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第一章 嫌われ者のオメガ-4

 現れた翡翠(ひすい)の瞳と目が合い、ルシアは心のままに言葉を漏らす。  額を露わにしたレオンは、形の良い眉の下に切れ長の二重を隠していた。  瞳の色こそ今までも見えていたことがあったが、こうして遮るものがなくなると印象が全く違う。よく見れば鼻筋も通っているし、唇の形も少し薄いだけでバランスが取れている。  目元を赤くしたレオンは、凝視されていることにしばらく我慢していたが、無言のルシアに堪えきれないように身をそらした。  頬杖をつきながら見つめて、何をそんなに恥じることがあるのかと疑問に思う。  とはいえ元々人付き合いが得意ではない男だ。今までこんな風に他人に近付かれたことなんてないのだろう。  ルシアもこういった触れ合いは知らないが、時を同じくして覚えていけるので都合がいい。そもそもオメガは一人では生きていけない。いずれ誰かと身体を合わせることは必須だ。  発情期はオメガにとって切っても切れない、だが子孫を残すための重要な反応だ。それを恥だと感じたこともなければ、アルファがフェロモンに充てられ反応することも当然だと思っている。  だからこそレオンのこの過剰なまでの怯えは、無知から来る故の恐怖なのだと考えた。  ルシアはそれから毎日、レオンとの物理的な距離を縮めることに集中した。  だが何かと隣で密着するルシアにレオンは狼狽(ろうばい)するばかりだった。こちらは次の段階にいきたいのに、彼の反応がそうはさせない。  この男と、肌を晒し触れあうのか。  今日も前髪を上げてやろうと腕を伸ばしたら、スッと後退され避けられた。ルシアはレオンを見上げ、小さく嘆息した。  発情期はもうすぐやってくる。このままでいいはずがない。  よし、と腹に決めたルシアがレオンの腕を掴む。 「今日、お前の家に行くぞ」  長い前髪の向こうから、戸惑う視線を感じる。だが、レオンはそれでも頷いた。  救いなのは、彼が心から嫌がっているようではないことだ。  講義を終え、早速レオンの家へ邪魔をする。  今回は使用人が茶と菓子を持ってきたが、彼女が退出するなりルシアは早々にブラウスのボタンを外した。  肩まではだけると、レオンが慌てたように両手で自身の顔を覆い、制止の声を上げた。 「き、来たばっかりだ……!」 「練習しないと時間ないぞ」 「ぬ、ぬ脱ぐのは、や、やらしい気がする……!」  やらしいんだよ。そういうことするために、練習してるんだ。  思わずそう言い返したくなったが、ぐっと我慢をする。付き合わせているのはこちらの方だ。なるべく負担はかけたくない。  かと言って、この男の言うことばかり聞いていたら先に進む未来は見えない。なので構わずブラウスを全部脱ぎベッドの端に置くと、ルシアは仁王立ちになった。  既に背を向けているレオンは当然こちらを見ていなかったが、その頼りない猫背に向け、腕を組み言う。 「おい」  ビクッとレオンの肩が跳ねる。  しばらくそうしていると、いつもより強い口調のルシアに、レオンも異変に気付いたのだろう。誤魔化せないと思ったのか、おずおずとレオンがこちらを振り向く。  その両手はしっかり目元を覆っているが、なおも黙っていれば、沈黙に耐えかねるように指の隙間が徐々に開いていった。  ルシアは馬鹿馬鹿しいと息をつき、腕をほどきレオンに近付く。 「まままま、待……っ」  指の隙間から目が合ったレオンが情けない声で制止したが、あっという間に距離を詰めたルシアは、彼の腕を掴んだ。 「ちゃんと見ろ」 「え、えっ」 「僕の身体は、お前と同じだ」  レオンの手を引っ張り、ルシアは自身の肩に置いた。  思った以上に温かいレオンの体温に少し驚いたが、その手を下へ誘導すると強い力で逆に引っ張られた。 「……っ!」  