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第1話 新人Ω、入社
「運命の番を探しに来ました」
正直に答えると、向かいに座る青年が目を瞬いた。
恋人レンタル会社の事務所。面接を通過した千影星愛は、今日から新人キャストとして働くことになっている。
契約書への記入も、身分証の確認も終わった。そのうえで志望理由を尋ねられたから、星愛は嘘をつかなかった。
「ここなら、いろんな人と出会えると思ったので」
「それ、採用前に聞いてたら父さんは悩んだかも」
青年は困ったように笑い、自分の社員証を机へ置いた。
大路直。星愛と同じ大学の四年生で、この会社の社長の息子らしい。
「でも、黙って探すより正直でいいか。俺は大路直。今日は父さんの代わりに、社内を案内するよ」
「千影星愛です。よろしくお願いします」
「知ってる。履歴書、読んだから」
直は立ち上がり、壁に設置された白い機器を示した。
「先に一番大事なこと。この会社にはαもβもΩもいる。事務所にはフェロモン中和装置があって、仕事に支障が出ない程度まで匂いを抑えてる」
「完全には消えないんですね」
「うん。近づけば分かることもあるし、体調によっては装置だけじゃ抑えられない。抑制剤とパッチは各自で管理。異変があったら、我慢せずにすぐ報告すること」
「分かりました」
「それから、運命の番を探すこと自体は禁止しない。でも、相手の属性を勝手に確かめたり、匂いを嗅ぐために近づいたりするのは駄目。接触は、仕事でも私生活でも相手の同意を取る」
直の表情から笑みが消える。
「運命でも、本能でも、相手の意思を無視する理由にはならないから」
「はい」
「返事だけは優等生だね」
「行動もそうなる予定です」
「予定なんだ」
直はまた笑い、事務所の奥へ歩き出した。
デスクが並ぶ空間の先には、衣装を保管する部屋と研修室がある。壁には顧客との接触範囲や緊急時の対応手順が掲示され、貸し出し用の中和パッチも準備されていた。
「想像していたより、きちんとしているんですね」
「どんな会社だと思ってたの?」
「恋人を貸す会社です」
「間違ってはいないけど、身体を売る仕事じゃない。食事をしたり、買い物へ付き合ったり、恋人として過ごす時間を提供する。依頼内容から外れることは、客に求められても断っていい」
「恋人らしい振る舞いは、どこまでですか?」
「それをこれから覚えるんだよ。相手によって望む距離が違うから」
直が研修室の扉を開けようとしたとき、事務所の入口から電子音が鳴った。
一人の青年が、女性客を伴って戻ってくる。
「本日はありがとうございました」
青年は女性の荷物を持ち、入口まで送り届けた。
「気をつけて帰れよ。着いたら連絡して」
「もう恋人じゃないのに?」
「今日が終わるまでは、まだ俺の役目だから」
女性が頬を染める。
「また、梓くんを指名してもいい?」
「待ってる」
青年は穏やかな笑みで手を振り、扉が閉じるまで見送った。
完璧だった。
立つ位置も、視線を合わせる時間も、別れを惜しませる言葉も、すべてが自然に見える。あれなら、誰でも本当の恋人だと錯覚する。
けれど、扉が閉まった瞬間。
青年の顔から、すべての表情が消えた。
「おかえり、梓」
「疲れた」
「さっきまで、あんなに優しく笑ってたのに」
「仕事は終わった」
梓と呼ばれた青年は、女性から預かったらしい紙袋を机へ置いた。中には丁寧に包装された菓子が入っている。
「それ、またプレゼント?」
「いらない。食べるならやる」
「相変わらずだね」
直は呆れながら紙袋を受け取った。
星愛は青年から目を離せなかった。
同じ人間とは思えない。先ほどまでの柔らかな仕草も、惜しむような眼差しも、すべて仕事として作られたものだった。
「何だ、こいつ」
梓が星愛を見る。
目が合った瞬間、胸の奥がわずかに揺れた。
匂いを感じたわけではない。中和装置は正常に動き、首元のパッチも剥がれていない。それなのに、ずっと忘れていた何かが身体の奥で触れた気がした。
「今日から入った新人。千影星愛」
直が、机に置いていた社員証を梓へ渡す。
梓はそこに印字された文字へ目を落とした。
「千影、星愛」
確かめるように名前を区切る。
星愛の胸が、もう一度だけ脈打った。
「どこかで会ったことがありますか?」
「ない」
梓は社員証を直へ返した。
迷いのない否定だった。先ほどの違和感も、星愛の思い違いだったのかもしれない。
「それで、その新人が何だ」
「梓に教育係を頼みたい」
「聞いてない」
「今、言った」
「断る」
「社長命令」
「お前の命令だろ」
「父さんから許可は取ってる」
梓の眉が寄る。
直は気にする様子もなく、星愛の背中を軽く押した。触れる直前に「失礼」と告げられたことへ、星愛は先ほどの規則が形式だけではないのだと気づく。
「ほら、挨拶」
「千影星愛です。今日からよろしくお願いします」
頭を下げると、梓は星愛を上から下まで眺めた。
「立ち方、表情、目線。全部駄目だ」
「まだ挨拶しかしていません」
「客は最初の三秒で相手を見る。今のお前なら零点だ」
「初日から厳しすぎない?」
直が割って入るが、梓は星愛から目を逸らさない。
「客は新人だからって金を返してくれるのか」
「それは……」
「研修で泣くなら、今のうちに辞めろ」
運命の番を探すために選んだ仕事だった。
けれど、簡単に誰かと出会える場所ではないらしい。それでも、ここへ来たことを後悔する気はなかった。
星愛は顔を上げ、梓を真っすぐに見返した。
「零点なんて、取らなければいいだけです」
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