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第3話

 金曜日はそのまま玄関先で寝落ちしてしまった。  睡眠の質は最低だし体中が軋む上、変に体が冷えたのか、風邪ような症状が出てしまった。  なにもできない土日を過ごし、配達業者からの連絡も無く、まったく進展のないまま月曜日を迎えた。 「いつにも増して最悪な月曜日です……」  日に日に心身の状態が悪化している。  頭痛薬と化粧、そしてエナドリで体調不良を隠してオフィスに入った。 「おはようございます」 「主任、まだ顔青いですよ。大丈夫ですか?」  部下達に朝から心配されるなんてまだまだ未熟だ。  申し訳なさで頭を繰り返し下げてしまう。 「大丈夫です。心配かけてすみません」 「そういえば、主任も行くんですよね? 週末の社員旅行」 「旅行? あぁ、はい。行きますよ」 「温泉で疲れが取れるといいですね」  この会社は年に一度、一泊二日の社員旅行がある。  参加は自由。金曜日の昼にバスで出発し、温泉でゆっくり過ごすのが恒例だ。 (そうでした……。週末に行くんだった……)  毎年同じ旅館にお世話になっており、枕も布団も寝心地の良いことが分かっている。  到着してすぐ温泉に入り、夕食をゆっくりと楽しんだ後、もう一度温泉に浸かってから就寝と決めている。  あの旅館なら、ここ数日間の睡眠不足からくる体調不良を改善させられるだろうか。 (……いえ、問題は解決しないですね)  一瞬、心が躍りそうになったが現実に気付いてしまって曖昧な笑みを作ることしかできなかった。今年は楽しむどころの騒ぎではない。 (最悪ですね……)  げんなりしながら自分のデスクに着いた。  朝礼を終えて仕事を始めた時だった。  廊下の方が賑やかになった。複数の人達が慌てた様子でなにかを言い合っている。  なんだろう、と思いながらも仕事を続けていると、パタパタという足音が近付いてきた。 「土門主任! 助けてください!」  秘書課の女性だった。  半泣きどころか、本当に泣いているのではと思うくらい悲壮感漂う顔で手招きしている。 「どうしたんですか?」  部下に「少し抜けます」と声をかけてから席を立った。  廊下に出るとギュッと腕を引かれた。そのまま秘書室へ連行されてしまう。そしてきれいに整頓されたデスクに座らされる。 「週末の社員旅行、駄目になりそうです!」 「どういうことですか?」  社員旅行は社長が懇意にしている旅館にお願いしている。若い頃からのお付き合いらしいが、それが駄目とはどういうことだろう。 「駄目って、バスですか? 旅館が駄目?」 「旅館です! 設備が壊れて復旧のめどが立たないって!」 「そうなんですね。でしたら近くの旅館でどこか……」  どこか、と言っても数日後に四十人以上の団体を飲み放題食事付きで受け入れてくれるところがあるだろうか。しかも、今は十月の繁忙期だ。 「空きがないって断られ続けてるんです。どこか良いところないですか? 過去の出張なんかで良いところ行った履歴ないですか? こう、皆が楽しめる大丈夫そうなところ、教えてください!」 「あ、いえ、その……社員の出張で温泉なんて……」  履歴から今すぐ代替案を! と言われても困ってしまう。  出張で利用するのは安いビジネスホテルだ。  社長や専務などの方が良い所を知っているように思う。 「早くしないと時間がなくなっちゃいますしっ!」  秘書達が悲壮感に満ちた顔で見詰めてくるが、早くと言うのは無茶だ。 (バス会社は最悪前日でもルート変更の相談はできるでしょうけど……。でも、目的地が決まらないと変更もできませんよね。あぁ、こういうのは旅行会社に任せていれば……) 「明後日までに、どこか……」  経費計算のための書類は最悪終了後でも可能だ。  ただ、予算があるし、社員旅行二日目の観光場所の情報集めも必要だ。  社長や専務はゴルフを希望しているのでゴルフ場を探して予約し、足も確保しなければならない。一緒にコースを回るご友人の連絡・手配も必要だ。予約手続きは秘書がやるだろうが、事前決済は経理の仕事だった。 「どうしましょう!」  前代未聞の出来事に秘書二人はうろたえるばかりだ。  力を貸してくれ、と言われても、休日は部屋から出ない派だ。良い代案を出せる訳もない。  