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第36話
三学期が始まった。
冬休みを満喫して、幸せな気持ちのまま学校に行く。始業式の後に冬休みの確認テストがあって、あっという間に一日が終わる。終礼のために担任の先生が教壇に上がって、えー、と前段を置いた、そのときだった。
リュートは総毛立つ。ぎゅっと眉を顰めて、窓の外を見る。広いグラウンド、悪しき気配。こちらが居場所を探すまでもなく、とうとうリュートの神力を求めて、ここまでやってきた。
リュートはティルに視線を送る。彼も憑りついている姫神が中で暴れたことで、事態を察していたのだろう。険しい表情を浮かべている。一刻の猶予もない。脳内で、主神に語りかける。
(学校中の人間を、一斉に避難させることは可能ですか)
(記憶消去と重ねて転送の術をかけることになりますね。一応可能ですが)
(お願いします。時間がない)
リュートがそう主神に言うと、次の瞬間にはクラスから人が消えていた。ティルを残して。
「神様ってすげーのな」
ティルが言いながらリュートに近付いてくる。リュートも戦錫杖を取り出して、ぐっと握る。教室の窓からグラウンドを見下ろすと、いつも自分の精神世界で見ていた黒い球体が、ふよふよと漂っていた。
「主神様、原初の悪は封印を破ったと見ていいのですね」
「そのようです。姫神と共に張った結界は破られたと言うこと。リュートの神力を、どうしても得たいのでしょう」
「俺、そんなに美味しそうに見えるのかな」
冗談交じりにティルにそう言うと、彼は、
「お前が不味いわけないだろ」
と、何故か真顔で言ってきた。そういう意味か、と苦笑いを浮かべ、ただ、ティルといれば大丈夫だと強く確信する。
がらっと教室の窓を開ける。ひゅうっと冬の冷たい風が吹き込む、だが気にせずに窓枠に足をかけ、リュートは、
「おい、ここ四階……!」
ティルの声を置き去りにして、飛び降りた。ごうっと鳴る風の音を感じながら、着地の瞬間に戦錫杖を振る。衝撃を緩和する術を出して、とん、と静かに着地。
「うわああああああああああ!?」
続けて騒がしくティルが落ちてくる。姫神がサポートしているだろうが。着地の瞬間、ティルは踏ん張るような姿勢で足を地面につける。そして、リュートの隣に駆け寄ってきた。
「無茶すんなよな!?」
怒られた。
「飛んだ方が早いかなって」
「そうだとしても!するな!」
「はぁい」
気の抜けた返事をしてから、リュートは前を見据える。
真っ黒く、艶もない、漆黒の球体。国生みの神々から零れ落ちた悪意そのもの。底知れない、地獄の冷気を纏ったかのようなその出で立ち。
勝てるのだろうか。
普段相手にしている妖なんかとは比べ物にならない。本能が告げている。
何度も精神世界で撃退はしているが、倒せるという実感を持ったことはない。それでも、リュートの心の楔を消し去り、命の危機を感じることなく、ティルと生きるためにはこいつの討伐は必須だ。
「リュート」
ふわりと横に浮いた主神が言う。
「本当に、倒すと」
主神は原初の悪について、封じることを推奨していた。封印さえされれば楔の機能も同時に封印されるはずだから、命の危機なく暮らせるはずだと。
だが、それは本当だろうか。今だって封印されているにも関わらず、楔を打ち込みリュートに迷惑をかけている。精神世界にもしょっちゅう乗り込んでくるし。主神が嘘をついている、という話ではなく、原初の悪が主神の想定の上を行っているのだと、リュートは考える。
「はい。倒します。必ず」
ぐっと戦錫杖を握り締めて、原初の悪を見据える。
しかしどうやって倒したものか。それを少し考えたいな、と思ったのだが、原初の悪はそんな時間はくれないらしい。
球体が振動し、雷鳴が空に響く。リュートは主神に言った。
「俺たちをこの世界の裏側に飛ばして!」
「リュート」
「早く!」
主神が、人には発することのできない音で何事かを言い、視界がぐるりと反転する。
「何が起こった?」
ティルが問いかけてくる。
