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第1話

 睡眠不足は災いの元凶だ。  集中力も記憶力も落ちるし、判断力も壊滅的。  頭痛や気持ち悪さで眉間から皺が消えず、不機嫌増幅装置になって対人関係が驚くべき速度で悪化。恋人だって失ってしまう。  激務と睡眠は相性が悪いが、とりわけロングスリーパーにとって両立は困難を極める課題で死活問題と言っても過言ではない。 「……」  浅い眠りのせいで頭が重い。  長い髪を解いて首を解し、こめかみを強めに揉んでから頭痛薬を口に放り込んだ。  二十一時のシンデレラ。  キスでも起きない眠り姫。  カフェイン染めのリンゴゼリーは毒だぞ。  そんな言葉を聞いたような気がする。 「……誰かがここに居たような、居なかったような……?」  思い出そうにも頭痛が邪魔して記憶を辿れない。  はぁ、と溜め息を吐いてからデスクに着いた。 「おかしいですね……」  残業していたはずなのに、気が付けば仮眠室で午前七時の目覚まし音を聞いていた。  ぼんやりした頭のまま長い髪を濡らさないよう気を付けてシャワー室を使い、自分のデスクへ戻った。  土門 里斗(つちかど りと)の名札が着いたデスクは、資料が広げられたままの状態だった。  やはり、仕事中だった。どうやって仮眠室に移動したのだろう。 「確か、帳簿チェックと課長からの仕事で残業……コーヒーを淹れようと思って給湯室に行って、そのまま?」  午後八時を過ぎた辺りから記憶が怪しい。  特に仮眠室まで移動した記憶がなかった。 「まさか、またやっちゃいましたか」  去年、残業中に給湯室で寝落ちしてちょっとした騒動になったことがある。昨日もまた寝落ちして同じ轍を踏んでしまったのか。 「ロングスリーパーって本当に最悪です」  子どもの頃から睡眠時間が十時間以上必要なロングスリーパーだ。  成人しても体質は変わらず、数日残業が続けば睡眠不足でデスロードまっしぐら。  気絶するように寝落ちする自分に嫌気が差す。 「この体質、なんとかならないでしょうか」  はぁ、と溜め息を吐いてからコーヒーを買いに席を立った。  仮眠室は寝具が体に合わなくて熟睡できないし、狭くて体が辛い。  今日も一日頭痛とだるさに悩まされそうだ。  気分が滅入っていくのを感じながら自販機でコーヒーを買って戻って来た時だった。 「コンビニの袋? なぜ?」  デスクにコンビニ袋が置かれていた。  ついさっきまではなかったはずだ。  周囲を見回してみたが誰もいない。そっと中を覗いてみるとサンドイッチとヨーグルト、水、そしてお菓子が入っていた。 「GABA入りチョコ!」  羊のマスコットがパッケージに描かれたお菓子だ。引き出しに常備するほどのお気に入りだった。手に取ってみると、パッケージに「カフェイン漬けは毒。ちゃんと食え」とペンで書かれていた。 「……誰?」  英語の筆記体とおぼしき文字が添えられている。  最初の文字はSだろうか。しかし達筆すぎて読めない。 「……」  誰が何の目的で置いていったのか分からないが、昨夜の夕方にゼリー飲料と缶コーヒーを腹に入れて以降、何も口にしていない。  どうしよう、と迷っているうちに、腹の虫が盛大に鳴った。 「い、いただきます」  空腹に耐えかねて両手を合わせた。  フルーツヨーグルトの甘みが舌に広がり、ふんわりと鼻に抜ける香りを残しながら腹に収まっていく。 「あ~、美味しいっ」  忙しくなると食事なんて二の次、三の次。  適当にゼリー飲料を流し込んで終わりにするタイプだ。  ここ数日、エナドリで乗り切ってきた体に久し振りの食事が染み渡る。 「やっぱりちゃんと食べないといけませんね」  反省反省、と自分に言い聞かせながらありがたく朝食を取り終えた。 「さて、続きをやりますか」  部下から預かった書類の束を見た。  こちらは仕方がないが、隣に置かれている課長からの丸投げ書類は厄介だ。 