影から奪い返すのではなく、彼自身の名で立たせたいと願った果てに、こうして身体を重ねている。
セドリックは自身のものをエリアスの内腿に押し当て、熱を擦りつけた。硬く脈打つものが、互いに擦れ合い、先走りが混じってぬるりと滑る。セドリックは寝台に備えられた脇机から香油を取り出すと、指に油をたっぷり取り、エリアスの入り口を探った。小さな穴は、すでにわずかに収縮を繰り返している。一本の指をゆっくりと沈めると、熱い内壁がすぐに締めつけてきた。ぬるりとした感触が指を包み、奥へ引き込むように蠢く。
「あっ……、はぁっ……」
エリアスの呼吸が浅くなり、眉がわずかに寄った。痛みではない。受け入れることへの、静かな覚悟だった。セドリックは指を丁寧に広げ、関節を曲げて内側を探る。ある一点を擦ると、エリアスの身体が大きく跳ね、内壁が強く収縮した。熱に温められた透明な液が指の間から溢れ、腿を伝ってシーツを濡らす。セドリックは三本目を加え、ゆっくりと出し入れを繰り返した。濡れた音が静かな部屋に小さく響き、エリアスの腰がそれに合わせて動く。
十分にほぐれた感触を確かめてから、セドリックは指を抜いた。穴はすぐに収縮し、開いたままの形を残して熱く脈打っている。セドリックはベルトを外すと、自分のものを導き先端を押し当てた。
「いいか」
短い問いに、エリアスは静かに頷く。セドリックはエリアスの顔の脇に手を付き、彼の中へ自身をゆっくりと沈めた。熱い内壁が亀頭を包み込み、ぬるりと滑りながら奥へ引き込む。エリアスの指がセドリックの肩に食い込み、爪が皮膚に浅く沈んだ。
セドリックは緩やかに腰を進め、自身を根元まで埋めた。二人の下腹部が密着し、エリアスのものがセドリックの腹に押し潰される。その瞬間、エリアスの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。セドリックはそれを見て、はっと動きを止める。
「……痛いのか」
「いいえ」
エリアスは首を横に振り、セドリックの頰に手を当てた。
「私にも、分かりません。ですが、」
初めて、自分の意志で、あなたに触れているのだと思います、と震える声でエリアスは告げた。
その言葉が、セドリックの内側で何かを溶かす。ともすれば、セドリックも泣き出してしまいそうだった。
父の棺の前で「お前が父上のものだったように見えた」と投げつけた自分の言葉が、今になって疼く。エリアスは品物ではなかったし、今も、そうだ。
ずっと、この熱を内に秘めた人間だった。
セドリックはエリアスの頬を伝う涙を親指で拭い、唇を重ねた。
「……全部、入った」
セドリックが息を吐きながら囁くと、エリアスは目を閉じたまま小さく頷いた。内壁は熱く、柔らかな肉がセドリックのものを包み込んでいる。セドリックは動かずに、エリアスの脈動を確かめた。収縮と弛緩が交互に繰り返し、自分のものを締めつける感触がはっきりと伝わってくる。その締めつけのひとつひとつに、エリアスの感情がこもっているように思えた。恐れと、安堵と、そして静かな歓び。
やがてセドリックは腰を引き、ゆっくりと沈めた。引き抜くたびに、肉壁が絡みつき、湿った音を立てて離れる。再び進めると、奥まで拓いた感触があり、エリアスの腿が大きく震えた。セドリックは動きを変え、浅く擦ったり、深く突いたりを繰り返す。エリアスの中は次第に熱を増し、先走りと油が混じって、粘つく音が腰の動きに合わせて響いた。
セドリックはエリアスの腿を持ち上げ、角度を変えて奥を突いた。亀頭が一点を擦るたび、エリアスの身体が大きく反り、中が強く収縮する。透明な液がセドリックのものの根元まで溢れ、結合部を伝ってシーツを濃く濡らしていた。セドリックはエリアスの陰茎を手で包み、腰の動きと合わせて上下させた。先端から滴る液が指の間を滑り、粘り気のある感触が掌に残る。