連れて来られたものの、途方に暮れているとトントンと部屋のドアがノックされた。 「は~い」  秘書の一人が返事をしながらも「今は来客どころではないのに!」という表情でドアを開けた。 「あれ? サイモンさん?」 「おう。社長居るかい?」  大柄な男、サイモンが入って来た。  手に紙袋を持っている。それを見た瞬間、視界が真っ赤になった。  顔が熱くなり、全身から火を噴いているような錯覚を覚えた。  息が苦しくなるくらい心臓が激しく拍動している。 (在宅ワークの情シスがわざわざ出社してきて社長に用? あの紙袋、何が入って……)  変な汗が出て来た。  まさかとは思うが「会社に不適切な従業員が居る」と報告するのか? (会社のPCでそういうサイトを見たりグッズを買ったりしている訳じゃないですし……)  当然だが、グッズは個人のPCで閲覧して購入している。  通販サイトも大手のもので、国内に実店舗を構えた店を選び、必ず正規品を買っている。いわゆる海賊版などには手を出していない。 (個人携帯もウイルス感染なんかしてないと思いますし、情シスに危険って思われることはないと……。いえ、でも、専務がトラブルを起こしたばかり。そういう話に敏感になっているとか?)  なんだか、全てが誤配に繋がって行ってしまう。完全に頭が変になっていた。 「お? 主任が居るのか」  サイモンの声はいつもどおり低くて耳に心地良いし、軽やかな感じもいい。  ヒラヒラッと手を振ってくるサイモンにぎこちない笑みを向けて会釈する。  手を振り返る余裕はなかった。 「そうだ! サイモンさんはいいところ知りませんか?」  秘書達が社長室へ行こうとするサイモンを引っ張ってきて二人で挟んで質問攻めにし始めた。 「今から四十人行ける温泉!」 「みんなが自由行動で楽しめる施設がある観光地の温泉で、ゴルフ場も近くて、融通が利いて、大型バスを止められる温泉!」 「おいおい、条件多いなぁ」 「いつもの旅館が設備の不具合で営業休止になっちゃったんですよ!」  秘書達は一斉にまくし立てた。サイモンは拒絶もせず、話を聞いている。 「嘘だろ! 行くの金曜だろ?」 「そうなんです! だから困ってるんです!」 「どこか無いですか? バスの中で配るビールもジュースもお菓子もビンゴゲームの景品も買ってあるし、バスのキャンセル料もかかるんです!」  秘書二人がパニックなんて珍しい。  社長と専務が騒いでいないところを見ると、まだ報告していないようだ。  代案を持って報告に行く算段なのだろう。 「どうしよう!」  泣きそうな顔の二人を改めて見たサイモンが視線をこちらに向けた。  まっすぐデスクに向かってくる。 「主任、ちょっと立ってもらっていいか?」 「あ、はい」  間近で見ると本当に大きい。壁が迫ってくる感じだ。  ニッと笑みを浮かべているのが見えた。悪戯を思いついた男児のような笑みに見えてしまって肝が冷える。思わず拳を握り締めながら横に避けた。 「ちょっとPC借りるぞ」  サイモンがデスクの端に紙袋を置いた。  無造作に置かれた紙袋は無地で、それほど重さはなさそうだ。 (中身!)  二、三歩前に出て背伸びすれば中身が見えるかもしれない。 (あの黒と金の箱が入ってたり……)  いや、入っていたとしてどうする? 紙袋を取って部屋から出る? (そんなことはできません。……でも、あの、自分に関係ない物って分かればそれで心が守られるから……)  なんだかよく分からない言い訳をしながら、チラチラと紙袋に視線を向けた。  気付かれないようにジリッとにじり寄っていく。  あと少し……。もう一歩行けば見えるかも……。 「あ~、主任主任」 「え、あ、はい?」  サイモンに手招きされた。  残念だ。紙袋の中身は後少しで見えなかった。  やきもきしながらサイモンを見た。警戒心が顔に出そうになるのを感じながら一歩前に出た時だった。 「!」  サイモンが座るオフィスチェアがクルッと回転した。  向かい合ったサイモンに胴を捕まれ、そのまま軽々と持ち上げられて膝に座らされた。 「は、はい?」  変な声が出た。  在宅ワークをするお父さんの膝に抱かれてPCを覗き込む子どもの図だ。  チェアが動き、デスクとサイモンの体に挟まれてしまう。  温かく、意外に柔らかい胸板が背中に密着していた。 