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第一章 嫌われ者のオメガ-3

「レオン、僕と寝ろ」 「……ルシア、またその話なの」  レオンが一番手頃なアルファであると気付いた瞬間から、ルシアは毎日こうしてレオンを説得にかかっている。  何も考えていなさそうだったレオンだが、さすがにこういった問題は別らしい。あっさり頷くだろうと思った誘いは、四日経った今でも変わらず、断られている。  なぜダメなのかと問うと、レオンの反応は鈍い。 「……よく分からないから」 「分からないのは僕も同じだ。だがオメガの発情期は死にそうなくらい辛い。それを知って焦っているんだ」 「……でもルシアは俺より他に、いい人がいるんじゃないの」 「いたらお前に声をかけてないだろう! 助けてくれと言ってるんだ!」 「でもルシアは……」 「ええい! お前は僕の何を知ってる! 恋人もいない男同士、なにを躊躇うことがあるっていうんだ! 同じ男なら喜んで飛びつく内容のはずだ!」  なにも子どもを作るって訳じゃないんだぞ!  と怒鳴った辺りで、ルシアは我に返り周囲を確認し、誰もいないことに安堵(あんど)した。  昼休み、いつものように大木の木陰に座り込んでいるレオンを見つけ、ルシアは大股で近寄った。  レオンはぼそぼそとサンドイッチを片手に魔道具をいじっては、地面に置いた分厚い本を読み込んでいたようだ。そこへ突然現れたルシアに驚いた様子もなく一瞥(いちべつ)し、そのまままくし立てるルシアに相槌のような適当な断りを述べたので、とうとう苛立ちに声を荒らげてしまった。  ふう、と息を整えルシアはレオンの正面にあぐらをかいて座る。ちなみに他では絶対にやらないような座り方だが、相手がレオンならば関係ない。  じっと眼力をこめてレオンを見つめてやるが、彼は顔色一つ変えず本を読んでいる。  今日の寝癖は一段とひどい。  左から右へかけて強風が吹いて、そのまま氷付けにでもされたような毛先のはね具合だ。前髪は完全に目を覆うほど伸びているし、それだって横風が吹いているように斜めに固まっている。  毎日鏡で完璧を目指すルシアを前にして、レオンは常に容姿などどうでもいいと言わんばかりである。  実際、彼にとってはどうでもいいことに違いない。 「女子の方がいいのか?」 「……あんまり」 「ベータの方がいいのか?」 「……ベータ、よく知らないけど」  レオンの声は常に抑揚がなく感情が読み取れない。断りの言葉を述べているのに嫌悪は感じ取れず、だからといって親身な響きもない。  家が近所で小学部から同じ馬車に乗っている、幼馴染み。あの頃は他にも乗っていた者がいたが、数年前からは常に二人きりだ。  朝食を摂らぬルシアは早めに学校へ行くのと、レオンは単に図書室の魔術書を読み漁りたいという一致からだろう。  馬車での会話もありふれたもので、挨拶だけで終わった日も多い。  それでも九歳から十八歳まで毎日顔を合わせていれば、なんとなく互いの家族のことや好みも知るようになった。もちろんそこに特別なものはなかったが。  思えば恋愛話などもしたことがない。そういう類いのものは、互いに無縁だったからだ。 「好きな者がいるとか?」 「……いないよ」  案の定の回答に、ルシアも頷く。  だがレオンとて十八歳の立派なアルファだ。今は地味で背ばかり高いが、好きな者ができたら変わるかもしれない。  つまり、今しかないチャンスだ。  レオンが誰のものでもないのなら、誰かのものになるまで相手になってくれるだけでいいのだ。  とはいえ、既に興味なさそうに魔道具に目を向けているレオンにルシアは半ば諦めかけていた。 「恋愛をしろと言っているわけじゃない。お前にだって好みはあるだろうしな。だが婚約者もいないのなら、僕のようなオメガを助けることに何の問題もないはずだ」 「……俺、よくわからない」 「ならお前は僕が死んでも心が痛まないのか? 