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09.お父さん

 1学期が終わり、夏休みを迎えた。期末テストで木崎は、前回よりも順位を少々落としていた。何度も2人だけの勉強会をおこなっていたというのに。まあ当然だろう。勉強よりも、部屋でキスをしている時間のほうが長かったのだから。 「……あー、日牧とつきあえて、浮かれてた……」  照れ臭そうに首の後ろに手をやる木崎。これが世に聞く、恋にかまけて勉強がおろそかになるというヤツなのだろう。えっ、恋? オレと木崎が恋?! ……だなんて、未だにセルフツッコミが止められない日牧である。まだ自身の置かれている状況にピンと来ていないのだ。 「大丈夫だよー。木崎くんも夏期講習申し込んだんだよね。いっしょに頑張ろうねえ」  夏休み中に校内でおこなわれる夏期講習は、自由参加である。クラスでも数人しか受講しないのだが、日中に自宅のエアコンを稼働させずに済むのであれば、電気代節約のためにも日牧は参加1択だ。そして日牧が出るなら木崎も自動的に尻尾を振ってついて来る。従って、夏休みだろうとコイツと顔を合わせなければならないことが決定しているのであった。 「……あ、そういや日牧」 「なあに?」  午前中で終業式を終えたあと、日牧はいつもの教室の掃除でまだ教室に残っていた。木崎もちり取りを持ってそばをウロウロしている。これで毎回手伝っているつもりなのだから片腹痛い。 「夏休みの終わり頃だからまだ先の話なんだけど、オレ、柔道の試合あって」 「えっ」 「……良かったら、日牧に見に来て欲しいんだ」 「おげっ」  鼻の頭に皺を寄せ、思い切り嫌な顔をしてしまった。冗談じゃない。何でわざわざ人と人が争う場面を見に行かなければならないんだ。これまでだって木崎家の道場には、足先すら向けないよう徹底して避けているというのに。 「……いやー……、えーと、あー……」  ほうきを両手で握り締め、日牧は明後日の方向を見上げながらしどろもどろになった。誰が行くかボケー! と言えたらいいのだが、さてどう言い訳をしたものか。  しかし木崎はフッと笑って日牧の頭にポンと手を乗せた。 「気が向いたらでいいよ。いくつかの道場が集まって毎年やってる親善試合でさ。公式戦じゃないし、気楽に観戦できるから」 「んー……、へー……」  気楽な戦いとは一体。目を反らしたまま曖昧な相槌を返す。しかし木崎は熱い目で日牧に顔を近づけた。 「……もしひまが見に来てくれたら、すげー頑張れるかも、オレ」  知らんがな。縁も所縁も無い関西弁で裏手のツッコミを入れてやる、脳内で。いつでも勝手に頑張ったらよろしいがな。オレを巻き込まないでいただきたい。 「ん、んー……、ねー」  適当に誤魔化しながらゴミを回収し、日牧はゴミ箱を抱えた。今日の日直は既に帰宅していやがるので、代わりに校庭の端にある集積所までゴミを運ばなければならない。 「持つ」  木崎が日牧からゴミ箱を奪い取った。持つだけじゃなく1人で集積所へ捨てに行ってくれると先に帰れて助かるのだが、そうもいかないか。 「ありがとー!」  ニコニコと礼をして、日牧は木崎と並んで校庭へと向かった。 ----------  ゴミ捨ては終えた。ゴミ箱を教室に戻したら、あとは仲良く下校するだけだ。今朝割った卵が双子だったとかいうクソほどどうでもいい話をしながら、校庭を取り囲むフェンスのすぐ横を歩いていたときだ。 「…………日牧?」  フェンスの向こうから、知らない声に呼ばれて日牧は振り返った。名前を呼ばれること自体割と珍しいので驚いたのだが、声の主がまったく見知らぬ人物であったため、さらに目を丸くして立ち止まってしまう。 「え……、あ、ハイ……?」  それは他校の制服を着た男子だった。学ランだし、もしかしたら中学生かもしれない。彼はこちらを睨むように立っていた。 「……えーと、こんにちは。誰かな?」  笑顔を作って尋ねる日牧の前に、凶悪な目つきの木崎がガルガルと相手を威嚇しながら立ち塞がった。さながら番犬だ。 「何だおまえ」  木崎の異様な迫力に押され、学ランの男が1歩後ずさる。そうだろう怖いだろううちの忠犬は。しかしビビりながらも、間を隔てているフェンスが彼を強気にさせているのだろうか。