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09 買収されたか
「残り27分40秒です」
ヨゼフの様子などお構いなしに、ツィリルが淡々と秒針を読み上げる。
「うるせえな!! 細かく刻まなくていいから。残り10分になったら教えてくれりゃいいから」
「承知しました。チッ」
「こ、こいつ舌打ちしやがった……」
舌打ちの音は、頁をめくる音より僅かに大きかった。
恐らくヨゼフから金品を限界まで搾り取ったのだろうという予想はつく。にも関わらず、随分と機嫌が悪い。
「………」
「………」
視線を紙面に落とす。
一行。二行。三行。
読み進める度に昼間の声が浮かんで、内容が頭に入ってこない。
『俺はお前が好きだよ!!』
一行前へ戻る。
『付き合ってください!!!』
駄目だ。もう一度。
「なんで読書してんだよ、おい」
「………」
「無視すんな!」
うるさい。読めないではないか。
……いや、読めていない原因はヨゼフの声量だけではないのだが、それは口にしない。
「繰り返すが、俺は忙しい」
我ながら苦しい返しだと思ったが、他に言葉が見つからなかった。実際忙しいので何も間違っていない。
今も一冊の本を読みながら、昼間の告白について考えないようにするという高度な作業を同時進行している。
「……おい、ツィリルさん! どういうことだよ、アレクセイの時間俺のために取ってくれたんじゃねえの?」
「俺の名前を呼ぶな下郎」
「げ、げろう……!?」
ヨゼフの声がショックを受けたように震えた。
昼間までは「いつもの従者の人」だった男に、僅か数時間で下郎扱いされている。
心なしかツィリルのヨゼフへの当たりが強いような気がするが何も言えず、ただ本のページをめくる。
「俺は閣下と貴様が『話し合う時間』を設けたつもりはない。閣下の時間に40分程の空白時間を組み込んだだけだ。休憩時間と銘打ってな。貴様との契約は『閣下と貴様の時間を30分確保すること』。同じ空間に居る今、何の相違もあるまい」
「ツィリル、ワインが出るのではなかったのか」
「は。用意がございます。少々お待ちを」
「うむ」
予定表に軽食及びワイン付きと書かれていたことを思い出し口を挟むと、ツィリルが一歩前へ出る。
足元へ片膝をつき、指先で滑らかに魔法陣を描き始めた。
淡い光が線をなぞり、陣が完成すると同時に中心部がぼこりと盛り上がる。
まず甲羅が見えた。次に頭。
さらにもう一匹。三匹。四匹。
二本足で立った亀たちが、列を成して魔法陣から這い出してくる。
その後ろから猫足の小卓がぬるりと現れ、更にワインボトル、グラス、皿、数種類のチーズまで次々と運び出された。
「何? なんなんだよコレ? なんで亀が二足歩行してんの……?」
戦慄くヨゼフをよそに、二足歩行する亀たちは慣れた様子で俺の前へ小卓を置き、一匹が器用にボトルを持ち上げた。
亀である必要性は俺にも分からないが、ツィリルが昔から好んで使う術だ。
深い赤色の液体がグラスへ注がれていく。別の一匹が青黴の入ったチーズの乗った皿を置いた。
「ブルーチーズか」
「閣下が好まれますので」
「うむ。美味」
一度本を卓の上に置く。亀からチーズを受け取り一口含むと、塩気と独特の香りが舌の上に広がった。
調和が取れた味だ。素晴らしい。
先ほどまでの混乱が少しだけ遠ざかった気がした。
「俺の話聞いてくれねえ?」
いや、気のせいだった。物理的に近くなった。
ヨゼフはいつの間にか俺のすぐ傍らまで歩み寄ってきていた。ベンチの背を掴み、俺を見下ろしている。
グラスを持ち上げ傾けたまま、視線だけをヨゼフに向ける。
「聞いている。話せ」
「聞く態度じゃねえだろ」
話せと言ったのに、ヨゼフは話さない。
仕方がないので卓の上の本へ目線を落とし、ページを一枚めくった。
「読書に戻るなよ!」
せわしない男だ。
「閣下の邪魔をするな下郎」
「いや、俺あんたの依頼主! お金払ってんだよこっちはよ!」
「金で人の心が買えると思うな下衆が……」
「そういう話してんじゃねえんだよなぁ!」
ツィリルとヨゼフの応酬が始まる。俺はその隙に、一口ワインを含んだ。
美味い。
「そもそも閣下のお時間を買おうとする発想が浅ましい」
「まじで何なのこの人? 買収されたのあんただけど? つーか話を持ち掛けてきたのあんただけど!?」
ツィリルから持ち掛けたのか。一体いくら取ったのだろう。
ヨゼフの声がどんどん裏返っていく。
「俺の慈悲の心が貴様には分からんのか?」
「わっかんねえなぁ~。金で買える慈悲はちょっとよくわっかんねえなぁ~!」
俺にも分からない。だが口を挟めば長くなりそうなので、チーズをもう一切れ口へ運ぶ。
こちらもやはり美味い。
ツィリルがグラスにワインを注ぎ足しながら、涼しい顔で時計を一瞥する。
「ところで残り20分程になっているぞ。10分を切るまで知らせるなとは言われているが俺はこの通り寛大で慈愛に満ちた男だ。警告くらいはしてやろう」
「に、20分……!?」
もう十分ほど経ったらしい。
随分と喋っていると思ったが、用件らしい用件はまだ何一つ聞いていない。
俺は一体何のために買収されたツィリルの横でワインを飲んでいるのだろう。
内容はろくに頭に入らないのに、ページをめくる指先だけが惰性的に動いていた。
「お前はお前で優雅に読書してんじゃねえよ!!」
「聞いていると言っているだろう、しつこいぞ」
本当に聞いている。ツィリルとヨゼフの会話も全て聞いている。
肝心のヨゼフが、俺に何も話していないだけだ。
「……アレクセイ。なあ、頼むからちゃんと話聞いて。昼間は聞いてくれたじゃん……3分だったけど……」
声が少しだけ弱くなった。ページの上に落としていた視線を止める。
お前が好きだと言った声がまだ耳の奥に残っている。付き合ってくださいと、真っ赤な顔で言ったヨゼフの表情も瞼の裏に焼き付いていた。
少しの間を経て、本を閉じる。
「あ、ありがと……」
ヨゼフへ向き直ると、少し驚いたように目を丸くした。
「ツィリル、残り時間は」
「18分46秒でございます」
「わかった。……で?」
まだ十八分ある。ヨゼフが話すには十分だろう。
ワインのグラスを小卓に置き、姿勢を正した。
「で、でって……?」
「ツィリルとの漫談を見せるために俺の時間を買ったのか? 用件は? 18分、話したいなら自由に話せ。話は聞く。ああ、俺の祖国へ来る話なら腰を据えて話しても良い。うちは常に人材が不足している」
「……そっちじゃねえ……」
「そうか」
残念だ。ヨゼフほど優秀な魔術師が来てくれれば、俺としては非常に嬉しいのだが。
……いや。それだけではない。俺個人としても、ヨゼフには共に国へ来てほしい。
そこまで考えて慌てて思考を止めたところで、ヨゼフが一度息を吸い込む音が聞こえた。何かを言おうとして、迷って、また言葉を探している様子だった。
「昼間、の続きを話したくて」
一瞬、呼吸が遅れた。
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