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第一章 嫌われ者のオメガ-2

「ルシア・コレット。……四十点」  ぷっ、と背後で噴き出す声がしてテストを受け取るルシアの動きが止まる。  召喚魔法学は毎回小さなテストが出される。講義終わりにその結果が発表されるのだが、こうも低い点数を口に出されるのはどの生徒も嫌がるものだ。  しかし製薬研究所に入るためには必須科目で、ルシアも将来のため苦手科目だが履修している。  この召喚魔法学は召喚士を目指すアルファはもとより、ルシアと同じ道を目指すオメガも、魔道士を目指す者の殆どが履修する人気科目でもある。  そのため魔法学校の中でも講義室は一際大きく、教師の声も拡声魔法を使用しているためやたらと響いた。  ルシアは振り向いて、笑ったと思われる人物を探した。  実を言うと毎回ルシアの点数発表の後に件の笑い声が聞こえるので、誰かがそういった魔法をわざわざ放っているのかと考えたほどだ。  ぐるりと周囲を見渡すと一人の男子生徒と目が合った。瞬間ニヤリと笑われて確信する。  迷うことなく足を踏み出したルシアは、彼の前で仁王立ちになり声を張り上げた。 「他人の点数を聞く度、噴き出すほど面白いようだな」 「──まさか。こんな簡単なテストで(つまづ)く人間を(あわ)れんでるだけだよ。だってこれでは、卒業すら危うい」  そう言ってわざとらしく憐れみの視線をよこした男は、ディライト・マーレイという名の生徒だ。小学部から在籍している顔なじみで、彼もまた稀有なオメガ男性であるのに二人の仲は壊滅的に良くない。  なぜならルシアを目の敵にしている生徒の中で筆頭と言ってもいい相手だからだ。 「お前に心配されなくとも、僕は色々考えている」 「ああ君、許婚がいるんだっけ? ──ってまさかな。確か君の家は平民だしその上君は性悪で有名なオメガだ」  ぐっと言葉を詰まらせたルシアは鼻で笑う相手を見つめる。  あの時の腹いせなのだと、理解はしているが納得はしない。  そう、あの時。  そもそもルシアが性悪オメガだと(ささや)かれ周囲に遠巻きにされるようになったのは、一年前この男に声をかけたからだった。  あの日、ルシアは珍しく校内の図書室で遅くまで勉強をしていた。  確か黒魔法学の試験を控えていて魔法の歴史を調べていたのだ。図書室にはルシアの他にも何人かの生徒もいて、門を閉めるから出ろと司書に追い立てられ、全員が渋々腰を上げたところだった。  先頭に立って図書室を出たルシアは、薄暗い校舎の中、妙な香りに気付き足を止めた。  長い廊下の先でうずくまる人影のようなものが見えたからだ。背格好からして男子生徒だろう。  しかしなぜ、あんなところで……。  嫌な予感がしてルシアは咄嗟に呪文を唱えた。万が一のためだと以前習得した白魔法だ。  そうして少年に駆け寄れば、ラバトリー前の大きな柱に(すが)るように手をつき肩で息をしている彼と目が合った。  現在の彼はルシアに向かって嘲笑し(さげす)んだ表情を浮かべるが、当時の彼は、助けを請うような切羽詰まった目でルシアを見ていた。  彼から漂う甘い蜜のような香りは、オメガの発情期を示している。  ルシアは躊躇(ためら)わず、彼の腕を引っ張り上げて言った。 『っ、この馬鹿オメガめ! なぜ外出した!』  校内で発情期など、言語道断、あってはならぬことだ。  ちょうど一月前にルシアも自宅で、アルファの前で発情期を起こしたばかりだった。継母がいなかったら、今頃自分は義兄のつがいになっていただろう。  その恐ろしさを身をもって知っているし、彼女に言われた言葉も、胸の奥にずっと残っていた。 『お前みたいなオメガのせいで多くの人間が迷惑を被る!』   だから、ルシアは己が正しいのだと自信があった。  今だってその考えは変わっていない。  ルシアに掴まれフラフラになりながらも立ち上がったディライトは、自身の熱に浮かされながら『帰してくれ……っ』と(あえ)ぐように訴えてくる。  どちらにせよ彼をこのままにするつもりはない。図書室にはアルファの姿だって多くあった。 『た、助けて……っ』 『朝から異変があったはずなのになぜ放置した? こうなる前にいくらでも先を見通せたはずだ! 迂闊(うかつ)で済む話ではないっ』  もみ合うようにして彼をなんとか支えたルシアは、とにかく校門へと急ぐ。  馬車にさえ乗せれば彼の家に(しら)せることもすぐにできる。  だが、ルシアの魔法が効いたのか平気な顔をした後続のアルファたちが、(とが)めるようにディライトの腕を取りあげた。 『──おい、そこまでにしとけよ』 『同じオメガなのに、そこまで言わなくても』 『発情期は繊細なものだ。