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第2話 名前の載る場所
オーディションから数日して、澄へ連絡が来た。
指定された時間に、澄は再び、先日オーディションが行われた事務所のロビーに立っていた。
不思議な気持ちだった。
総合受付で要件を伝えると、目の前のソファで待つように言われた。
澄は言われた通り、そこに腰を下ろした。
数分もしないうちに、奥のエレベーターから人が現れた。
「こんにちは、朝倉さん」
すらっとした男性が声をかけてきた。
澄は立ち上がった。
「初めまして、朝倉澄です」
頭を下げると、相手は名刺を取り出して澄に渡した。
「三上です」
差し出された名刺を見る。
株式会社響映
戦略室 室長代理
三上 恒二
「よろしくお願いします」
澄はもう一度、丁寧に頭を下げた。
「ではご案内しますね」
「室長代理、でいらっしゃるんですか?」
「はい。肩書きだけ見ると、少し大げさですよね」
人の良さそうな笑顔を浮かべて、三上は言った。
「今日は契約と、今後についての確認を少しさせていただきたいと思っています」
「はい」
今後についての確認って何だろう、と思った。
「こちらです、どうぞ」
通された部屋は、外の明かりがたっぷり入るような開けた部屋だった。
いくつも椅子が並ぶ会議室に、たった二人。
真ん中の席をどうぞ、と勧められて、澄は少し恐縮しながら座った。
三上はすぐに書類を澄の前に広げ、ひと通り説明した。
「ご自身でも読んでみてください」
そう言ってから、三上は顔を上げた。
「コーヒーは飲めますか?」
澄は書類を読んだが、特に気になる項目はなかった。
紙コップに入ったコーヒーが、目の前に置かれた。
「今日、必ずサインしなければいけないわけではありません。持ち帰っても大丈夫ですよ」
「大丈夫です。気になるところとか、何もなかったので」
正直なところ、自分には結構良い条件のような気がした。
契約期間は一年。報酬は完全歩合。
副業は禁止されていない。ただし、仕事やオーディションが入った場合はそちらを優先すること。
レッスンは、事務所指定の基礎分については一部補助が出る。外部ワークショップや追加レッスンは本人負担。
オーディションや都内近郊の現場への移動費は原則本人負担。地方ロケや宿泊を伴う案件、深夜早朝の移動については案件ごとに精算。
報酬の取り分や肖像の扱いについても書かれていたが、三上の説明を聞く限り、澄に分かる範囲で不自然なものはなかった。
個人的には、事務所に所属するといいな、と思える内容だった。
「今日サインします」
三上はすぐには頷かなかった。
「ゆっくり検討していただいても大丈夫ですよ」
「いえ。大丈夫です」
「分かりました」
「それではここからは、今後の話をさせてください。朝倉さん、映像作品と舞台は、どちらがやりたいなど希望はありますか?」
「いえ、特にないです。ただ、今はまだ小劇場系のものや知り合いのMVにしか出たことがないです」
「今、響映が制作とキャスティングに関わっている作品があります。まずはそちらの現場に入っていただく方向で進めています。もちろん、条件は先にお伝えしますが、いかがですか?」
「出演、ですか」
「大きな役ではありません。ですが、朝倉さんを見るにはちょうどいい現場だと思います」
このスピードで、現場が決まるんだ。
大手事務所というものを、澄はそこでようやく実感した。
「しばらくの間は私がマネージャーとしてつきますので、何かあれば私に」
「三上さんが……? はい、よろしくお願いします」
一度言葉を交わした人が関係してくれるのは嬉しい。
けれど、室長代理という肩書きの人が自分につくのは、少し不思議だった。
大手では、そういうものなのかもしれない。
三上は澄の様子を見て微笑んだ。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
一週間後。
「朝倉さん」
振り返ると、三上が軽く手をあげた。
「おはようございます」
澄が頭を下げると、三上も「おはようございます」とあいさつを返した。
「連絡した通り、一応オーディションですが、気負わずやってみてください」
「はい」
「私は少し、関係者の方と話をしてきます。今日はあと二件、オーディションに行きますので、またオーディションが終わったら合流しましょう」
「はい」
澄は頷いた。
案内板のある部屋の奥に入っていくと、すでに一人、待機室に座っている人がいた。
スマホを見ながら、ちらりとこちらを見る。
――きれいな顔だ。
整っている、というより、形がいい。
「前にもいたよな? この手のオーディションで」
声をかけられる。
「はい。何回か」
「だよな。印象薄いからさ。悪い意味じゃなくて」
軽い。
「俺、榊。苗字でいい」
笑うのが上手い人だと思った。
「君、顔そのまま?」
「……そのまま、ですか」
「悪い。整えてないよなって意味」
榊は笑った。
「俺はちょっとやってる。バレないくらいに」
軽い言い方だったのに、そこだけ少し温度が落ちた。
「何もしないで残れる顔ばっかじゃないから」
生き残るために顔を整える、という考え方は、澄の中にはなかった。
演技を続けるなら、芝居を磨くものだと思っていた。
技術とか、声とか、体の使い方とか。
そういうものを少しずつ積んでいくのだと。
自分の顔が特別いいとは思っていない。
ただ、褒められることは昔からあった。
子どもの頃は、可愛い顔をしていると言われた。
大人になってからは、綺麗な顔立ちだと言われるようになった。
けれどそれは、澄にとって、仕事になるものではなかった。
大学で、演劇サークルに入った。
面白そうだと思った。
やってみたら、思ったよりずっと面白かった。
好きだから、もう少しやってみたい。
その気持ちだけで、ここまで来てしまった。
榊は、澄の顔をもう一度見た。
値踏みというより、何かを確認するような目だった。
「君はやらなくていいと思うけど」
根拠は分からない。
でも、榊はそう言った。
呼び出しがかかる。
「じゃ、また」
「はい、また」
数日後、最初に受けたオーディションのいくつかが通ったと、三上から聞いた。
契約のときに話を聞いた、響映の作品にも出演できるということだった。
合わせて作品の詳細も知ることになったが、響映が制作とキャスティングに関わっている作品、と聞いていた。
だから、もっと小規模なものを想像していた。
けれど、名前の挙がったキャストは、思った以上に知られている俳優ばかりだった。
もちろん、自分は台詞もそれほど多くない役だった。
それでも、出演できるだけで嬉しかった。
もうひとつ、自分がひとりで受けていた時とは、オーディションの数が違っていた。
それからも、三上が持ってくるオーディションを、澄は次から次へと受けた。
朝に一本。
昼過ぎに一本。
移動の車内で資料を渡され、夕方にもう一本。
三上は道順も待ち時間も、相手先の担当者の名前も、澄が次にどこで何をすればいいのかも、すべて把握していた。
澄は思った。
大手事務所に所属して、マネージャーがつくというのは、こんなに違うのか。
自分は、芝居のことだけ考えていればいい。
それが、ひどく楽だった。
受けたオーディションの半分以上で、何かしらの役がついた。
けれど、結局、回ってきたどの台本にも榊の名前はなかった。
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