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05.笑えるのかおまえ
眠い。助けてくれ。
昨夜日牧は遅くまでずっと、期末テストの範囲をひたすら復習していた。急にガリ勉に目覚めたわけではない。木崎対策だ。教えを請われた際にろくな返しができなかったら命に関わるからだ。
自らクマの巣穴の中へ入る心境としか言いようが無い。こんな日に限って放課後はあっという間にやって来て、日牧は木崎の隣をいつもより早足で歩いていた。1歩の幅があまりにも違うのだ。木崎に追いつくためには情けないかな余分に足を動かさなければならない。女子なら足を痛めかねない。そういうとこだぞ木崎。
「……委員長、なんか荷物多い」
木崎が日牧の肩にかかったトートバッグを指差した。馬鹿かテメーこれはオレの配慮の塊だっつーの。胸の前に移動させ両手で抱えるようにしながら、日牧は笑った。
「たいしたものじゃないけど、木崎くん家にお邪魔させてもらうお礼のお菓子。あとは参考書とか、全部の教科のノートも念のため」
だから前日なんかに言い出さないでもらいたいのだ。高くもなく安くもなく、カジュアル過ぎず畏まり過ぎず、ちょうどいい手土産を探すのだって楽ではない。
「そんな気ぃ遣わなくて良かったのに。次からは要らないから」
遣うんだオレは、いつだってな。むしろおまえこそ少しは遣え。いや次って何だ。笑顔の裏でいつものように毒づく日牧に、木崎は真顔のまま言った。
「うちに泊まってくための用意かと思った、それ」
「ふぁ??」
泊まって? え、何? お泊まりグッズ的なこと? この中身が、歯磨きセットとかパジャマとかパンツとか、そういう??
「…………、…………、ア、……アハハハハ!」
ギャグなのかマジなのか顔で判断がつかないのがまた恐ろしい。何で泊まるんだ巣穴なんかに。とりあえず爆笑しておいたけれど、その数分後、日牧は目も口も鼻の穴までかっ開いて立ち尽くす羽目になる。
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「……これっ……、木崎くん家……?」
いわゆる、THE日本家屋である。小さな瓦屋根を乗せた門構えの木戸を開けなければ入れない玄関なんて、これまでの人生で目にしたことも無かった。手入れされた松の木に巨大な庭石。歩くたびに真っ白な砂利が音を立てるんだがこれは靴で踏んでもいいヤツなのか?
「家はこっち。それは道場」
木崎は少し離れて立つ建物にそれぞれ目をやった。どちらも大きい。本当に個人宅なのだろうか。
間違っても自分の家に呼ばなくて本当に良かったと、日牧は胸を撫で下ろした。古い団地の陽当たりの悪い狭小1DKだ。最近になって奥の部屋を自室として使わせてもらえるようになったものの、そのせいで母は毎日シンクのそばに布団を敷いて寝ている。クローゼットも共用だし、ユニットバスだし靴箱無いし。
この敷地の中に、日牧家が一体いくつ入るのだろう。
「……ど、どど、道場?」
動揺を隠し切ることはできなかった。上擦りながら尋ねる日牧に、木崎が頷く。
「柔道場。じいちゃんが師範やってて、今も生徒たちに稽古つけてる。……覗いてくか?」
先ほどから聞こえていた、バンバンと何かを叩きつけるような音や常軌を逸したような叫び声はそれだったのか。日牧は大慌てで首を振った。そんなものを見てしまったら卒倒する自信がある。
「きざ、木崎くんも、柔道やってるの?」
「子供の頃からやらされてる。時々試合もあるし、筋トレサボるとすげー怒られる」
筋トレ……日牧には無縁の単語だ。実はたった1回の腹筋すらできないことは内緒である。
しかし木崎が今のような筋肉達磨である理由がようやく理解できた。確か以前、ボクシングだか空手だかをしているというような話を誰かから聞いた記憶があるが、柔道だったのか。大変申し訳ないことに、日牧のような格闘技全般への解像度が低い者からしたらどれも似たり寄ったりに見えてしまうため、情報の出所への共感は否めない。
「じゃあオレの部屋行こ」
グイッと肩を捕まえられ、後ろから押されてしまった。あちこちジロジロと見ていたのが失礼だったのかもしれない。だって中も玄関から既に日牧の部屋ほどの広さがあるし、変な壺やら掛け軸やら木彫りの彫刻やらも飾られているし、どこもかしこも気になって仕方が無いのだ。何だこの家。
……ハッ。
もしや、ヤクザの屋敷なのでは?!
