7 / 7

第7話

 尾行を考慮して、頭上に洗濯物がはためく路地で下ろしてもらう。  背後を警戒しつつアパルトマンに飛び込むなり、秀一郎は暖炉も灯さず寝室へ直行した。  真丹風の囲いつき寝台の天蓋をめくり、瑠唯を腰掛けさせる。自分は瑠唯の膝の前に跪く。 「えっと、聞き出した方法は……」  見上げてくる視線が熱っぽく、瑠唯はたじろいた。施設地下で発情期のオメガに中てられたのではないかと疑う。訓練したとて、完璧に律せられるものではないだろう。 「方法はね。想い合うオメガとアルファが、情を交わす。そして達するときに、アルファがオメガの左手薬指の付け根を噛む」  秀一郎は瑠唯の疑念を晴らすかのように、落ち着いた声色で共有してくれる。瑠唯の手に手を重ねて。 「薬指の付け根を、噛む?」  口調は重々しいが、内容は突飛だ。半信半疑で訊き返す。 「眉唾かな? でも、他の『任務』のときと違ったのはそれしかないそうだ。心臓は左胸にあるのだし、フェニックスに関わる器官が左手指にあってもおかしくはないよ」 「まあ、そう言われれば」  発情したときいつも指先が痺れるのも、関係あるのかもしれない。  仕組みは謎だが、少しでもフェロモンが消える可能性があるなら、試すほかない。  身の振り方を考えるのはその後だ。フェロモンが消えたかどうかで、取れる行動も変わってくる。 (情交なんてはじめてだけど、秀一郎さんとだったら。旦那さま、だもんな)  じゃあ、と情緒なく寝台に乗り上げようとした瑠唯を、秀一郎が手に力を込めて制止した。  小窓ひとつきりで薄暗くともきらめく双眸に、とらわれる。 「瑠唯。今から君を抱くのは、自由に歌えるようにしてやりたいのもあるが、君をたまらなく愛しているからだよ。途中でやっぱり嫌だと思ったら、他の方法を探そう。ね?」  「任務」を垣間見た直後なのもあってが、秀一郎はこの期に及んで瑠唯を尊重してくれるらしい。  触れ合う指先が、じゅわりと痺れる。面と向かって愛していると言われた。  嫌なはずがない。むしろ……。 「秀一郎さんこそ、痩せっぽちの僕を抱いても楽しくないだろうけど」 「それはない。聞こえなかったかな? たまらなく愛しているよ。君が可愛くって仕方ない」 「わか……わかった、」  瑠唯は早くも降参した。この調子では心臓が持たない。  秀一郎は「よかった」とやっと隣に座る。寒風に晒された瑠唯の頬を撫で、茶毛を梳く。  これは愛撫の手つきだったのかと気づいたところで、口づけられた。 「ふ、ぅ」  ぎゅっと目を瞑る。今月はもう月初に発情期が済んだから、素面みたいなものだ。  秀一郎は、一回唇をついばんだら、一つ上衣の紐留め釦を外す。身体を触るのも、まず肌着の上から撫で回し、温まったら肌着の下にもぐり込み、と進め方が丁寧過ぎる。 (秀一郎さんて、サヴァランに乗った苺を、最後まで食べずに取っとく派か?)  却って些細な刺激もこそばゆい。つま先をもにもに動かしてやり過ごす。  それでも、胸の突起に指先が掛かる頃にはずいぶん敏感になってしまい、「ひゃん」と自分とは思えない甘え声が出た。大きな男の手でも、秀一郎の手は特別だ。 「瑠唯は、ここをこうやって触られるのが好き?」 「ん、ぁ……知らな、ぅひゃ、触られたことなんか、ないし……っ」  乳首を摘まんだり、引っ掻いたり、押し潰したりされる。また声が出る。 「それはいい。まさに初夜だね。おれが一から十まで教えてあげよう」  聞き苦しいかと思いきや、秀一郎は嬉しそうに喉を鳴らした。  再び唇を塞がれる。今度はじっくりと咥内を検分された。上顎のくぼみや糸切り歯の先端をつつかれ、つい腰が逃げる。他人の舌が口の中を這うのは何とも言えない感触だ。 「嫌だった?」 「ノン。何か変な感じで……もっかい、したい」  何とも言えなくて、後を引く。素直に伝えれば、秀一郎は息だけで笑った。  舌を割り込ませてくる。さっきより性急で、瑠唯は口を大きく開けておくしかできない。 