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最終話

因果律の操作なんて大それたことをしてしまったので、リュートはしつこいくらいに主神に確認をした。元あった因果の線から原初の悪を消した以外の影響はないのか、と。 主神は少し考えてから、問題は無さそうだと言ってくれた。本当に一安心である。 力が抜けて、鏡面世界の地面にリュートとティルは腰を下ろす。無機質な空を見上げていると、二人の前にそれぞれが憑りついていた神が漂った。 「リュート。これでお別れです」 「おう、フェティルも。厄介になったな」 唐突に告げられた別れに、リュートは目を白黒させた。 「え?何で……急すぎます」 「私がリュートに憑りついていたのも、原初の悪に打ち込まれた楔から、君を守るためでした。原初の悪が因果から消えた今、君の心にそれはもうないでしょう」 そう言われても自分で確認する術もなく、眉を下げて困っていると、横からティルが言った。 「ちゃんと消えてる」 「え?見えるの?」 「色々あってな」 何だかはぐらかされた。今度問い詰めなきゃ。 「そういうことです。リュート、忘れてはいけません。私はこの世界を統べる神。君の保護者ではありません」 「……その通りです」 つい、その距離の近さ……いや、微妙に肝心な所で役に立たなかったりしたのだが、それでも一番近くにいる存在として、頼っていたのは事実だ。それを保護者ではないと言われれば、反論の余地はない。 主神は穏やかに笑みを浮かべ、ひとつ、リュートに道を示す。 「君と過ごした時間は、かけがえのないものでした。リュート。君は本当に、人を愛する子なのですね」 「え?」 人を愛する?俺が? 「何も言わずに妖と戦い、人知れず、身を張って世界を守る君を見て、そう思いました、最も――」 ちら、と主神が悪戯っ気たっぷりにティルを見る。 「その寵愛は、一人に注がれているようですがね」 「主神様!」 頬を赤く染め、からかわれたことに抗議する。神様まで俺とティルのことをおもちゃにするなんて! 「リュート。離れていても、君の行く末を見守っています。どうか、末永く健勝で」 「おう。ま、私はこういう湿っぽいの向いてないしな!ちゃんと飯食って寝ろよ!」 あまりに姫神な一言にリュートは苦笑いして、立ち上がる。そして深く一礼した。 「この国の民の一人として、以降も主神様のご加護を信じて生きていきます」 主神が微笑みを浮かべ、空高く、姫神を連れて消えていった。すると視界が反転して、現実の世界に戻ってくる。校舎が視界に入って、ああ、戻って来たなと思った。 ******************** それからの日々は、普通の高校生として過ごすことができた。 三年生に入って天狗に狙われるなんて奇怪なことはあったが、それ以外は、ティルと一緒に、残りの時間を謳歌した。海ももう一度行ったし、花火ももう一度見た。死にかけて遊ぶどころじゃなかった学園祭も、今度は出店を制覇して、後夜祭で踊って、思いっきり満喫した。冬は受験でそれどころではなかったが、二人とも、央都大に無事合格した。これで晴れて二人揃って大学生になれる。 たくさん笑った。もうこれ以上笑うことはできないだろうと思う程に。 だから、今卒業式で、卒業生代表として挨拶をしながら段々涙ぐんでいくのも、仕方のないことだったのかもしれない。リュートの声につられて泣き出す卒業生の、鼻をすする音がする。ぐっと堪えて、最後の名を告げる、 「卒業生代表、リュート・アルトフェルト」 ――卒業式が終わって、グラウンドに在校生と卒業生が入り乱れる。最後に写真を撮って欲しいと頼まれる者、ボタンを欲しがる者、色々だ。 そんな生徒たちをどこかぼんやり眺める。ティルは当然のように輪の中心にいて、在校生卒業生なく囲まれて、身動き取れずにいる。それを薄っすらと笑みを浮かべて見て、そっとリュートは喧騒から抜け出す。 行先は、生徒会室。 がらっと引き戸を開けて、部屋を眺める。既に代替わりしたので、自分がいた頃と少し違う机の配置になっているが、座っていた生徒会長の席の場所は変わっていない。 歩み寄り、机の表面を撫でる。生徒会長と書かれたプレートを手に取って、いろいろあったな、と思いを馳せる。だって死にかけたのだ。一体どこの高校生が、神に類する存在に殺されかけて、生死を彷徨い、死闘を繰り広げることになると思う? この生徒会室で静かに死を迎えようとしていたときのことも、やはり思い出と綺麗に片付けるには、まだ少し重たくて。整理したくて、こうしてここにいる。 生徒会長の席の椅子を引いて、座る。 グラウンドの喧騒が遠く、遠く、聞こえる。もう心が塞いでも広がる闇はない。わかっていても、無意識に警戒してしまう。なかなか、心の底から平和を享受する気にはなれない。 「あー……」 意味のない音を出して、天井を眺める。そうか、これってトラウマって言うのか。なんて今更気付いても、どうしようもなく。鼻から小さく息を吐いて、椅子に座り直したときだった。 