「いつも『優秀な主任殿』なんて言って置いて行くんですよね……」  不満を零すも、頼られると断れない自分が悲しい。  頼られたり任されたりすると「自分の能力が認められた」と思えてしまって断れないのだ。  溜め息を吐いても仕事は終わらないし、引き受けた以上は完遂必須。  キリッと表情を引き締めるとPCを起動させた。  まず、昨日どこまで進めていたのか、自分の目で確認だ。内心、ドキドキしながら社内システムを起動させて自分のアカウントをチェックした。 「……ん?」  睡魔に負けて寝落ちした割に、画面はきれいだし、帳簿も目標にしていたところまでチェックし終えていた。 「……昨日の私、意外に偉かったです?」  最悪、帳簿という帳簿が意味不明な文字の羅列で埋められている可能性があったが、杞憂だった。ホッとしながら本格的に仕事に取りかかった。  経理はお金に絡む業務が多い。  ひとつひとつ丁寧かつ正確に進めなければならない。 「電話も鳴らないし、来客もない業務時間外って、一番仕事がはかどるんですよね」  社畜の鏡ような言葉を口にしながらデータ内容の確認を続けた。  一時間ほど経った頃――。 「主任、おはようございます……って、まさか朝残業ですか?」 「えぇ。少しだけですけど」 「すみません! 昨日、仕上げてから帰るべきでした!」  頭を下げてくる部下に「気にしないで」と笑って見せる。  すると彼は急に声を落としてコソコソと話し始めた。 「昨日! また出たみたいですよ!」 「出た?」 「ほら! 前に『革靴シンデレラ事件』あったじゃないですか!」 「あ~……廊下に革靴が片方だけ落ちてたっていう?」 「そう、それ! 昨日の夜も落ちてたって!」 「そ、そうなんだ……」 「昨日の警備は新人だったらしいんですけど、片方だけ落ちてる! ってびっくりしてたら、急に横からでっかい影がグワッて出てきて消えていったらしいんです! 靴も一緒に消えたって! グワッ! ですよ、グワッ! なんだったんでしょうね!」  部下は興奮を抑えきれないというようにまくし立てた。  きっと、一階で警備員達も盛り上がっているに違いない。 「あぁ! 残業してたら会えたかも! 二十一時のシンデレラ! いったい、どういう人なんでしょうね」 「革靴だと、お姫様ではなさそうですね……」 「ユニセックスって噂ですけど、きっと女性です!」 「会いたいんですか?」 「靴なくすほど慌ててるところを助けるって、なんかロマンチックじゃないですか?」 「シンデレラを助ける感じで?」 「そうです!」  夢がありますねぇ、と微妙な顔で相槌を打ちながらパソコンの画面に視線を戻す。  部下の言葉に曖昧に頷いてみせながらも内心ヒヤヒヤだった。   記憶はないが前回の「シンデレラ」は十中八九、自分だ。  決算前で残業が一週間続いた時だった。気が付いたら仮眠室に居て、靴が片方無くなっていた。 (今日もやらかしちゃいましたけど……、誰かが仮眠室に運んでくれたんですよね)  一体、誰だろう。  近しい人なら「どうした? 大丈夫か?」などと声をかけてくるだろう。  だからシンデレラを仮眠室へ運んだのは面識がない人に違いない。接点がない人だと会うことは難しそうだ。  手がかりはないか、と思案するうちにコンビニの袋を思い出した。Sで始まる人が寝落ちの失態をケアしてくれたのだろうか。 (Sって……結構、たくさん居るんですよね、この会社)  佐藤、佐々木、清水、鈴木など。サ行の苗字はたくさんある。誰か、なんて簡単に分かる訳がない。 (筆跡もねぇ……)  パッケージの文字は達筆過ぎる筆記体だし、そもそもあらゆる書類が電子化された今、手書きを見る機会はほとんどない。  筆跡鑑定なんて不可能だ。う~ん、と心の中で呻りながら、仕事の手を動かしていた。 「あ! 主任! 昨日のエラー直したって情シスからメッセージが来てます。うわ! 真夜中だ」  隣でPCの電源を入れた部下が驚きの声を上げた。  手を止めて画面を覗き込むと、午前二時に「修正完了です」のメッセージが入っていた。 