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11.1秒も無い

 夏休みの駅前はどこか浮かれていた。店先の装飾は普段よりも色が少し派手で、人通りも多く、皆それぞれ楽しそうに笑いながら弾むように行き交っている。照りつける日射しは厳しいけれど、空の濃い青が眩しくて爽快だ。誰もが夏を満喫していて、清々しい空気に満ちている。  このカラオケボックスの入口以外は。  カラオケというよりここは地獄の入口なんじゃなかろうか。閻魔大王よろしく燃えさかる怒りの目でこちらを見下ろす木崎。審判待ちの死人のような顔色で両手を前に揃え項垂れる日牧。 「ヤ……、ヤダぁー、どうしたの木崎くんっ、怒らないでー」 「うちらが委員長に頼んだの! もっと木崎くんと仲良くしたかったからー」 「と、とりあえずカラオケ入っちゃわない?」  女子たちがこの重苦しい雰囲気を何とかしようと奮闘してくれているが、木崎は当然そちらを見ようともしない。 「…………日牧」  久々に甘さ抜きの重低音が響く。 「……すみませんでした」  下を向いたままの日牧が謝罪の意を示すが、そんなもので閻魔の気は晴れやしない。思えば今日の夏期講習の間中、木崎はずっとソワソワしていた。初デートをよほど心待ちにしていたのだろう。いつもは木崎の家に行くくらいしかしないし、駅前になんて時間をかけてわざわざ出向いたことも無かった。  だって仕方がないじゃないか。清楚系女子が怖かったんだもん。 「……木崎くん、どうして私たちのことそんなに避けるの?」  その清楚系女子の台詞だ。うるうると目を潤ませて斜め下から木崎に迫っているが、肝心の木崎は少しも彼女を見ようとしないので意味が無い。だが怖いけれどやはりカワイイ。目が大きくて睫毛が長くて唇もツヤツヤだ。今日のためにメイクを頑張ったのかもしれない。女の子ってカワイイなあ、いいなあ。 「…………日牧」 「ふぁい! すみません!!」  女子にうっかり見惚れてしまっていた日牧を見逃さず、木崎はまた静かに叱責する。  だがあまりにも無視され続けている女子たちのほうのフラストレーションはもう、限界に達しようとしていた。 「いいじゃん別にさあ! 皆で遊ぶの何が悪いの?!」 「木崎くん全然他の人と喋んないじゃん、いっつもいっつも委員長とばっかじゃつまんないでしょ!」 「てかそんな怒るようなことじゃないと思うけど!」 「そうだよ! 怒んないで、皆で楽しくしたいだけなんだから!」  やめろおぉ、刺激するなあぁ。日牧の叫びは声にはならない。しかしこのとき初めて、木崎は日牧以外の人間の言葉に反応してゆっくりと振り返った。 「……つまらなくない」  幾つか前の発言に対する反論だったらしい。咄嗟に理解できず彼女たちの頭上には「?」が舞っている。 「日牧といてつまらなかったことは1秒も無い」  丁寧に言い直してからまた木崎は前を向いた。  1秒も……? ざわざわと騒ぐ胸の中央を、日牧は軽く指先で押さえた。  自分はどうであっただろう。木崎といて、いつも何を考えていただろう。怖いとか怖くないとか、ムカつくとか上手く誤魔化さなければとか、思えば毎日そんなことばかり。ずっと本音を隠して生きるのが癖になっていたから。  子供の頃、日牧が笑っていないと父は激昂した。父の意見と違うことを口にすれば殴られた。日牧が泣けば今度は母が酷い目に遭わされた。  だから、どんなときにも笑って言うことを聞くようになった。  木崎は父のような男だと思っていた。腕力を笠に着て弱者を虐げる側の人間だと。しかし、そうではないと日牧はとっくに知っている。木崎はやさしい。日牧には特にやさしい。そして日牧のことが好きなんだと言う。  オレは?  キスならもう数えきれないほどした。抱き締められて、抱き締め返した。怖くてムカつくだけの相手にそんなことしないだろう、普通なら。  じわじわと額に汗が浮かぶ。ああ、なんて日射しが強いんだ。 「帰るぞ、日牧」 「……うん」  少し赤くなった頬で、日牧は頷いた。気温が高いせいだ。 「待ってよ木崎くん!」 「どうして委員長ばっかり!」  そこへ、清楚系女子が可憐な顔面を携えて木崎の真正面へ飛び出した。