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第2話 らっきょう仮面

 ――しょーもない理由で部活やめたいと思ってる。でも理由が理由だし、やめるって言いにくい。どうしよう。  誰かに反応してほしかったわけじゃない。そもそも俺のフォトスタのフォロワー数は十一人。その十一人とだって俺はめったに交流しない。俺好みの動画をアップしているクリエイターをフォローしたらフォロバしてくれただけの人達。つまり俺から一方的に覗きにいく関係。そんな人達が俺の日常の呟きを拾うことなんてまずない。  見る専用のアカウント。そこになんとなく投げ込んだ本音。  当然黙殺されるはずのそれに反応があったのは、投稿した翌日だった。  ――わかる。俺もくだんない理由で部活やめようか考え中だけど、誰にも言えない。 「え」  フォロワーでもフォローしている人でもなかった。まったくの通りすがりの誰か。アカウント名は「らっきょう仮面」。なんて名前だ、と思った。しかもアカウントに使われているアイコンはらっきょうじゃなくて、スターベイクスのフラッペだ。ストロベリーの。  変な人。知らない人だし、いつもなら無視する。でもそのときの俺はまあまあ落ちていた。  ――リプありがとうです。反応もらえると思ってなかったので驚きましたけど、うれしかったです。  さらさらっとお礼コメントを入れる。数分後、ぽっと再び通知が灯った。  ――共感しちゃったもんで。言えないってしんどいよね。  さりげなく気遣ってくれる。らっきょう仮面、いい人じゃん。ただ、この人もともとが陽キャなんだろうな、と俺はらっきょう仮面のアイコンを眺めながら思った。  だってこのアイコン、ひとりで行ったときの写真じゃない。背景はぼやけているものの、向かいに座った誰かのシルエットがほんのり写りこんでるし。  偶然同じようなことで悩んでいるっぽいが、この人の悩みと俺の悩みは多分まったく違う。  大体、俺の悩みはまあまあキモい。  だかららっきょう仮面とのやり取りもこれで終わりだと思っていた。  ――部長から次期部長としての心得ノート渡された。ますますやめるって言えなくなってきた。でももう部活出る意味もないんだけどな。  数日後、帰宅中の電車の中で俺はフォトスタに言葉を投げ込む。当然ながらリアクションなんて皆無。別に構わない。誰かに見てもらいたいっていうか、もはやここは俺の愚痴吐き場。銀河の彼方の石炭袋みたいなもの。  だから吐き捨てるだけ吐き捨てて閉じてしまっていた。変化に気付いたのは家に帰って自分の部屋に入ったときだった。  ――わかりみすごい。俺も言えないでいる間に大会の出場、勝手に進められてる。きつい。  らっきょう仮面だった。  まさかまたリプをくれると思ってなくて本気で驚いた。と同時にちょっとだけ気になった。  この人はどんな理由で部活、やめたいんだろう。  でも、いきなり訊くのはやっぱりルール違反だよな。  ――別に部活が嫌いってわけじゃないんですけどね。  独り言とも返信ともとれる曖昧な言葉を放り込む。しばらく見つめていると、いいねがひょいっと押された。それで終わりかと思っていた。なのに。  ――そこもわかりみ。むしろ好きなほう。ただもう出るのが恥ずかしい。  恥ずかしい?  なにかあったのだろうか。でも突っ込んで訊くのも……。迷いながら、俺はそろそろと指を動かす。  ――運動部ですか?  これくらいなら訊いても問題ないだろう。そうっと送信ボタンを押すと、すぐに返信があった。  ――運動部っていえばそう、かな。そっちは?  ――サンルーム系です。  ――サンルーム系? って、なに?  ――半分外出て、半分中、みたいな。  ――なんそれ(笑) 意味わかんねー。  素直に、文化部です、と言えばよかったのに、俺はなんでこんな変な言い方をしちゃったんだろう。  