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第1話
【恋に酔いどれ甘き嘘】
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酒は飲んでも飲まれるな。とは誰が言ったのか。
酒に限らず、何事も“ほどほど“にしておくのが良いというのは当然のことだ。それは、恋においても同じだろう。
僕、佐藤夕紀(さとうゆき)は『佐藤商店』という地元密着型の酒屋を営んでいる。稼ぎは少ないがそれなりに忙しいこの店は一族代々というのは大袈裟だが、曽祖父の代から家族経営を続けてきた店だ。
その店の入口で僕は腰を曲げた老人、常連の小林さんに一升瓶を2本包んでいる風呂敷を手渡した。
「小林さん、気をつけて帰ってね。」
「おう! 今週もありがとうね。夕紀ちゃん。」
「こちらこそ、ありがとうございます。あ、これもどうぞ!」
荷物を手渡して空になった手をエプロンのポケットに突っ込み、小さく個包装になっているものを一つ取り出して小林さんに差し出す。
「お~、いつもの飴ちゃんかい?」
「はい。また来週お待ちしています。」
「あいよ~! 夕紀ちゃんに会うために来るからね~!」
小林さんにあげた飴は自分の好物の飴で、絶やさずにポケットにストックしている。ついでに、親しい人に会う度にあげるのが習慣になっていた。
元気な声で去る小林さんを見送り、一息つくと店の前に積んであった空の一升瓶で埋まっているプラスチックケースに目を向ける。
(そろそろかな……)
腕に着けたスマートウォッチを確認すれば、時刻は午後3時過ぎ。時計の表示に少しだけ心が浮ついた。
その心を落ち着かせようとポケットから飴を一つ取り出して口の中に放り込み、軽く舌の上で転がすとイチゴ味の甘みが口内に広がる。
飴の味に平静を取り戻し、店の中に入ろうと踵を返す——はずだった。
店の前にある広くはない駐車場に1台の白い2tトラックが入ってきたのだ。車を視認した瞬間、落ち着いていた心がまた騒がしくなる。
トラックがスムーズな駐車を終えると運転席のドアがすぐに開いた。
僕はその場に立ったまま、運転席から出てくるであろう人物を待っていた。
「こんにちは! 夕紀さん!」
輝くように爽やかな笑顔で名前を呼ばれ、心臓が大きく跳ねる。
目の前に現れた青年が視界に入った瞬間、彼の周りに自然と何層ものキラキラとしたエフェクトが見えた。
なんとか平常心を装っているように顔に笑顔を貼り付けて、いつもの挨拶を絞り出す。
「……お疲れ様。栄二くん。」
(今日もすごいビジュが良い…………!!
腕まくりで見えている腕の筋肉もかっこいいし、胸板の厚さがたまらないッ!!
良い声で名前呼ばれたら腰が抜けるって!!)
外面は冷静に。内面は興奮気味に。
僕の情緒を一瞬で高める、この青年の名は片倉栄二(かたくらえいじ)くん。僕が店主を務める佐藤商店を担当する飲料問屋の配送ドライバーだ。
溢れる若さを存分に魅せるような整った甘い顔、低くも良く通る美声、逞しく鍛えられた身体、おまけに性格も優しく穏やかで良いという優良神物件である。率直に言って、僕は彼に恋心を抱いている。
彼が僕の店の担当になって約1年。最初はほぼ一目惚れだった。
高齢化が進む地域密着型の店の特性上、訪れる客は先ほど見送った小林さんのようにずっと年上の“枯れた“お客さんばかり。
栄二くんと同じ歳で下に5つ離れた弟と同居をしてはいるが、それ以外では三十路に近い同年代との交流は殆ど無い。
良い歳でありながら童顔で、性的指向が同性愛寄りで、嗜好もミーハーで筋肉フェチ的なところがあって、おまけに髪を染め直す暇さえない自分にとって、この環境はカラッカラの砂漠状態だったと言っても過言ではない。
そんな現状だったからか、担当の挨拶をしに初めて店を訪れた彼を見た瞬間、自分の理想の人が目の前に現れたような気がして心を掴まれてしまったのだ。しかも仕事を通じて会話を重ねる度に、誠実な栄二くんに更なる親近感と好意を募らせてしまっていた。
そんなことを僕が思っているとは知らない栄二くんは僕に一歩近づくと、鼻をスンと鳴らし、懐っこい笑顔を浮かべて口を開く。
「イチゴ味ですか?」
「うん。正解。毎回良く分かるね。」
「俺、鼻が良いんです。」
内心ドッキドキしながら定番になったいつものやりとりを交わすと、栄二くんは脇に抱えたファイルを開いた。
「今日はビール大瓶3ケース、中瓶3ケースと、500缶10ケース、350缶15ケースと…………」
(栄二くんを見ていると本当に癒される〰︎〰︎!!)