「む……、秀一郎、さ……ぁ、っ」  そのうちに、指先のみならず腰の奥にも甘い痺れが湧いた。発情期のときと同じ感覚だ。 「瑠唯。いい香りがしてきたよ。たっぷり蜂蜜を混ぜたオ・レ(ミルク)みたいな」 「なん……っ、今月の発情期は、終わったのに、」  秀一郎にもばれている。気恥ずかしくて下を向いた。これからもっと恥ずかしいことをするとはいえ、それはそれだ。 (秀一郎さんは、余裕だな) 「施設で話した彼も、薬指を噛んだアルファに愛撫されると、周期でなくとも発情するそうだ」  秀一郎はそう言って、瑠唯の首筋に吸いついた。  高い声が出る。触られて発情するなんてはじめてだ。はしたない気がするが、フェロモンを消す上では幸先がいい、のか?  戸惑う間にも、手品のごとく服を脱がされ、上半身のあちこちを食まれる。 「あっ、あ……そこも、食べる、の」  姿勢を保っていられなくなり、自ら仰向けに転がった。秀一郎も追ってきて、寝台に四つん這いになる。  思えばこの一週間、ひとつの寝台でよく呑気に眠れたものだ。  いよいよ下衣に手が伸びてくる。瑠唯は絹の敷布から少し腰を浮かせた。  しかし瑠唯の脚の間に陣取った秀一郎は、なぜか手を離してしまい、前髪を掻き乱す。 「あまり無防備なことをしないでくれるかな。一目見たとき、いや、一声聴いたときから、君をおれの腕の中で歌わせてみたかったんだから」 「へっ?」  さらりと雄っぽい告白をする顔はほんのり上気し、呼吸も早い。  秀一郎も、発情している。それでいて抑え込んでいる。 (そっか。秀一郎さんは、怖いんだ。理性を失くしてオメガを貪るのが)  彼はアルファの特性が表れたばかりの頃、二度も不本意にオメガを襲いかけた。オメガを恐怖に陥れたのを悔い、十年以上自分を戒めてきたに違いない。  その縛りからも、解放してあげよう。 「好きに、歌わせていいよ。秀一郎さんにされることは、ぜんぶ嬉しいから」  両手を伸ばし、秀一郎の頬を包み込む。 「……君ほど愛を歌える歌手を、おれは知らない」  秀一郎は目を瞬かせたのち、噛みつくように口づけてきた。  瑠唯はちゃんと届いた充足感ごと、その広い背中を抱き留める。 「はっ、ぁ……、……んん、~っ!」  下着も靴下も全部取り払われた。秀一郎の手と唇に、すみずみまで触られたい。  と思うと、秀一郎が上体を起こし、露わになった瑠唯の肌をじっと見下ろす。 「可愛い」  色素が薄く肉のつきにくい、男としては貧相な身体を、褒められる。秀一郎が気に入ってくれるなら、この見目も誇らしい。 「秀一郎さんも、脱いでよ」  とはいえひたひたに甘やかされるのはまだ慣れず、照れ隠しで注文を出す。彼は三つ揃えの上着すら手放していない。不公平だ。  秀一郎は「そうだね」と脱衣し始めた。ゆっくり、瑠唯に見せつけるかのごとく。まるでストリップ・ショウで、目が離せない。  彼の体型に合わせて仕立てられた上着とジレ。拳銃のホルスタア。ネクタイ、シャツ。  脱いでいっているはずなのに、腕も胸板も腿も、筋肉がぱんと張って存在感を示す。 (着痩せする質(たち)とか、聞いてない……)  それでいて締まるべき部位は引き締まっている。ほう、と見惚れた。 「あっ?」  下着一枚になったところで、秀一郎が不意打ちで瑠唯の局部に鼻を摺り寄せてくる。 「ここがいちばん、愛の匂いが濃い」 「ふあぁ……!」  それだけで瑠唯は喘いだ。男の性器でなく、その下の後腔――オメガの性器がずきずき脈打つ。  二十年の人生で一度も、性感帯として意識しなかったそこに、秀一郎が欲しい。 「おかげで、おれもこのとおりだよ」  瑠唯の情欲を見透かした秀一郎が、瑠唯の手を取る。布越しに触らせてくれた性器は、はっきり形を変えていた。瑠唯の腹奥を存分に突き上げられる形に。  柔和な秀一郎に似つかわしくなく、凶悪だ。 「大(お)っき……」 「ふふ。これがアルファだ。