「あ、あああの、なにを?」  抱きしめられたも同然の状況に、軽いパニックだ。  人肌が嬉しいようで、突然の温もりが恥ずかしくもあり、あたふたしてしまう。  肩越しに見上げながら尋ねると、サイモンが顔を近付けてきた。  頬に顎や唇が触れる距離まで躊躇無く詰めてくるなんてびっくりしてしまう。 「紙袋、取って」  囁くような声だった。  ビクッと肩が震えた。  震えが全身に広がっていく。おそらくサイモンも感じ取っているだろう。膝の上だし背中が密着する状態なのだ。 (やっぱり……誤配確定ですね)  一体、なにを求められるのだろう。  元彼のようにコレをネタに負のスパイラルに陥って行くことになるのだろうか。 「……」  ギクシャクしながら手を伸ばし、紙袋の端を掴んでゆっくりと引き寄せた。 「サンキュー」  礼を言ったサイモンの腕が動く。今日も紺のシャツが限界まで張り詰めていた。  手首のところのボタンは止まらないのだろう。袖がまくり上げられていて筋肉の筋や血管が浮き上がった腕が露わになっている。手首の数珠がなんともおしゃれだ。  間近で見る逞しい体躯――。  里斗は男性の腕が好きだが、萌えている余裕なんてなかった。  ゴクッと喉が鳴ってしまう。  逞しい腕が動き、長くて無骨な指がガサガサと紙袋をあさって中身を掴んだ。 (こ、ここで出すんですか!)  ヒィッと悲鳴が喉まで出かかった。サイモンの手から目が離せない。 「土門主任、大丈夫ですか?」 「顔が真っ青ですよ」  秘書二人が傍へ駆け寄って来る。 (こ、来ないでください!)  頭脳も容姿も平均をはるかに上回る二人の秘書に見られたら、もう生きていけない。  羞恥と絶望で唇まで青くしていると、サイモンにギュッと抱きしめられてしまった。 (に、逃がさないってことですか……)  逃れられない地獄が始まる――。  死よりも辛いかもしれない、なんて思っていると、紙袋の中身がデスクに広げられた。 「!」 「それって!」  秘書二人が興奮気味に声を上げた。 「タブレット最新機種。社長指示で買ってきた奴。初期設定はほぼ終わってて、あとは同期設定なんかをやれば使える」 「すごい! もしかして最上位機種ですか!」 「そりゃ、新しい物好きの社長だからなぁ。ゴルフで使えるアプリを幾つか入れて設定しといてくれってコッソリ言われてんだわ」 「また! そうやって遊ぶアプリばっかり入れて!」 「あ、ヤベ。秘書には秘密って言われてたわ」  アハハハハと明るい笑い声が部屋に響いた。 (……なんだ……。タブレットですか……)  緊張の糸が音を立てて切れた。  心底ホッとして涙が出そうだ。  いや、冷静に考えると例えサイモンの部屋に誤配されていたとしても、それを持って社長に会いに来るなんてあり得ない。 (私、動揺しすぎで頭おかしくなってますね)  ふぅ、と溜め息を吐いているとサイモンに両手で優しく抱きしめられた。  こめかみ辺りに頬擦りされる。  包み込まれる感じと人肌の温もりが信じられない速さで体にしみこんでくる。 「体震えてる。手も冷たいし、風邪か?」 「い、いえ! だだ大丈夫です!」 「ちょっと寝た方がいいかもな?」 「大丈夫ですから! あの、その、なんで私はここに?」 「……本当に大丈夫か?」 「はい、大丈夫です。仕事はちゃんとこなします」  キリッと表情を引き締めて言うと、しばらく無言で目を覗き込まれてしまった。 (近い近い近い近いっ!)  シャツの上からでも筋肉の隆起が見えるほど逞しい大柄な男性が好きだ。  その好きの塊に職場で抱きしめられるなんて、ある意味拷問だった。 「なぁ、温かいスープとかねぇか? 腹に優しくて体が温まるやつ」 「ありますよ。専務が二日酔いの時に飲む和漢スープ!」 「ひとつ頼むわ。主任に飲ませてから旅館の手配やるぞ」 「旅館?」  話が勝手に進んでいく。  事態の打開に繋がるなら、と秘書達が身を翻した。  棚から思ったよりも立派なレトルトスープが出て来て驚いてしまう。 「あの……ちょっと、私は……」 「主任、飲んでください! これ飲んで温まって脳みそフル回転でお願いします!」  社員旅行が実現するなら、なんでもします!  そんな秘書達を止めることなんてできるだろうか。  里斗はサイモンの膝の上に座ったまま、静かに事の成り行きを見守るのだった。 