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第18話 死ぬ気で生きろ

​『PENETRATE DEEPER. AWAIT ORDERS.(――対象の深部へ浸透せよ。命令を待て)』  その暗号文書が届いたのは、ガガの騒動から間もない昼下がりだった。  自室のテーブル席で脚を組み、届いたばかりの暗号文書を開く俺の背後に、ジルヴァがぴたりと寄り添うように立っていた。 「『夜さえも静寂の地を抱き、優しき残響を許す。夢は芽吹き、穏やかな夕暮れは遠ざかる』……? 全く意味が分からないな」  俺の手元を覗き込みながら、ジルヴァが怪訝そうに手紙を読み上げる。 「そりゃそうだ。暗号文書だからな。英単語の頭文字だけ繋げて読んでみな」  ニヤニヤしながら振り返ると、ジルヴァは手紙に視線を往復させ、「……なるほど」と納得したように呟いた。  まさか連合軍の連中も、必死で作った暗号文書をターゲット本人と仲良く回し読みされているとは、夢にも思っていないだろう。  わざわざユバの獣人にバレないよう気取った詩に仕立て上げたアルフレッドには、流石にちょっと気の毒になった。 「それにしても、あんたが文字まで読めるとは驚いたな。俺はヴェルデ語のリスニングはできても、さすがに読み書きまでは習得してないからな」 「……習うか? ヴェルデで生きていくつもりなら、覚えておいて損はないと思うが——」  そこまで言って、ジルヴァは何かを思い出したかのように懐から木製の小箱を取り出した。  まるで結婚指輪でも収まっていそうなサイズ感のそれを、無言で俺の掌の上に乗せる。 「なんだ、これ?」 「……開けてみろ」  俺は暗号文書をいったんテーブルに放り出し、受け取った木箱の蓋をぱかりと開いた。  そこに収められていたのは――指輪でも宝石でもなく、微かに甘く、どこか怪しげな香りを放つゴツゴツとしたトリュフのような乳白色の塊だった。 「……あ? なんだこれ」 「ガドゥラの体内で稀に生成される結石だ。我が国でも滅多にお目にかかれん秘宝だ」 「秘宝……? こんな薄汚い粘土の塊みたいなのがか? まさかガドゥラの糞と一緒に排出されるやつじゃねぇだろうな?」 「否定はせん。……そういう場合もある」  そこまで聞いて、俺はほんの数日前、窓の外に吸い殻を投げ捨ててジルヴァに咎められた時のことを思い出していた。 ​『次やればその口にガドゥラの糞を詰め込むぞ』  あの時、オカンの如くこの男に口を酸っぱくして言われた記憶が脳裏をよぎる。 (まさか、糞の代わりにこれを口に突っ込めって話じゃねぇよな……?)  乳白色の塊を疑わしげに睨みつける俺に、ジルヴァは苦笑交じりに口を開いた。 「これはヴェルデでは“パム”と呼ばれる香料でな。ガドゥラの体内で長い年月をかけて熟成されたものほど香りが濃く希少価値も高い。異国では幻の香料として、一部の富裕層や愛好家の間で高値で取引されている代物だ」 「……ほーん」 (――なるほど。地球でいうところの“龍涎香(りゅうぜんこう)”みたいなものか)  マッコウクジラの腸内でごく稀に生成されるという、幻の香料だ。実物を見たことはなかったが、その芳醇な香りと希少性ゆえに、金同然の価格で取り引きされる――という知識だけはあった。  要するに熟成された糞をありがたがっているわけだが、高値で売れると分かると途端に興味が湧いてくる。  俺は鼻先を近づけてそっと息を吸い込んだ。  鼻腔をくすぐるほのかな甘さの奥に、どこか蠱惑的なムスクの艶と、香木をじっくり燻したような香ばしい芳香が混ざり合う。  ――その瞬間、脳裏にあの夜の記憶が否応なしに引きずり出された。  重ねられた肌の熱。鬣に深く顔を埋めた時に、間近で感じたジルヴァ自身の、甘く濃厚なフェロモン。  息が詰まるほどの熱と、全身を包み込むようなあの香りまで蘇り、俺は木箱を手にしたまま、ぴたりと動きを止めた。 (――クソッ、何を考えてんだ、俺は……!)  慌てて余計な思考を振り払い、何事もなかったかのように隣の男を見上げる。 