だから、ほぐそうね」  秀一郎が妖艶に微笑み、瑠唯の膝を抱える。左右に大きく開かせた。  局部を隠すものがない体勢だ。全身の肌がみるみる朱に染まる。  羞恥心と、同じくらいの期待によって。 「わっ、そんなとこ、だめ、」  口だけの制止は、もちろん聞いてもらえない。屈んだ秀一郎が瑠唯の後腔にちゅっと口づけた。皮膚が薄い部分なせいか、ひときわくすぐったい。  秀一郎の舌は、縁を食んだのち、内部へと侵入してきた。さっき瑠唯の口の中を舐め尽くしたみたいに動き回る。 「ひっ……く、ぅん……、何、これ?」  ぬちぬち水音が立つのは、秀一郎の唾液だけではない。瑠唯が、愛蜜を分泌している――? 「オメガの特性だよ。甘くて、阿片の百倍癖になりそうだ……」  秀一郎は髪型が崩れるのも構わず、瑠唯の会陰に顔を埋め続けた。陶酔したように愛蜜を啜り上げる。それでも乾く間もなく、あとからあとから溢れる。 (くすぐったいのが、気持ちよく、なってきた)  身体の内側を撫でられる未知の快楽に、瑠唯は身を捩った。オメガの体質を目の当たりにしてびっくりしたが、秀一郎が悦んでくれるならいい。  浅い箇所の内壁はすっかりふやかされた。異物が体内に入ってくる違和感を、触ってほしさが上回る。 「はぁ……ね、奥も、お願い」 「そんなおねだり、どこで覚えたのかな?」  秀一郎は、べたついた口もとを手の甲で拭い、嫉妬めいた声を出した。  瑠唯は色事の経験は皆無だと言っているのに。 「歌の、中で」  舌足らずに嘯く。もっとも、恋や愛の歌でもそこまで直接的な表現はない。  強いて言うなら、オメガとして備わっていた。それを秀一郎に引き出されたに過ぎない。 「じゃあ今夜は、おれの専属歌手になってもらわないと」  秀一郎が片眉を上げ、瑠唯がゆるむ顔を隠すのに使っていた手を、瑠唯の膝へと移動させた。自分で脚を開いて押さえる、いやらしい姿勢を取らされる。 「いい子にしておいで」  そのご褒美として、舌に替えて人差し指を後腔にくれた。  たちまち内壁がしゃぶりつくように蠢く。秀一郎が「可愛い」とつぶやく。 「あっ? ぁっ、あ……どこまで、入っちゃ、ぅ……の、~っ」  長く節ばった指に襞を押し拡げられ、さまざまな音程の声を上げる。秀一郎は特等席でそれを鑑賞しながら、空いている手を瑠唯の下腹部に当てた。 「この辺りかな?」  手のひらから電気が流れたように錯覚し、瑠唯は大きく腰を跳ねさせる。 「なに、何、今の……、ひうぅっ!」  同じ刺激を与えられ、叫ぶ。手のひらじゃない。腹の中の指のほうだ。くちゅ、くちゅ、と腹側の一点を押し上げられる度、視界に星が飛ぶ。 「瑠唯の気持ちいいところだよ。もっと奥にもある。ただ、そこは指じゃ届かないんだ」  秀一郎が覆い被さってきて、思わせぶりに囁く。  今や、耳に息が吹きかかるのすら性感として拾ってしまう。瑠唯は悩ましげに喚いた。 「じゃあ、秀一郎さんので擦ってよ、ここも、奥も、ぜんぶ……っ」  恥ずかしさは吹き飛び、もうそれしか考えられない。  秀一郎は満足げな表情で立て膝になり、自らの下着に手を掛けた。窮屈そうな前中心部は、よく見ると湿って濃い色になっている。 「おれのはこれだが、大丈夫かな」  ぶるんとお目見えした性器は、先走りでてかり、天を向いていた。手や口で愛撫してあげられていないのに、瑠唯のフェロモンと痴態のみでこんなに育ったらしい。  笠が開き、血管が浮いて見える。大きさも形も匂いも、瑠唯の未発達ぎみのそれとはまったく違う。これがアルファ――。 (銭湯でだって、ここまでのは見たことない)  ごくりと生唾を飲む。  この立派なものを咥え込ませて大丈夫かと問われれば、大丈夫ではない。オメガ以外は。  オメガの身体なら受け入れられるが、それも別の意味で大丈夫ではない。 「おれに抱かれたら、女を抱けなくなるよ。もちろん他の男では物足りまい」  性器の準備万端ぶりと裏腹に、ふーっと息を吐いて瑠唯の赦しを待つ秀一郎を見上げる。  