生憎と僕はここで嫌われている。今更僕と寝てくれるアルファはいないし、協力してくれるような友人もいない。いや、いるとしたらレオン、お前だけだ。どうだ、友人として僕を助けてくれないか。なにも付き合えって言っているんじゃない。ただ……」  言っていてあまりの情けなさにルシアは泣きたくなる。  人気のあるオメガは、可憐で見目麗しく、アルファどころかベータからも愛される。  婚約の申し出も引く手あまたで、将来の心配はほとんどない。そうではないオメガだって、仲睦まじく手を繋ぐような相手がいて、周囲に花を飛ばすほど幸せそうだ。  本当はああいった恋愛を今だって夢見ている。  だが、身体の変化はルシアを待ってはくれない。自分が狂い死ぬのをあっさり予測できるほどに、次の発情期症状は今より遙かに重くなるだろう。  好いた相手と共にできる発情期は、全オメガの憧れだ。  彼等はそのために自身を磨き、研鑽(けんさん)を積んでいると言っても過言ではない。だからいつかレオンにも、素晴らしいオメガが寄り添うだろう。  今は転移魔法に傾倒し、三度の飯よりそれが好きだとしても。彼はアルファで、ルシアと同じように発情期に誘われる宿命を背負い、周囲の期待を一身に受けている。  だが、つがいにさえならなければ、彼の将来に傷をつけることもないはずだ。 「──僕を助けてくれレオン。でないと次は、きっと死んでしまう」  覇気のない声に何を思ったのか、いじり倒していた小箱からレオンが顔を上げた。  あの疼きと渇き。飢えと苦しみ。  それらが集まるとただの痛みに変わる。  ルシアはそれを先の発情期で知ってしまった。あれが少しでも軽くなるなら、一時しのぎだとしても多くは望まない。 「頼む、レオン」  ほとんど最後は(つぶや)きのような哀願だったが、ルシアは見逃さなかった。  小箱をいじる手を止めたレオンが、小さく息をつき、「……わかった」と頷くのを。  と言ったものの、それから二人の関係に変化はない。  以前と同じように、朝の馬車で挨拶を交わし、「前髪をなんとかしたらどうだ」とルシアが言えば、レオンはこちらに目もくれず「うん」と聞いていない返事が来る始末だ。  分厚い本を片手にぶつぶつと呪文を探すレオンを見て、ルシアは溜め息をついた。  ルシアの発情周期は五十六日前後だったが、先日のことがありその周期も変わった。  症状が重くなるオメガは稀だと言うが、そもそも六度目にも拘わらず相手がいないのが一番の問題だ。  向かいに座るレオンは寝癖こそ凄いものの、その制服はよれも皺もなくローブも綺麗だ。  本をめくる指は長く骨張って、爪も短く切られている。ほとんど毎日箱をいじっている指は、細かい作業に向いているのだろう。  そういえばあの中に何を入れてどこへ転送しようとしているのか聞いたことがないと思い、ルシアは頬杖をつき口を開いた。 「その転移魔法は、何を送る」 「なんでも……。魔法陣を書かなくてすむなら、魔力のない人も送れる」 「魔法石はそのための装置か」 「そう。呪文を魔法石に組み込んで、送りたいものを中に入れる。受け取る側にも魔法石と小箱を設置すれば、配達が簡単になる」 「……なるほどな」  転移魔法は極一部の魔道士しかこなせない魔法だ。基本的には自身が転移するのも他の者や何かを転移させるのも魔法陣を書かなければならないが、突き抜けた天才は魔法陣なしでもできるという。  当然物体転送も理屈的には可能ではあるが、その構築は複雑だろう。  特に魔法石は魔力がこもった石で、様々な術を閉じ込めることができるが、さすがに転移魔法陣を組み込めるかと言えば今はまだ不可能だ。 「発明家を目指しているのか」 「そんなんじゃないよ」 「お前の家は、兄がいるんだったな」  平民のコレット家とは違い、シュヴァリエ家は爵位を持つ貴族だ。とは言えアルファとオメガの血筋はそのほとんどが元をたどれば貴族なので、あからさまな身分差はない。  