「夜は誰もPC使わないからメンテしやすいんでしょうね」 「でも夜中の二時って……。あ! 情シスの人は二十一時のシンデレラ見たことがあるかも? あっちは夜行性だし」  この部下はどうしても二十一時のシンデレラを見たいようだ。  あまり興味を持たれても困る、などと思いながら冷静に突っ込みを入れる。 「情シスの方々は基本、在宅ですからシンデレラには会えないんじゃないでしょうか」 「あ~、そっかぁ」  残念、という部下の呟きを聞いているうちに始業時間が近づいてきた。  朝礼が始まる前にコンビニのゴミ袋を捨ててこよう。ついでに、給湯室に設置されている自販機でカフェイン入り清涼タブレットを買おう。そう思って席を立った。  早足で給湯室へ向かっている途中、ポケットの中のスマホが鳴った。 「あっ!」  通知を見て一気に目が覚めた。 (そうでした! 今日は絶対定時! なにがなんでも帰ります!)  全身全霊の力を込めて一人で頷いた。  待ち焦がれていたグッズの配達予定通知が来たのだ。置き配指定なので、帰る頃には届いているはずだ。 (魅惑の激責五点セット! やっと届きます。おもちゃでストレス発散です!)  里斗は、ロングスリーパーで夜起きていられないため「恋人と朝まで愛し合う」なんてことができない。  過去に、必死に起きる努力をしたこともあったが、体調を崩すし愛想良く居られなくて恋人と不仲になるばかりだった。だから、恋愛は諦めて独りを貫いてきた。  それでも性欲は人並みにある。自分で解消するのに大人のおもちゃが必要で、色々と試すのが密かな楽しみだった。  今回買ったのは、コンドームと潤滑剤、アナル用電動ディルド、電池、複数のマッチョ男性に気絶するまで激しく責め立てられる内容のDVDという五点セットだ。 (家なら寝落ちしても大丈夫! DVDで気分を上げて、クチコミ星五のローションとディルドでたっぷりスッキリと……)  否応なしに上がる気分に頬を緩ませているとポンッと肩を叩かれた。 「ひゃっい!」 「お? 悪ぃ。驚かせるつもりはなかった」  口から心臓が飛び出しそうだった。振り返ると大柄な男性が立っていた。 「サ、サイモンさん、今日は出社ですか?」  バクバク鳴る鼓動に「収まれ!」と心の中で唱えながら笑顔を作る。 (通知、見られてませんよね。商品名とか見えてないですよね!)  朝からとんでもない物をチェックしているのがバレたら大変だ。 「おう。秘書課に呼ばれちったわ」  口元をへの字に曲げたサイモンは給湯室に据えられた菓子類の自販機を覗き込み「どれがいいかなぁ」と真剣に悩んでいた。  情報システム課のサイモン――。  身長が百九十センチ以上あり「既製品のスーツが着られない」というマッチョな体のせいで、在宅ワークなのに社内では知らない人が居ないほど有名だ。  ごく稀に出社してくるとまさに珍獣扱い。四つ葉のクローバーのような扱いだ。  しかも、出てくる度にコピー用紙やトナーの山を用務課の課員ごと抱えて倉庫まで運んでいるという逸話も残されている。 (大柄で力が強くて、優しいし声も渋い。全てが満点なんですよね)  ブラウンの髪をマンバンにした彫りの深い顔が真剣に自販機を見詰めているのがなんとも面白い。記念日に飲むシャンパンでも選んでいるのか、と思うほど真面目な顔だ。 「よ~し! これキメてガッとヤっちまうか!」  プロテインバーを買いながら言ったサイモンの言葉が卑猥なものに思えてしまって視線を反らせた。 (ガッとヤるなんて……)  シャツが腕や胸の厚みに耐えかねて皺を何本も寄せているような体躯で「ヤる」なんて言われたら、思わず身を任せたくなってしまう。しかも、自分の性的指向ど真ん中の相手だから体の奥がうずきそうで怖い。 (あの立派な体に組み敷かれて、ガッと奥までヤられたら……)  天にも昇る思いだろう。  だが――。 (疲れてますね、私。一体なにを考えているんだか! そもそも夜行性の方とは無理です)  落ち着け、と自分に言い聞かせてからカフェイン入りの清涼タブレット菓子を買う。 