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第1話 出会い

女尊女卑(じょそんじょひ)――  (ひさし)ぶりに遠い倫敦(ロンドン)へ渡って、倫敦橋中央図書館へ赴く道で、路々(みちみち)に案内役のポウルに教わったことの中で云えば、江見夫(えみ)にとって、日本語にして、この異常とも採れる四語が、最も烈しい興味を寄せ付けた文句であるに違いなかった。この国では女王という文化的、否、国家的、むしろ政治的立場が厳存しているのだ、とつくづく教えられた。  反対に「フェミニズム」文化が完全に根付いている訳でもない。これは評価すべきことだ。「フェミニズム」と云う悪達者(わるだっしゃ)な社会通念は、要するに「女性的物資」への投資保険と見積もる、この手の(ひら)をくるりと返すと「今は女を甘やかして時が来れば子孫繁栄の為に——」と云う随分とご都合主義的な発想に、女たちはまんまと乗せられているのであって、戦争と云う勇断の切符を切って来た歴史上の悪夫(あくふ)たちが、簡単に、そのポリシーを捻じ曲げるはずがないのである。  そこで一つ。「異常な血」――と云う言葉がある。これはファン・ルーと云う中国系・英国人政治学者が唱えた概念である。  通常、政治家は数代に渡って世襲制を使う。これは洋の東西問わずの予定調和の現象であるから、何某(なにがし)かの有意的遺伝子があると思われること、ほぼ狂いなく疑えまい。現に数少ないデータではあるが、人格系の疾患において60%~70%の確率で遺伝性の強度が測れる、と云う、テスト結果を見るにつけ、政治家の世継ぎ制度――厳密には斯様(かよう)なルールはないが――が、子孫によってかつてあった独裁政権を再結合することは、冥に見えている。  ファンは1925年生まれで、戦争を知らぬ訳でない。この理念をそのまゝ英国社会に適合すると、(すなわ)ち英国にはその血縁、遺伝的に受け継がれる凶暴性は無いと云うふうに解釈することができ、酷くぞんざいで、「これ見よがしに迎合し、忖度心の強い、自国愛の持ち主が発明した便利なコンセプトだ」と云わざるをえまい。  ルーの説で幾つか信頼できることがあり、それをすべて(あげつら)うことを私は好まない。それはルーには、意図的に革新を得た理念が一つとてなく、その唯一で、一つに限って、否、選択制において一つしか残らない理念と云えば、英国には独裁政権の膝下(しっか)において、大量殺戮のケースがほとんどない、と云う事実くらいに(しりぞ)けることができよう。  しかし思想や哲学と云うのは時の運で流行し、また去ってゆくものだ。凡そ文学にあって、「源氏物語」はその意味で数世代に及んで歴史的ブームが偶発散弾されて来た訳で、対哲学として見た場合、異常な事態である。  江見夫は倫敦に強弁(きょうべん)をしに来た訳ではない。彼の肩書は時評家であり、思想家でもある。英国史研究家の一面もあるに違いなかったが、本場の空気を吸うだけで見る見る肺の底より活気づく好事家でもなかった。  江見夫が作家であるところの意義と云うのは、彼の満足感に依るものでない。彼にとって作家と云うのはあくまでビジネスである為、ややもすると、どこの国のカルチャーに対しても冷笑的であった。  私が初めて江見夫と出会った時、彼はまだ大学生に違いなかった。彼が英国文学に興味を示し、また学び始めた切欠となったものが拙著『アリスの(すべ)て』であり、私は云われるが(まま)に彼の美しい鬼火に燃やされてからと云うもの、その魅力を追い続け、実に不埒な詩編を書き忍んだこともある。その時分、私は年齢によらず、さかしく嫌なひとみの輝きをもった生徒が苦手であり、逆に根暗(ねくら)で奥手でシャイな学生で、あればあるほど、好いていく傾向があった。 このように、性格を重視するあまり、驚くほど見た目に左右されない私であるが、一年生当時の彼の容姿端麗さには、呆れるくらい驚かされた。勿論であるが彼は私の大切な教え子であった。 [第一話終了]

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