「セドリックさま……あ、うぅっ……!」
エリアスの声は熱を帯び、吐息は荒く乱れていた。その声の中に、かつての「旦那様」という呼びかけの影はない。ただ、セドリックという名だけが、息に乗って溢れる。セドリックは彼の唇を奪い、舌を深く絡めたまま、腰を打ちつけ続けた。肌と肌が激しく擦れ合い、汗が滴り落ちる。セドリックの腹にエリアスのものが押し当たり、熱い先走りが滴った。内壁の収縮が強くなり、セドリックのものをぎゅうぎゅうと根元まで締めつける。熱が下腹部に集まり、限界が近づいているのが分かった。
セドリックはエリアスの手を強く握り、額を寄せた。腰の動きをさらに深め、彼が感じる部分を丁寧に探り続ける。
「も、うっ……! あっ……」
エリアスの内壁が痙攣するように収縮し、セドリックのものを強く絞り上げた。同時にエリアスのものが二人の間で激しく脈打ち、白いものが勢いよく飛び散る。腹と胸に熱い迸りがかかり、糸を引いて垂れた。
その引き搾るような動きに、セドリックもまた、エリアスの身体の奥深くに沈めた自身を解放した。熱い慾がエリアスの体内に注がれ、内側がそれを貪るように収縮を繰り返す。繋がった部分から白い液が溢れ、尻のあわいを伝ってシーツを汚した。
二人は抱き合ったまま、しばらく息を整えていた。セドリックのものはまだエリアスの中に埋まったまま、脈打っている。エリアスの中も、残った熱を扱くように蠢いていた。セドリックは名残惜しさを感じながらも、ゆっくりと身体を離した。
引き抜くときに、結合部から溢れた液がごぷりと音を立てて流れ出た。エリアスの穴は熱く赤く腫れ、まだセドリックの形に開いたままで、そこから白い体液が滴り落ちる様はひどく倒錯的だった。
セドリックはエリアスの横に身を寄せ、汗で濡れた身体を抱きしめた。エリアスの頭を自分の胸に預け、乱れた息を静めるように背中を撫でる。エリアスの手がセドリックの腰に回り、しっかりと抱きついてくる。下腹部にはまだ熱が残っていたが、互いの汗が肌に張りついて静かに冷えていく。
「……どこも痛くないか」
「はい」
エリアスが息を吐きながら呟く。その声の奥に、安堵が混じっていた。セドリックは彼の額に唇を落とし、汗の味を確かめた。
「きもちよかった……」
思わず、セドリックの口から本音が零れ落ちる。
エリアスは頰を染めて「私もです」と答えた。驚いて顔を寄せたセドリックの視線から逃げるように、エリアスは顔を背け、セドリックの肩口に顔を埋める。
セドリックは彼の髪を優しく梳きながら、静かに言葉を紡いだ。
「僕を受け入れてくれて、ありがとう」
言ってから、セドリックはすぐに違うと思った。
エリアスも、それを感じ取ったのかもしれない。彼はゆっくりと顔を上げ、セドリックの榛色の瞳を覗き込む。
「ごめん、違うな」
セドリックは、エリアスを抱く腕にほんの少しだけ力を込めた。
「僕を望んでくれて、うれしかった」
エリアスは答えなかった。
ただ、セドリックの背に腕を回し、彼と同じだけの力を込めて抱き返す。
セドリックは彼を抱きしめたまま、目を閉じた。灰薔薇の約束を交わした幼い日の記憶が、静かに蘇る。あの花を渡したとき、セドリックはただ「ひとりでいるのは嫌だろう」と思っただけだった。
今は違う。
彼が自分の意志で隣にいることが、どうしようもなく嬉しかった。
二人は結合の余韻を身体に残したまま、静かに寄り添っていた。
窓の外では月が雲を抜け、灰薔薇の庭を照らし続けている。過去の傷も、役目の影も、この夜の熱の中で、少しずつ形を変えていくようだった。