「お~、寝不足か?」 「おかげさまで仕事がたくさんありまして。そうだ。エラー修正ありがとうございました」 「まだエラー続くようなら言ってくれ。しっかし、仕事はほどほどにしろよ」  はい、と笑顔を向けて去ろうとした時だった。  ガシッと肩を抱かれた。  手首に巻かれた大きな数珠が肩に当たる。真っ黒い大きな玉が連ねられた立派な数珠だった。縁起を担ぐタイプなのだろうか。 「ここで会ったのもなにかの縁だ。ちと付き合ってくれ」 「はい?」 「秘書課が朝から大騒ぎなんだ」 「私は経理ですよ? なんで秘書課に……って! ぁ!」  スリスリッと髪に頬擦りされた。 (なっ! 距離が、近いですっ!)  もう何年も人肌に触れていないのに好みの男性に擦り寄られては心が持たない。  ゾクゾクッと体に走る刺激に息が詰まった。  自分でも驚くほど心臓がうるさく鳴るのを感じているうちに、軽々と運ばれてしまう。  コピー用紙の山を女子ごと運んだ伝説は本当なのか。 「あの! わ、私は経理です!」 「知ってる、二十一時のシンデレラ殿」 「えぇぇぇ!」 「悪いが、ちょっと攫われてくれ」  抵抗などできる訳もなく、最上階まで連行されていくのだった。  到着したのは秘書課――。  社長室と専務用の部屋に隣接する部屋で二人の秘書が右往左往していた。 「……」  整然と整頓されたデスクに座らされ、嫌な予感に襲われながら周囲を見た。 「全然繋がらないって専務が大騒ぎで!」 「なんか勝手にいろいろ買って来ちゃって困ってたんです!」  二人は状況をサイモンに説明していた。  どうやら秘書課専用のスマホとタブレットの調子が悪く、専務が勝手に先走ってケーブルやら充電器の交換キット、診断ソフト、データ移行アプリなどを買い漁ってしまったらしい。自力で直そうという心意気は認めるが、会社のお金を勝手に使うのはいただけない。 (専務でも駄目なものは駄目ですよ……)  心の中で呟きながら静かに成り行きを見守る。 「あ~、こりゃぁ、アレだな」  呼び出されたサイモンは軽く笑いながら秘書達の話を聞き、不具合が出ているというスマホとタブレットを並べてチェックし始めた。 「……すごい」  スマホとタブレットに加えてPCも起動させ、同時に三つを操作している。  見たこともない画面が次々と表示されては消えていき、軽やかに動く指が時折ターンッとキーボードを打つのが爽快だ。  仕事に打ち込む横顔はさっきまで軽口を叩いていたとは思えないほど真剣で、凜々しさと知的な雰囲気をまとう姿に目を奪われてしまった。 (こんな顔で仕事をしているんですね)  見た目も声の渋さも素敵で、仕事もできる優秀で頼れる人は文句なしに魅力的だ。 (夜中の二時にエラー修正して朝も出てきてくれるなんて仕事熱心で真面目な方ですね)  感心しながら見惚れていると、目の前に書類の束が広げられた。  フッフッフと不敵に笑みを浮かべる秘書達が立っていた。 「サイモンさんも気が利きますね。経理主任を連れてきてくれるなんて助かりました!」  追加で「はい!」とレシートや買い漁ってきたという商品の空箱、勝手に購入したアプリの支払明細などまで並べられてしまった。どうやら、処理をご所望らしい。 「申請が漏れてた出張の経費精算と、先週の会食費の間違い修正をお願いしたくて」 「専務のって経費で落ちますか? 稟議なしで現金とクレカとポイントなんですけど」  怒濤の勢いで仕事が投げられてくる。 (稟議なしって無理に決まってます! 小口現金だって上限あるし手続きも必要なのに。って、このクレカ番号、会社のじゃないですよね! 個人で買ったものを処理しろと?)  ザッと目を通したが全てについて問題ありだ。「マニュアルに従って手順通りに自分で手続きを!」と差し戻してやりたい。専務だからといってルールを逸脱していい訳がない。 「無理です!」  そう言って部屋を後にする。  そんなことができればどれほど楽だろうか。 