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第3話 写真を撮る理由

 彼を意識するようになったのは、高校一年の五月だった。  うちの高校はどこかのクラブに絶対所属しなきゃいけなくて、仕方なく入った写真部で俺は早くも所在なさを味わっていた。  そもそも俺は部活動なんてしたいと思っていなかった。だから入学式直後に行われたクラブ紹介でも、やたらテンションが高く、やる気に満ちている部ばかりなのを見て、げっそりしていたのだ。その意味で写真部は、他の部のように部員全員でステージいっぱいを使ってパフォーマンスするとか、急に歌いだすとか、それ系のウザさが一切なく、「写真部です。初心者でも歓迎です」と部長らしい、もっさりした男子が一言言って壇を降りていく様子が最高で、俺にとって理想的な部に思えた。  この部なら、しれっと帰宅部になっても許されそうだから。  けれどその、やる気なさそう、が俺を拘束する足かせになるとは思いもしなかった。 「中谷くんが入ってくれてよかった。君がいてくれないとうちの部、今年で消滅しちゃうとこだったから」  写真部の部長であり、たったひとりの部員でもあった藤堂宝(とうどうたから)先輩は満面の笑みでそう言った。こんな言い方をされたら、帰宅部に鞍替えもしにくい。写真になんてまったく興味ないのに。  ただ、やめにくさは確かにあったけれど、写真部にはルールなんて一切なかった。部長の藤堂先輩からして自由そのものだった。フィルムカメラこそカメラ! というくらいに、デジタルへの抵抗感がある先輩は、フィルムカメラを使って撮影をしていたけれど、俺に自分の美学を強要することなんてもちろんなかったし、「好きなもの撮ればいいよ」と言いながら、自分は空の写真ばかり撮影していた。 「せっかく写真部にいるんだから、そこらへんのカメラ使って撮ってみたら?」 と、OBが残していった旧型のカメラが貸し与えられ、ほぼ放し飼いの状態で活動は行われた。  写真部保有のカメラは全部で三台あり、うち一台は藤堂先輩が使っているようなフィルムカメラだった。残り二台はデジタルで、うちにもありそうなコンパクトデジカメが一台、一眼レフカメラが一台。迷ったものの、まあせっかくだし、と俺は一眼レフカメラを借りて校内を歩き回っていた。  しかしいきなり撮影しろと言われても、なにを撮っていいんだかわからない。そもそも俺は、スマホで写真を撮るなんてのもまあしないタイプなのだ。旧型で重みもあるカメラを手にぶらぶら校内を歩くばっかりで、こんなの写真部じゃなくて散歩部じゃね? と馬鹿馬鹿しささえ感じていた。  そんなときだった。 「やぁぁぁぁぁ!」  俺の耳をきん、と声がつんざいた。あまりにも突然で、手にしたカメラを落っことしそうになった。見回した俺の目に映ったのは、剣道場の窓だった。  換気のために大きく開け放たれた窓の向こう、向かい合ったふたりが掛け声とともに竹刀を振り上げ、振り下ろす。ぱしっと高い音を立てて、竹刀と竹刀が交わる。どん、と床が踏み鳴らされ、立ち位置がくるりくるりと入れ替わる。と。  片方の剣士が竹刀を大きく振りかぶった。大股で一歩、歩が踏み出される。このまま面へ竹刀が入る……と思った瞬間、 「どぅーーー!」  すぱん、と竹刀が相手剣士の胴を抜き払った。  そのあまりにも鋭くて、軽やかな動きに思わず瞬きを忘れた。  網膜に焼き付いた残像が、俺の身体から動きを奪う。  はためく道着が紺色の軌跡となって、いつまでも脳裏から離れない。  それくらい……鮮やかな一閃だった。  剣道なんて体育でちょっとかじったくらいだ。ルールもうろ覚えでしかない。ようするに、好きでもなんでもない。でもそのとき思ってしまったのだ。  撮ってみたい、と。  ただ、俺はまだカメラの使い方も満足にわからないど素人だ。