「……いただきます」  和漢と言われて身構えたものの、準備されたのは思ったよりも香りが良く、透き通ったスープだった。そっと口を付けているとサイモンが手を動かし始めた。 「旅館に心当たりがあるんだわ。そこがOKだったら手配だの経費の手続きだの、必要な手続き頼むわ。そのスープ飲んで体温めてからな」 「は、はい」 「タブレットの設定しながら、旅館のこと知り合いに聞いてみる。状況説明が面倒だから、俺の話聞きながら手続き進めていってくれるか?」 「わ、分かりました。旅行の手続き、全部変更していきますね」 「おう。頼んだ」  サイモンが最新型のタブレットと既存のタブレット、秘書のノートPCの三つを同時に操作し始めた。  どうやら社長が入れろといっていたアプリのインストールなどをやっているようだ。  そうしながら自分のスマホで誰かと連絡を取っている。マルチタスクもいいところだ。 「久しぶりだな。調子はどうだ?」  随分と親しそうに喋る相手は旅館の経営者らしい。  里斗は、スープを飲みながら頭の上で交わされる会話に耳を傾けた。  しばらく話を聞いていると、詳細は分からないが受け入れてもらえることになりそうだった。 「飯? あ~、食材かぁ。お! それなら商工会の会長に連絡してみる。釣り好きなんだわ。しょっちゅう海釣り行った写真送ってくる。いい魚の情報貰えると思うぞ」  トントン拍子で話が進んでいく。 (サイモンさんって、人脈が広い人なんですね)  部屋に籠もりっきりの自分とは大違いだ。  そんなことを思っていると、PCで地図を開き、ココ、と指さしてきた。  旅館の場所を教えてくれる。 (この抱っこは……同じPC触って説明の手間を省きたいってことですか)  合理的なのか、面倒くさがり屋なのか。はたまた両方か。  抱っこの善し悪しは別として、リアルタイムで情報を共有できると仕事は早い。  新しい旅館の周辺には、ゴルフ場はもちろん、観光施設や買い物スポットもあった。 (良い場所をご存じですね)  ここなら皆の希望が叶いそうだ。  そう思いながら、必要な変更手続きを開始した。 (それにしてもサイモンさん、脳みそ何個あるんでしょうね? タブレット設定しながら電話で喋って、PCで情報を伝えてくるって信じられないです)  サイモンの仕事振りに感心しつつも、頭の上から「ココ」「こっち」と指示が降ってくるのが楽しくて堪らない。  息を感じる距離で共同作業ができるなんて、くすぐったさと嬉しさで胸が弾んでしまう。  しかし、同時になんとも言い表せない不満も湧いてきた。 (こんなこと……、誰にでもするタイプ?)  大して近しい仲でもない相手を膝に抱き、頬擦りしたり抱きしめたりしながら仕事をするのは普通じゃない。そういうことを躊躇なくやれてしまう部類の人なのだろうか。 (そんな軽い人だとは思いたくないです)  ギュッと胸が締め付けられる思いがした。  しかし、実際、ピラッとレシートを寄越して「後はよろしく」なんてこともやった人だ。  あまり深く考えずに行動するタイプにも見える。 (しごデキ系だけど凄くテキトーな所もあるし……距離感おかしいし……)  悶々としているうちに新たな旅館が確定した。  近くのゴルフ場もプレイ可能と確認が取れ、秘書達が晴れやかな顔で社長と専務に連絡を入れる。変更作業はスムーズに進んだ。 「変更しましたが……、ほぼ同じ金額で行けそうです。有料道路代が安くなって、駐車場代も無料なので安く上がるかもしれません」 「ラッキーだな。俺も久々に友だちの声が聞けて良かった」 「ご友人の旅館なんですね」  言いながら妙に相手が気になった。  旅館を経営している友人とはどんな人だろう。  若女将か、それとも都会などでの経験を活かそうと奮闘するIターンやUターンのキャリア系女子か。そういうバイタリティ溢れる女性は魅力的に見えるだろう。 (私とは大違い……)  比較にもならない、と思ってしまう。  そんな風に思っているなど気付きもしないサイモンはニッと笑みを浮かべながら返事をしてくれた。 「親が辞めた旅館を継いでやり直すっていう気合いが入った奴が居てなぁ。経営の勉強から従業員の教育まで一からやって、そろそろ再オープンしたいって言ってたんだわ」 「では、オープン前に貸切で?」 「プレオープンのための最終チェックを手伝う感じ? 