レオンには兄がいるので、爵位継承をせずに独り立ちするのだろう。実質自由気ままな身だ。 「魔道具の発明だと、どこに就職するんだ」 「……さあ」 「……さあ?」 「考えたことない」  さすがアルファ、なんでもこなせるからか。と受け取るべきか逡巡(しゅんじゅん)したが、昔から魔道具作りばかりしている割には完成品を見たことがないと思い出し、言葉を呑み込んだ。 「お前、将来はどうするんだ」 「……こういうの、作る」 「完成させないと意味がないだろう。そもそもお前はアルファだ。魔法が得意ならそういった職に就くべきだし、魔道士や剣士になるつもりがないならそれ以外で食っていけるだけの稼ぎが必要だ。恋人ができれば結婚も意識しなければならないし、そうなれば家族を養えるだけの経済力が必須だぞ」 「……魔道士にはなりたくない」 「なら剣士か騎士か? 剣術の成績はどうなんだ?」  沈黙。  本をめくる指が止まり、レオンがじっとこちらを見ている。  アルファが受ける講義の結果まで、把握していない。だが、この男が素早く魔法を纏いながら剣を繰り出しているとは到底思えず、ルシアは再度溜め息をついた。 「俺が出来損ないだって、知ってるでしょ」 「……そうだな」  風の噂でどこのアルファが素敵だの、あの人は駄目だだの、そういった話題は友人のいないルシアの耳にも入ってくる。学生身分だからこそだろう。  その逆に評判の悪いオメガだってこうして有名になるのだから、学校という場は残酷だ。  レオンは社交的とは言い難く、常に一人でいる分、アルファの中でも悪目立ちをしている。その上成績もたいしたものではないとくれば、噂話が好きな者たちの中で揶揄(やゆ)されやすい。 「……俺、興味ないことはしたくない」 「そうか」  それは多分、誰だって同じだ。  皆多かれ少なかれ我慢をして嫌なことにも向き合っている。  だがルシアは何も言わなかった。  この男がそういう人間だと幼い頃から知っているからだ。  考えてみれば確かに今まで一度たりとも、レオンをアルファとして意識したことなどなかった。  近所に住む、ただの変わった奴でそれ以上でも以下でもない存在。  体つきこそ成長して男らしくはなったようだが、ルシアの中ではレオンはずっと、ひょろりと背が高いだけの、俯いてばかりいた小学部の姿のままだった。  内気で陰気というわけではないが、すすんで一人でいるのを好み、他人と関わるのを避けるような男。  どこか偏屈で、頑固で、その癖なにも考えていない空気を持ち、嫌われ者のルシアにも臆することなく変わらずに接する。肯定も否定も慰めもしない。  ルシアに興味などないのは分かっている。  そんな男に発情期の相手になれと頼み込んだのは酷だが、それでも最終的には首を縦に振ってくれた。  性的な関わりなんて持つわけがないと思っていたが、この先二人はそういった関係になる。  互いに裸になり、あられもない姿を(さら)して。 「あ」 「え?」 「お前、経験はあるのか?」 「……それって」  重大なことに気付き、ルシアは引きつった。 「大変だ、相手がアルファだからと思って任せるつもりだったが、お前はアルファだがアルファじゃない! 大変だ、痛いのは御免だ、制御の仕方もその他のあれも」 「……ルシアも、経験ないよね」 「当たり前だろう! おい、レオン! 講義が終わったら練習するぞ!」 「……は?」 「のんきにしてる場合じゃない! 知っているか? 発情期中の行為には専用呪文を唱えなければならない。アルファのお前が協力しなければ最悪子ができてしまうし、それにやり方だって」 「そんなのあるの」 「普通は知っているんだ! お前は興味ないことは覚えないから!」  呪文、知らない。  なんて呟くレオンにルシアは目を見開き、早まらずに済んだことに心底安堵した。このまま何も知らず発情期に突入してしまったら、互いに悲惨な目に遭っていたかもしれない。  やはりレオンには任せておけない。 「とにかく、終わったらお前の家に行く! 