そんなぴよぴよが「撮らせてください」なんて言っていいものだろうか? 迷いながらも俺は剣道場を時々覗くようになった。  そして知った。  俺が、撮りたい、と思った相手が、同じクラスの南涼太くんだったことを。  南くんは典型的な陽キャで、俺とは真逆の人間だった。いつも友達に囲まれていて、女子からの注目度も高い。さらさらの前髪をセンターで分けていて、ちょっと長めのそれをさらっと掻き上げてこちらを見る。涼やかな切れ長の目には妙に色気があって、まっすぐ見られると俺でもちょっとどきっとする。大人びていて、穏やかな受け答えを普段からする、優しいクラスメート。  その南くんが見せた、獰猛にも思えるあの動き。こちらの背筋をすっと正させるくらい鋭い声。  あまりにも大きすぎるギャップに魅せられ、気が付いたら彼をファインダー越しに見つめるようになっていた。  写真のなんたるかもちゃんと習ったことのない俺は、当然ながら技術なんて全然ないし、俺が使っているカメラはオートフォーカスも十分じゃない。だからピントはぶれぶれだし、そもそも手ブレもひどい。満足に人に見せられるようなものでもないわけだけれど、それでも南くんが竹刀をすうっと構え、振り下ろす、あの一瞬の静謐さを切り取るために俺は必死だった。  撮影した写真をPC上でレタッチするのも楽しかった。ここはもっと背景の光飛ばしたほうが、彼の動きがよりくっきり浮かび上がるかな、とか、逆に足元はシャドウを足してみようとか。トーンカーブは青濃いめで黄色少な目とか。  カメラも今は先輩のおさがりだけれど、いつか自分のものを買いたい、と思うようになり、バイトについても検討し始めていた。  ただ、必死過ぎて気配を消すことを忘れていた俺はある日、ミスを犯した。 「お前、なに撮ってんの。ストーカーとかそういうやつ?」 「ちが、違います!」  慌てて首を振ったけれど、説得力はなかった。だって……こんなの立派にストーカーだ。  肩を落とす俺を剣道部の部長が睨み下ろしてくる。ガタイもよくて声も通る。この人の気合を耳にすると、こちらに向かって放たれたものではないにもかかわらず、びくっとしてしまうけれど、その気合と同じ鋭さで声は俺に放たれる。 「毎日来てない? ってか、なに撮ってたの。データ見せて」 「あ……えっと」  見られたら、南くんばかりを撮影していたのがばれてしまう。もう無理、と思ったとき、あのう、と背後から声がした。  振り返って、気絶しそうになった。  そこに立っていたのが、道着を着た南くんだったから。  ああ、終わった、そう思って肩を落とした俺を、南くんが小首を傾げて見た。涼しげな眼差しを俺にしばらく注いでから、仁王立ちになった部長へと視線を転じる。 「先輩、ストーカーじゃないと思いますよ、こいつ」 「は? え、なに、南、知り合い?」 「はい。同じクラスなんで。ってか、中谷、写真部だよな。違ったっけ?」 「あ、えと、うん。そう」  なんでだ? なんで俺が写真部だって知ってるんだ?  おろおろする俺を、南くんはやっぱり軽く首を傾げるようにして見ながら言った。 「写真の練習だったんだろ? 違うの?」 「……ん、そ、そう」  間違っては、いない。被写体は君だけれども。 「……んだよ。そうなのかよ」  後輩の乱入に調子を狂わされたのだろうか。剣道部の部長である彼は、露骨に面倒臭そうな顔で俺と南くんを見比べると、ごりごりと短髪を掻いた。 「けどな、許可なく撮るのはいただけない。今度から一声かけてから撮れよ。あと、あんまちょろちょろすんなよ。邪魔になるから」  それで終わりだった。その後は俺のことなんて一切見ず、南、アップ始めるぞ早く来い、と不機嫌そうに吐き捨てて部長は道場へと入っていく。それに、はーい、と明るい声で南くんが応える。  