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第1話
一人の青年は、ひたすら前へ前へと走っていた。生い茂る草や、伸び放題の蔓をかき分け、その手で垂れてきた汗を袖で拭った。
香と化粧の匂いが濃い後宮の中央から離れたところにある林の中を青年はひた走っていた。数分前まで、青年は後宮の鳥かごに住まう小鳥のような妃や下女を相手ににこやかな笑みを向けていた。
この林には妃などはおろか、下女も寄り付かない。来るとするのであれば、宦官や下女たちの逢瀬だろう。帝のお手付きのない妃であれば、その中に入ってくるかもしれない。
いつまで走ればいいのかと、青年は息を切らしながら思っていた。しかし、青年の目に廟が飛び込んできたのはすぐのことだった。
「やっと見えた」
ほっとした青年は、息をひとつ吐き出した。
廟の周りは木々が鬱蒼としていて、もはや木と草が建物を侵食しようとしている。廟の建物さえ、ずっと昔に建てられてから放置されているのが分かるほどに朽ちていた。扉はおそらくずっと昔に外れているのだろう。外れた扉さえ跡形も消え、屋根すらほとんどの部分が見当たらなかった。
青年は、廟の中へと一歩足を踏み入れた。ぎぃ、と不気味な音がして思わず足元を見る。床もそのうち外れそうだった。その場に留まらないようにと、前へ進み、そして目の前を見た。九尾の狐の像が一体、空を仰いでいた。
「これが天狐さま……」
青年の呟きに呼応するように、寂びていた狐が突然光を帯びた。先ほどまでは寂びた像だったのに、今ではそんな気配すら見せないほどに美しく輝いている。
青年は、その応えを逃すまいと「天狐さま!」と呼びかけた。
「天狐さま、お願いがあります」
唾を飲み込み、青年は言う。
「天狐さま、どうか、どうか、この国、裴王朝の国王を殺してほしいのです」
最後まで願いを言うと、青年は俯く。
「理由は……僕の、僕の伯父を殺したからです」
顔をあげた青年は、目に涙を浮かべていた。
「だからって皇帝を殺さなくても……って、思うかもしれない。でも、僕の伯父は殺されるべきではなかったんです」
怒りに震えた青年の目に宿るものは、強い意思。その意思は炎のように燃え滾り、消えることもない。狐のまばゆい光でさえ、意思のこもった瞳に映り込むことなど許されないほどだった。
「私の名は、裴弦 。字 は永安 と言います。どうか、僕の父を──皇帝を殺してください」
裴弦 と名乗ったその青年は、懐からひとつ金貨を神像の台座に置くと跪き、手を合わせながら頭を何度も下げた。
「どうか、お願いします」
そう何度も呟きながら──。
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