ヤクザと繋がりがあるという噂も聞かされたことがある。繋がりどころかヤクザそのものじゃんこんなん! 本拠地じゃん悪の枢軸じゃん!
カタカタとトートバッグの肩紐を握る手が震え始めた。どうしよう、深入りしてはいけない。母を泣かせるわけには。
「……緊張してんの?」
すぐ真横から木崎が囁いた。ひいぃ近い。取り繕うこともできず、ギュッと目を閉じて日牧はコクコクと頭を上下させた。靴を脱ぐ前からずっと、肩には大きな手が乗せられたままである。
「…………オレも。ドキドキしてる、かも」
前を向き直して木崎が告げた。
はあぁ?? おまえに緊張する権利あるか? 善良な市民をこうして拘束して監禁しようとしている張本人のくせに。思えば木崎を若頭のようだと感じていた嗅覚は正しかったということだ。当たったとて嬉しくもないが。
だだっ広い木崎の部屋の真ん中で座布団に座らされ、日牧はもはや死刑宣告を待つ囚人の面持ちであった。オレは悪くない。冤罪だ。
似合いもしないお盆にグラスを2つ乗せて慎重に運んでくる木崎。その飲み物は合法なんだろうな?
「足、崩せば。もっと楽にして」
「いえっ……!」
思わず敬語で返事をしてしまった日牧に木崎はやや首を傾げたが、しかしすぐに自分の座布団を移動させて日牧のすぐそばにまでにじり寄ってきやがった。
「……委員長さあ」
「ハイッ!」
「委員長の、名前」
「大鈴と申しますッ!」
何だこのやり取りは。自分でもおかしいのは分かっているが、全身がガチガチに固まって上手く口が回らないのだ。
すると、テーブルに肘をついて木崎が、じっとこちらを窺ってきた。穴が開きそうなほどにしつこく、吐息が届いてしまうほど近くで。
「……日牧」
「はえっ?!」
「日牧、っていうんだろ? 名前」
「ハイッ! ちょっと珍しい名前でやらせてもらってます! なんかどっちが名字か分からないってよく苦情も……!」
ペラペラと余計なことまで口にする。汗が噴き出して止まらない。
「フッ……、ハハ。やっぱ面白いな委員長。……いや、日牧」
おっ……、……お。
笑えるのか木崎おまえ。
手のひらに顔を乗せているせいで頬が少し潰れている。さらに二重の綺麗な目が細く撓る。
「なあ、日牧って呼んでいい?」
「ハ、ハア……、ええ、ハイ」
「何で敬語なんださっきから」
「ハイ、いえ、あー、うい」
「何それ、フハハハハ」
笑っている。何ならまあまあ大笑いしている。あの木崎が。包帯だらけだった入学後すぐや、血を流して座り込んでいたときの姿が、次々と頭に浮かんできては消えてゆく。
「……あ、あのっ、……木崎くんっ!」
「ん?」
やけにやさしい声と顔で聞き返されて、日牧は膝の上で両手の拳を固く握った。聞くなら今しか無い。そして引き返し立ち去るのも、今しか。
「あのっ! ……木崎くん家は、ヤクザ屋さんなんでしょうかっ?!」
「…………え」
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そのあと時間をかけ言葉を尽くし、木崎には誤解を解くことに尽力奮闘させてしまった。祖父の話、両親兄弟の話、曾祖父まで登場して木崎なりに必死に説明していたようだが、詳しくは忘れた。とりあえずヤクザではないとのことだった。正直まだ疑いが完全に晴れたわけではない。だがすっかり氷が解けてしまったこの怪しいグラスの飲み物も、普通の麦茶だったようである。
「なんで急によそよそしいのかと思った」
木崎は下を向いて安心したように大きく溜め息を吐いた。
「ゴ、ゴメンね! こんな立派なお家見たこと無かったもんだから僕」
ゴクゴクと麦茶を一気飲みしながら日牧は頭を掻いた。生きた心地がしなかったぞ、と心の中では恨みがましく睨みつける。
「……そんな勘違いで日牧に嫌われたら、ショックなんだけど」
「やー、アハハ! ゴメンってば、アハハハハ!」
引き続き近いところから、木崎のほうも睨んでくる。しかし猫背で胡座をかいているため正座の日牧よりも少し下に目があり、いつもよりあまり怖くはない。
「日牧」
「なあに木崎くんっ」
すっかり調子に乗り始めた日牧は、せっかくだからと木崎を見下ろしてやった。何だか気分が良いぞアハハハハ。
「……やっぱ今日、泊まってけば?」
「ふぁおっ?!」
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