自分でもよくわからないけれど、多分らっきょう仮面ともう少し話をしてみたかったからなんだと思う。  だって、運動部で、アイコンから見ても陽キャで爽やかっぽい。その爽やかくんの恥ずかしいってなんだ? と下世話な興味が湧いてしまったから。  我ながら性格が歪んでいる。  ――でもサンルーム系? だとあんまり人間関係悩まなくてもいい感じ?  らっきょう仮面から問われて俺は少し考える。  ――まあ。個人技なので。  ――個人技? もしかしてあひるんも武道系の部活なの?  ぐいぐい来る。さすがアイコンが陽キャ。面倒だなあ変な答え方しなきゃよかった、とちらっと後悔したとき、再びリプがあった。  ――ごめん。根掘り葉掘り訊きすぎた。部活の話、できる相手いなくて、うれしくてつい。  ――いいよ。気にしてない。  条件反射みたいに、いいよ、を返しながらも少し……驚いていた。  SNSだって画面の向こうにいるのは人だ。だから「ありがとう」だって「ごめん」だってそこここにあるとは思う。思うけれど、表面的な付き合いも多い場所だと俺は思っている。だから言葉に込められる重みは限りなく軽いと感じてしまう。  けれど、らっきょう仮面から寄越された「ごめん」にはしっかりと重みがあるような気がした。ほんの数往復しか会話していないにも関わらずだ。  同じように部活で悩んでいるからだろうか。  そもそもらっきょう仮面なんて名前を名乗るようなやつにそんな悪いやついなさそう、なんて思っちゃったからだろうか。  自分でも自分がよくわからないが、以来、俺とらっきょう仮面は画面越しに会話をすることが増えた。  ――進路とかアンドロメダより遠い。  ――だよな。人生百年時代ってCMしてるくせに、こんな序盤で人生についてちゃんと考えて進路決めろとか言われても無理っしょ。今それどころじゃないっての。  ――俺も。最近ちょっと寝不足かも。  まあ、寝不足なのは進路のことで悩んでいるからばっかりじゃないけれど。  なんて溜め息をつきながらもぼちぼちと返信を繰り返す。  別に特別なことを話しているわけじゃない。ちょっとした愚痴がほとんど。悩みの核心になんて一切触れない、卵の殻を撫でるみたいな内容だ。  でもこのなんとなーくの会話が最近、俺は気に入っている。  ――今日、夕飯餃子だったー。今、空見たら餃子型の月だった。  ――餃子型の月! ああ、確かに。ってか俺の夕飯、聞いて驚け。月見うどんだった(笑)  ――驚かないよ。けど、まさかの月見(笑)  ――な。ちなみに俺、スマホのストラップも月見。  ――月見ってなに? 月の形ってこと?  ――違う違う。月見うどんの食品サンプル。兄ちゃんに作ってもらってさー。兄ちゃん、そういうの作るの得意なんよ。  一瞬先にはふっと忘れちゃいそうなそんな話題。  ――テレビ、あんま最近観てなかったんだけど、この間、なんとなくニュース見てたら、俺好みの声のアナウンサーの人がいて。あの声聴きながら寝たら、寝不足解消されそう。  ――なに、あひるんまだ寝不足なの? 大丈夫?  ――そー。なんかいろいろ考えちゃって。  いろいろの中身は書かない。らっきょう仮面も訊いてこない。けれど、俺達の会話の始まりが始まりだけに、彼にはわかっている気がした。  俺にだって少しは友達もいる。でも自分が悩んでいるということを、あえて言いはしない。悩みの内容が内容だから言えないのもあるけれど、言ったところで理解なんてされないと思うから。  らっきょう仮面にだって俺は全部を言えてはいない。でも、少なくとも俺同様こいつは人には理解されない理由で部活をやめたいと思っている。その共通点が俺の中の防波堤を低くしていた。 「え」  だから、油断していた。俺はスマホを凝視したまま固まる。  画面には通知が一件あった。