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18.虫とか餅とか-2
「日牧、試合……どうだった? 怖くなかったか?」
日牧を連れて控え室へ向かいながら、木崎は心配そうに尋ねた。日牧は素直に返事をする。
「……ん、……やっぱ怖かった。音とか、人が倒れるのも」
「苦しくないか? 吐きそうじゃない?」
急いで日牧の背中をさする木崎。だが言われてみれば今日は、過呼吸も吐き気もまだ気配を見せずに済んでいる。以前は争いを想像するだけでフラついていたのに。
「平気、ありがと。木崎くんのじ……、おじいさんのことでビックリしたし、なんかそれどころじゃなかったのかも」
日牧が笑って見せると、木崎は立ち止まった。下がり眉のおかしな顔をしている。
「どうしたの?」
「……ひま」
「ん?」
「……じ、じいちゃんのこと、オレより好きにならないで」
「は?」
何を言っているんだコイツは。じーさんだぞ? まあ確かに、ちょっとポッとかキュンとかしてしまった気はする。誘い寄せられた挙げ句くっついてしまったり。あの人からは何と言うか、羽虫を惹きつける甘ったるい花の蜜の香りのようなものが漂っているのだ。それで言うと日牧は完全に虫けら目線なのだが。
「じいちゃんは、家族から見てもちょっと特殊と言うか……。北欧のほうの血が半分入ってるせいかあんな見た目だし、なんか昔から特別で。しかもあれで驚くほど強いし、誰も敵わなくて……」
ボソボソと木崎は語った。そうか、やっぱり特殊なのか。そうだよな、家族でさえそう思うくらいなんだから日牧が抗えなくても無理は無い。コクコクと日牧は頷いた。しかし不安そうな木崎にハッとし、速やかにフォローを入れてやる。
「何言ってんの! 人ん家のおじいさん相手にそんな、僕のこと何だと思ってるんだよ! ……木崎くんを見に来たんだよ僕は、怖くても来たの!」
本当はもう試合が終わってくれていることを願っていたのは秘密にしておこう。思えばちょうど良いタイミングであった。
木崎はホッとして胸を押さえ、はにかみながらその場で両手を広げた。
「良かった。日牧に見てもらいたかったんだ、黒帯」
「?」
黒帯? 柔道着の上から巻かれている腰紐みたいなヤツだろうか。言われりゃ黒いが、はて?
「……えと、人気の色なの?」
「…………」
ガックリと項垂れる木崎に、このあと白帯と黒帯の説明を受けはしたのだが、門外漢過ぎて日牧はずっと頭を捻っていた。
そのあとも着替えにつきあいながら、今日の試合の話を聞いていた。木崎の対戦相手は実は、国内ランキング上位の選手だったらしい。それがどのくらいすごいことなのかも、やはりそれほどピンと来ないけれど。
だから勝てるわけがないと、木崎本人も周囲も、木崎祖父も思っていたのだとか。体の大きさだけで強さが決まるわけではないと知り、柔道の奥深さにますます混乱してしまう。
「でも日牧の頭突き発言で相手も笑っちゃってさ。その隙をついて勝てた感じ。相撲で言うと大金星」
相撲も当然分からない日牧には星が大なのか金なのか、そもそも星とは何なのかすら不明だが、柔道から相撲にまで話を広げてしまってはもう収拾がつかないため、とりあえず頷いておいた。そして一応、申し訳なさそうに尋ねる。
「……僕、試合の邪魔になっちゃった?」
けれども木崎は楽しそうに答えた。
「今日は何を言ってもいいルールだから大丈夫。周りの声で気が散るか力が湧くかは選手次第だ。オレは日牧のおかげであんな格上の選手に初めて勝てたから、感謝してる」
いいならいいか。ロッカー前のベンチに腰かけ足をプラプラさせながら、日牧は木崎を見上げていた。柔道着を脱ぎ、Tシャツに腕を通しながらこちらに柔らかい笑い顔を向ける木崎。やはりどこか、さっきの木崎祖父の微笑みとも似ている気がする。
「苦手な場所なのに来てくれてありがとう、日牧。すごく好きだ」
奥の磨りガラスの窓から入る日射しが、木崎の薄い虹彩に一層の光を与えてクラクラと日牧を眩ませた。
ところが日牧は、赤みと青みの両方を顔面に浮かべ、かすかに眉根を寄せてしまっていた。やや青みが勝っているかもしれない。会心の愛の言葉に微妙な反応を返されて、木崎は半裸のまま挙動不審になっている。
「ひ、ひま……?」
すまん。こうしてあらためて上半身の筋肉を目の当たりにして、さっきからまあまあドン引いているのだ。人間の腹ってこんなに見事に割れるものだったのか。チョコモナカかよ。
生まれたときから変わらずぽっこりと丸い己れの腹に思わず手をやり、その柔らかさに日牧は静かに目を閉じた。例えるならば、それは鉄と餅であった。
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