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07 残り2分と28秒でございます

翌日、午前の講義を終え、バルトロメイの勧誘へ向かうために長い回廊を歩いていた。俺の次の講義まで一時間程空きがある。 昨日の食堂以来、ヨゼフとはまともに顔を合わせていない。 否、正確には俺が合わせていない。見ない。探さない。聞き慣れた声がしても振り返らない。 八年間、ほとんど反射のようにやっていたことを一つずつ意識して止めるのは、思っていた以上に骨が折れた。 長年追いかけ続けていたせいで、体の方が俺より余程ヨゼフに詳しい。 黒髪も、白い肌も、人混みの中ではよく見える。声だって聞き分けられる。足音すら、たぶん分かる。 だが、分かるから何だ。 俺はもう追わない。 ヨゼフを見なくても一日は過ぎるし、話しかけなくても死にはしない。胸の辺りがまるで空洞になったかのように酷く寒々しく感じるだけだ。害は特にない。 手元の資料へ目を落としながら角を曲がった、その時だった。 背後から、廊下中に響き渡るような声が飛んできた。 「ア、ッアアアレクセイ!」 足が止まった。振り向く前から、誰なのか分かっている。 嫌になるほど馴染んだ声だった。名前を呼ばれただけで、振り向くより先に顔も声も表情まで浮かんでくる。 少し迷って、それでも無視するのは違うだろうと振り返る。 俺の予想通り、そこにはヨゼフがいた。 こちらへ駆けてきたらしく、黒髪が乱れ、白い頬には薄く血が上っている。蜂蜜色の瞳は、周囲には目もくれず俺だけを見ていた。 何故、そんな顔をする。 そんな風に必死に俺を探したような顔をされると、困る。 「俺の名前はアアアレクセイではないが……どうした、ヨゼフ・バーチャ!」 「どもっただけだよ!!」 「そうか!!!」 「声の大きさで対抗してくんな!!!」 反射的に声を張り上げてから、はっとする。 いかん。いつもの調子が出た。 ほんの一瞬、八年間続いた追いかけっこへ戻ったような気がしたせいだろう。 腹の底に湧いた懐かしさを、慌てて押し戻す。 「そうか。で何の用だ?」 「急にテンション戻すじゃん……」 ヨゼフが何とも言えない顔をしたが、特に反応は返さず回廊に設置された時計を見る。 バルトロメイの次の講義までそれほど時間はない。口説ける時間は30分程といったところか。ヨゼフに割く余裕はない。 何より、こうしてヨゼフと二人で向き合っている時間を長引かせるのは、あまり俺の精神衛生上よろしくない。 まだ、あの朝から一日しか経っていない。 せめてもう少しまともに向き合えるように、気持ちを落ち着かせてから話したかった。 「俺は忙しい。何か話があるなら3分以内に頼む。ツィリル!」 「は!」 俺が呼ぶのとほぼ同時に、斜め後ろから返事が飛んできた。 最初からそこにいたかのようにツィリルが進み出る。 相変わらず気配の消し方が見事だ。幼少期から多くの使用人に囲まれて育ってきたが、ここまで徹底して己を背景に出来る男は珍しい。 「えっ、いつもの従者の人!? ……え、えっ。いねえと思ったのにいたの? どこにいたんだよ?」 「3分経ったらお引き取り願う。測れ」 「は!」 「どこから出てきたんだよ……!?」 ヨゼフが周囲をきょろきょろと見回す。 何故そこまで驚く。ツィリルは、彼の講義の時間以外は大体俺の傍に控えている。 とは言えツィリルがこの学園に来たのは半年ほど前になる。俺が国に帰るまで後一年程になったその区切りに、父上の命を受けて編入して来たのだ。 俺が国を出るまでは常に一緒に居たし、手紙のやり取りも頻繁にしていたし、長期休みで帰国した際にも顔合わせは毎回していた。だから俺自身はツィリルのいる生活にすぐに馴染んだ。 だがヨゼフや周りはそうでもないらしい。毎回、ツィリルがどこからともなく現れる度に驚きの声を上げる。 驚愕の声を浴びた当のツィリルは何の感慨もない顔で、懐から時計を取り出す。 蓋を開き、長針へ淡い氷藍色の目を落とした。 「残り2分と52秒でございます」 「用件を述べよ」 「え、えっ」 もう八秒経った。 急かされて、ヨゼフの視線が忙しなく俺とツィリルの間を往復する。 口は開いているのに、肝心の用件は一向に出てこない。 三分で足りるのだろうか。 いや、俺が心配することではない。 「閣下、御髪が乱れております」 「うむ」 ツィリルが半歩踏み込む。 時計から片手を離し俺の額に落ちた銀髪を指先で掬い、首に掛かる襟足を少し払った。右の横髪に垂らした細い三つ編みまで軽く整える。 朝から風が強かったので、少し崩れていたらしい。いつものことなので、そのまま任せる。 ツィリル自身も、肩にかかる金髪の左側だけを同じように編んでいる。国元にいた頃から変わらない、俺たちなりの見慣れた形だ。 「ちか、近くね?」 近いも何も、髪を直しているのだから当然だろう。 離れていては届かない。 特に反応を返さず、正面から見据える。 「残り2分と28秒でございます」 「うるせえよ!!!」 秒針を読むツィリルに、何故かヨゼフが噛みつくように声を上げた。

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