馬車で待ち合わせだ!」 「……うん」  ぼやっとしたレオンの返答を背に、馬車が停車するなり走って校門を潜る。  ひとまず、専用呪文の本を探しにいこう。  講義を終え、図書室で件の呪文集を見つけ借りることもできた。  ルシアが停留所に向かうと、レオンは一人、律儀にベンチで待っていたようだ。 「今日、家族は屋敷にいるか?」 「……いるかも」 「僕が邪魔しても大丈夫なのか」 「父さんは仕事で遅いし、母さんは、いても研究室に籠もってるし、兄さんは最近見かけない。使用人と顔合わすくらいで、家族と会わない日も、あるし」 「お前の家はどうなってるんだ」 「みんな、好きにやってるって感じ」  多分俺がいてもいなくても誰も気にしてないよ。  淡々と言われ、ルシアは今のレオンを形成した大本を見た気がした。  貴族の家庭はそういうものなのか、はたまたシュヴァリエ家がそうなのか──恐らく後者だろうが、それならば好都合でもある。 「ほら、これが呪文集だ」 「……『愛の呪文集』?」  気を取り直し小さな呪文集をレオンに渡すと、怪訝(けげん)そうに題名を読み上げられた。たしかに不穏な題名だが、こればかりは不可抗力だ。  馬車がまだ来ないので、ルシアはレオンの隣に座った。 「本来ならばこういった類いの呪文は中学部の頃の白魔法学で習っている。最低限のマナーだからな」 「……知らない」 「基本的に呪文をかけてやるのはアルファとされているから、アルファなら知っていて当然みたいなところがある。オメガは発情期に入ってしまうと魔力が不安定になるし、意識も不明瞭になることが多い。アルファならフェロモンに充てられていても魔力は弱まらない。だからアルファが唱える。──というのも中学部の頃に教えられたはずだ」 「白魔法学は好きじゃない」 「だろうな。結局、対人魔法が主だ」  治療や治癒を主にする白魔法は、自らを始め、対象の生物が必要だ。  中学部からは小動物相手に色々と魔法を習うが、少しでも治療に興味がないとその魔法は成功しない。つまりもっとも性格に左右される魔法だ。これは対である黒魔法学も同様である。  レオンは元々一人でいるのが好きな男だ。  動物を可愛がるようなタイプでもないし、気遣いができるタイプでもない。必然的に白魔法には興味が湧かなかったのだろう。  それでもアルファなら覚えるべき魔法ではあるが、この男のことだ。発情期のことなど考えたこともないに違いない。 「とりあえず、僕を相手に練習だ」  返事のないレオンは呪文集を読み込んでいるようにも見える。  馬車が来たのでその腕を引っ張り歩かせると、彼は素直に馬車へと乗り込んだ。  レオンの家は想像よりも大きな屋敷だった。共働きだという彼の両親の姿はなく、兄も多忙のようだ。  使用人たちはルシアの訪問に大層驚いてはいたものの、「……誰も部屋に来ないで」とレオンが呟けば、当然です、と言わんばかりに頷かれた。 「……予想はしていたが、ここまでとはな」  そして初めて入ったレオンの部屋は、ひどい有様だった。  床には山積みにされた本や鉄くず、木製のガラクタが床に所狭しと散乱していた。  大きな机には分厚い本が積まれ、そこも何やら小物で(あふ)れていた。学校の勉強はしていないのか、教科書は隅の方に追いやられている。  それでも(ほこり)っぽくないのは、使用人たちが欠かさず掃除をしているからだろう。反対側のベッドも物には溢れているが、清潔そうなシーツが被さっていた。  ルシアは迷わず、ベッドに腰かける。座れそうな場所がそこしかなかったのもある。  すると佇んだままのレオンの肩が小さく跳ねたのが視界の隅に入り、首を傾げた。 「何をしている。こっちに来い」 「……お茶は」 「いらん」  言いながら、ローブを脱ぎひとまず隣に置いておく。  おずおずと歩み寄ったレオンが呪文集片手に視線を泳がせているので、ルシアはその呪文集を取り上げた。 「ローブくらい脱げ」 「……あ」  本が開かれていた場所は、件の呪文の場所だ。  