誰もが予測できる訳じゃない』 『あなたっていつもそんな言い方しかできないのね』  中には見知ったオメガもいたが、皆ルシアを咎め、ディライトを(かば)うように行く手を塞ぐ。  冷めた瞳で見下ろされ、ルシアは固まった。  オメガの強烈なフェロモンをアルファの鼻腔、果ては体内に取り込まぬよう呪文を唱えたのは自分で、感謝されこそすれ、咎められる理由はない。  だが、彼等の表情はルシアの手を止めるのには充分なほど冷たく不快をにじませていて、それ以上ルシアの言うことを聞き入れるような空気はなかった。 『後は俺たちに任せろ。お前みたいな無神経な奴に任せることはできない』 『オメガの私もいるし心配はしないで』 『言い方ってものを少しは考えろよ』  ディライトの腕を取り、彼等は茫然と立ち(すく)むルシアを置いて歩き出す。 『……あいつ、前から鬱陶(うっとう)しい物言いするから気に食わなかったんだ』 『私も苦手。前に下級生を泣かせていたのを見たの』 『なにそれ、最悪』 『オメガの癖に可愛げもないしな』 『フェロモン防御呪文って誰が唱えた? 助かった』 『え、お前じゃなかったの』  ──僕が唱えた。  離れていく同級生の姿を見ながら、ルシアは俯く。  悪口が聞こえた今、当然、そんなことを言える気力は湧かない。 『……帰ろう、ルシア』  しばらくそうしていたルシアの背に、覇気のない声が降りてルシアは飛び上がった。  レオンだ。 『……いたのか』 『……? 今、出てきたところ。司書がうるさくて』  馬車は先の生徒たちを乗せたのでまだ戻らないだろう。  やるせない気持ちになったルシアだったが、レオンと並ぶとなんとかその感情も鎮まっていくのがわかる。  魔道具を肌身離さず持ち、隙あらば調べ物をしているレオンは、たとえルシアの失態を見ていたとしても興味はないだろう。  それは逆に今ここで自分が傷ついたことを吐露しても、慰められることもないのを意味している。  でも、だからこそ、よかった。 『──多くの人間が迷惑を被る、か』  継母に言われたあの言葉は、ルシアにとって紛れもない真実だ。  彼女は正しい。ルシアはどうあがいても、そういう機能を携えて生まれたのだから。  だから護られる前に、自衛するのは当然のこと。そうしなければ万が一のことがあっても、誰も自分を庇ってはくれない。  間違ってはいない。  だが、正しさだけでは友人は作れない。  ──そんな思い出は、やはり彼にとっても後味の悪いものとして処理されたようだ。  ディライト・マーレイは言葉を失ったルシアを見つめ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。  オメガの発情期は、人によっては死を伴うこともある。  そんな衝動を抱えた彼等を誰も正論で叩く人間はいない。  騒動の翌日、ルシアの物言いが多くのオメガの反感を買い、それまでルシアを良く思っていなかった者たちが便乗するように賛同したことで、ルシアは学校中から心ない無神経オメガとして判を押される。  また、朦朧(もうろう)としていたディライトも後にそんな言葉を投げかけられたのだと知ると、彼もルシアを責め立て、決して許すことはなかった。  おかげで、ルシア・コレットは他人の気持ちが分からぬ性悪オメガとして、一層嫌われる身となったのだ。  元々ルシアに友人らしい友人はいなかった。  小学部の頃、いじめられている女子を助けたことがある。荷物を隠されたり小突かれたり、心ない言葉をかけられたりしているのを見ていたルシアは、その現場を見かけてすぐさまいじめっ子たちに文句を言った。  くだらないことばかりするな。ここは魔法を勉強する場であって他人に嫌がらせをするところじゃない。  そう言って俯く彼女の前からいじめっ子たちを追い払ったが、ルシアは我慢ならずに続けた。  ──お前が黙っているから彼等が調子に乗る。うじうじしている暇があるなら、教師なりなんなりに相談しろ。お前らのせいで他の者も影響されるんだぞ、と。  彼女はルシアを睨めつけるように見て、礼もせず去って行った。  恐らくあの時も、自分はなにか、間違ったのだろう。 「……っくそ」  発情期が来た。  予定日は五日先のはずだったが、六度目の今回はいつもと違う。  深夜、ひどい(うず)きに目を覚ましたルシアは、震える手で専用魔法石を起動しシーツにうずくまった。今が夜中で良かったと、心底思う。  これまで一度もずれたことがなかった発情期を不思議に思うよりも、ルシアはその異常なまでの熱さに苦しめられていた。  頭の中で過去の嫌な記憶が駆け巡ったと思ったら、次には身体中から汗が噴き出て、下腹部がしとどに濡れている。主張している中心より奥の、腹の中が終始(うごめ)いているような感覚で、不快感がひどく、何よりも恐ろしい。  