慌てたのはレオンだけではない。  ルシアの左脚にベッドが当たり、躓いた。本の山につっかえた右足は踏ん張りが利かず、倒れるのを回避するために咄嗟に目の前のレオンの腕を掴む。  だがレオンはルシアから逃れようと突き放したせいで、今度は反対側に力が移る。その上ルシアがレオンの腕を放さなかったので──結局二人はベッドに倒れ込んだ。  まさに、レオンがルシアを押し倒すような体勢で。  沈黙は長くなかったように思う。  見開かれたレオンの瞳を眺めながら、ルシアはちょうどいい機会だ、とのんきなことを考えていた。  裸身を見られ困ることは何もない。ましてやまだ自分は上半身しか晒していないのだ。  押し倒された体勢になってしまったのは偶然だが、この先を望むルシアにとって今の状態は好都合だった。  ルシアはレオンの片腕を取り、自身の臍の下、ズボンとの境界線へと誘導する。 「──この部分の(なか)だけ、お前と違う」  さあ、呪文を唱えろ。  そう言って、ルシアが再度レオンを仰ぐと、見開いた翡翠の瞳が揺れた。  下腹部にあてたレオンの掌は温かい。感情などないようにも見える男なのに、体温の高さが意外だ。 「本を読んだよな? 呪文は覚えているか」  コクコクと僅かに首が上下して、ぱちぱちとレオンの瞬きが不自然に増える。ならば早くしろ、と言わんばかりに掴んだ手首に力を込める。  ぎゅっと催促すると、レオンは不自然なほどルシアの目を見つめたまま、早口で呪文を紡いだ。ぼそぼそと言われたそれは、聞き取れないほどだ。  だが、瞬間にぽっと腹の奥が熱くなり、呪文の成功を感じ取れた。この感覚は魔法を使う人間ならば理屈ではなく分かるものだ。  当然呪文を唱えた本人にも、その魔法の成功感覚は理解できている。証拠に、レオンは光のような早さで身体を起こし、さっとルシアの前からどいてしまった。  背を向けたレオンを見ながら、ルシアも身を起こす。 「ほら、簡単だっただろ。これを事前に必ず唱えるんだ」 「う、うん」 「で、他にも色々あって……」 「ま、まだあるの!」  悲鳴のようなレオンの言葉に、当然、あるだろ、と言いかけたルシアは、再びこちらを見ようとしないレオンに気付いた。  避妊呪文に始まり、愛の呪文集には所謂(いわゆる)、性行為の際に役立つ呪文が(つづ)られている。  緊張をほぐす作用のもの、負担を軽減する作用のもの、清浄に治癒、他にはもっと濃厚なあれこれもあるが、レオンの様子を見たらこれだけで限界かもしれないとルシアは考える。  なにもすべてを覚えさせなくともいいはずだ。  しばらくその所在なさげなレオンの背中を眺めていると、不意にルシアにも不安が過った。 「……いやか?」  ぽつりと呟くと、一呼吸置いてからレオンが緩く首を横に振った。 「……ルシアが死ぬ方が、嫌だ」  その言葉に、ルシアの胸のどこかが熱を持った感覚がした。  この社会性も協調性もないアルファでも、オメガの苦しみを理解してくれて、少なくともルシアが死ぬことを望ましくないと思ってくれる。  それはただ純粋な同情心からかもしれない。けれど彼にルシアを無下にする気持ちはなく、虐げる心もない。  誰かに愛されることをずっと望んできたが、正直、今はその気持ちだけでも救われた。 「──レオン」  シーツの上で、ルシアはアルファを呼んだ。  今度は大袈裟に肩を揺らすこともなく、レオンがゆっくりとこちらを振り向く。  みるみるうちに目を見開き固まった彼の前で、ルシアは両腕を拡げ、すべてをさらけ出した。 「……っ!」 「よく見ておけ。これがお前が抱く身体だ」  時が止まった。  シンと静まり返るレオンの部屋で、ベッドの上に白い裸体を晒し仁王立ちになったルシア。  ズボンも下着も足元でくるまり、今、彼が身につけているのはうなじを護る白いベール調のチョーカーだけだ。  レオンは無言だった。時間にして数十秒もあったか。  