彼以外の誰にも、この身体を与えるつもりはない。 「そんなの、今さらでしょ……旦那さま?」 「ふふ。Mon homme mimi(おれの可愛い奥さん)」  秀一郎は寂しさの欠片もない笑顔を浮かべ、瑠唯の鼠径部に手を添わせた。  男根の丸い先端が会陰をすべる。ひた、と粘膜同士が触れ合う。秀一郎が腰を押し出すとともに、ほぐしたはずの後腔をめりめり割り開かれた。 「うぁ――ッ、……っ」 「息を止めなさんな。ほら、おれに合わせて呼吸して。すう、はあ」  いつかのように呼吸を合わせる。秀一郎は肌自体も甘い匂いがした。 「はぁ、はぁ……、こんなの、食べたこと、ない、」  アルファどころか男を受け入れるのははじめてで、さすがに圧迫感がある。でも嫌じゃない。  秀一郎は性器がなじむよう、小刻みに腰を前後させる。瑠唯のまっさらな内壁に自分の形を憶え込ませているとも言える。 「踊り子みたいに脚を開ける? そう、いい子だね」 「ふあっ……、これが、う……ぁっ、秀一郎さん、の……。すご、いぃ」  まだすべて収めきっていなかった。なのに声を抑えられない。  瑠唯の涙の滲む目じりや、苺のごとく色づいた乳首、手のひらの傷痕なんかに口づけてくれていた秀一郎が、うっとりと微笑む。 「君は、声が裏返る直前に掠れる。それがとても艶っぽいよ」 「ひゃぁんっ」  意識して応えたわけではないが、声が裏返った。  さっきさんざん啼かされた内側の一点を、再び抉られたのだ。秀一郎の性器は、えらの張り方も角度も、瑠唯のいいところを擦る専用みたいだった。  つくづく、瑠唯にぴったりなものを用意できる男だ。 「約束したところ、たくさん愛してあげようね。ここも、――奥も」 「んぁあっ、そんな奥にも、いいとこ? しゅいちろ、さんのじゃなきゃ、届かないよぉ……」  腹の中が透けて見えているのかというくらい、的確に擦り上げられる。  いつしか奥も秀一郎の質量分だけ拓かれ、括れた箇所をぐぷぐぷ弾かれた。新たな快楽を憶え込まされる。どこもかしこも気持ちよくなって、我ながらオメガの素質に恐れ入る。 「そう言ったろう? もうおれの味を知る前には戻してあげられないがね……瑠唯、歌って」  角度を変え、ぐ、ぐっと体重を掛けて突き下ろされた。資源を掘るみたいに、とめどなく悦楽が噴き上がる。 「あぅ、ん……、秀一郎、さん……好、き……っ、しゅういちろ、さん、~っ」  瑠唯がつくった愛の歌の歌詞は、最愛の男の名前と彼への想い、ふたつのみだ。 「瑠唯、気持ちいいね、」  秀一郎が、瑠唯の手を顔の両側に縫い留める。しっかり指を絡め、雄々しく腰を振った。  寝台がぎしぎし軋む。冬用の天蓋の中に、秀一郎の甘い体臭がこもる。きっと瑠唯のフェロモンもだろう。 「瑠唯も腰、動いてる……可愛い」 「へ? わざとじゃ、な……ぁん」  言われてみれば、秀一郎の挿入に合わせて、大胆に骨盤を揺らめかせていた。止まらない。暖炉もなしにだいぶ汗を掻いているのは、このせいか。  打ち込まれる秀一郎の性器は、瑠唯の肌以上に熱い。 「瑠唯、かわいい、瑠唯……っ」  秀一郎は夢中で抜き挿しし、息を切らしている。  興奮して瞳孔の開いた目で、秀一郎のために歌う瑠唯を見つめる。ぱちゅぱちゅと体液が混ざり合う音に、頬をほころばせる。前髪が落ちてきても手をつないだままでいたいのか、首を振って払う。最初の余裕はなくなっていた。 (これが、発情したアルファ。よくぎりぎりまで律してのけたもんだ)  瑠唯を満たそうとする秀一郎に限り、存分に欲をぶつけてくれていい。瑠唯も、秀一郎だけは怖がらない。  互いに、互いのわだかまりを溶かす。 「……秀一郎さん、も、気持ち、い?」 「ウィ、とても。君が受け止めてくれるから、ね」  秀一郎がはっとしたように、律動の間隔を変えた。 「いいってば、我慢しないで……う、ぁ、あッ」  瑠唯の華奢な身体を案じた、だけではない。