DM到着を知らせるものが。  ポップアップ上に見えるアカウント名は、「らっきょう仮面」。  まさかDMを送ってくるなんて思わなかった。どうしようどうしよう、と迷っている俺の目に、アカウント名とともにDMの初めの一文が見えた。  ――突然送ってごめん。でも眠れたらって……  眠れたら。  ――なに、あひるんまだ寝不足なの? 大丈夫?  さっき、彼が最後にこちらに寄越した文言がふっと頭の中を過ぎる。  ただの文字。でも心配そうなその文字に背中を押されるようにして、俺はポップアップをそうっとタップする。  まっさらなDM画面の中に彼からの言葉がぽつん、と浮いていた。  ――突然送ってごめん。でも眠れたらって思って。これ、俺がよく聴くASMR。よかったら聴いてみて。あと、さっき、アナウンサーの声がいいって言ってたじゃん。あれって誰? 気になって俺が眠れない(笑)  言葉とともにURLが貼られている。よく知らない相手からのDMに乗っかったパスなんて絶対踏んじゃだめだ。でも……俺はタップする。  現われたのは、月光に照らされた草原の映像だった。  淡い銀色の光に照らされ、どこまでも広がる大地。その大地の上を風が渡っていく。波めいた動きで一方向へと流れていく草花。さあああっと耳を撫でるのは、風と草が戯れる音。  葉擦れの、音。  静謐な空間を満たす囁き声みたいな音に、俺は思わず目を閉じる。  ただ単調に流れていく風音に束の間、自分の身体さえ忘れた。  ――ASMRとか、俺あんま観なかったんだけど、いいね。  十分ほど放心してしまっていただろうか。慌てて返信すると、書き込み中の表示後、ぽ、と返信が灯った。  ――うん。いろんなのあるけどさ、これが一番ほっとすんの。まあ、試合前とかはこれだと寝ちゃうから、集中力上がる系のやつ、聴くけど。  ――どんなの?  ――卵の殻、ずっと割ってるやつ。コン、カシュってのがくせになんの。  卵の殻って……。  ――それ……集中できんの?  ――できるよー。聴いてみなよ。  言葉の後に、またURLが送られてくる。本当に卵を割る映像と音をエンドレスに楽しむ動画だった。  確かに集中できる、かも? よくわからないけれど、ついつい聴いちゃうのは確かだ。  それにしても、この人はこの音を聴いて一体どんな試合に出るのだろう。  訊いていいだろうか。  ――あ、の、これ聴いて、なんの試合、出るの?  返信は遅かった。その沈黙の長さで踏み込みすぎたのだと悟った。焦って、ごめん言わなくていいよ、を入力欄に入力する。が、送信するより先に、ふっと言葉が落ちてきた。  その言葉を見て、俺は固まった。  ――剣道。  どくん、と心臓が鳴る。小さく息を吸って吐く。  俺は別に剣道部じゃない。だから共通点に戦いたんじゃない。  剣道部なのは……彼。  俺が部活なんてもういいって思っちゃった理由になった人。その人の立ち姿が脳裏を過ぎる。  ――なあ。  肩をとん、と叩くような気軽さで言葉が目の前に降ってくる。慌てて俺はスマホを持ち直した。  ――俺も教えてよ。さっきのアナウンサー、誰? 俺も聴いてみたい。  ……そっち?  ここは普通、そっちは何部? とか訊いてくるとこじゃないか?  唖然としたけれど、肩の力が抜けた。ほっとしつつ俺は質問に答える。  ――木杉清吾って人。知ってる?  ――おお! 知ってる! 母さんがファンでよく見てる。けど、どんな声だっけ。  無邪気に問い返され、俺は素早く検索し、木杉清吾の動画のパスを彼に送る。  ――そうそうこの声! 思い出した! うん、確かにこの人の声、よく眠れそう。  楽しそうな返事。そこにはなんの陰もない。でもこんなはしゃいだ言い方をしながらも、この人、すごく悩んでいるんだよな、と思ったらなんだか黙っていられなくなってきた。  ――俺は、写真部なんだ。  