上手い。自分の魅せ方をよく知っている。 「私……っ、木崎くんのこといいなって思ってて! ……好きかもって、思ってて……」  口もとに手をやり恥ずかしそうに体を捻る。細いウエストが強調されて素晴らしいポージングだ。 「だから仲良くなりたくて、委員長も他の皆も協力してくれてて……」  彼女は1歩木崎に近寄った。「は?!」という周囲の取り巻き女子のしかめ面を確認できたのは日牧だけだっただろうか。多分他の女子たちも木崎狙いのはずなんだが、なんてしたたかなんだ清楚系女子。完全に主役の座を勝ち取り、夏の太陽というスポットライトを1人浴びている。 「木崎くん……っ」  男殺しのあざとい上目が炸裂した。日牧がもし木崎の位置にいたならば、「オレも前世から好きでした!」などと言い出しかねない危険な引力がある。  だが木崎は面倒くさそうに答えた。 「無理。オレ日牧とつきあってるから」  ひえー。  グルンと一斉に女子全員の血走った目がこちらに向いた。そうだった。まったくもって隠さないのだ木崎というヤツは。 「「「はあーっ?!」」」 「……すみませんでした」  対象を変えて、再び日牧は下を向き両手を揃えて謝罪することしかできなかった。 ----------  翌日から夏期講習は、もとの静寂を取り戻していた。昨日の女子たちがごっそりといなくなったのだ。あとから聞いた話では、サッカー部のイケメンにさっさとターゲットを切り替えて、暑い練習場へタオルやらドリンクやらを差し入れに通い始めたのだとか。逞しいにもほどがある。弟子入りしたいくらいだ。  だが木崎は今日になってもまだ、しつこく不貞腐れていた。何度も謝ったのに。 「……日牧が人の頼みを断れないのは、まあ段々分かってはきたけど」 「ゴメン……」 「でも、嘘までつかれるのはちょっと」 「ゴメンなさい……」  ついてない。嘘はついてないんだぜ実はオレは。デートだと勝手に勘違いしたのはおまえなんだ。しかし日牧は体を縮こまらせ続けた。 「……どうしてくれんの」 「え」 「お詫び。傷ついた」 「う」  傷つくな。そんなデカい頑丈な図体してるくせに。拗ねたフリをしてチラチラと木崎はこちらに視線を向けてくる。甘ったるい気配が漂っている。  分かっている。木崎が何を望んでいるのか、いいかげん日牧のほうだって段々分かるようにはなっている。 「……デート、しよ」  ボソリと呟く日牧。木崎の目はニンマリと細められた。くうぅ、変な笑い方なのに変な顔にならないのがズルい。 「どこ行く?」  木崎は嬉しそうに日牧の手を上から握った。ここは夏期講習の教室内なんだが、もう知ったこっちゃない。周囲の男子たちがとんでもない形相をこちらへ向けているのが見える。驚かせてすまん。オレはおまえたちと同じ非モテだが、おまえたちと違って彼氏がいるんだ。良いのか悪いのかは不明だが。 「え、えと……、カラオケ……は、木崎くんも僕もあんま歌わないし」 「うん」 「あ、クレープ屋さんとか、パンケーキ屋さん? アイスクリーム屋さん?」 「日牧もオレもそこまで甘いの好きじゃないだろ」 「……なんか、デートっぽいかと思って」 「ハハハ、何それ」  笑い声をあげる木崎に、またしても教室には無言のどよめきのような妙な空気が流れる。この笑い顔をもし間近で見ていたら、あの清楚系女子たちももう少し深みにハマっていたかもしれないな、と日牧はあらためて木崎の二重目を眺めた。  でもまあ、他人に見せてやることもないか。 「えーと、えーと……!」  それにしてもデートってどこへ行くんだ、何をするものなんだ。日牧が頭を抱えていると、木崎はスルリと指と指を絡ませて、日牧の額にフーッと吐息を吹きかけた。甘い甘い甘い! 甘いもの好きじゃないんじゃなかったのかテメー。そもそも今朝の不貞腐れはどうなったんだ。 「じゃあ日牧が好きなところと、オレが好きなところ。1つずつ行こ。オレも考えとく」 「ふぉえー!」  甘えー! 甘ったるうぅえーー!!  日牧のおかしな感嘆にやや首を傾げたものの、木崎は満足そうに微笑んだ。 ----------

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