ああ、よかった、と俺は胸を撫で下ろす。が。 「あー、やだやだ、ボスゴリラ。マジウザい」 「え」  軽やかな暴言が聞こえてきて、ぎょっとする。顔を上げると、しまった、というように南くんが苦笑いしてこちらを見ていた。  その表情を見て……どきっとした。  ……この人、こんな悪戯っぽい顔も、するんだ。 「ごめん、聞かなかったことにして。ってか、大丈夫? うちの部長、後輩は水浸しの雑巾だと思ってる節あるから。ぐいぐい絞られてびびったよね」 「い、いや、勝手に撮ってた俺が悪いから! あ、あの、なんで俺が写真部って……」 「カメラ持ってよく歩いてたから? 写真部なのかなって思っただけ」  さすが陽キャだ。周りをよく見ている。俺とは違う。俺は南くん以外、誰が何部なのか、まったく知らない。  なんて俺が考えている間にも、南くんはにこやかに話しかけてくる。 「剣道の写真って撮るの面白いの? いつも熱心に撮ってるよな」  剣道がっていうか、君が剣道をしているところが撮りたいんです。  ……とは、言えない。 「え、あ、ああ、と、うん。一瞬で勝負、決まったり、するし、面白いよ」  なんとかそれらしいことは言えた。俺が冷や汗をかいているなんてつゆとも知らず、そっかあ、と南くんはにこにこしている。  この人、やっぱりすごくいい人なんだろうな。  そう思ったら、邪な気持ちで写真を撮っている自分が、とてつもなく汚いものに思えた。  南くんとこの会話をしたことがきっかけで、俺はオープンな形で剣道部の練習を撮影させてもらえるようになった。だが、以前ほど嬉々としてシャッターを押せなくなってもいた。  だって俺は……南くんに嘘をついたから。  俺は剣道の練習風景を撮るのが好きなわけじゃない。剣道をしている南くんを撮るのが好きなんだ。  この違いは大きい。  そんな俺の気持ちなんて南くんは当然気付かない。凛々しく、竹刀を閃かせ、風みたいに駆け抜けていくだけ。 「ああ、中谷」  しかも南くんは練習始めや終わりに俺の姿を見かけると、屈託なく手を振ってさえくれる。  友達みたいに気さくに。そうされればされるほど、胸が疼いて仕方なくて。シャッターを押す指も重くなって。  だから南くんが竹刀を振る姿を、ファインダー越しにひたすら見つめるだけになった。  しかし、二学期が始まってすぐのある日のことだった。 「南、加茂さんに告られたってほんとかよ」  雑多な声が入り混じる教室の中で、頓狂な声が響き、一瞬にして教室中の空気を凍らせた。 「うそ! え、え、え! 二組の加茂若菜(かもわかな)?!」 「あの子だよね?! フォトスタのフォロワー、十五万人越えしてる……」 「でも、メイク、古くない? あんなこってこてのギャルメイク、どうかと思う」 「あー、わかる。軽そうだし、なんで南くん、あんな子と……」 「あのさ」  声が乱れ飛ぶ中、がたん、と硬い音が響いた。見ると、教室の中ほどで南くんが立ち上がっていた。 「若菜のこと、悪く言わないでくれる? 俺、付き合ってるから。若菜と」  今度こそ完全に教室内の室温が絶対零度まで下がった。極寒の大地と化した教室を、南くんは出ていく。颯爽と背筋を伸ばして。  ……道場で、打ち込み稽古をしているときみたいに。  その凛とした姿を見た瞬間、ぎゅううっと胸の中に氷の塊を押し込まれたような、そんな気がした。  南くん、彼女ができた。相手はフォロワー数が十万クラスの超人気インフルエンサー。  ただ、それだけのこと。剣道をやっている南くんを撮りたいだけの俺からしたら、写真とは無関係な情報がひとつ追加されただけ。  なのに、このことを知って以来、俺はカメラを持てなくなってしまった。  剣道場にももう、行くことはなかった。

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