画面の向こうで、彼の動きがふっと止まったのを感じた。俺は小さく深呼吸をする。  ――そっちが教えてくれたから。俺も。  ――そっか。  文字にしたら三文字の、そっか。でも全然軽くない、そっか、の後、重い沈黙が流れた。迷いがじんわりと画面から滲んでくるようなそんな気配の後、あのさ、と文字がぽぽっと上がってくる。  ――変な話、していい?  ――うん。  打ち明け話をしようとするときの濃密な空気を感じる。しばらく経ってから、彼の言葉が画面に浮かび上がってきた。  ――俺、剣道部やめたいの、声のせいなんだ。 「声?」  思わず口で返事をしてしまう。慌てて、声? と文字に起こすと、そ、と一文字返ってきた後、ぽつぽつと言葉が画面に刻まれた。  ――剣道ってさ、打突、ええと、技? 出すとき、掛け声出さないといけないじゃん。あーと、体育で剣道、やったことある?  ――うん、ある。わかるよ。  慌てて返事をすると、安心したような間があった後、再び画面に文字がそっと置かれた。  ――声のでかさも大事って教えられててさ、俺もそうしてたんだ。でも少し前にね、練習見に来た彼女にさ、稽古のときの俺の声、キモいって言われて。で……それが理由でフラれた。 「ええええ!」  なんだそれ。なんつう理由……。あり得ないだろ。なんだその女。  驚きすぎてまたも応答が遅れてしまった。俺は慌ててスマホを握り直す。  ――そんなの気にすることないよ。それは彼女が特殊っていうか。  ――んー、どうなんだろう。問題はさ、俺自身もそうかもって思っちゃったことなんだよね。俺、子どものころから剣道やってたけど、そもそも他の人からどう思われてるか、考えたことなくて。でも今回、彼女に言われたことで、俺の声、キモいのかもって思っちゃってさ。こんなの誰にも訊けないし。あれ以来、剣道やるの、なんか怖くなっちゃって。  いつも通りの軽い口調。でもものすごく勇気を振り絞って伝えてくれているのがわかる。  わかるのに、俺はなんて言っていいのかわからない。迷う指の下で、ひゅい、と返信が追加された。  ――ね、しょうもない理由で部活やめたがってるだろ。  苦笑に似た文字の羅列を見たとたん、かっとなった。  しょうもない?  しょうもないのか? それ。  彼のことはよく知らないけれど、ずっと剣道をやってきて、高校に入ってからもきっと一生懸命やってたんだと思う。それを、声がキモい、なんて言われて。しかも彼女に。  それって、全然しょうもない理由じゃなくないか?  っていうか、彼に比べれば俺の理由なんてそれこそしょうもないじゃないか。  ――俺は推しに彼女ができたから写真部やめようとしてる。  えい、と指に力を入れて送信ボタンをタップする。たっぷり一分間が空いてから返信があった。  ――それ、どういう意味? 部内恋愛的な?  ――違う。被写体として最高って思ってた人に彼女ができた。もともとその人が部活してるとここっそり写真撮っちゃってたんだけど、彼女できたって知ってからその人見るのしんどくなっちゃって。そうなって気付いた。俺、その人しか撮りたくなくなっちゃってたみたいなんだよね。  ああ、なんて変態なことをつらつらと書いているのだろう。これはさすがのらっきょう仮面も呆れるに違いない。だって、俺がやってたことって盗撮だし。  でももう仕方ない。後戻りはできない。  ――だから部活やめたいんだ。ね、俺のほうがしょうもないだろ。  書いたと同時に、胸の奥がすんと痛んだ。  思いもよらない告白だったのか、スマホは完全に沈黙してしまった。返事を待つのも怖くて、俺はスマホを裏返し、ベッドに入る。  布団の中にもぐりこみながら思い出したのは、彼の顔。  俺が撮りたいと唯一思った人の顔だった。

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