「パソコンお借りしますね……」  日々、社長や専務から無理難題をふっかけられ奮闘している秘書にウルウルした瞳で見詰められると断れない。  自分の意志の弱さを恨みながらマウスを握った。 「さすが主任! 薄幸の美人なんてとんでもない! 優しくて優秀で最高です!」 「頼れる人で良かった! だから入社四年目で主任になれるんですよね!」  大げさなテンションで秘書が褒めてくれた。  いや、薄幸の美人は聞きたくなかった。  睡眠不足になると青い顔でフラフラしていることから付けられたあだ名らしい。  自分としては「面倒事も一手に引き受け、正確無比に処理できる人」という評判が広まっていると信じたい。 (でも、やっぱり本当は丸投げして欲しくないんですよね)  できる人がやると正確で早いのは分かっているが、トライアンドエラーでいいので各自の処理能力を上げていって欲しい。そうでないと経理の仕事が際限なく増えてしまう。 (でも、私が頑張れば会社が早くスムーズに回るのも確かなんですよね)  押しに弱く、差し戻しや訂正指示を出すより自分でやる方を選んでしまう。これでは駄目だと思っているのだが――。 (でも、サイモンさんと同じ部屋で仕事ができるなんて、まずない経験ですし)  好みの人と同じ空間で仕事ができるなんて貴重な時間だ。  頭痛に悩まされていた頭がいつもより早く回転しているように感じる。  そのまま秘書課で作業すること一時間――。 「よ~し! これでOKだ」  サイモンがタブレット端末とスマホから手を離した。 「セッティング完了。PCとの連携もできたぞ。元通りだ」 「ありがとうございます!」 「原因分かったんですか?」 「ん~、あんまり稼働しないアプリが急に動いて使いにくくなったって感じかな」  秘書二人は首を傾げたが、サイモンはニコニコと笑って「大丈夫」と繰り返した。 「で、主任の方はどうよ?」 「えっと、はい。こちらも……、あとは経理課の方で処理します」  ニコッと秘書二人に氷の笑みを向けて頷いて見せた。「よくも無茶な仕事を押しつけてくれましたね!」という感情が伝わるといいのだが……。  心の中で溜め息を吐きながら秘書課を後にして廊下を歩いていると、サイモンがすぐ隣でクックックと忍び笑いを漏らした。 「なにか面白いことでも?」 「専務が大人のサイトを見てた」 「え? それで使えなくなったんですか?」 「海外の違法サイトから攻撃食らいそうになって対策ソフトが起動したってとこだ」 「それ、ものすごく危ないことでは?」 「職場のタブレット使うなよなぁ。家じゃ見られないのかねぇ?」  確か専務は奥さんと三人の娘が居たはずだ。男一人では肩身が狭いのかもしれない。 「朝からエッチなこと考えられるって元気でいいねぇ」  ハッハッハと笑うサイモンの隣で視線が泳いでしまった。 (定時退社して五点セットで堪能する、なんて思っていた私はもっと酷いかも)  サイモンの笑いに上手く合わせられず、なんとも言えない空気感を醸し出してしまった。  それを察知したのか、サイモンが両手をパンッと合わせて頭を下げてきた。 「悪ぃ。同性同士でもセクハラみたいな発言だったな」 「いえ、そんなことないです。ただ、その……専務にびっくりしてしまって」 「やべぇの見てたから自力でなんとかしようと頑張ったのかねぇ? 履歴消して初期化しようとしてたっぽいんだよな」 「職場のタブレットを初期化ですか」 「画策した痕があった。ま、ぜ~んぶログ残ってっからバレバレだけどな」  ニヤリと口角を釣り上げたサイモンは「俺は全てお見通し」といった自信たっぷりの表情だった。 「これを機に従業員全員へ『不適切サイトを見ないこと』って注意喚起メールを回す。反省してくれりゃぁいんだけどなぁ」  こんなに魅力的なマッチョのサイモンに指導されたら即「はい」と言ってしまう。  ただ、なんとなく気後れするのも確かだ。  さすがに会社のPCや貸与されているスマホで見ることはないが、里斗自身、専務に負けず劣らず健全ではないサイトを見まくっている。  