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10.日牧の過去とキラキラ木崎
「……追い返せ」
目を開かぬまま、日牧は小さく呟いた。瞬間、日牧を片手で抱えた木崎が、フェンスの網目に太い指をかけてガシャンと力一杯揺らし、朝陽を見下ろす。殺人鬼の目で。
「帰れ。消えろ」
「…………っ」
ドスの効いた声に悲鳴も出ない朝陽は、ジリジリと後退した。大型犬の鋭い牙で噛みつかれたくなかったらとっとと消えてくれ、マジで。
朝陽は足早に距離を取り、それでもしぶとく叫んだ。体はもう道の先へ向いている。首だけをこちらへ曲げ、負け犬の遠吠えのように。
「絶対お父さんに会ってもらうからな日牧! お父さんはホントはやさしいんだって、ちゃんと分からせてやるからな!」
パタパタと軽い足音を残して、ポメラニアンは去った。日牧はというと、全体重を木崎の腕に乗せたまま下を向いている。
「……ひま」
木崎の声は、今しがたの100倍はゆうに甘い。殺人鬼は姿を消し、ここにいるのはただの溺愛系彼氏だ。
「ひま、大丈夫?」
「……ん」
どうにか返事はしてみせるが、笑ってやることはまだできない。
「……ゴメンね木崎くん、ありがと……」
「……日牧、さっきのヤツ……」
木崎の遠慮がちな問いに、日牧は顔を歪めた。初対面だ、知らないヤツだ。だが分かってしまった。アイツは……
「……僕の、元父親の……、再婚相手の息子、なのかな、多分ね。名前も顔も今知ったけど」
元父親が再婚したらしいという話は、弁護士から伝え聞いて知っていた。母は複雑な顔をしていたが、日牧にとってはこれっぽっちの興味も無いことだった。
「暴力って?」
嫌なヤツだな木崎。さっきの下手な会話でよくもまあ肝心要の単語に辿り着けたものだ。そういえば国語の成績は良かったんだったか。
日牧は深呼吸を繰り返した。吸うばかりでは無く吐くを心がけながら、時間をかけて。
「……別に。昔、子供の頃ちょっとね。元父親が暴力を振るうサイテー野郎だったってだけの、よくある話」
ようやく笑顔を浮かべて、さも何でも無いように日牧は言い捨てた。実はかなり引き攣っていて上手く笑えていないことは、自分では気づいていない。
「……暴力受けてたのか、日牧……」
「うちのお母さんもね。なんかアイツ荒れててさ、あの頃。殴られて蹴られて突き倒されて、いっぱい血が出たりもしたかなあ。けど何とか離婚できて裁判もして、今は他人だから!」
「……日牧」
「朝陽ってヤツは昔のあの男を知らないから、なんか納得できないんじゃないかな、知らないけどね」
「ひま」
日牧は木崎に抱き締められていた。まだ校庭なんだが? 部活動中の生徒たちからも丸見えなんだが?
「知らなかった、ひま。だから血が怖いのか……」
怖いよ。血が流れるのは恐怖だ。いつぞやの木崎と3年の噂、「ボイラー室の前が血の海だった」っていうのは、単なる比喩だったのかもしれない。だが、日牧は実際に血の海をこの目で見たことがある。しばらくはまだ温かいんだ。それが数分後には急速に冷やされ、ただ赤いだけの水のように変わる。そしてその分の血液を失った人間は、見る見ると血色を失って白くなってゆく。
「……ねえ、離してよ木崎くん」
「日牧」
「恥ずかしいよ、学校だよ?」
「…………」
渋々と木崎は腕の力をゆるめた。転がっていた空のゴミ箱を拾い、日牧は今度こそニッコリと笑う。
「早く帰ろ」
何かを言いたげだった木崎のことは、あえて無視しておく。またゴミ箱を引き取って歩く木崎に、日牧は双子卵の話の続きを聞かせていた。
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さて、当初少人数だったはずの夏期講習は、段々と人数を増やしていた。1年全員が同じ教室で受講するのだが、やたらと他クラスの女子が多い。よもやの木崎目当てだ。日牧の予想を軽く上回り、こうまでモテやがるとは木崎、クッソムカつく。
「夏期講習受けるなんて木崎くんて案外真面目なんだねー」
「木崎くん、さっきの問題分かったら教えて欲しいなあー」
「ねえ木崎くんっ、今日の講習終わったら皆でカフェ行かない? 新作ドリンクの美味しいカスタムあるんだよー」
「木崎くん! 」
「ねえねえ木崎くーん」
クッソムカつく。2回目だが。この情景に青筋を立てているのは日牧だけではない。一切この場にいないものとして女子の意識から排除されている男子全員だ。
「あんなのただデカいだけじゃん ……」
「何で女子って悪い男が好きなんだろな」