身体ごと揺らし、深くもぐり込んでくる。  最奥に響く感覚があった。  男にはない、オメガにはある――子を宿す器官だと、直感する。  そこを一途に捏ねられると、積み上がった性感が一気に弾けてしまいそうだ。 「秀一郎、さん……、しゅういちろう、さん」  シャンソンのルフラン(サビ)みたいに繰り返す。すると秀一郎が瑠唯の茶毛を掻き上げ、目を合わせてきた。 「瑠唯。達しそうになったら、教えなさい」  自分も熱い息を漏らしながら、確認する。  そうだった。追手の目を盗むように行為に耽るのには、フェロモンを消すという目的がある。  だが、ここで大きな問題に直面した。  達しそう、というのがどんな状態かわからない。今までの義務的な自己処理に照らし合わせたら、快楽の量も質も、とっくに吐精に至っている。  そもそも、今の瑠唯の状態は。 「秀一郎、さ、ぁん」 「達しそう?」 「僕、生きてる、よ、な……?」 「……急にどうしたの」  秀一郎は抽送を中断し、気遣わしげに瑠唯の顔を覗き込んできた。  瑠唯はむずかるように腰をくねらせて再開を求めつつ、申告する。 「ふわふわして、あったかくて、天国にいるみたいに……心地いい」  いつの間にか天に昇っていないか、心配になった。  それを聞いた秀一郎は、恍惚と微笑む。答えに代えて、ぱちゅんと根もとまで性器を押し込んできた。 「それは何より。もしかして、達しぱなしになってるのかな」 「あぁっ、うぁ、んん~っ!」  疲れる気配もなく腰を遣い、現実に生きて愛し合っているのだと示す。  確かに結合部はもちろん、全身が快楽に浸されている。もう達していたのか。  ちかちかと星が明滅する特設ステエジの真ん中で、秀一郎が瑠唯の左手を取った。慈しみたっぷりに唇を寄せる。  薬指を捧げれば、瑠唯のオメガのフェロモンは――。 「瑠唯。厳密には、互いにしかフェロモンが効かず発情しなくなる、という。結婚も同然だ。おれは生涯、君しか抱かないと誓うよ」 (僕だって、秀一郎さん以外にはこんな僕を見せないし、触らせない)  任務でない、本心からの求婚。秀一郎は瑠唯が頷くのを見届けてから、上品な、今は野性的な口を開け、瑠唯の左薬指の付け根を噛んだ。  少しの痛みと甘い痺れ。誂えの結婚指輪のごとく、秀一郎の形が刻まれる。 「ひぁああっ!? 秀一郎、さん……!」  何度目かに名を呼んだ。めいっぱいの愛を込めて。  左薬指から全身へと、何かが――秀一郎の愛が波及し、細胞がつくりかわるような感覚に見舞われる。それすらも官能的だ。 「あぁ、瑠唯、奥そんなに締めないで」  秀一郎も切羽詰まった声を上げる。  薬指を噛まれたことでまた知らず達したのか、瑠唯の内壁が収縮し、秀一郎の性器にいやらしく吸いついていた。呼応して、秀一郎のものも脈動が激しくなる。  瑠唯はひくひく痙攣する脚を秀一郎の腰に絡め、瞳の色で伝えた。  このオメガとアルファの結婚の儀は、まだ終わっていないと。 「可愛過ぎて、いけない奥さんだ……っ」  それだけで理解した秀一郎は、瑠唯に密着したまま、腰をふるりと震わせた。 「あ、ぁ、あ――!」  腹奥に熱いものが拡がる。それを以って、さっきつくりかわった細胞ひとつひとつに特定のアルファの名前がついたと、本能で感じた。 (秀一郎さんだけのオメガに、なれた……)  アルファは絶頂が長いのか、どぷっ、どぷっと射精が続く。秀一郎は瑠唯を抱き締めて離さない。  瑠唯は彼の甘やかな重みと、至上の快楽を堪能する。腹奥を濡らされ満たされるのがこんなに気持ちいいとは知らなかった。  他の復活種も、こんなふうに心に決めた一人と愛し合えたらいいのに、と思った。  自分の体質への怖れを消し合い、永遠の愛を誓った余韻のままくっついて眠りたかったものの、秀一郎ががばりと起き上がったので叶わない。 「瑠唯、澡堂(せんとう)へ行こう」  神妙な面持ちで瑠唯に服を着せる。  発情が収まってみて、避妊しなかったのは組織の任務と変わらない……と思い至ったらしい。 (秀一郎さんの子なら、孕んでも構わないけど)  瑠唯はまだぼうっとする頭で考える。  ただ、世間に知られていないオメガが出産となれば、いろいろ準備を整えてからのほうがいいか。何より秀一郎の罪悪感がぶり返しかねないので、素直に聞き入れた。  アパルトマンには猫脚の浴槽しかない。夜風の中、シャワアのある澡堂へ出向く。日本の銭湯の洗い場のみみたいな施設だ。 「さ、腰を上げて。もっと」  タイル壁に手を突いて尻を突き出し、腹奥の精液を掻き出してもらう。秀一郎の指の感触は愛撫を思い出させ、瑠唯は歌声を漏らさないよう唇を噛み締めた。 「……っ、……~!」  それでも息遣いは響いてしまう。  幸い、他に客はいない。秀一郎が木戸番にたっぷり心づけを握らせ、人払いしていた。 「この曲は、おれが独り占めさせてもらうよ」 「……はいはい、旦那さま」  寒い中待たされる破目になった地元民と入れ違いに、路地へ出る。再度の発情を招きそうな火照りを冷ますべく、江沿いの遊歩道を少し歩くことにした。 (並んで墨田川沿いを歩いたのが、もはや懐かしいな)  ぽつぽつと船灯りを映す水面を眺めながら、秀一郎が口を開く。 「おれだけのオメガになった感覚がある、と言っていたね」 「うん。証明が難しいけど」 「信じるとも。であれば、ブリテンが管轄する地区に部屋を借り直して、幸せに暮らせよう」  日本国もナポレオオニュもフェロモンを追跡できない。他の夫夫(ふうふ)なら、それを選ぶと思う。  瑠唯は予感をもって、秀一郎の横顔を見上げた。 「だが……おれは、他のフェニックスを放ってはおけない」  悲壮な表情だ。施設のオメガや子どもたち、公良はじめこれまでに関わった復活種、そしてまだ会ったことのない復活種すらも、忘れて生きていったりはできないのだろう。  優しい人だから。  瑠唯は、「そう言うと思った」と笑ってみせた。 「人を守るのが、秀一郎さんの使命でしょ。僕は内助の功で支えたげる」 「瑠唯……」  秀一郎が感極まったように手を伸ばしてくる。掴むとまた冷たい。瑠唯の腰に回させ、歩幅を合わせる。 「でも、君の目標の浅草松竹座は遠くなってしまうよ」  秀一郎はなおも気に病む様子だ。以前内緒で教えた瑠唯の目標を憶えていたのか。  あの目標は今、芯は変わらず、形が変わりつつある。 「大勢に聴かれなくてもいいんだ。届いてほしい人に、愛の歌が届けばいい。その人といる場所がステエジになるし、母さんもきっと聴きに来て……ごほっ」  砂っぽい風が吹きつけ、瑠唯は途中で咳をした。  舌を噛んでもいないのに鉄の味が拡がり、「え?」と口を覆った手のひらを見下ろす。  軍刀で切られたとき並みに赤く染まっていた。――喀血だ。 「瑠唯? そんな、嘘だろう、なぜ……とにかく医者だ。早く診せよう」  秀一郎が取り乱す。  横抱きにされて、ようやく気づいた。頭がぼうっとするのも火照るのも、後を引く発情ではなく、体調不良だと。いつもの逆だ。  思い返せば年末に屋外で物思いに耽ったり、ろくに眠らず定期船に飛び乗ったりと怒涛の日々で、免疫力が落ちたに違いない。さっき暖炉もつけず裸で汗を掻いていたのもある。 (でも、イスパニア風邪のときにも血を吐いたけど、大丈夫だった)  そう説明したいのに、体調不良を自覚したせいか咳が重なって、うまく話せない。 「瑠唯、死ぬな、頼む」  半泣きの秀一郎は、心当たりの医者のもとへ駆け出した。  しかしすぐ立ち止まる。  何とも間の悪いことに、路地の先に大きな人影が見えたのだ。 「ジョルジュ……!」  やっぱりアルテミスの一員として、瑠唯を始末したか確かめにきたか。  早く受診させたい。でも彼に見つかったら命を取られる。苦しい選択を迫られた秀一郎は、瑠唯の外套をぎゅっと握り締めると、江へ引き返した。  営業を終えた船着き場に踏み込む。停泊している貨物用小舟のひとつに飛び移った。