2 / 9
第2話
置き配が無い!
「え? え? どうして……! どうする?」
置き配完了メールには写真が添付されている。
穴が開くほど見たが、自分の部屋と酷似した玄関ドアの前に箱がある。
「違う部屋のドアってことですよね」
冷や汗を掻きながら、早足で同じフロアをチェックした。
ない――。
人に会いませんように! と祈りながら二往復したが、それらしい段ボール箱はなかった。
意を決して上の階と下の階も確認したかったが、無かった。
「マンション全部なんて……チェックできないですし……」
住んでいるマンションは三百戸近い規模だ。とても全てを見て回れない。
とりあえず自分の部屋に入り、配送業者に問い合わせメールを送った。
しかし、問い合わせ窓口は営業時間外だ。すぐの解決は望めない。
「中を見られていませんように!」
多分、品名の欄は「本」や「小型家電」になっているはずだ。
しかし開封されてしまったら?
想像しただけで生きた心地がしない。
「誰の手に渡ったか分からないなんて……」
ご近所付き合いに積極的なおばさんだったらどうしよう。
ママ友が多い社交的な人だったら?
ストレスが堪りまくっている陰険な人だったら?
何も言わない人でも廊下ですれ違う度に「あの人だ」と思われたら?
「駄目です。生きていけない……」
引っ越し?
そんな言葉が脳裏をよぎった。PCで物件を検索してみる。
今より職場に近くて買い物にも困らず、騒音が気にならない部屋。
宅配ボックスがたくさん設置されているマンション。
置き配を盗られない工夫がされている作り……。
条件を考えていると時間が溶けていった。
結局、一睡もできないまま朝を迎えた。
「目の下……化粧でも消せない……」
鏡を見た顔は自分でも酷いと思うものだった。
休みたい――。
そう思ったが、サボる訳にはいかない。
鉛のように重たく感じる体を引き摺ってなんとか出社した。
ブラックのコーヒーとエナドリを朝食にしたが、胃がキリキリする。
「おはようございます、主任。……あの、大丈夫ですか?」
部下が心配そうな表情で挨拶してきた。
「心配かけてすみません。ちょっと頭痛がするだけなので大丈夫です」
無理に笑顔を作りながら謝り、席に着いた。
「……なんかイラッとしますね」
座って早々、デスクの上のかわいい羊グッズに神経を逆撫でされてしまった。
お眠りシープという安眠をテーマにしたかわいい羊グッズがお気に入りだった。
しかし、寝不足だけでなく自己解決できないストレスMAXの状態だと癒やしどころではない。グッズを乱雑に引き出しへ仕舞うと、物が減ったデスクを見て溜め息を吐いた。
(推しのかわいい羊に煽られてるって感じるなんて……相当ヤバいですね)
そろそろ熟睡できる環境を整えないと仕事にも支障が出そうだ。
ただ、熟睡するには置き配の問題を解決しないといけない。解決にはどれくらい時間がかかるだろう。
(やっぱり通販じゃなくて店舗? 配送業者に留め置きが正解? コンビニ受取が便利?)
後悔と不安で仕事に集中できない。
度々手が止まって頭を抱えてしまう。
「あの、主任……早退した方がいいんじゃないですか? 顔、真っ青ですよ」
部下に何度も心配されるなんて上司失格だ。
余計に気持ちが落ちていくのを感じながら午後の業務を半分ほど終えた頃だった。
「?」
ピコンッとPCの通知が鳴った。情シスの管理アカウントからビデオ通話だ。
(昨日の部品代の件?)
コンビニの朝食が賄賂になってしまったレシートは、もう処理が済んでいる。課長に嫌味を言われたが、憧れのサイモンと一緒に過ごした時間を思えばなんでもなかった。
(まだ何かあるんでしょうか? そうだ。もらった通話で申し訳ないですが、お礼を言いましょう)
そう思いながら通話ボタンを押した。
「はい、土門です」
映像付きで応答する。
「よぉ。昨日は悪かったな」
イヤホンから渋くて低い声が響いてくる。背景を見るに会社ではなく自宅のようだ。
(在宅ワークっていいですよね。通勤時間ゼロって憧れます)
経理課もできそうなのだが、請求書やレシートを完全に電子化することができなくて、在宅ワークが実現できていない。上層部も出社派が多く、希望を出しても通らない。
「いえ。問題を鮮やかに解決する情シスの凄腕を見られて良かったです。レシートも無事、処理できましたよ。ところで、なにかありましたか?」
新たに申請の仕事を投げてくるのだろうか。
面倒でなければいいけれど、などと思っていたが画面の端にある物が見えてハッとした。
(黒と金の箱! 箱の上の紫の物って……!)