妬み僻みのぼやきが聞こえてくる。分かるぞ非モテ同志どもよ。何でオレは、オレたちは、ほんの少しもモテないんだろうな。
だが当の木崎は相変わらずの総無視だ。中には結構カワイイ子もいると思うのだが、勿体無いとは考えないのだろうか。
日牧はふと、窓ガラスにうっすらと反射した自分の顔を見た。マロがいる。いとをかし。木崎はしきりに「カワイイ」と抜かしているが、どんなに無理して焦点をぼかしてみても、あまりにもそんなことは無い。そもそも男だ。木崎はもともと男が好きだったのだろうか。それならそれで、校内にはイケメンだってそこそこいる。
休み時間、トイレに行った木崎の分も次の授業の教科書を用意してやりながら、日牧は1人座っていた。
「あのさー、委員長、だっけ」
前に立っていたのは、結構カワイイと密かに日牧が称していた隣のクラスの女子であった。その後ろにもさらに女子があと数人、なんだか取り巻きのように控えている。あなたのクラスの委員長ではないのですが、というツッコミよりも先に、ついにオレにもモテ期が?などとあり得ない可能性に飛びついてしまう男脳は本当にもう何なんだろう。
「委員長さー、木崎くんとフツーに仲いいよね。なんか全然タイプ違うじゃんね」
……あ。そこまで聞いて日牧は悟ってしまった。性格の悪い者同士、通じるものがあるのかもしれない。この女、オレに対して悪意しか無いぞ。
「ねー、明日の放課後、いっしょに遊びに行こーって木崎くん誘ってくれないかな。駅前のカラオケとかー、委員長も来てもらっても別にいいしさ」
「……あー、えーと……」
木崎が嫌がるのは知っているため、何と答えればいいのか思案を巡らせる。と言っても日牧には断れないので、一旦引き受けて駄目でしたと頭を下げるしかないだろう、いつものように。
「一応、聞いてみるね」
ニコニコと返事をする日牧だが、彼女にはその言葉選びが癇に障ったらしい。
「一応じゃなくてね。誘ってねって言ってんだよね」
ひいぃ怖いんだが? 誰だこの学校にはあんまり女子のヤンキーはいないなんて言ってたヤツは。見た目はカワイイし真っ黒な長い髪がキレイな清楚系なのだが、これ中身は立派なヤンキーじゃないのか?
「うん、分かったよ」
だが相手への感情を表に出さないことにかけては慣れたものである。木崎の前ではたまに漏れ出してしまうこともあるが、今は大丈夫だ。周りに人も多いし、女子だし、手をあげられるようなことはまず無いだろうし。
「あっ、木崎くん戻ってきたよっ」
「じゃあお願いね」
取り巻きの1人の報告に、彼女たちはわらわらと霧散して行った。後ろは見張り係だったのか。万全の布陣だな。
「日牧、何か誰かと話してた?」
席に腰を下ろしながら木崎に尋ねられるも、ひとまず首を振って誤魔化しておく。面倒だなあ、直接木崎に言ってくれないかなあ。まあ、それで駄目だったからこちらへ来たんだろうけども。
下校中日牧はさりげなく木崎の顔を覗き上げた。機嫌は良さそうだ。
「ねえ木崎くん、明日の夏期講習終わったらさあ、駅前のほうに遊びに行かない?」
「駅前? 何かあるのか?」
「んー、カラオケとかさあ、たまにはどうかなって」
「カラオケ? いやオレ歌なんて知らないし、歌えないけど……」
「えー? 木崎くんて声もいいからすごく上手そうだけどなあ」
「……そ、そう……」
モジモジと照れているようだが、表情も仕草も恐ろしく似合わない。ちなみに日牧のほうも流行りの歌にはとんと疎いけれど、オマケのオレが歌わされることはまず無いだろうからそこは杞憂であろう。
「カラオケじゃなくてもさ、どこでもいいよ、木崎くんがいれば」
確か女子は「カラオケとか」と言っていたと思うので、行き先が変わってもおそらく問題無いはずだ。要は木崎を駅前に引っ張り出せさえすれば日牧のミッションはクリアなのだ。
しかし木崎の顔は、モジモジからキラキラへと変化していった。薄茶色の瞳の中に星が見える。これはもう似合う似合わないの話ではない。ヤバい。
「デートか……!」
ヤバいヤバい。相当喜んでしまっている。違うデートじゃないミッションなんだ。女子もわんさか来るなんてバレたら殺されるかもしれない。背中にブワッと嫌な汗が噴き出す。
謝るか? 本当のこと言っとくか?
「嬉しいひま、楽しみ」
うわあああ、言えん!
わざわざ体を屈めて微笑んでくる木崎に、日牧は笑顔を返すしかできなかった。デートだと肯定はしていない。……なんてことはきっと、言い訳にはならないんだろうな。
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