「鏡面世界に入ったんだ。原初の悪が起こそうとしている攻撃が――」
ごろごろ、と大きな音がする。リュートは戦錫杖でとん、と地面を突く。すると、リュートとティルを中心に透明な球体が現れ、二人を包む。
直後。
耳を裂くような轟音と共に、雷撃が周辺に降り注ぐ。眩しいし煩いし最悪だ。球体にも直撃し、揺らすが、何とか凌げたようだ。
「やっば……!何だこいつ!?」
ティルが、僅かに震えながら言う。それはそうだ。彼が戦いの場に出たのは、ほんの少し。実戦経験はない。まあ、リュートの実戦経験を以てしても、このように広大な範囲に落雷を起こすような大規模な術は初めてなのだが。ふと横を見ると、落雷に貫かれて無数のクレーターができている。それだけで威力の程はお察しだ。
「気を抜けない。ずっと張り詰めたままでいて」
リュートは、ティルにそう伝える。
「ティルのことは、俺が必ず守るから。心配しないで」
「リュート」
引き留めるように名前を呼ばれたので、一度、笑みを返す。大丈夫、俺が負けることはない。だって、君がいるから。
戦錫杖を握る。ぐっと利き足である左側に力を込めて、跳躍の術を自身にかけて、跳んだ。一蹴りで五十メートルほどの距離を詰めると、眼前にいるのは原初の悪の黒い表面。そこに向かって跳躍の勢いそのままに、振りかぶった戦錫杖を打ち付ける。衝撃を殺すことはできなかったのか、原初の悪が吹っ飛ぶ。途中で踏み止まり、またそこでふよふよと漂う。
(追いかける)
次に使うのは転送の術。距離を一瞬で詰める不意の突き方は見られてしまったから、次は消えてみせるしかない。
リュートの使う術の数々は、原則、主神の力でリュートの発想を具現化する魔法だ。望めば大体のことはできる。原初の悪の背後に移動する自分を思い描き、それは目の前で実現する。背後があるのかわからないが、原初の悪が即座に対応できない位置には出られたらしい。今度は鋭く石突側を突き出し、原初の悪の表面に罅を入れる。ここを起点にこいつを崩せないだろうか。
だが、突きを入れた瞬間、原初の悪を中心に暴風が吹き荒れる。細かい刃のように混ざる砂利が痛い。
「うわっ!」
声が上がったことに反応する。ティルが。
「ティル!大丈夫!?」
リュートがそれに言葉を返すと。
にたあっと、黒い表面に口が現れ、笑った。
ぞわっと背筋が粟立つ。こいつ、口があった?いや、それより、気付かれた。俺の大事な人。俺のアキレス腱。絶対に失えない人。
にたにたと笑ったまま、原初の悪が次にしたことは、無数の妖を呼ぶことだった。意地が悪い。リュートがそれの対応に回れば原初の悪は大規模な攻撃を行うことを躊躇わない。リュートは一人しかいないのだ。
「主神様!何とかしてください!」
わらわらと現れた妖を前にリュートが叫ぶ。すると主神は、
「リュート。君は今原初の悪に対するため、私から根こそぎ力を持っていっているでしょう」
「あ……」
発想の具現化に、確かに主神の力を使っている。これまでも雷を呼んだりしていたが、それがどれほどの負担なのかを考えたことはない。
「転送の術など、ごっそり持っていかれました。今後も原初の悪に対するのに術を使うのであれば、私はここで佇むことしかできません」
「……」
神様なのに。と、思ってしまったのは仕方がないだろう。主神をタンクにしているのだ。諦めるしかない。
「ティル!」
「なんだ!?」
「この妖、任せた!」
「はあ!?」
「あとは姫神様の言葉に合わせて!多分何とかなる!」
「いや、無茶ぶりが凄くて引いてるんだが……!」
これ以上は構っていられない。原初の悪に向き直り、先程罅を入れた箇所に次なる攻撃を打ち込むべく、構える。
ふわっと原初の悪がスライド移動する。行き先は……こいつ、ティルを狙っている。妖の群れを出してティルを追い詰めて、その背後を取ることでリュートを煽る。
「名前のとおり、あくどいね!」
リュートは横移動する原初の悪に並走して、氷の術、炎の術、雷の術と散発的に放つ。だが、どれも表面を撫でるだけで通らない。戦錫杖の物理攻撃は通るのに、術は弾かれる。
(……何でだ?)