いい加減無反応も不愉快だとベッドから降りようとすると、ツー、とレオンの鼻から綺麗な赤が流れ出ていった。  ポカンと口を開けたルシアは、数秒後、状況を把握して慌てて治癒魔法を唱える。 「……ルシアは、最低だ」  背を向けていることをいいことに、その間にすべての衣服を脱いで全裸になったルシアに、レオンは鼻を押さえながら恨み節でそう漏らした。 「悪かったって。でも、こうでもしないと見ないだろ」  まさか鼻血まで出すとは想定外だった。そう言うとレオンは頬を赤らめながら唇を噛む。  現に今も全裸のルシアだが、ベッドに座ったレオンの隣に寄り添っても、不自然に視線を逸らすなど、先ほどまでの緊張した様子はない。  恐らくルシアの全裸より自分が鼻血を出したことの方が恥ずかしかったのだろう。 「でも、これで分かっただろ。僕がお前と同じ身体だと」  見た目だけで言えば、ルシアは男性だ。基本的な作りはレオンと変わりない。  同じだから怖くもないし恥じることはないと言うと、レオンは俯いてルシアの()き出しの太ももをちらりと見て、否定した。 「ぜんぜん、違うよ」 「は? 男の身体だろ。中身がちょっと違うだけで」 「……ちがうよ、ルシアは……その、白いし」 「肌は生まれつきだし、外に出て運動もしないからな」 「ほ、細いし」 「それは……まあアルファと比べたら頼りないだろうが」 「……それに、き、綺麗だし」 「──んん?」  もごもごと言われ、ルシアは首を傾げる。  確かに体格差はある。それに腐ってもオメガなので身だしなみを整えるのは当然のことだ。  だが、綺麗だと言われると……なんだかこう、それはそうだと思う反面、妙に照れくさい。  つまり、レオンはルシアの身体に少なくとも魅力があると感じたのか。  瞬間、ルシアは一気に首の辺りが熱くなるのを感じた。体温が上がり、急に全裸でいる自分が恥ずかしくなる。  な、なにを照れている。僕が綺麗なのは当然だし、完璧なのも当然のことだ。  必死にそう言い聞かせ隣のレオンが無言なのに気付き顔を上げると、バチッと視線が合う。  レオンは一人で赤くなったルシアをじっと見下ろし、その一部始終を見ていたようだった。 「ね……、真っ赤だよ」 「う、うるさい見るな」 「……他の、呪文も練習する?」 「そ、それはした方がいいが、今日はもうお前鼻血も出したし」 「やる」 「え」 「全部、覚えたいから」 「……わかった」  なぜ、レオンの雰囲気が先ほどとは違うのか理解できなかったが、本人のやる気があるうちに覚えさせた方がいいのは間違いない。  急に前のめりになったレオンに戸惑いながらも、ルシアは頷いた。 「……ここは、発情期じゃないと濡れない」  一糸まとわぬ姿のルシアがベッドの中心に横たわる。  恥じることなど何もない。  そう何度も言い聞かせているのに、ルシアは湧き出る羞恥(しゅうち)に妙な汗をかいていた。それでもおずおずと足を開き、秘められた箇所を晒したのは今後の自分のためだ。  ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえ、顔を上げる。  レオンが再度、鼻のあたりを押さえていた。まさかと一瞬身構えたが、彼の視線は晒されたルシアのそこに釘付けで血も出ている様子はない。  普段のルシアなら文句の一つ、言えただろう。だが今は残念ながらそういった余裕はなく、思うように口が回らない状況だ。  それでも無知なレオンに教えるために、己が率先して誘導しなければとルシアは続ける。 「発情期でも身体が、その……硬いままだと……、ここに、弛緩呪文の類いをかけるらしい。あとは、潤滑油を用意したり」  呪文集に綴られている魔法は、あらゆる場合を想定している。さすがに専門呪文集だけあってその種類は豊富だ。ある程度の魔法を既に習得しているルシアでも、知らないものがいくつかあった。  