33 / 52
7 夢
2LDKのあの部屋にいる。
俺は正座していた。
空 の布団を見つめながら。
どこかから蔵乃の声が響いてくる。
『あんな最期があるものですか。幸日は力を振り絞って……不幸な結婚生活だったと訴えようとしたんだわ。あんたは最低な嫁、クズのオメガ、恥知らずめ』
声はまっすぐ俺に向いていた。
何も言い返せない。
親の決めた結婚という遠慮がお互いにあった。
特に幸日は情がわくことを嫌がり、義務的な夫婦以上の交流を求めなかった。
だから手を繋ぐことも、キスも、歓談も、うなじを噛むことも、ヒートに至ることも無かった。
結局、他人のまま死に別れた感覚はぬぐえない。
「照近」
空だったはずの布団に幸日がいた。晩年のすっかり弱った姿で、痩せ枯れた手を宙に掲げている。
「幸日さん!」
急いで幸日の手を握る。
もう目が見えていないのか、彼の瞳は何もない宙を捉えていた。
ああ、これは、覚えている。臨終の日と同じだ。
己の死を悟った幸日は、か細い声で俺の名前を呼び続けた。
彼の冷えた手を握り、俺は返事をする。何度も、何度も。
普段、彼が俺の名前をこうも呼ぶことはない。黄泉への旅が不安なのだろう。
みなまで言わずとも、一緒にいて欲しいという気持ちが声からにじみ出ている。
「照近」
「はい。ここにいます。幸日さん、俺はここです」
握り返す力もない手をぎゅうと握る。
俺だって、置いていかれたくない。
アルファあってのオメガだ。幸日の死は俺の死であるはずなのに、そうはならないことがおかしい。
そう、俺はこの人と一緒に逝くべきなのだ。
この苦しい世界に居残りしなくて済むし、みんなが立派なオメガだと褒めてくれる。
なにより、彼もさみしくない。冥土の世話係も必要だろう。
「幸日さん、俺もすぐ──」
「もういい」
ふいに、幸日は俺の手を振り払った。そんな余力などどこにあったのか。
俺が驚いている間に、彼はそっぽを向いて息を引き取っていた。
「……あ、」
世界が真っ暗になる。
幸日が横たわっていた布団も、俺の足元も、何も見えない。
(ああ、そうだ。この瞬間から、俺は宙ぶらりんになって、2LDK から動けなくなった)
『幸日に孤独を選ばせたのはおまえだ』
『おまえのせいだ』
『幸日の人生を台無しにした』
また声が聞こえた。
けれどそれは蔵乃ではなく、俺自身の声だった。
『人殺し』
ともだちにシェアしよう!