オメガへの──避妊呪文。 「一応オメガとして、僕もその呪文は当然習得している」 「……うん」 「ここに、オメガの身体について記述があるように、仕組みさえ理解すれば簡単な白魔法だ」  のろのろとローブを脱ぎ、本の山にかぶせるレオンを見届けながら、ルシアは呪文集をベッドに置いた。  そこにはわかりやすいよう人体の絵が描かれ、子宮とその入り口、結び目が記されている。 「オメガ男性は、ここにある」  そう言って、自身を使った方がいいと思ったルシアは、突っ立ったままのレオンの腕を引きベッドに座らせた。  入れ替わりに立ち上がり、そのまま制服のジャケットを脱ぎ、ブラウスのボタンを外していく。  (あら)わになったブラウスの下から、ルシアの素肌が見え隠れした。  首にはブラウスの色に合わせた白いベールのチョーカーを身につけているが、これは魔法石を細かく練り込めた特殊な物で本人の意思がなければ外せない仕様だ。うなじを護るオメガなら誰しもが纏っている。 「いいか、ここの、奥に」  開いたブラウスの間に指を滑らせ(へそ)をたどり、その下を、すっとなぞる。  指先は制服のズボンにあたり、ちょうどそこでルシアは顔を上げた。 「──子宮がある。この中の構造を理解して、呪文を唱えればいい」  レオンの視線はルシアが指した箇所に釘付(くぎづ)けだった。  しかし返事どころか微動だにしない男を見て、ルシアはようやく様子がおかしいことに気付く。  よく見れば、目元が赤い。というより、首筋から耳まで真っ赤にして、固まっている。 「おい」 「……し、白、じゃなくて、こ……こんなの、い、いやらしい気がする」  視線を逸らしたレオンが、ぼそぼそと呟く。  一瞬何を言われているのか理解できず、困惑した。  時が止まり、レオンの戸惑った声を噛み砕くように飲み込んだ後は、今更何を言っているんだこいつ、と(あき)れてしまう。  小さく息をつくと、ビクッとレオンが過剰反応し、不自然にもこちらを見ようとはしない。  ルシアはレオンの隣に座ると、そのまま後ろに倒れ、頬杖をついた。頼りないアルファの猫背が、ちょうど正面にある。  はだけたブラウスはルシアの白い腹筋を露わにしているが、レオンは気付いていない。 「今、上を全部脱いだ。振り向いて見てみろ」 「……は、はしたないから、むり」  屁理屈(へりくつ)な返答にルシアの目は半目になる。  ちなみにブラウスは脱いでいないが、恐らくこうなったら意地でもこちらを見ないだろう。  と言うことは……。 「──お前、発情期ではこれ以上のことするんだぞ? 大丈夫か」 「……だめ、かも」  冗談だろ、と頭をはたきたくなったが、我慢である。  まずは初歩から始めなければ、とルシアは天を仰いだ。  結局あの後、レオンがルシアを直視できなくなり、呪文どころではなくなったので習得は後日に持ち越されることになった。  予想外なのはレオンが思った以上に初心(うぶ)だったことだ。  年頃の男女なら誰もが通っているだろう興味や好奇心を、今の今まで知識として仕入れようとしなかったためか。  だが、発情期まであと二月もない。それまでになんとか呪文習得させないと将来にかかってくる。  なので、ルシアは考えた。  考えた末、出た答えはただ一つ。  ──慣れろ。  ということだ。  慣れるためにどうするのかなんて、至極簡単だ。  積極的にレオンに近付き、物理的な距離を詰めること。  朝の馬車では必ず隣に座り、腕と腕が密着するほど近付く。ついでにレオンが読んでいる本を覗き込み、他愛のない会話をする。  今までにない至近距離に身体を強張らせるレオンに、ルシアは口角を上げた。前髪が邪魔だぞと言い、その寝癖だらけの髪を指で梳いてやる。 「……な、なに」 「やっぱりお前、髪を切った方がいいな」

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