◇
翌朝、セドリックが目を覚ました時、腕の中にはエリアスがいた。
艶やかな黒髪が枕にこぼれ、白い首筋に朝の光が淡く落ちている。昨夜よりも少しだけ幼く見える寝顔に、セドリックは息を潜めた。
起こしたくなかった。けれど、エリアスの紫紺の瞳を早く見たいとも思った。
その矛盾に気づいて、小さく笑う。それに気づいたのか、エリアスの睫毛がわずかに揺れた。
「……おはようございます」
掠れた声が、朝の静けさに落ちる。
「おはよう」
セドリックは、彼の額に軽く口づけた。
エリアスは一瞬だけ目を見開き、それから困ったように伏せる。
「朝から、そのような」
「嫌?」
「……嫌ではありません」
それだけで、セドリックはまた笑ってしまった。
エリアスは恥じたように顔を背けたが、シーツの下でセドリックの指に触れてきた。探るような、けれど確かな触れ方だった。
「今日は休もう」
「ですが、温室の記録が」
「昼からでいい」
エリアスは少し考えこむ様子を見せたが、今朝は反論が短かった。
「……分かりました」
その返事があまりに素直で、セドリックは彼を抱き寄せた。
エリアスは驚いたように息を吸ったが、逃げなかった。むしろ、少し遅れてセドリックの胸へ額を寄せる。朝の光の中で、その仕草は昨夜よりも無防備だった。
窓の外で、鶫が鳴いた。
嵐はもう過ぎている。
すべてが終わったわけではない。むしろ、アシュフォードの立て直しはこれからといって良かった。二人の関係にも、まだ何の名前もついていない。
けれど、エリアスはここにいて、セドリックの腕の中で朝を迎えている。
それだけで、十分な始まりだった。
◇
昼も近くなってから、二人はようやく寝室を出た。
庭は雨の名残を含んでいたが、陽射しは柔らかかった。温室の硝子は陽光を受け、遠目には薄い金色の箱のように見える。
扉の前で、エリアスが鍵を取り出した。セドリックは、その横顔をちらりと見る。
「エリアス」
「はい」
「名前で呼んでくれ。様、は無しだ」
彼は鍵穴に鍵を差し込んだまま、動きを止めた。
「……今、ですか」
「今、ここで」
エリアスは困ったようにセドリックを見た。
昨日までなら、セドリックは急かしたかもしれない。けれど今は、じっと待つことが出来る。
エリアスは長い沈黙の後、鍵から手を離し、深く息を吸った。
「……セドリック」
敬称のない名は、朝の温室の前で温かく響いた。
胸の奥を、まっすぐ射抜かれるような音。
「もう一度」
エリアスは目を伏せたが、口元にはかすかな笑みがあった。
「セドリック」
二度目は、先ほどよりも少しだけ自然だった。セドリックは、彼の手を取る。
「ありがとう」
「名前を呼んだだけです」
「僕には、それで十分だ」
エリアスが鍵を回した。
温室の扉がゆっくりと開かれる。
中では、灰色の薔薇が淡い光に包まれて咲いていた。華やかとは言いがたいけれど、その花弁には嵐を越えた後の静かな強さがある。
エリアスが一歩足を踏み入れ、セドリックも隣に立った。
もう、二人の立つ場所に違いはない。どちらかが先を行くのではなく、並んで隣に立っている。
灰薔薇の香りが、朝の空気の中でゆっくりほどけていく。まだ名づけられていない香り。過去の痛みも、守られてきた沈黙も、これから育っていく未来も、すべてを抱いた香りだった。
セドリックは、隣にいるエリアスの手を握った。
エリアスは少しだけ目を見開いたが、すぐにそっと握り返した。
その力は、控えめで、温かく、確かだった。
(了)
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