自然現象の術だと通らないのか?ならば概念的な――光の術は。これもまた、表面を撫でる。あまり繰り返し検証はできない。ただ、術が通らないというのは共通項だ。
原初の悪がティルの後ろに辿り着き、にちゃ、と笑って接近しようとする。リュートは戦錫杖をフルスイングして、原初の悪を背後の空間の壁にぶち当てる。
どごぉぉぉん、と大きな音がして、ティルが振り返る。背後にリュートがいたことに驚いたようで、目を見開いていた。
「ティル、大丈夫?」
「姫神のおかげで。でも武器くれるもんかと思ったら、男なら拳で戦えって言われてな……」
「ははは……」
見るからに肉体派の女神を思い出して、リュートは乾いた笑いを浮かべる。その間、高く飛び込んできた狼型の妖の顎下にアッパーカットを入れるティル。不良とつるんでいたときも、こんな感じだったんだろうか。
「任せたよ」
「任されたから、お前は思いっきり戦ってこい」
「ありがとう」
二人は背中合わせになり、リュートは吹っ飛ばした原初の悪を見る。よろよろと球体を揺らしながら起き上がるそいつを見ながら、術が通らないことを考える。
そもそも、原初の悪の討伐条件は倒すことだが、何であればダメージソースとなるのだろうか。戦錫杖による物理は多少通っているようだが、決定打には程遠い。術も通らず、物理も通りづらい相手。妖であれば祈りで送るのだが。
そもそもあいつは神から零れた悪意であるからして、その体系はどちらかというと神に並ぶ。つまり主神を討伐するにはどうしたらいいのかと尋ねているのと意味合い的には同義だ。
(……主神様が封じろって、言うわけだよな)
と、そこまで考えて、どうして神々は倒そうとしなかったのだろうか。最悪相打ちになったとしても、神ならば倒せるはず――
(同じ、神だからか)
原初の悪も、主神も、国生みの神を中心とする神話体系の一部だ。つまり、根源が同じ。同じ力を持つ者同士で殴り合っても、通らない。だから主神も姫神も、封じるという消極的手段を取るしかなかった。
そして、術が通らないのも。リュートの術は主神をタンクにしている。通るはずがないのだ。
「……これって結構絶望的かもね」
思わず、声に出る。物理でちまちま削っていくしかない。ただそれも、原初の悪が付き合ってくれれば、の話だ。
小さく嘆息して、弱気になるなと自分に言い聞かせる。強く戦錫杖を握り直して、殴って倒せというなら何度でも殴ってやる、俺たちの未来の為に、と、ティルのことを考える。
「……リュート」
ふわり、と主神が横に佇む。何だろうとそちらを見ると、
「これは可能性の話ですが……君たちが双子の星の因果律で結ばれていることが、突破口になるかもしれません」
「え?ちょ、待って下さい。何の話です?」
「フェティルには話しましたが、君とフェティルは青と橙の双子星。因果律に定められた星の子なのです」
「……?それが?」
「来ますよ」
「っ!」
主神の声に前を向くと、原初の悪が突っ込んでくるところだった。突っ込んできた勢いに載せて石突を前に出し、表面に再び罅を入れる。そして、その罅から石突を押し込んで、その内側に戦錫杖を突っ込む。すると、微細に震えてぶしゅっと黒い霧のようなものを吹きだす原初の悪。被りたくなかったので咄嗟に後ろに跳ぶ。
よろ、よろ、と漂って、きっとリュートに敵意を向ける原初の悪。そして、高く高く空に舞い上がり、回転し始める。嫌な予感しかしない。
「リュート!」
ティルが駆け寄ってくる。姫神の降臨状態は解除されているようだった。
「妖は全部消したんだが、あいつ、何してんだ!?」
「嫌な予感しかしないね」
「俺もそう思う」