オメガの発情期は、体が成熟すればするほど重くなる傾向がある。  だからオメガの貴族は若いうちから許婚を決め、発情期が来たらつがう相手と繋がり、発情期の苦しみを軽減する。  それらに該当しないオメガは恋人を作る。契約とは別の、将来の約束はない相手を。  そうして発情期を迎えなければ、症状の重いオメガは生きていけない。  そんなこと、十八も過ぎればルシアとて重々承知である。だからいつも身綺麗にしてアルファの誘いを待っていた。 「ぁ……っ」  濡れたそこを(さす)り、探り、なんとか疼きから逃れるために手を伸ばす。だが、渇きはいっそうひどくなり、ルシアは涙を浮かべた。  中学部の頃、年上の背の高いアルファ男性に声をかけられたのを思い出す。  彼はオメガにしては態度が大きく、アルファのように振る舞うルシアを知っているようで、生意気な子が好みだと言っていた。  好奇心旺盛な瞳で見下ろされ、ルシアはなぜか対等に扱われていないと感じ、不快に思った。その頃はまだ発情期も訪れていない未熟なオメガで、自分には価値があると信じていたのもある。  友人と呼べる者がいるとは言い難かったが、同じオメガなら挨拶を交わす生徒も何人かいたし、時折昼食だって共にしていた。  だからこそアルファのその瞳と軽薄さが気になり、ルシアは素気ない態度で彼を追い払った。  元々アルファから格下のような扱いをされることに我慢ならず、授業でもその他でも言い合いや喧嘩になったことは数知れない。それにも(かか)わらず、お前はどうせオメガなんだから、という態度でルシアを誘うアルファはいた。  当然、全てを断った。(しゃく)に障ったこともあるが、大抵は話したこともない、見たこともない、そんな人間ばかりだったからだ。  だが、件のディライト騒動でルシアは孤立する。  挨拶を交わしていたはずの生徒も昼食を共にする生徒も今では誰一人、いなくなってしまった。あれから一度だってアルファからの誘いはない。  ──ああ、今なら、誰でもいいから付き合うのに。  疼く熱と衝動に喘ぎ、ルシアはただ強く願う。  乱暴にされてもいい。どうされたっていい。  ただ苦しくて熱くて、ひたすらに痛いこの時間を──終わらせて欲しい。  五日間、ルシアは食事もろくに摂れず、水分だけで過ごした。  心配した父が何度か来たが、扉は一度も開けずにいた。  症状が軽くなるときに水差しを引き入れ、後は途轍(とてつ)もない衝動に苛まれその身を慰め続けた。  痛みと渇き、熱と混濁、そんな苦しみに泣きながら、この身体がオメガであることを呪わずにはいられなかった。  ルシアがオメガであることを呪ったのは、この時が初めてだ。  次は、死ぬかもしれない。  壮絶な発情期を終え、ルシアはしばし茫然としていた。  発情期は五日間続いたが、その後の二日間はただただ休養し体力の回復に努めた。正直まだ講義を受ける気にはならなかったが、遅れは取り戻さなければならない。  なんとか制服を着て、櫛で髪を整え、ローブを羽織り香水をつけ、自室を出る。  階段を下り継母に会うこともなく、姿見を覗けば、げっそりとした表情の己と目が合った。  鏡に映るのは美しくもない、可愛くもない、誰からも好かれず嫌われている醜いオメガだ。  その事実に打ちのめされ、ルーティンである笑顔を作ることすら億劫(おっくう)になり、そのまま家を出た。  このまま恋人もできず、死んでしまうのだろうか。  誰からも、愛されることもなく。  フラフラと馬車に向かうと、既にそこには先客がいて、いつもの金髪が目に入る。  覇気のない、猫背のアルファ。  いつものようにあちこちに寝癖をつけ、長すぎる前髪のせいで目線すら合わぬ冴えない幼馴染みの、レオン・シュヴァリエだ。  アルファはいいな、と思い、次にルシアは目を見開いた。 「……おはよう。大丈夫?」  いるではないか、ここに。  ぶるぶると震えだしたルシアを、レオンが無表情で見つめている。  手にはいつもの魔道具だろうか、小さな小箱を持っていて、そしてまた震えるルシアを差し置いてそちらへ視線を移した。  だが、ルシアは感動していた。  いるではないか。  ここに、  ちょうどいいのが。 「お、お前、婚約者はいるかっ⁉」 「え」 「いや、いてもこの際どうでもいい! レオン! 僕の恋人になれ!」 「……むり」  秒でルシアを振ったレオンだったが、その返事は予想通りだったので問題はない。  ルシアはこの先を生きるためならなんだってする気でいた。既にあの苦しみを、なによりも味わいたくなかったのである。      *****

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