「……で? こいつをどうすりゃいいんだ?」 「お前にやる」 「……は?」 「ファムート――ガガの仔を救ってくれた礼だ」  そのガラス玉のような瞳に、かつて向けられた侮蔑の色も、無機質な冷たさも宿ってはいなかった。  ガガの仔を助けたことなど、あの時の俺にとってはただの成り行きに過ぎない。それをこんな形で返されるのは、どこか他人事のようで、しっくりこなかった。 ​ 俺が返答に窮して黙り込んでいると、ジルヴァはどこか遠くを見やるような静かな目で俺を見下ろし、低い声で言葉を継いだ。 「……いつか、お前が“自由”になった時。俺がお前の隣にいるとは限らない。この大きさなら、もしもの時に他国の交易所にでも持ち込めば、当分は食い扶持に困らないだろう」  淡々とした声だった。  まるで、自分が先に死ぬことも、いずれ俺がこの男のもとを去ることも、当然の未来であるかのような言いぐさだった。  いや、それは正しい。最初から利害の一致で始まった共謀関係だ。目的が達成されれば、お互い用済みになる。それだけの話だ。  ——だったら、この胸の内に渦巻く感情は、いったい何なんだ……?  俺は下唇の裏側を噛み締め、木箱の蓋を乱暴に閉めた。  そして、そのままジルヴァの胸元へと力任せに突き出す。 「……受け取れねぇよ。俺はこんなもんが欲しくてガガの仔を助けたんじゃねぇ。それに――一人で勝手に死ぬ気でいるのも気に入らねぇ」  突き出された箱に目を見張る男を、俺は逃げ場を塞ぐように睨みつけた。 「俺にこれを渡したけりゃ、死ぬ気で生きろ。……それからだ」  沈黙が落ちた。  ジルヴァは睨み返す俺を真っ直ぐと見据え、しばらく黙り込んだあと、胸元に押し付けられた木箱に視線を落とし、手に取った。 「……分かった。そこまで言うなら、これは俺が預かっておく」  ジルヴァは降参したように目を伏せ、木箱を懐に仕舞いながら、ほんの僅かに笑った。  少しだけ開いた窓から差し込む茜色が、黄昏の訪れを告げている。  黄金色の鬣が光を受けて艶やかに反射して、吹き込む風に揺れていた。  ――俺がクローン兵でなければ。そしてオメガでなければ、一生出会うことのなかった異星の王。  無意識のうちにその姿を凝視していたことに気付き、俺は慌てて視線を逸らした。  腹の底で燻るような動揺をごまかすように、テーブルの上の暗号文書をもとの封筒へと乱暴に押し込む。 ​「……そういや、三日後の『立后(りっこう)のなんちゃら』ってのは具体的に何すんだ?」 「立后(りっこう)の臣獣式(しんじゅうしき)だ」 「そう、それだそれ。要するに妃のお披露目パーティーみたいなもんだろ? ガドゥラに牽かせたド派手な荷車にでも乗せられて、凱旋パレードでもすんのか? それとも人形みたくただ椅子に座って愛想振りまきながら、そこら中に投げキッスでも飛ばしてりゃいいのか?」  冗談めかしてそう問いかけると、ジルヴァは「……そのことなんだがな」と苦々しく前置きし、頭痛を抱えるように額に手を当てた。 「昔から、ガドゥラは心の清浄な者しかその背に乗せないと言われていてな。本来、王妃に相応しいかどうかを証明するために、城のガドゥラに騎乗して群衆に披露するというユバの慣わしが立后(りっこう)の臣獣式(しんじゅうしき)なのだが……」  乙女しか乗せない処女主上主義のユニコーンみたいなもんか。  そんな馬鹿なことを考えていると、ジルヴァは深いため息を吐き、頭痛の種を打ち明けるように口を開いた。 「そのために、式ではおとなしいガドゥラをあてがう予定だったのだ。……だが——」  その時点ですでに嫌な予感がした。俺が「……まさか」と口を挟むと、ジルヴァは苦重な表情で首を振った。 「百聞は一見に如かず……か。すまんがグレン、付き合ってくれ」 「…………」  俺はジルヴァに言われるがまま、再び城の裏手に位置するガドゥラの厩舎へと向かう羽目になった。  一抹……いや、百抹くらいの嫌な予感を抱えて。

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