レオンはそのどれも知らなかったのだろうが、この数日間である程度の呪文は予習したようで、再度呪文集を確認する間もなく頷くのが見て取れる。  ゆっくり近付いたレオンは、もう鼻を押さえていない。  ルシアの秘められた箇所を目にし、アルファである自覚が湧いたのかもしれない。 「お前も、脱いだらどうだ」  恥ずかしさが増す自分とは逆に、冷静さを取り戻していくようなレオンが癪に障り、ルシアは不満を漏らした。  こちらは一糸まとわぬ姿であるのに、彼は未だにローブすら脱いでいない。恨みがましい目で言うと、レオンは素直にローブを脱ぎ、制服に手をかけた。  ジャケットを脱いだまでは良かったが、ブラウスのボタンを外しにかかった時にじっと見つめていたルシアと目が合うと、頬を赤らめ視線を逸らされる。  少しはこちらの気持ちを理解したかと口角を上げるが、ブラウスを脱いだレオンの上半身を目にするとその考えは真逆に変わった。  無駄のない肉に覆われた、均等についた筋肉。剣術は得意じゃないためか厚さこそないものの、彼の身体は成熟した男性のそれだ。  少し骨張ってはいるが、引き締まり、張りのある男らしい、アルファだった。  ──たしかに、全然ちがう。  生っ白い自身の身体と比べても、その違いは一目瞭然だ。華奢なルシアがどうあっても勝てないような、そんな違いを見せつけられるような差だった。  しかし、レオンは上を脱いだだけで手を止めた。 「……おい」  不服そうに呟きレオンを見遣ると、彼は耳まで真っ赤にしたまま、首を横に振る。 「む、むり、はずかしい」 「……生娘かお前は」  全裸のオメガを前にしてよくもまあそんなことが言えると呆れたが、当人はそんなことはどうでもいいようだ。  そんなレオンの態度が可笑しくて、ルシアは小さく噴き出した。  こちらは他人に一度も見せたことない部分をさらけ出している状況なのに、そのルシアより馬鹿みたいに緊張し慌てふためくレオンは、確かに他人を気遣える器用なタイプではない。  だが、レオンが自分自身に必死であればあるほど、ルシアの気もどこか楽になる。 「呪文を」 「……うん」  すっかり余裕を取り戻したルシアが促すと、そっと、レオンの掌がルシアの下腹部を覆う。耳慣れない古代語は、弛緩呪文を唱えている。  次の瞬間、ふわっと全身が温かくなり、なんだか幸せな気分が漂った。不安だったこの先の行為も魔法の成功により、もう大丈夫だという安心感が湧いてくる。  それはルシアの身体の緊張をほぐし、レオンの自信にも繋がったようだ。  弛緩したルシアの脚の間に、レオンが身を寄せる。  その指が、恐る恐る(すぼ)みに触れた。  ルシアは小さく息をつき、目を閉じた。  弛緩呪文、再生呪文、水を潤滑油に替える変化呪文──その他、必要そうなすべての呪文を何度か練習し、無事すべて習得したレオンは、やはりアルファなのだろう。  茫然と天井を眺めながら、ルシアは肩で息をしていた。  先ほどまで発情期ではない場合の男同士のやり方、を呪文集から知ったレオンは、ルシアの後孔に指を入れ、丁寧にほぐし快楽を与えることに成功している。  あくまでも本番のための練習だが、レオンは驚くほど積極的に、ルシアに触れた。 「あ、おま、もう……そこ、やめ……っ」  指を挿入されるのも、もう片方の手で胸や腹を撫でられるのも享受してきたルシアだが、その指がやたらと敏感な部分ばかり擦ってくるとそうも言っていられなくなる。  上擦った声が出てしまうのが恥ずかしく、連動するように熱を帯びる肉芯も徐々に濡れていくのがわかり、途轍もなくいたたまれない。 ●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・ 試し読みはここまでになります。 続きは9/5(土)より各書店にて配信スタート!

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