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08.彼氏ができました

 中庭のそば、新校舎裏の花壇の前で木崎はようやく立ち止まった。しかしここならすぐ近くに職員室もあるし、放課後でも人通りがまったく無いわけでは無い。念のための逃走ルートを確保すべく、日牧はキョロキョロと周囲を見回した。 「日牧」  まだ汚れも少ない新校舎の白い壁に、背中が当たった。いつの間にか追い詰められている、壁際にまで。何だテメー、やんのかよ。なんてことは当然言えやしない。 「……ゴメン」  だが木崎はおもむろに頭を下げた。やけに良い姿勢で、両手を太股につけ、45度。そのまま何秒も動かない。 「木崎くん?」 「また、怖がらせた」 「そんなっ……、僕、別に何も怖くなんかないよ!」  嘘である。さっきも今もめちゃめちゃ怖い。しかしまだ頭を上げようとしない木崎の体にそっと触れ、日牧は下からその顔を覗き込んだ。 「それに木崎くんのせいじゃないでしょ? あの人たちがいきなり絡んできたんだもん」 「でも」 「僕のほうこそゴメンね。木崎くん喧嘩してたわけじゃなかったんだね。今まで思い違いしちゃってたみたい」  小さく木崎は首を振った。何に対しての否定かは分からないけれど。そしてさらに深く俯いて、喉の奥からかろうじて絞り出すような低い声で告げた。 「……もう、日牧はオレに近寄らないほうがいいと思う」 「え!!」  口を引き結んで目を伏せる木崎。  待て、それはよろしくない。日牧は大いに慌てていた。  何のために自らヒグマの巣穴に飛び込み、最近では猛獣使いとして日々立ち回ってきたと思っているんだ。テメーを孤立させないためだろうが。  クラスに居場所の無い生徒の行く末なんてそういくつもは無い。無害な陰キャを極められるならそれはそれで止めはしないが、さっきの3年グループのようなヤツらに取り込まれたりしたらどうするんだ。いや、今のままサンドバッグを続けさせられて血を見るのもオレが困る。  許さんぞ。オレの目の黒いうちはそんなことは、決して。 「クラスの皆はホントのこと知らないからあんな風に言っちゃっただけなんだよ? 僕がちゃんと説明して、少しずつでも分かってもらえるようにするから!」 「……無理だ、そんなの。オレはこんな見た目だし……」  おお、自覚があったのか。そうだおまえの見た目が悪い。いや顔はそんな悪くないけど纏ってる空気が悪い。大袈裟なその筋肉も羨まし過ぎる身長も悪い。  しかしそう言えば、いつだったか木崎が「悪目立ちする」とぼやいていたのを覚えている。要は単にその外見のせいだけで、理不尽に因縁をつけられていたということか。  だが、大勢の友達に囲まれていれば絡まれる機会は格段に減る。1人でいなければ事態はきっとマシになる。 「僕を信じて木崎くん。何とかしてみせる」  日牧は木崎の腕を両手でガッシリと掴んだ。そしてしっかりと真っ直ぐに、閉じられたままの目蓋を見据えてやる。 「僕は好きで自分から木崎くんのそばにいるんだよ。近寄るななんて言わないで」  オレにはオレの都合があるし計画もある。つまりおまえがオレに指図すんなってことだ。  けれども顔を上げようやく日牧に目を合わせた木崎の様子が、何だろう、どうにもおかしい。何だその熱視線は。何だその鼻息は。 「……オレも好きだ、日牧。オレたちつきあおう」 「木崎くん……」  オレ「も」って何だ。  そう、冒頭のアレだ。何度思い返してもこのときのことは解せない。しかし日牧の薄く小さな唇には、木崎の熱く分厚い唇がしっかりと重ねられてしまっていたのである。 ----------  彼氏ができました。  まさか脳内でこんなナレーションを流さなければならない日が来るとは思っていなかった。オレだって本当は、オレより小さくてカワイイ彼女が欲しかったんだ。  しかし現実で日牧の隣から離れようとしないのは、身長188.5センチの大男だ。先日の健康診断で正確な数字を知ったのだ。自動販売機よりも5.5センチも高いじゃないか、ふざけんな。  そしてファーストキスの命日とも言えるあの日以来、木崎の中から遠慮という文字は消えた。ついでに配慮とか思慮とか、羞恥心なんてものも多分消えた。教室であろうと廊下であろうと日牧の肩やら腰やらに手を回し、嬉しそうに顔を寄せる。日牧だけが知っていたはずの木崎の笑顔は、瞬く間にクラス中に広まっていった。 「そっかー、委員長、そういうことだったんだー」  そういうことってどういうことだ。 「水臭いなあ、言ってくれたら良かったのに」  何を言えと言うんだ。そもそも水は臭くない。 「大丈夫、オレたちは応援してるから!」  何をだ。すんな。応援すんな何1つ。  言い返したいことは山ほどあった。しかし日牧にそれをする気力は既に残されていなかった。