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プロローグ
「……俺を逃がすか、今ここで始末するか選べよ」
不敵な笑みを浮かべたまま、俺は素っ裸でベッドの上に胡座をかき、目の前の男を見上げた。
その男は、家族でも友人でもない。ましてや、恋人なんて甘い関係でもない。
俺の言葉を受けても、男は鋭い眼差しをわずかにも揺らさない。ただ、じっとこちらを見据えたまま、その真意を測るように沈黙していた。
その佇まいは威厳に満ち、一国の主と呼ぶに相応しい。
かたや俺は、人間として生まれながら人間として扱われることのなかった、しがない人形。
それが、俺たちの関係だった。
***
惑星ヴェルデ。
人類が初めて到達した、第三銀河圏の果てにある星。
そこには、何世代も前に地球が失った青と緑が、今なお息づいていた。
油と錆びた鉄の匂いが染みついた、無機質な宇宙船の窓越しに広がるその光景を、俺は今でも鮮明に覚えている。
俺の所属する|人類連合軍第一外征隊《じんるいれんごうぐんだいいちがいせいたい》は、その美しい星を、“融和”という名の侵略で飲み込もうとしていた。
若き獣王ジルヴァが治める獣人国家ユバ国とは、すでに外交関係を築きつつある。
人類の技術や知識を提供する見返りとして、土地や資源を“借り受ける”という名目で。
建前は対等な協力関係。
だが、軍にいる人間なら誰でも知っている。
これは、侵略の第一歩だ。
宇宙船の狭い居住区には、俺以外にも数百人の兵士が詰め込まれていた。
顔も、体格も、出自も違う。
だが、全員に共通していることが一つだけある。
誰もが、誰かの“クローン”ということだった。
この巨大な宇宙船は、何千人もの兵士を乗せ、何光年もの距離を航行する。
それだけの規模を誇る船でありながら、俺たちクローン兵に与えられた居住区は、まるで貨物室のように狭かった。
朝。船内に耳障りなブザーが鳴り響くと、俺たちは素早く身支度を整え、無言のまま壁際に並んだ。
やがて配給ワゴンを押した係員が現れ、包装された栄養食を一つずつ手渡していく。
だが俺の順番になっても差し出されるはずの栄養食は、なかなか渡されない。
「……あんたがΩのグレンか」
配給係は俺の首からぶら下がったドッグタグを確認すると、鼻で笑った。
「今日はヒートはきてねぇのか?」
男は包装された食事を指先で弄びながら、下卑た笑みを浮かべた。他の配給係の薄ら笑いも、俺の神経を逆撫でさせる。
「……寄越せ」
俺は低く唸って睨み返す。
その威嚇も意に返さず、男は楽しげに笑った。
「今度、俺の世話でもしてくれよ。どうせそういう身体なんだろ?」
次の瞬間。
気づいた時には、俺の拳が男の頬を打ち抜いていた。
鈍い音が、静まり返った居住区に響く。
配給係の身体がよろめき、手にしていた栄養食が床へ落ちた。
「きめぇんだよ。自分のチンポでも咥えてろカス」
「……てめぇっ、この野郎ー!」配給係が怒鳴り声を上げ、俺の胸ぐらに掴みかかる。
もみくちゃになる俺たちに、他の配給係たちが、一斉に飛びかかる。腕を掴まれ、肩を押さえつけられる。それでも俺は、拳を振るおうともがいた。
兵器。道具。使い捨ての駒。
俺たちを見る連中が、俺たちをそう扱うことには慣れている。
だが、それでも。
人間として生きることまで奪われるつもりはなかった。
その間も、周囲のクローン兵たちは誰一人として動かなかった。
助けることも。止めることも。
ただ、何もなかったように前を向いている。
当然だ。俺に関われば、自分まで面倒に巻き込まれる。そんなことは、誰だって御免だからな。
その後、俺が上官に呼び出されるまで、そう時間はかからなかった。
「また騒ぎを起こしたそうだな」
執務室に入るなり、上官ライナスは深いため息をついた。
第一外征隊に所属する数百名のクローン兵を率いる、俺の直属の上司だ。
白髪混じりの髪は几帳面に撫でつけられ、眉間には深い皺が刻まれている。
情に厚い男ではない。
だが、他の連中のように俺たちクローン兵を露骨に見下すこともなかった。
「……俺は悪くない」
「分かっている」ライナスは即座に頷いた。「相手も以前、別の兵士と揉め事を起こして、前線から補給部隊へ回された人間だ。今回も、お前だけに非があるとは思っていない」
「……なるほど。通りで質が悪いわけだ」
「だが、グレン」
低く、それでいて静かな声が部屋に響く。
「短気なのはお前の悪い癖だ。お前の特殊性を面白半分でからかう連中もいるだろう。だからといって、毎回拳で返していては身がもたん。少しは自分を律することも覚えろ」
俺は「はいはい」と気のない返事をして、大袈裟に肩を竦めた。
——特殊性。
『あんたがΩのグレンか?』
先程の配給係の声が、頭の奥でこだまする。
そうだ。俺はΩのクローンだ。
男でありながら子を成すことのできる特殊な性。
その希少性ゆえに、俺は兵士である前に"資源"として扱われる。
俺の"オリジナル"は、貧困層の人間だった。
生きるために、自らの遺伝子を軍へ"売った"。
その先で造られるコピーが、どんな人生を歩むことになるのか……それを承知の上で。
その結果、生まれたのが俺という"人形"だった。
こんな身体なら、いっそ消えてしまえばいいと、何度考えたことか。
だが、俺が死んだところで何が変わる?
数ヶ月後には、また新しい“グレン”が作られるだけだ。
だから生きる。
奴らが俺をただの代用品だと思うなら、思い知らせてやる。俺は誰かの複製じゃない。
「……それと」
ライナスは小さくため息をつく。
「私以外の前では、その口の利き方を改めろ。無駄に敵を増やすな」
俺は鼻で笑った。
「ご忠告、痛み入ります。じゃあ、俺はこれで」
踵を返しかけた、その時だった。
「待て、グレン」
ライナスの低い声が背中を止める。
「本題はこれからだ。そこへ座れ」
執務机の前に置かれた椅子を顎で示しながら、ライナスは俺を見据えた。
その目を見た瞬間、胸の奥がざわつく。
嫌な予感がした。
俺という"駒"が動かされる時が来た。
そう悟るには、それだけで十分だった。
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