周囲の音が全て消えた。
画面の中でサイモンの口が動くのが見えるが言葉が入ってこない。
映り込んでいる物体に全意識が奪われてしまった。
(あれ……私が買ったおもちゃ?)
昨日届くはずだった玩具のセット――。
買うかどうか迷いに迷ってショッピングカートに追加と削除を繰り返したし、売り切れてしまってからは足繫くサイトに通って再入荷を待ち望んでいた。
凶悪さを感じさせるパッケージに、毒々しさを覚える紫の本体という組み合わせを見間違う訳がない。
(ただの偶然? パソコン関連のそういう色の物? いや……でも、うん、やっぱりアレの箱にしか見えない!)
まさか、あの屈強で筋肉の塊のサイモンが「そういう趣味」を持っているのか。
(偶然同じ物を持ってる? 誤配? いえ、サイモンさんの家はどこ?)
そもそもサイモンって本名だった?
色々な疑問が頭の中を駆け巡る。
「聞こえてるか? 回線の調子悪ぃ?」
「はっ、え、あ、いえ、あの……?」
「ん~、ちょい調子悪いみてぇだな。後でメッセージ送っとくから見てくれ」
「わ、分かりました」
画面の向こうでサイモンが「バイバイ」と手を振ってから消えた。
「……」
なんの用だったのだろう。聞いていなかった自分が悪いのだが、やっぱり見えた物体の正体が気になって仕方がない。
(どこ? どこに住んでいる人?)
「サイモンさん……サイモン……」
普通にサイモンさんと呼んでいるが、思い返せば「サイモン」という名前の従業員はいない。サイモンは一体誰なのだろう。
(あぁ、普段、社員ナンバーしか見ないから……)
毎日、従業員の名前が書かれた書類を目にしているが、里斗は名前ではなく従業員の管理番号を見ていた。
経理関係は電子管理がデフォルトだ。
システム使用時は名前ではなくナンバーを入力してデータを呼び出す。同性同名も居るので番号を打ち込む方が圧倒的に正確で早いのだ。
(えぇと……今の通話者の社員番号は……)
通話履歴をチェックして社員番号を見た。
「この番号は士門将満? あれ?」
思いっきり日本語の名前だ。
サイモンと士門……しもん……。
「アルファベット表記でサイモン?」
繋がった。
ブラウンの髪と日本人離れした目鼻立ちのせいで、すっかり「サイモン」が板に付いてしまっていたが、サイモンはあだ名で本名は士門だ。
「住所は……」
目的外利用だ、と思ったが我慢できなくてコッソリ従業員名簿を開いた。
そこで士門を見付け、天地がひっくり返るほど驚いた。
「同じマンションの五階!」
里斗の部屋番号は三一五。サイモンこと士門は五一五だった。
「土門と士門……似た部屋番号……誤配!」
土と士を見間違えたと考えると納得がいく。
(士門さんのところに、あのおもちゃが……)
やっぱり、そうだ。ビデオ通話に写った箱は、里斗が受け取るはずだった玩具のセットだ。
なんという誤配をしてくれたのだろう。
(私が購入者って気付いた?)
宛名を見ただろうか。
同姓同名の者が職場の経理に居ると気付いただろうか。
珍しい苗字だし、従業員名簿は誰でも見られる。気付かない訳がないだろう。
(実は分かっていて、わざとカメラに写る場所に置いてビデオ通話してきた?)
そうだとすると、意図はなに?
取りに来いというメッセージ?
行ったら、普通に返してくれる?
いや、封を開けてあったような……。
(どういうつもり?)