漕ぎ出しはせず、置いてある幌布を被って息を潜める。  瑠唯のフェロモンは秀一郎にしか匂わなくなったので、これでやり過ごせるはず。  だが、ジョルジュの足音は着実に近づいてくる。なぜ……。 (フェロモンを消す方法、失敗だった? あの身体がつくりかわる感覚は、僕の錯覚?)  同じことを考えたのだろう秀一郎は、唇を引き結び、独りで幌の外に出ていこうとした。瀕死になってでも、決着をつけようという顔だ。  慌てて引き留める。 (秀一郎さんに迷惑をかけたくない。そばにいたい。一緒に、生きたい)  長い睫毛を伏せて息を吸った。 「Rives de la Seine(セエヌ川の畔), loin de celle que j'aime(愛する人は遠く)」  喉の腫れでますます掠れた声で、歌う。  秀一郎が瑠唯を二度見した。その腿に指で「papa(父)」と書き、彼のように片目を瞑ってみせる。  瑠唯が歌えばそこが、ステエジにも、玻璃にも、親子三人で過ごした家にもなる。  ジョルジュは瑠唯の父親だ。少しでも情が残っていることに、賭けた。 (母さんを愛してたから離れたなら、母さんが巻き添えになる判別方法を了承したのを後悔してるなら、僕と秀一郎さんを思うように生きさせて)  大きなステエジを目指したのは、父にも歌を届かせたかったからだ。母がいつも父への愛を込めて歌っていたみたいに。  瑠唯の今の声は、はからずも母の歌声とそっくりだった。母に代わって、父に届ける。  もし届かずじまいでも、死ぬその瞬間まで、歌っていたい。 「Cela me remplit de tristesse(哀しみに浸される、), mais(でも)」  秀一郎は瑠唯を止めなかった。しっかり手を握っている。せめて今度は独りで逝かせない、とばかりに。  父の気配は、岸で動かない。 「Ton bonheur(あなたの幸せが) qui dure comme la Seine(この川のように続くなら), c'est(それが)……っ!」  幌布が埃っぽいせいで、肝心なところで咳込んでしまった。でもやめない。 「c'est mon(それが私の)……bonheur(幸せ)」  最後の力を振り絞る。これ以上は、喉に血が絡んで声が出ない。  永遠にも思える静寂ののち。 「血が、江まで続いている。悲観して心中したんですネ。残念ですが、おしまいです」  父が、誰にともなく言った。水に沈めば復活種でもひとたまりもないと。  足音が遠ざかっていく。  瑠唯と秀一郎は目を見合わせた。危機を切り抜けられた……?  瑠唯のフェロモンの残り香でなく、血痕を辿られただけか。フェロモンを特定のアルファにしか効かなくさせる方法が奏功し、まだ小舟に留まっているのを気取られず済んだ。  復活種を集める組織「アルテミス」から――事実上、解放された。 (独り言をわざわざ日本語で言ったのは、母さんへの償いもある、のか?)  思わぬ形で再会し、また別れることになった父の、意図を探る。彼も組織に振り回された復活種の一人なのかもしれない。  そのうちに、秀一郎が幌を払う。 「おれの運命の奥さんを死なせてたまるか」  憤然と地上に戻り、改めて瑠唯を抱えて走り出す。  こそばゆくて、秀一郎の首もとにしがみついた。 「旦那さまと生きてくって誓ったんだから、死んでも死なないよ」  地元の子どもたちが、長屋の軒先の年代物安楽椅子へと、瑠唯を引っ張っていく。 「瑠唯! 請唱歌(歌ってよ)」  歌をねだられ、満更でもない顔で息を吸う。屋台に朝食を買いに出た際の鼻唄を聞きつけられて以来、毎日なのだ。 「Ma vie est plus belle(私の人生は色づいた)、けほっ」  途中で空咳が出た。子どもたちが聴き足りなそうなので再開しようとしたが、陽射しが翳る。 「まだ寝ていなさい」  過保護な旦那さまのお出ましだ。体調を崩したのはもう一週間も前なのに。  医者の診断は、気管支炎とのことだった。  