偏見を持つことも無く広い心と温かい目で見守っているつもりらしい彼らには、感謝すべきなのだろうか。基本、悪いヤツでは無いのだが。 「日牧、なんでそんなにカワイイんだ」  ちなみにこれは昨今の木崎の口癖である。「日牧、なんでそんなに……」という途中までの台詞なら、以前耳にしたことがある。続きを知れて良かった、とは案外ならないものだな。  つーかカワイイかオレは。カワイかったのか。  唯一とも言える救い(?)は、キスだけは誰もいないところで、という分別はかろうじて木崎が持っていたらしいことだった。人気の無い教室や校舎裏、誰もいない帰り道。または性懲りも無く日牧を木崎邸に拉致しては、ほとんど床に押し倒しながらディープなのを食らわされたりもしている。おかげで今では日牧は、舌をどう動かせば唾液が零れずに済むかも学習できてしまっている。 「木崎くん……」  それしか言えない己れに腹しか立たないし殺意すら湧く。  違うんだ、好きではないんだ、おまえの勘違いなんだ。……なんて今さら言えると思うか? 「そういや日牧」 「なあに?」  途中まで並んで下校するのは、もはや日課であった。わざと腕を触れ合わせて歩く木崎が、珍しく面白そうに含み笑いしている。 「こないだの帰り道、3年のヤツらにあとをつけられててさ」 「嘘っ?! 全然気づかなかったけど!!」 「まあオレは知ってたんだけど、日牧とは途中で道が分かれたあと、全員オレのほうについてきたから別にいいかと放置してて」 「ちょ、放置って! 大丈夫だったの?!」 「なんか、オレん家まで来て、ひとしきり眺めて、帰ってったみたいだ」 「……は?」  木崎は日牧の頭頂部に頬を擦りつけた。どこか得意げにも見える。 「日牧がオレん家のこと色々言ってただろ。道場がどうとか、じいちゃんのこととか。だから多分、見に来て実際確かめて、ビビったんじゃないかと思う」  木崎が言うには、それ以降校内で3年たちの視線を感じることは無くなったのだそうだ。  木崎の家には本当に厳めしい道場があるということ。本人いわくヤクザではないものの、威圧感なら木崎本人以上にあの家からは放たれているということ。一般人ならビビったとて仕方あるまい。日牧としては3年側への同情を禁じ得ない。 「日牧のおかげ」  フフ、と木崎は笑った。そのときも道場からは、稽古中の気合いの雄叫びが響いていたのだとか。 「日牧はすごい。日牧がいなけりゃ、オレは今頃また血まみれだ」 「それは駄目!!」 「……ん、ありがと」  スリスリと頭上からの頬擦りが止まないが、おまえのためではないっつーの。  しかし歩きづらくも歩きながら、「あっ」と日牧は鞄の中に手を突っ込んだ。ガサガサと教科書やノートを掻き分け、何かのキャラクターの形をした小さな付箋を引っぺがして木崎に手渡す。 「ゴメン忘れるとこだった。これね、女子がまた木崎くんに渡して欲しいって、連絡先のID」 「…………は?」  一転して木崎の顔が鬼のように険しく陰る。……すまん。いくら日牧でもその理由くらいは分かっている。彼氏が彼氏に他の女からの好意を取り持とうなどと、言語道断なのだろう。けれどもこちらの身にもなって欲しい。面倒見の良い委員長に、女子からの頼みが断れると思うのか。そもそも今の彼氏ポジにも納得できていないのに。  木崎の表情がいささか柔和になった頃から、日増しに女子の好感度は高まっていった。日牧が予想していた通りだ。あろうことか「無い無い」と首を振っていた女子にも、他のクラスの女子からも、今では遠巻きに騒がれているほどである。  同じクラスの者たちが言うには、木崎と日牧がつきあっているのは分かっているし、仲を裂くつもりも無いらしい。ただ、自分たちも木崎と仲良くしたいのだそうだ。  いいことじゃないか、まさに望んでいた展開だ!と日牧は当初大喜びしたのだが、殺されそうなほど木崎に睨まれてしまったのでスライディングしながら両手をつき土下座した。 「……要らねー。返しといて」 「で、でもさあ、友達になるくらい……!」 「必要無い。オレは日牧だけでいいっていつも言ってる」 「うう……」  日牧に対しては大型犬を通り越して猫ちゃんかなと思うほど甘えてくることも増えたにもかかわらず、いや猫と言うよりサイズは虎だが、しかし日牧以外には木崎はまったく心を開かず無関心であった。話しかけられても無視を決め込み、周囲には一切構わず日牧しか見ていない。  これまで誰からも散々避けられてきたのはそりゃ気の毒だが、それでもどうにかして少しずつでも馴染ませることはできないものか。慣らし飼育とでもいうのだろうか。 「日牧、今人いない。……キスしたい」 「ううぅ……」  電柱の影で木崎に抱き寄せられ、日牧は首をほぼ真上に向けながら煩悶していた。 ----------

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