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第3話
「わたくしのこれから申しますことに、どうか耳を傾けてください。あなた方は今、希望を失っている。愛し、愛された間柄なのに…」
「そして、それなら灯がいるでしょう。自灯明 という言葉があるのを、お二人はご存じですか」
「知りません…」
「僕も…」
「そうでしょう。仏教の教えのひとつです。自らが自らの目指す灯となり、明るく照らす、というほどの意味です」
川の音が小さくなった。
「あなた方は幸せになりたいはずです。それは、わたくしも同じです。そして生きとし生けるものすべてが、同じなのです。でしたら、亡くなる理由はないのではないでしょうか? 悩み、幸せを求めて放浪する、生きとし生けるものです。あなた方も、わたくしも。あなた方を憎むものも、好むものも、あなた方が好きだと思うものも、思わないものも。まだ、見たことの無い命も…どうでしょう。お考えくださりませんか」
蛍が戸惑っているのが分かった。
「でも…」
「俺と蛍は、実の兄弟です。俺たちに居場所が無いんです、もう、この世では」
「お探しに、旅に出るように、出かけてごらんなさいませ。この町ではだめなら隣町、この県ではだめなら隣県と…。そのうちにあなた方二人の居場所が、きっと見つかります。そこで、時が来るその瞬間まで、生き続けてみては…?」
もう心が疲労していた。
体も耐え切れないほど重かった。
脳もオーバーヒートしていて、これ以上何も考えたくない。
それでも、それは一度死を覚悟していた俺たちが、また真新しい希望を、この僧侶に提示されたからなのだろう。
俺も、そして蛍も、いま揺さぶられているのだ。
こころが、かき乱されたのだ。
そう思っていると、笠をかぶる僧侶は、一度確かに頷いた。
「できないときも、動けないときも、考えられないときも、あるものです。あなたも、そしてあなたも…深く傷ついてこられたのでしょう」
「しかし心に灯をともしてごらんなさいませ。それを風から守り、左右の足を交互に、前に出してください。勿論、疲れたら休んでいいのです。何もできずとも、できないまま、そのままに…」
俺は重い口を開いて言った。
「それが人の為に、本当になると仰るのですか」
「はい」
「なぜ…」
「あなた方が命が尽きるまで、生命 を全うするまで生き抜いたら、その体を肥 しに、いつか二輪の花が咲きますよ」
「その二輪の花が、美しく、人びとの心を和ませるでしょう。あなた方二人のまことの、一生分の愛が、人間全体、すなわち生きとし生けるもののまことの愛を呼び覚ますのですよ」
かすかな音がして、ふと蛍を見た。
蛍は、声も出さずに、息を殺して泣いていた。
涙が、朝露のように目じりに溜まっていて、それが頬を滑り落ちた。
俺はぐっと奥歯をかみしめ堪えた。
「わたくしも昔、ひとりを見送ったことがあるのです」
「どうか生きてください、命の尽きるまで…」
そう言い終わると、僧侶はほんのりと、まるで内側から差したように光りだし、ぼんやり輪郭を失い、小さく小さく、縮んでいった。
あとには小さな光があった。
光が何か包み込んでいた。
「兄さん、見て…」
「あ…」
二輪草だ。
足元の黒い土の地面から、発光する二輪草が一つ咲いている。
『わたくしも昔、ひとりを見送ったことが…』
*****
どのくらいの時間だったか分からないが、目が覚めた時は、大きく開けた空に、朝の予感がした。
浜にひいては返す波の音が優しかった。
「蛍...」
「…うん…」
「大丈夫か?」
「うん…」
俺たちの頬は涙のあとが幾筋もあり、そして互いに微笑んでいた。
そうだ、やってみよう。
この町がだめなら隣町。この県がだめなら隣県。
外国だって選択肢になる。
そうだ、まず俺は外国で使える言語を習得しよう。兄弟同士の同性婚を認める国に行って、正式に結ばれ、認められるようになるために。
そしてもし、「近親姦だ」と、人に認められないほど躓いたときは、同じような仲間をさがそう。
こんな時代だ、どこかに必ずいるだろう、俺たちのような存在が。
そこで悩みを打ち明け、励まし合い、時には一緒に食べたり飲んだり…旅の道連れになってもいいだろう。
俺の頭の中に、そんな考えが、信じられないような速さで駆け巡っていったので、俺は慌ててメモを取った。
俺は俺自身から湧きいずる力と、こころの安寧に、まるで何の問題も無くなったかのような気さえした。人だかりのする大きな交差点でも、俺と蛍は恋人同士として、手をつないで歩こう。
歩きたい。
「よし、やろう」
「うん」
「まず給油と食い物と…地図か。スマホ、まだ使えるな」
「うん」
生きてみよう。
朝、だめでも、夜。
夜に苦しければ、明日の朝。
一時間後、一日後、数日後、…10年、20年後。
決して悔いの残らないようにして生きたい。
蛍と一緒に。
あの光る……二輪草が咲くまで。
【終】
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