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医者嫌い
変わり映えのない毎日を送って、すでに開業から一週間が経った。
今日は待合室の奥で、商店街の役員会などが催されていて、来月に控える『敬老の日』の贈り物が話し合われていた。
「金券がいいな。どこでも使えるし、まあ5千円もあれば嬉しいが」
「5千円も貰えるわけがないじゃないの!千円くらいの金券貰うなら物がいいわねえ。クッキー缶とか嬉しいわ〜」
「ダメダメ、そんなんもらってもどうせ孫に食い尽くされちまう」
役員全員が『敬老祝い』の対象者なものだから言いたい放題だ。
自分が欲しい物の主張会になっている。
それを受付の中で眺めていた和子さんは、
「70歳以上の人が毎年貰ってるお祝い品…。こんな風に決まってるとは知らなかったわ。私も金券がありがたいけど」
と半呆れ顔だ。自分の父親(88)に毎年送られてくるものが違うはずだと納得もする。
桐江は、今日は心臓の病気の様々な治療法の本を相変わらず静かに読んでいた。
そこへ
「行かんと言っているだろう!お前もしつこいな」
ドアの外で急に怒鳴り声が聞こえて、待合室も和子さんも、桐江も固まる。
「怒鳴ったってもう通用しないぞ!親父の言うこと聞いてらんねえからな!ケツから血ぃ出しといて『大丈夫だ』じゃねえから!」
待合室に『ケツから血?』『え?お尻から?』という声がサワサワと響き渡る。
自動ドアが空き、怒鳴り声と不穏な内容に待合室に顔を出していた桐江に、老人を羽交いじめにした40そこそこの男性が
「先生!親父が!今朝、屁した瞬間にケツが真っ赤になったんですよ!ほら!これ!」
息子なのだろう。男は履き替えさせたのだろう下着の長ズボンを桐江の前に差し出してくる。
「北野さん、それに優吾くんじゃない。なに?北野さん下血?」
和子さんが下着を受け取って、桐江に見せると桐江は少々顔を曇らせた。
「先生よぉ、俺は痔を持ってんだよ。そりゃあその血だからなんでもねえんだって言ってんのに、このバカ息子がな」
70代であろう北野さんは、羽交締めを解こうと“うぞうぞ”と体をひねるが、息子の優吾はそれを許さない。
「とにかく診てもらえって!痔ならそれでいいから!量が尋常じゃねえんだよ!今だってばあちゃんの残りのオムツあててんじゃねえか」
「まあ、北野さん。取り敢えず診察室へどうぞ。他に患者さんいませんから」
桐江はその下着を和子さんにビニール袋に入れるように行って、診察室へ向かったが
「俺は医者が嫌いなんだよ!先生に恨みはねえけど、診てもらうつもりはねえ!」
「いい加減にしろ!」
羽交締めのまま診察室に一歩一歩近づけられても、北野さんは抵抗をやめない。
周りでは、『下血はまずいよ、まっちゃん』『尻から血は怖いよ、まっちゃん』
と、心配そうに言ってくる。北野さんは松蔵という名前だ。
「お前ら尻から血ぃ血ぃうるせーな!」
そう怒鳴られて、ピャッとなった商店街役員たちは、待合室の奥へと引っ込んだ。
「痛いことも、痒いことも何もしませんよ。お腹を見るだけですから」
その言葉に北野はますます暴れて
「注射やそんなんが怖いんじゃねえよ!医者が嫌いなだけだ!優吾!離せ」
優吾はもうきいてられんとそのまま診察室へと押し込んでゆき、こちらへと桐江に促されるままに、診察台へ座らせた。
和子さんはもう、ポータブルのエコー装置を準備している。
「この機械でお腹の中を見るだけですから。取り敢えず横になって下さい」
ここへきてようやく観念したのか、北野は『信用してねえからな』だのぶつぶつ言いながら横になった。
和子さんが下着を臍の下10cmほどまで下げて、広範囲にジェルを絞る。
今回は広範囲を見ることがわかっていた。
「じゃあ当てますね」
桐江の言葉とともにエコーが当てられ、画面を見ながら徐々に動かしてゆく。
「お腹とか痛いですか?」
「……」
だんまりの北野に優吾が『親父!』と声を荒げるが、北野は知らんぷりだ。
「先生、時々腹を押さえてたり、先日も下痢したとか言ってまして」
家族間の何気ない会話を優吾が代わりに桐江に伝える。
それを聞きながら、ある一点を少し慎重に診てみる。微妙に眉が寄って、その部分の画像を撮影して、その周辺を何枚か撮って、エコー診断は終わった。
和子さんが暖かいおしぼりで北野のお腹を拭う間、優吾はデスクについて何やら書き込んでいる桐江の前に座って
「先生、どうですか…親父大丈夫ですか?」
「ここではなんとも言えませんが、少々気になる箇所もありまして。紹介状を書きますので大きな病院へいったほ…」
「俺は行かねえぞ!病院なんて絶対行かねえからな!」
横から怒鳴られて、桐江の耳にもキーンとなる。
「親父!うるせえ!黙って聞いてろ!」
「行かねえのに話聞いたって仕方ねえ!帰るぞ!」
ポータブルのエコーを片付けてきた和子さんが戻ってきて