木崎の後ろにいる日牧を覗き込むような姿勢で、彼はキャンキャンと勢いよく怒鳴った。こちらは例えるならばポメラニアンだ。 「お……、おい、隠れてんじゃねーよ日牧! 卑怯だぞ出て来い!」  卑怯呼ばわりされる覚えは無いし、そもそも赤の他人に呼び捨てにされる謂れも無い。しかもあまり友好的な空気は感じない。日牧はゴミ箱を持ったままの木崎の右腕を掴み、後ろから顔を半分だけ出して言い返した。 「君は誰? どうして僕のこと知ってるの?」  彼は再度日牧を睨みつけ答える。 「……写真で見た。何枚も見た。名前もしょっちゅうお父さんから聞いてる。ここの高校に通ってるって知って、もしかしたら会えるかもって、実物を見に来た」 「え?」 「オレの名前は、山峰朝陽だ!!」  ギクリと日牧の体が強張った。掴んでいた木崎の腕に、思わず爪を立ててしまう。今日はもう家に帰るだけのはずだったのに、こんなことって。  ハッ……、ハッ、と日牧の呼吸が徐々に乱れ始めた。聞きたくない、2度と永遠に聞きたくなかった名前だ。 「日牧?」  木崎に腕を回されると、ガクリと日牧は膝の力を抜いた。 「日牧!!」  血相を変えた木崎はゴミ箱を放り投げ、日牧の体に腕を回した。どうしたんだとか大丈夫かとか、あれこれ言われているのが聞こえていないわけではない。だが、今は勘弁してくれ。それどころじゃない。  ーー山峰。それは日牧の中では封印していたはずの名前であった。どうして見知らぬ中学生がその姓を、よりによって日牧の前で名乗り出るようなことになっているのか、分からない。何も分からない。 「ひま! ゆっくり息を吐け、大丈夫だから落ち着け!!」  またしても木崎の大きな手のひらを借りて、日牧は呼吸を整えるべく必死に頷いた。まさかただの苗字1つで自分がこんな状態に陥ってしまうなんて、想像もしていなかった。苦しい。情けない。 「ひま、大丈夫。オレがいる。大丈夫」  木崎の片手は以前と同じく、日牧の背中を擦り続けていた。おまえがいるから何だと言うんだ、と悪態をついてやりたいところではあるのだが、ああ、この無駄に厚みのある手の熱にホッとしてしまうだなんて。 「……クソが……」  日牧の代わりに悪態を表明したのは学ランの男、山峰朝陽である。日牧への敵意を隠そうともせずに、こちらを憎々しく見上げている。 「日牧に何の用だ。何なんだおまえ」 「……っ、か、かか関係無いヤツは引っ込んでろっ!」 「……ああ?」 「ひっ……」  久しぶりに木崎の人相の悪さが仕事をしている。木崎には決して視線を合わせようとはせず、目を泳がせる朝陽。少しだけ周りを見渡せるようになってきた日牧は、その様子をどうにか把握でき始めた。 「……何しに来た?」  ハアハアと胸を押さえながら、日牧のほうも朝陽を睨んだ。しばし、日牧と朝陽の睨み合いが続く。 「……お父さんは、悪くない」  朝陽の言葉は、思い詰めたように毅然として響いた。 「は? 何を……」  言い返そうとした木崎を、日牧は鷲掴んで制した。そしてそのまま朝陽の次の言葉を待つ。 「……お父さんは、お父さんはやさしい! 暴力なんてするわけない、絶対してない! おまえたちは間違ってる、おまえたちのほうが悪い!!」  朝陽の叫びは痛みを伴って聞こえた。1人取り残された木崎が事情を知りたそうにこちらを見ているが、生憎今の日牧の視界には入っていない。  泣きそうな顔で、朝陽はさらに続けた。 「日牧に会いたいってお父さん今でも時々泣いてる! でも会えないって泣いてる! 何で!! 何であんなにやさしいお父さんが泣かなきゃならないんだ! おまえのせいだ日牧! おまえのせいだ!!」  喉のすぐそこまで吐き気がせり上がってくる。脳がグルグルと眩暈を想起させて暴れている。だが日牧はそれらの衝動にかろうじて耐え、もう1度同じ問いを返した。 「……で、何しに来た」  カッと怒りで顔を赤くした朝陽が、歯ぎしりをして涙ぐんだ。悔しさを滲ませて。 「……お父さんに、……会ってあげて、欲しい」  ドクンと日牧の心臓が跳ねた。  会う? オレを地獄へ叩き落としたあの男に?  日牧は深く細く長い溜め息をゆっくりと吐き出し、目を伏せた。 ----------

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