『ひとつでも失敗があったら教育訓練やり直し!』って気合い入れてもてなしてくれるってよ」 「それは従業員の皆さん、すごいプレッシャーですね」 「だろうな。でも、大丈夫だって信じてりゃ大丈夫になる」  そう言った時、偶然だろうがサイモンの左手首で数珠がチャリ、と鳴った。  改めて見るが、ひとつひとつの玉が立派な数珠だ。本職の人が持つような物に見える。  視線に気付いたのか、サイモンが数珠の位置を直すように撫でた。 「お守りですか?」 「まぁ、そんなとこだな。トラブルとかエラーがちょっとでも減りゃ良いかな、ってな」  理系で数字を操る部門の人が、神頼みのような面を持ち合わせているとは面白い。  へぇ、と頷きながら数珠を視線で追う。 「オニキスは厄除けで有名なんだと。男性用は大きい数珠がいいって言われて付けてる」 「自分のためじゃ無くて会社とか誰かのために付けるなんて、かっこいいですね」 「を? マジ? かっこいい? 古臭いとか爺臭いとか思わねぇ?」  サイモンの声のトーンが上がった。本気で嬉しかったのだろう。子どもっぽさと素直さが垣間見られた気がした。そういうところがキュンとくる。 「褒められたの久々だなぁ。へへへ」  照れくさそうにしながらも「嬉しいなぁ」ともう一度呟いているから本音だろう。 (なんだか、ちょっとかわいいかも)  そんなことを思いながら社内システムからログアウトしているとサイモンが「よし」とかけ声を口にした。 「旅行のトラブルも回避できたし、社長のタブレットも準備できたから、俺ぁ帰るわ」  う~ん、と伸びをしたサイモンの言葉でハッと我に返った。いつまで膝の上に座っているのだろう。慌てて立ち上がろうとしたが、ギュッとバックハグで阻止される。 「主任は旅行参加すんの?」 「へっ? あ、はい。毎年……行かせていただいています」 「じゃ、俺も行こ。アイツの顔も久々に拝みたいしな」  決めた、と言ったサイモンに抱っこで立たされた。  完全な子ども扱いだ、と思いつつも「友人に会いたい」という言葉が胸に刺さった。  妙に関係性が気になってしまう。  気になっている人か、それとも実は過去に好い仲だった人か。  一人で妙なわだかまりを抱えていると、秘書二人が駆け寄ってきた。 「ありがとうございました!」 「おう、またな」  何度もお礼を言う秘書に見送られ、悠々と歩くサイモンに肩を抱かれてエレベーターホールに向かう。 (体が密着したままエレベーター?)  緊張しつつも嬉しくもある。  だが、旅館の友人の関係が気になって心が落ち着かない。  エレベーターに乗ったサイモンは自分のスマホを操作していて、何を考えているか分からなかった。 (私が行くから旅行に参加する? 友だちに会いたくて参加? 誤配は……。あ~! 一体、なにを考えているんですか?)  人の本心を見抜ける眼力が欲しい。  そうすれば、どんな行動が正解なのか悩まずに済むのに……。 (そんなのあり得ないですけど)  悶々としながら光る数字を見た。  距離を縮めたいが、深入りしない方がいいようにも思う。恋愛に失敗した過去が止めておけ、と言っている。  ただ、誤配の件は解決させたい。  でも、刺激的なマッチョと仲が進展したら……。そんなことを思ってしまう自分も居る。 (ん~……、辛いです!)  なにもできず、踏み出す勇気もない自分が情けなかった。 「あ~、眠いわ」  伸びをしながらサイモンが言った。 「夜のメンテナンスお疲れ様です」 「はは。夜行性だからやっぱ朝は辛い」  その言葉に、改めて「距離を縮めることはない」と自分に言い聞かせる。  生活リズムが合わない人とは恋人になるべきでないのだ。  自分に言い聞かせているとエレベーターが止まった。さぁ、仕事だ、と踏み出そうとした時だった。 「旅行、同室楽しみにしてる」  不意打ちだった。  囁きとキスが耳を打った。反射的に耳を押さえ、横を見た。  しかし、グイッとエレベーターから押し出されてドアを閉められてしまった。 「ど、同室?」  なぜ、決まっている?  そう尋ねようにも、ドアは閉まった。  状況が全く把握できなくて、つくねんと立ち尽くすことしかできなかった。

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