「おまっ……どこにいるのかと思えば!」 駆け込んできたのはティルだった。がらがらと律儀に引き戸を閉めて、リュートの方に歩いてくる。 「もういいの?」 そう問えば、ああ、と応じる。 「揉みくちゃにされて嫌になってきたから、抜け出した」 「ティルは人気者だからなぁ」 「そんなもん、たった一人の好きに勝るものはねーんだよ」 本当に、平然とそういうことを言う。期待に応えないと駄目かな、なんて意地悪く思いながら、リュートは言った。 「愛してるよ」 「俺も」 口々にそう言い合って、小さく二人で笑う。ティルが横に椅子を持ってきて、リュートと並んだ。 「何してんだ?」 「んー……トラウマの整理?」 「ああ……」 ティルが小さくそう言って、リュートの肩を抱いた。 「死にかけて平気な奴なんていねぇよ」 「うん……普段はあんまり気にしてないつもりなんだけどね」 「そんなに簡単に片付くもんじゃないだろ。……死の恐怖なんて」 ティルが言語化してくれて、自分の心の内側に残るものが何かを知る。そうか。俺の中に残っているものは、死の恐怖なのか。 ぐっとティルが肩を引き寄せる。抱き込まれるようにティルの胸に飛び込んで、彼の顔を見る。橙の星が、そこにあった。 「怖いなら、俺の傍にいろ」 「ティル」 「何度だって引き上げるさ」 「……」 「お前は、俺の――」 そこで、言葉を切る。少し照れくさそうに、ティルは言った。 「俺の、一番星なんだ」 「え?」 「道標。寄る辺。灯火。お前は俺にとってたった一つの、行先なんだ」 「そんなの、俺だって」 リュートは椅子から立ち上がって、ティルの膝の上に跨る。おい、とティルが言うが、聞こえない。 「ティルは、俺の朝陽だ。ずっと、俺のことを包み込んでくれる、優しい光なんだ。心の中にいても、それだけはずっと変わらなかった」 沈黙が下りる。互いの視線だけが熱く絡んで、言葉を吞み込んでいく。 ふいっとティルが視線を外して、あのよ、とリュートに言う。 「何?」 「……卒業したから、一緒に暮らさねぇか?」 「はい?」 唐突な申し出に、少々素っ頓狂な声が漏れる。一緒に暮らす? 「央都大は俺らの住む地区から少し遠いから、お前も一人暮らしするつもりだっただろ?」 「まあ……電車で通えなくもないけど、親とはそんな話もしてる」 「その……お前さえよければ、一緒にいたいんだ」 そう言って、ティルは外した視線をもう一度、リュートに合わせる。有無を言わさず、逃がすつもりのない、そんな視線。 「ティル」 「リュート。愛してる。お前のいない生活なんて、考えられないんだ。まだ指輪は、自分で稼いでもないし、用意も出来ないけど――俺と、結婚して欲しい。制度的に問題ないのは確認済みだ」 息を呑んだ。何も言葉が浮かばない。何?え?それってプロポーズなの?俺に? いや、主神様の教えに、愛に男女の別はないとあって、この国は同性婚が普通のことだ。でも、でも。 じっと、ティルがリュートの言葉を待っている。早く何か言わなければと思うのだが、上手く言葉が出てこない。ああ、これは歓喜だ。感情の濁流で、脳内がひっくり返りそう。 「……リュート」 「ごめん」 「え?」 不安そうにティルの瞳が揺れた。ああ、違くて。 「違う、ごめん……上手く言葉にならなくて」 「リュート」 「ティルが、そんなことを考えていたなんて思ってなくて……こんなに幸せでいいのかなって」 「いいんだよ。お前は人一倍苦労してるんだから、何倍でも幸せになれ。俺がするから」 「ティル……」 「リュート。お前の返事が聞きたい」 今日は、さっき泣いたばかりなのにな。 ぽろぽろと涙が零れる。それでも、リュートはふわっと微笑んだ。 「俺も、愛してる。ティルがいないと、俺はもう無理なんだ。ずっと一緒にいてほしい」 「……!リュート!」 ティルの腕が、零した涙ごとリュートを深く抱き締める。 「ああ!よかった!マジでよかった!俺の心臓何年か寿命縮んだぞ!」 「困るなぁ。長生きしてね」 腕の中で、ティルの肩口に頭を預けて、リュートは胸に灯った明かりの温かさを感じる。死の恐怖すら跳ねのける温かさ。きっともう、大丈夫だ。 「ねえ」 「ん?何だ?」 「もう卒業したからさ」 「ああ」 「最後までしてもいいんだよね?」 「っ!」 「今日このままティルの家に行ってもいい?」 「……い、や、いいのか?本当に?」 今更何でそこで動揺するんだろう。今までだって散々抱いてきたのに。変な所で臆病なのだ、この人は。だから、リュートが許可してあげないと、駄目なのだ。 「いいよ。ティルに全部あげる」 耳元でそう言うと、小さくティルの身体が震えた。 「よし。帰るか」 「決断早いね」 「据え膳食わぬは男の恥ってやつだろ。帰るぞ」 そっと身体を離して、見つめ合う。これからは、同じ道を歩く。空にある双子星を眺めながら。 それはきっと、幸せなこと。 「大好き」 「リュート。俺も、大好きだよ」 ただ唇を重ね、これからの未来を誓う。

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