「あれは――」
主神がふわりとリュートの前に立つ。
「原初の悪の最終奥義、この世全てを無に帰す究極の御業でしょう」
「なっ!?」
「君に滅多打ちにされ、最早神力などいらないから、君を抹殺することにしたのではないでしょうか」
「冷静に言うことか!?それ!?」
ティルが主神に突っ込む。それをふっと息を吐いて微笑ましく受け止めてから、リュートは、ばっと頭上を仰ぎ見る。
ここは鏡面世界だ。だが、現実と表裏一体の世界でもある。あの術がどれほどの規模になるのかしらないが、防御の術で凌げば何とかなるレベルだとは思えないし、放たれれば現実の世界にも影響があるかもしれない。
「打たせるわけにはいかない」
「だよな。しっかし、飛ばれるとな」
そう、戦錫杖で打ち付けようにも、届かない。空中に浮く術で同じ位置まで行くことはできるだろうが、戦錫杖の扱いには足の踏ん張りが必要だ。浮いた状態でどこまでできるかは未知数。
――双子星。
主神の言ったことを、思い出す。
因果律、というのは、一般的にそうと定められた世界の流れのことを言うのだと、リュートは思っている。神の在り方すら、その因果の流れの一部でしかないのだ。リュートとティルが因果律に定められた星の子だというのが本当なのであれば、リュートとティルは因果律の上に乗った、少し特殊な二人ということになる。
――そうか。そういうことか。
「……ティル」
「何だ?」
「手を、貸して欲しいんだ」
「お前の行先は俺の行先だ。ついていくよ」
迷うことのないティルの一言に、無性に彼にキスをしたい気持ちなるが、終わってからにしよう。
「俺たち、因果律の定めた星の子なんだって」
「ああ……なんかそんなこと聞いた気がするが」
「俺たちで、因果、書き換えちゃおうよ」
「あ?」
ティルが不思議そうに首を傾げる。ふふ、とそれに笑ってから、リュートは原初の悪を見上げる。そして、ティルの手を、ぎゅっと握った。
「リュート」
「ねえ、一緒に願ってくれる?」
「お前が言うなら、何でも」
「ティルのそういう所、本当に好き。大好き。愛してる」
「お……急に言うなよな。んなの俺だって愛してるよ。お前のそういう勇ましい所」
ぎゅ、と再度彼の手を握り直す。願うのはたった一つ。
「原初の悪が、いない世界線に繋ぎ直して!」
「おお、なるほど。そういうことな。そういうことらしいんで、よろしく」
リュートと、ティルの声が空高く消えていく。すると、空から無数のきらきらとした光の粒が零れて、世界を覆っていく。これが、書き換え。
ぽつ、と光の粒が原初の悪に、雨が降り注ぐように触れていく。優しく触れているはずなのに、容赦なく、原初の悪の外観を削っていく。悲鳴を上げることも許されず、文字通り、消されて行く。二人の願いが、星となりて夜を裂く。
「……」
自分はとんでもないことを願ったのではないだろうか。リュートはふとそんなことを思った。原初の悪を倒すのは、人力だけでは難しい。だから超常の力を借りた。それだけのはずなのに、こうして消えていく原初の悪を見ていると。
ぽん、と、頭に感触。恐る恐る見上げると、そこでティルが笑っていた。
「お前は間違ってないよ」
この人、俺の頭覗いてるの?と、思う程、的確にリュートの心を慰める。わしゃわしゃと頭を撫でられ、一瞬地面を見て小さく微笑んでから、原初の悪の最後を見届ける。
コラージュのように削られた原初の悪の、最後の一片に、光の粒が触れる。そして、そいつは、今流れゆく因果の線から、消えた。
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