1 / 1

第1話 新人Ω、入社

「運命の番を探しに来ました」  正直に答えると、向かいに座る青年が目を瞬いた。  恋人レンタル会社の事務所。面接を通過した千影星愛は、今日から新人キャストとして働くことになっている。  契約書への記入も、身分証の確認も終わった。そのうえで志望理由を尋ねられたから、星愛は嘘をつかなかった。 「ここなら、いろんな人と出会えると思ったので」 「それ、採用前に聞いてたら父さんは悩んだかも」  青年は困ったように笑い、自分の社員証を机へ置いた。  大路直。星愛と同じ大学の四年生で、この会社の社長の息子らしい。 「でも、黙って探すより正直でいいか。俺は大路直。今日は父さんの代わりに、社内を案内するよ」 「千影星愛です。よろしくお願いします」 「知ってる。履歴書、読んだから」  直は立ち上がり、壁に設置された白い機器を示した。 「先に一番大事なこと。この会社にはαもβもΩもいる。事務所にはフェロモン中和装置があって、仕事に支障が出ない程度まで匂いを抑えてる」 「完全には消えないんですね」 「うん。近づけば分かることもあるし、体調によっては装置だけじゃ抑えられない。抑制剤とパッチは各自で管理。異変があったら、我慢せずにすぐ報告すること」 「分かりました」 「それから、運命の番を探すこと自体は禁止しない。でも、相手の属性を勝手に確かめたり、匂いを嗅ぐために近づいたりするのは駄目。接触は、仕事でも私生活でも相手の同意を取る」  直の表情から笑みが消える。 「運命でも、本能でも、相手の意思を無視する理由にはならないから」 「はい」 「返事だけは優等生だね」 「行動もそうなる予定です」 「予定なんだ」  直はまた笑い、事務所の奥へ歩き出した。  デスクが並ぶ空間の先には、衣装を保管する部屋と研修室がある。壁には顧客との接触範囲や緊急時の対応手順が掲示され、貸し出し用の中和パッチも準備されていた。 「想像していたより、きちんとしているんですね」 「どんな会社だと思ってたの?」 「恋人を貸す会社です」 「間違ってはいないけど、身体を売る仕事じゃない。食事をしたり、買い物へ付き合ったり、恋人として過ごす時間を提供する。依頼内容から外れることは、客に求められても断っていい」 「恋人らしい振る舞いは、どこまでですか?」 「それをこれから覚えるんだよ。相手によって望む距離が違うから」  直が研修室の扉を開けようとしたとき、事務所の入口から電子音が鳴った。  一人の青年が、女性客を伴って戻ってくる。 「本日はありがとうございました」  青年は女性の荷物を持ち、入口まで送り届けた。 「気をつけて帰れよ。着いたら連絡して」 「もう恋人じゃないのに?」 「今日が終わるまでは、まだ俺の役目だから」  女性が頬を染める。 「また、梓くんを指名してもいい?」 「待ってる」  青年は穏やかな笑みで手を振り、扉が閉じるまで見送った。  完璧だった。  立つ位置も、視線を合わせる時間も、別れを惜しませる言葉も、すべてが自然に見える。あれなら、誰でも本当の恋人だと錯覚する。  けれど、扉が閉まった瞬間。  青年の顔から、すべての表情が消えた。 「おかえり、梓」 「疲れた」 「さっきまで、あんなに優しく笑ってたのに」 「仕事は終わった」  梓と呼ばれた青年は、女性から預かったらしい紙袋を机へ置いた。中には丁寧に包装された菓子が入っている。 「それ、またプレゼント?」 「いらない。食べるならやる」 「相変わらずだね」  直は呆れながら紙袋を受け取った。  星愛は青年から目を離せなかった。  同じ人間とは思えない。先ほどまでの柔らかな仕草も、惜しむような眼差しも、すべて仕事として作られたものだった。 「何だ、こいつ」  梓が星愛を見る。  目が合った瞬間、胸の奥がわずかに揺れた。  匂いを感じたわけではない。中和装置は正常に動き、首元のパッチも剥がれていない。それなのに、ずっと忘れていた何かが身体の奥で触れた気がした。 「今日から入った新人。千影星愛」  直が、机に置いていた社員証を梓へ渡す。  梓はそこに印字された文字へ目を落とした。 「千影、星愛」  確かめるように名前を区切る。  星愛の胸が、もう一度だけ脈打った。 「どこかで会ったことがありますか?」 「ない」  梓は社員証を直へ返した。  迷いのない否定だった。先ほどの違和感も、星愛の思い違いだったのかもしれない。 「それで、その新人が何だ」 「梓に教育係を頼みたい」 「聞いてない」 「今、言った」 「断る」 「社長命令」 「お前の命令だろ」 「父さんから許可は取ってる」  梓の眉が寄る。  直は気にする様子もなく、星愛の背中を軽く押した。触れる直前に「失礼」と告げられたことへ、星愛は先ほどの規則が形式だけではないのだと気づく。 「ほら、挨拶」 「千影星愛です。今日からよろしくお願いします」  頭を下げると、梓は星愛を上から下まで眺めた。 「立ち方、表情、目線。全部駄目だ」 「まだ挨拶しかしていません」 「客は最初の三秒で相手を見る。今のお前なら零点だ」 「初日から厳しすぎない?」  直が割って入るが、梓は星愛から目を逸らさない。 「客は新人だからって金を返してくれるのか」 「それは……」 「研修で泣くなら、今のうちに辞めろ」  運命の番を探すために選んだ仕事だった。  けれど、簡単に誰かと出会える場所ではないらしい。それでも、ここへ来たことを後悔する気はなかった。  星愛は顔を上げ、梓を真っすぐに見返した。 「零点なんて、取らなければいいだけです」

ともだちにシェアしよう!