そっと従業員名簿を閉じ、誰も写っていない画面を見詰めながら、唇の震えを止められずにいた。
あまりに青い顔をしていたからだろうか。
仕事が残った金曜日だったが、誰にも引き留められず定時に上がれた。
マンションまで徒歩で二十分程度なのに、今日は異様に遠く感じた。途中でタクシーを拾おうかと思うくらい歩くのが辛かった。
なんとかマンションまで帰り着いたが、集合ポストの前で手が止まった。
「なにか入っていたりする?」
脅迫状の類いが入っていたりしないだろうか。
部屋番号三一五と五一五の数を交互に見詰めた。
ガーッという自動ドアが開く音がしただけでビクッと肩が跳ね上がる。
心臓がオーバーヒート寸前の勢いでバクバクと拍動していた。
あまりに長く立ち尽くしていると不審者だ。
重たい腕をなんとか持ち上げ、震える指でポストをソッと開いた。
「……ない」
ピザや寿司のチラシだけだった。重たい溜め息を吐きながらエレベーターの前に立つ。
「!」
五階のランプが点いた。
それが四、三、二、と順に点く。
(サイモンさんが出てきたら?)
ふ、と頭に浮かんだ可能性に体がクルリと反転した。
大急ぎで階段を駆け上がる。
タンタンタンタンッ!
自分でも驚く速さで階段を登った。あっという間に息が上がり、三階に着いたときには酸欠状態だった。
「もうっ……、ほんとうにっ、いや!」
部屋に入って鍵を掛けると、足腰から力が抜けた。
玄関に座り込み、そのままドアにもたれかかって目を閉じた。
全然眠れていない上に、とんでもない事態だ。
しかも「かもしれない」ばかりで、確定した情報がないから困る。
「もう、なんで誤配なんか……」
配達員に会ったら恨み辛みを延々と聞かせてやりたい。
泣きたいし、怒りたいし、そこらにある物を手当たり次第投げたい気分だ。
しかし睡眠不足で全身が鉛のように重く、だるくて仕方が無い。
「……」
しばらくの間、放心状態で座り込んでいた。
どれくらい経っただろう――。
「ここで恨み言呟いても……なにも進展しませんね」
今できることはなんだろう――。
寝不足で働かない頭をなんとか使い、解決策を考える。
「……行く? それとも電話?」
五一五に出向くのがいいか、電話をかける方がいいか。
幸い会社から貸与されているスマホには全職員の連絡先が登録されている。
「……電話の方がいいかな」
面と向かって「返してください」と言う勇気は無かった。
電話も嫌だが、どちらかと言えば、まだ電話の方がいい。
鞄からスマホを取り出した。
スイッと指を動かして「士門」を検索した。珍しい苗字なのですぐに情シス・士門将満が出てきた。
「……」
軽くタップすれば電話がかかる。
でも、なんと言えばいい?
「誤配されてませんかって聞くだけ……」
いや、さっきのビデオ通話画面ではおもちゃが見えた。十中八九、開封されている。
「中身……アレだって知られていたら……」
背筋に氷柱が刺さったような感覚に襲われた。
箱の中には、直ぐに自慰が始められるセットが入っている。
DVDを見られたら性癖までばれてしまう。
「変態扱いされて当然ですよね」
嫌な記憶がまざまざとよみがえった。
独りよがりの変態人でなし!