「ねえ北野さん。北野さんの症状ね、私が知る限り、と〜〜っても悪い病気か、まあ、そんな感じか。のどっちかなのよ」
ステテコの入ったビニール袋を指でくるくる回しながら、和子さんは北野さんに寄ってくる。
ベテラン看護師だった和子のことは北野も知っている。その人がいう言葉も信憑性がある。
「え…」
ちょっとはビビったような北野さんだが、それ以上に優吾もびびってしまう。
「せ…先生そんなに…?」
桐江は和子と目を合わせ
「和子さんは、医者ではないので決めつけて言ってはダメですよ。でもおおかた合ってます」
優吾は和子と桐江を交互に見て、顔色を悪くしてゆく。
「俺は悪い病気だってかまわねえぞ!かーちゃんももういねえんだから、怖いもんはねえ!」
ちょっとビビったくせに、また勢いを取り戻して、北野さんはそう怒鳴るが
「親父…半年前にかーちゃん亡くして、一年も経たねえうちにまた親父なんて…俺の気持ちにもなれよ」
北野は押し黙った。
「そうよね…美佐子さん急にだったものね…みんな、なんの覚悟もなかったわね」
和子さんは、北野さんの奥さん『美佐子』思い起こしている。
北野さんちは手焼き煎餅屋さんだ。
優吾は3代目で、北野は今は隠居してはいるが時々焼き場に入り、従業員のまーちゃんと3人で焼いたりしている。
「病気だったとしても、俺に看病くらいさせてくれ」
美佐子は心筋梗塞で、みんなが焼き場にいる間に台所で倒れていたのを発見されてそのままだった。
優吾にしてみれば、急な別れでせめて少しくらい面倒見たかったという気持ちが残ってしまっている。
「美佐子を…助けられない医者なんか俺は信用してねえ…」
元々医者嫌いなわけではないのになと、優吾は不思議だったが理由がそれで合点はいった。
「かーちゃんは、仕方なかったんだよ。お医者さんのせいじゃねえって言ってるだろ」
桐江は紹介状を書きながら話を聞き、
「助けられない医者も、結構辛いですよ」
一言北野にそう言って、紹介状をプリントアウトした。
「その医者に、リベンジさせて下さい。重篤かそうじゃないかを含め、一度病院へ行って検査して下さいね」
先ほどのエコー写真と、紹介状を封筒に入れて桐江は優吾へと渡す。
「私の見立てでは悪いものとは思いません。でもそれはきっちりと検査しないといけない部分ですので、是非病院へお連れくださいね」
黙ってしまった北野に目を向けて、優吾は
「はい、絶対に連れて行きます」
『ぜってーいかねえからな!』の声は出てこなかった。
下血は止まると思いますが、定期的であるようならできるだけ早く行って下さい。そして はいこれ」
「え?」
「北野さんが、今日頑張って医者に来たご褒美です」
優吾の手に渡された緑色の千代紙は、なんだかいつものと違う光沢を帯びていて、キラキラしていた。
「かーちゃんの仏壇に備えよう」
優吾は嬉しそうにそう言って、立ち上がった。
「患者さんも徐々に増えてきていますね。お茶会も少しだけ人数減ってきていいことですよ」
受付奥での昼休み。
減ってきてるというか、クオリティが上がっている気がするのは気のせいか?と桐江は複雑だ。
なんせ今日は、役員会議なんてやってたくらいで…。
またごぼう攻勢で桐江がウップウップしながらそう考えている最中に、再び若頭森永がやってきた。
「あなた毎回昼休憩に来るわよね。邪魔しにきてるの?」
相変わらずヤクザに厳しい和子さんだが、ヤクザが頭が上がらない理由を桐江はまだ知らない。
「いやいや、この時間が1番いいだろ。でな先生。できたぞ玄関マット!」
紙に巻かれたロール状のそれを持ち上げて、森永はたいそう嬉しそうだ。
「え…」
ゲップするとごぼう臭でそれも相まっての『え』ではあったが、まさか本当にできてくるとも思っていなく、びっくりもした。
「ほらみてみろ!ちゃんとデザイン会社に依頼して作ったんだぜ」
紙を破いてマットを広げて見せてきた森永の興奮は最高潮!
そのマットを見せられて、桐江のゲンナリ度もさいこうちょう…
『ニコニコ商店街診療所!いらっしゃいませ!』
という文字が、赤と緑のナイキのマークみたいなもので飾られていた。
「あらかっこいいじゃない、素敵よね先生」
デザインがどうのではない…気になるのは
『ニコニコ商店街診療所』だ。ついでに『いらっしゃいませ』も、どうかと…
無表情のまま立ち尽くす桐江をよそに、二人は大層盛り上がり、
「じゃあ早速玄関におきましょう」
和子さんも率先してカウンターから出て入り口に向かい、森永も『いいだろ〜?これ』と有頂天。
「あの…名前からしてちがいませんか…」
その声は最高潮の二人には届かない。
その日から診療所は『ニコニコ商店街診療所』と呼ばれるようになり、地域に親しまれる診療所となった。
こんなはずではなかった…今日も桐江は、無表情でこの展開を嘆くしかなかった。
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