そんなことを里斗が考えているなんて思ってもいないのだろう。サイモンは大あくびをしながら伸びをして目を擦った。 「もしかして徹夜ですか?」 「夜行性なもんでねぇ」 「夜の方がメンテナンスしやすいから?」 「そうだな。システム止めると仕事にならねぇから、やっぱり夜が多いな。夜働いて昼間はダラダラって感じだ」 「昼夜逆転生活ですね」 「そんなところだ」  そう言いながらサイモンは経理課まで付いてきてくれた。  課長に「秘書課から呼び出し受けた」と説明してくれた。お陰で遅刻扱いにならず「面倒だったね」とねぎらいの言葉までもらえた。気遣いができる人は、容姿関係なくかっこいいと思う。 「じゃ、またな」 「またって、また妙なことに巻き込まれる感じがして複雑ですね」 「ハハハ、そうかもな」  ニヤッと笑ったサイモンが席まで送ってくれた。  ドレスコードがあるレストランのように椅子を引いて「どうぞ」と促してくれる。  どんなおふざけですか、と笑いながら座り、「さぁ、仕事!」とマウスを握った時だった。  ペタッと額に紙を貼られてしまった。 「はい?」  くしゃくしゃのレシートだった。 「先月買った部品代。よろしく」 「はい?」  慌てて起ち上がってレシートを突き返したが力で勝てる訳がない。  ジタバタしているうちに両手で手をギュッと握り込まれた。 「GABAのチョコ、美味かっただろ?」  耳打ちされ、こめかみに頬擦りされた。 「え?」  慌ててゴミ箱を見た。  そこには空の包みが捨ててある。これ! と顔を上げた時には、大きな背中は廊下へ出て行ってしまっていた。 (昨日の夜から出社して仕事していたサイモンさんが私を?)  そういえば、秘書課へ行く時に「二十一時のシンデレラ」と呼ばれた。  前回といい今日といい、残業で寝落ちしたところを拾って世話してくれたのはサイモンだったのか。お菓子のパッケージに書かれたSから始まるとおぼしきサインはサイモンのものか。 (仮眠室まで運んでくれて、わざわざ朝も見に来てくれた?)  なんという気遣いだろう。  例え、先月処理し忘れた部品代を押し付けてくる意図があったとしても気を遣い過ぎだ。 (お礼を言う機会があるでしょうか)  会いたいと思っても向こうは夜行性。どうしよう、と思いながら見えなくなった背中をしばらく見詰めていた。 「主任、大丈夫ですか?」  書類を持ってきた部下に声をかけられてハッとした。 (お礼は後! 今は仕事!)  始業時間はとっくに過ぎているし、自分の仕事に加えて秘書課の勝手な専務の件に、情シスの経費計上――。  今日も忙しくて目が回るかもしれない。気を引き締めて部下から書類を受け取った。 (でも!)  今日は夜の楽しみがある。  励みになるものがあると、気合いも充分だ。絶対に定時に上がる、という決意を固めてPCに意識を集中させた。  昼食もそこそこに仕事を続け、定時を三十分過ぎてから会社を出ることに成功した。 「やりました!」  スンと澄ました顔で退勤し、会社のビルを出た。そしてドキドキしながらメールをチェックする。 「あった! 置き配完了メールが来てます!」  心が躍ってしまう。いつもより早足でマンションを目指した。  あと少し!  遠足前夜の子どもか、というくらい浮かれた気分で自分の部屋に辿り着いた。 「え?」  一瞬、理解が付いてこなくて固まってしまった。 「ない? 置き配が……ない!」  慌てて通知を見直すが、確かに玄関前に置かれた写真が添付されている。 「誤配? それとも盗難?」  全身から血の気が引いていく。  アダルトショップの通販で買った玄関前置き配指定の荷物が無いなんて、これ以上恐ろしいことがあるだろうか。自分の名前入り荷物が他人の手に渡っている。しかも、同じマンションの人の可能性が高い。 「嘘でしょう!」  あまりの事態に頭が真っ白になって立ち尽くすことしかできなかった。

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