大学生の時、恋人だった男にそう激しく罵られた。
彼はバイト先の先輩だった。
バイト中の彼はとてもかっこ良かった。
ミスをしても責めることなくサッとフォローに入ってくれて「間違う仕組みが悪いよ」なんて言いながら改善策を考えてくれる人だった。
そんな彼に告白された時は正直、驚いた。
何人もの女性から好意を寄せられているのは知っていたし、まさか同じ性的指向だとは思ってもみなかった。
付き合い始めてすぐ体を求められたが、若いこともあって不思議に思うことはなかった。
しかし――。
「夜デートできないって辛いよね?」
付き合いが悪いと心底がっかりした様子で言われてしまった。
「実は……」
ロングスリーパー――。
二十一時には就寝し、翌朝七時に起きるという生活でないと体調を崩してしまう。
大学の授業は一限目から可能な限り全て登録していたし、夕方から数時間はアルバイト。
夜のデートで深夜まで一緒に居るということは難しい、と説明した。
怪訝そうな顔をしたものの、彼は最初は理解を示してくれた。
しかし、一ヶ月後には目に見えて不機嫌になった。
「俺のこと大事に思ってもらえないんだ」
残念そうな言葉は、徐々に責める内容に変わり、三ヶ月後には「蔑ろにするのもいい加減にしろ!」という怒号に変わった。
頑張って夜のデートをしたことはあったが、強烈な眠気に襲われて彼に集中できなかったし、寝不足になると頭痛やだるさで表情が曇り、不機嫌な顔に見えて不評を買った。
そして、浮気を疑われてアパートの部屋に乗り込まれた時に、事件が起こった。
性癖がばれたのだ。
「なんなんだよ、これ!」
枕の下に忍ばせていた自慰用のディルドが見つかってしまった。
しかもタイプが異なる物三本だ。恥ずかしくて堪らず言葉も失って立ち尽くすことしかできなかった。
「夜寝ないと無理って俺を拒否しといて、独りでオナ三昧? なんだよ! 俺は役立たずで玩具の方が好いってことか? 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「そ、そういう訳じゃなくて……」
決して彼が役立たずなんて思っていなかったし、夜を共にできないことは申し訳なく思っていた。玩具は性欲を自分で解消するためのグッズだったが、説明する暇を与えてもらえなかった。
「色狂い! 人でなし! 俺を役立たず扱いして馬鹿にしやがって!」
頭に血が登った彼はバイトの時とは全く違う顔だった。
服を引き裂かれ、殴られてベッドに押し倒された後、ディルドを無理矢理ねじ込まれた。
悲鳴を上げながら謝ったが、自慰を強要され、暴力でしかない責めで泣かされた。
ことの最中、カメラを向けられ酷い姿を撮影された事はトラウマだ。
この件以降、恋人同士でなくなってしまった。
ことある毎に撮られた動画を見せられ「俺を拒否して遊ぶ変態」と罵られ、金を毟り取られた。
まさに地獄だった。
誰にも相談できなくて絶望しかなかったが、突然、彼からの連絡が途絶えた。
バイト先からも居なくなり、驚くほど簡単に平穏が訪れた。
風の噂で、実家が太い女性と結婚したと聞いた。里斗と付き合っている時から複数の女性と関係を持っていて、そのうちの一人を選んだらしい。
夜の関係を持てないと相手を蔑ろにしていると責められる――。
万が一、自慰のことを知られたら、ナニをされるか分からない。
弱みを握られたら、奴隷も同然。
犯され願望なんて変態!
ディルドとっかえて乱交パーティなんて、さすが色狂い!
軽蔑しきった視線と罵声を浴びせられ、金蔓扱いされる。
もう何年も前のことで、最近は思い出すこともなく静かな日々だったというのに、鮮明に記憶がよみがえってしまった。
「嫌……、あんな風に見られるのは絶対に嫌」
体が震えた。
軽蔑されない訳がない。
会社の心臓部とも言える経理課で涼しい顔して働いている里斗が、実は独りせっせと自慰に勤しんでいるなんて、士門はどう受け止めただろう。
「……」
手が震え、スマホを落としそうになった。
慌ててスマホを握り直したが、その拍子に電源ボタン画面を押してしまい、画面が消えた。
「どうしたらいい……?」
解決を望むどころか、考えること自体が嫌になってしまう。
そのまま玄関から立ち上がれなくなってしまった。
もし、このとき勇気を出して外へ出ていれば、事態は少し前進していたかもしれない。
実は、エレベーターホールに見上げる体躯の大柄な男が一人立っていて、一歩踏み出しては戻る、という動作を繰り返していた。
「あ~、いや、でも……」
酷く迷っていた男はブツブツと呟いていたが、エレベーターが上がってくるのを見て焦った表情になった後、人目を避けるようにそそくさと去って行ったのだった。
ともだちにシェアしよう!