咳に血が混ざったのは、異国の砂っぽい風で気管が傷ついただけ。イスパニア風邪のような深刻な病気ではない。  とはいえ、薬が効くまで寝台とソファに分かれて眠るのは生殺しだったし、ここは大人しく聞いておこう。  手をつないでアパルトマンへ戻る。秀一郎の指先が、瑠唯の薬指の付け根をなぞった。 「噛み跡、消えないんだね。不思議なものだ」 「僕がどのアルファの番(つがい)か、ちゃんとわかるようにじゃない」 「番かあ……ふふ。いいね」  ふたりでひとつの、対の組み合わせ。結婚という制度を越えた運命の絆。秀一郎も響きを気に入ったようだ。 「けど、秀一郎さんのは消えてるな」  瑠唯も「指輪」を贈るべく、睦み合いながら薬指の付け根を噛ませてもらった。にもかかわらず、あっさり治癒している。 「また噛んでくれたまえよ」  秀一郎が柔和な笑顔に雄っぽさを滲ませて、囁く。  そのせいで腹奥が甘く疼いた。真っ昼間から勘弁してほしい。  部屋に入ると、淡金につやめく上質な素材でいて流行のデザインの真丹服が、ソファに広げられていた。毛皮をあしらった外套と革靴まで揃っている。  大きさも色合いも、明らかに瑠唯のために誂えた一式だ。 「……やっぱり着せるんだ?」  以前は着せないと言っていなかったかと、秀一郎を見上げる。 「約束の大世界へ行くには、うんとめかさないとだろう。これくらい華やかなほうが、他の客に紛れられる」  秀一郎は悪びれず片目を瞑った。  たちまち顔を輝かせる。美海の劇場に繰り出す約束を憶えていてくれたのか。 「ありがとう、旦那さま」  実は逞しい腰にきゅっと抱き着けば、慈しみいっぱいに抱き返される。 「でね、瑠唯。大世界を楽しんだら、ステイツ領フィリピンのマイニラへ渡ろうと思うんだが、どうかな」  将来の話に、顔を上げる。真剣な瞳とぶつかった。 「そこで資金を貯めて、本物のオメガ保護施設をつくるんだ」  本物の保護施設――。  アルテミスの施設にいるオメガたちを任務から解放してやりたいのはやまやまだが、今いっせいに脱走させるのは現実的ではない。受け入れられる場所を用意しないといけない。  もちろんそれ以外のオメガも、アルファも含めて。  美海では一応、瑠唯たちは死んだことになっている。それに租界の外の緊張が日ごと高まりつつあった。新天地を求めるのがよさそうだ。  マイニラといえば、美海のさらに南、「東洋の真珠」と言われる街だ。 「どこへでもついていくってば。フェニックスを守るって秀一郎さんの使命を、守りたい」  迷いなく請け合う。秀一郎は思わずといったふうに、瑠唯の金星色の瞳に口づけを落としてきた。 「新しい施設の名は、ヴェニュス(愛の女神)にしようね」 「気が早いな。まあ、フェロモンを一人のアルファにしか効かなくさせる方法を教えてあげるか」 「おれの命は、フェニックスの未来を掴むためと、唯一の君を守るために使うよ。……ヴェニュスが軌道に乗ったら、浅草へ帰ろう」  秀一郎が、改めて約束を口にする。  二度と帰れない覚悟だったが、浅草と聞いただけで愛しさがこみ上げるのも事実だ。  遥か遠く響くシャンソン歌手。歌わずに生きていたら接点のなかった秀一郎に愛が届き、隔絶していた父の心を母と同じ声で動かせた時点で、瑠唯の夢は半ば達成されたと言える。  でも、もう一度浅草のステエジに立つことを、ふたりの夢として温め続けておいてもいいかもしれない。 「ウィ。もう放蕩息子じゃないって、お父君を安心させて差し上げないとだしな」 「それには、最愛の奥さんと子どもの顔を見せるのがいちばんだろう」  秀一郎の手が、思わせぶりに瑠唯の腰へと下りてくる。  だが瑠唯は「大世界が先!」とかわす。  長い道のりでも、秀一郎と一緒なら苦ではない。  今日のふたりは、シャンソンの中の恋人たちのように、一緒に街を歩き、甘い声で名を呼び合い、互いを両腕に抱き締めて眠った。(了)

ともだちにシェアしよう!