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08 付き合ってください!

「ツィリルに怒鳴るな、お前だうるさいのは」 「う、うう……っ!」 ヨゼフの口がへの字に曲がる。何か言いたげにこちらを見る。 言いたいことがあるなら早く言えばいいのに。 俺は腕を組み、その先を待った。 ヨゼフは一度、ぎゅっと目を閉じた。 開く。 あの夜、とろりと甘く蕩けていた蜂蜜色の眸が、かすかに緊張をはらんでいるように見えた。 「お、おれ、俺……このまえ、ごめん……」 このまえ。 胸の奥を、鋭い爪で薄く引っ掻かれたような感覚がした。 何のことか聞き返す必要はない。 あの日のことなら、今だって鮮明に思い出せる。 あの幸せな夜と、相反するように凍てつく朝の、ヨゼフの声。 「残り1分と58秒でございます」 ツィリルの声に、飛びかけた意識が戻る。 「うるせえなまだ話してんだよこっちはよ!? その、……違うんだアレクセイ」 「残り1分と48秒でございます」 「この人黙らせらんねえかな?」 違う。何が。 その一言に、勝手に意識が吸い寄せられる。 聞きたい。 ……いや、聞いてどうする。 また都合のいい意味に受け取るのか。 「ツィリルは職務を遂行しているだけだ」 動揺から声が少し単調になる。 妙に素っ気なく聞こえてしまって内心焦ったのに、幸いヨゼフはそこには触れずにただ目を剥いた。 「職務!?」 「は! 残り1分と、」 「気が散るんだよぉ!!」 「30秒でございます」 ヨゼフが片手で頭を掻きむしる。それでも顔を上げた。 「くそ、だから、あの、アレクセイ。おれ、あの、……っひ、どいこと、いった。っごめん」 回廊を行き交う生徒たちの足音が、急に遠くなったように感じた。 謝罪が欲しかったわけではない。 俺は怒っているわけではない。責めたいわけでもない。 ヨゼフが俺と違う価値観を持っていた。それだけだ。俺が勝手に意味を重ね、勝手に恋人になれたと喜んだ。 俺と同じ意味をあの夜に持たせていなかったとして、それはヨゼフの自由だ。 頭ではもう何度も整理した。 なのに、真っ直ぐ謝られると、あの日うまく動かなかった指先まで思い出してしまう。 掛け違えたボタン。腕を掴んでいた白い指。離された瞬間に漏れた、自分の安堵の息。 『アレクセイお前さあ』 俺を睨むヨゼフの瞳と、告げられた声。 『一回ヤったくらいで恋人面すんなよな』 視線を少し落とした。 「………いや。俺が勘違いをしていただけで、お前は悪くない。そういう文化があることは理解している。俺は、……俺は、そういうことに疎くて。は、じめてだったから。すきなひととしか、したくない。ああいったことをするのだから、気持ちが通じたと勝手に自惚れた」 口にすればするほど喉が乾いて、舌が口の中に張り付く。唾液を飲み込む音が、いやに大きく聞こえた。 一晩かけて納得したはずなのに。 仕方がない。 そういうこともある。 ヨゼフは悪くない。 何度言い聞かせても、「すきなひと」と口にした瞬間だけは胸が痛んだ。 「う、ぬぼれじゃねえよ、ちがう、アレクセイ。ごめん、ごめん、俺、俺が悪いんだ。ッ勘違いじゃなくて、」 「残り28秒でございます」 「刻んでくんなよ! 大事な話してんだよ!!」 顔を上げた。 勘違いではない? 俺が勘違いしたのではないなら、一昨日のあれは一体何だったというのだ。 「アレクセイ……ごめん、ごめん聞いて」 「…………」 口を開きかけて、閉じる。 今さら何を聞けば良い。何を言えば良い。 だってヨゼフが言ったんだ。「恋人面すんなよな」と。 「残り20秒でございます」 容赦なく数字を削っていくツィリルの声に目を吊り上げたヨゼフが、視線をそちらへ移した。 「短すぎんだよ3分ってなんだよ!」 「残り」 「うるせえ!!」 「14秒でございます」 「く、くそ……っ!」 ヨゼフがぎゅっと拳を握る。 耳まで赤い。 怒っている時もこの男の白い肌はすぐに火照るが、今日は少し違う。 金色の目だけが、真っ直ぐ俺を見ていた。 「残り12、11、」 「俺はお前が好きだよ!!」 刹那、息をするのを忘れた。 言葉が耳に届いた瞬間、体のどこかが強張る。 好き。俺を。ヨゼフが。 「10、9、」 「お前が好きだから、その、あ、ああいうことしたんじゃんかよお前以外とだったらしねえよ当たり前だろなんで俺がお前のこと好きじゃねえってことになるんだよ察しろよ」 「……舌がよく回るな」 他に聞くことが山ほどあるのに、気の利いた言葉が出てこない。 ――お前以外とはしない。好き。だから、ああいうことをした。 言われた言葉を反芻して高揚する胸に、あの日聞いた声が水をさす。 『一回ヤったくらいで恋人面すんなよな』 同じ声だ。 どちらもヨゼフの声だ。 「4、3、」 「恥ずかしくて、最低なこと言ってごめ、」 「1、」 恥ずかしくて? あれが?好き相手に吐く言葉か?あんなこと言えるものなのか? 思考が一歩進むたび、その先から別の疑問が枝分かれするように増えていく。 「くそっ、……ッ付き合ってください!!!」 「3分経ちました」 ヨゼフの声とツィリルの声が、ほとんど重なった。 ヨゼフの顔は、熟れた果実のように赤くなっていた。紅潮しすぎて、まるで湯気でも立ちそうだ。 それでも逸らさず、俺を見ている。 何人かの生徒が驚いたように目を見開き通りすがりにこちらを見てくるのが視界の端にちらつくのに、意識がヨゼフに吸い寄せられて何も出来ない。 「………」 「………」 告白された。たぶん、告白だ。 ヨゼフに、あれほど欲しかった言葉を向けられた。 二日前までなら、聞いた瞬間に抱きついていたかもしれない。 国に早馬を飛ばして家族全員へ報告したかもしれない。 象だって手配したかもしれない。 嬉しい。嬉しいに決まっている。 飛び上がりたい。今すぐ肩を掴んで、本当かと百回聞きたい。太陽神ソールと月光神ルーナにも、改めて報告したい。 なのに足が動かない。 だって俺は、あの日も同じように幸せだった。 疑いもしなかった。 好きだと言われた。愛されたと思った。ヨゼフのものになったと思った。 『一回ヤったくらいで恋人面すんなよな』 でも違った。 あの瞬間の、体の内側から熱が全て抜け落ちていく冷たさが蘇る。 皮膚の下に、あの日の冷気がまだ眠っているような気がする。 また違ったら。また俺だけが、同じ言葉に別の意味を見ていたら。 伸ばしかけた気持ちが、そこで止まった。 「……行くか」 「は!」 「行くの!?」 行く。 今は無理だ。 これ以上ヨゼフの顔を見ていたら、嬉しいのか怖いのか、俺自身にも分からなくなる。 「俺はバルトロメイの勧誘がある。ツィリル、お引き取り願え」 「は!」 そうだ。 俺にはバルトロメイがいる。 否、言い方が悪い。俺には、我が国の未来を左右するかもしれない重要な人材、バルトロメイの勧誘がある。 昨日は研究設備に初めてまともな反応を示してくれた。 今日こそ更なる一手を打たねば。 恋愛に狼狽えている場合ではない。

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