「…………の注文でお間違いないですかね?」
「間違いないです!」
「それじゃあ伝票にサインをお願いします。」
スペック高の栄二くんが注文を間違えるとは微塵も思わないので、食い気味に返事をして渡された伝票にサインを記す。
彼の格好良い顔から視線が外せなくて、ボールペンがエプロンの胸ポケットになかなか収まらず、生地に何本か線が増えてしまったが気にしない。だってもう洗っても取れないぐらい線が入っている。
「ビールはいつもの場所に運べば良いですか?」
「あ、うん。僕も運ぶよ。」
栄二くんが手際よくトラックの荷台の後ろあおりを下げた。僕はすぐに荷台の手前にあったビールケースに手をかける。
腕にのしかかる重さを逃すように腹側に近づけて下半身に力を込めた、のだが。
栄二くんの大きな手が僕の腰とケースを掴む左手に触れて、動きを止められた。
「力仕事は全部俺に任せてください。キズと汚れのチェックだけお願いします。」
優しい言葉をかけられ、肌に触れられた衝撃に僕は思わず固まった。動かない僕の横からケースを軽々と持ち上げ運ぶ栄二くんの姿に、興奮が止まらない。
(紳士……!! カッコ良!! 盛り上がった前腕の筋肉の血管…………!! 美味しい!! 抱かれたい!!)
週に2回の配達時、僕は毎回彼の仕事中の姿をうっとりと眺め、その姿を目に焼き付ける。
少々様子がおかしい自分にも栄二くんはいつも変わらず優しく接してくれる。
自分よりもいくつも年下だというのに、良く出来た社会人っぷりにも好感度が爆上がりストップ高越えしていた。
「そういえば…………
先日渡した“試飲缶“、どうでしたか?」
「………あ——。」
店の中に商品の納品を終えた栄二くんに問いかけられる。
栄二くんが言う“試飲缶“とは3日前の配達の時に渡された、新商品として発売される予定のチューハイのサンプルだ。サンプルの感想を求められた僕は、急に浮かれていた心が凪いでいくのを感じた。
歯切れの悪い返事をしてしまった事にも焦りを感じ、熟考している風を装う為に、視線を宙に巡らせる。
実のところ、僕は酒に弱い。飲めないわけではないが、下戸で、飲むと一瞬で酔いが回ってしまう体質だ。
小学生の時のアルコールパッチテストでもすぐに肌が真っ赤になったし、成人式でアルコールを直接口にしてから、家族や友人達に絶対に飲むなと念を押されている。昔からアルコール入りの菓子を食べるとふにゃふにゃになったし、一人で隠れて飲んでみた時にも秒で記憶を無くしてしまった為、控えていた。
そんな状態なのに、なぜ栄二くんにサンプルの感想を求められているのか。
答えは簡単で、彼に大きな嘘を吐いているから。
つきたくてついている嘘ではない。成り行きで吐いてしまった嘘なのだが。
嘘の始まりは、初めて彼と出会った約1年前の日に遡る。
それまで店を担当していた年配の配達ドライバーが急に退職したという事で栄二くんが担当になった運命の日。栄二くんは今日と同じように配達に来て、力仕事を快く手伝ってくれた。
彼の外見に見惚れたばかりか、内面にも興味を抱き、会話をたどたどしく繋げていた中……
「やっぱり———って好きなんですか?」
栄二くんの口から飛び出た“好き“の言葉に自分の脳内が大袈裟に反応した。
「す、好きです!」
(君のことが!)
うっかり。ついうっかり本音が口をついて出てしまった。
自分が何を言ったか自覚した時にはもう遅くて。
「……どんなお酒が好きとかあります?」
会話の流れでお酒のことを聞かれていたのだと気づくも、勢いよく返事をしてしまった手前、すぐに訂正する事もできなくて。
「……………ぜ、全部?」
「良かった! ちょうど新商品の試飲缶があるので良かったら次回来た時に感想を貰えますか?」
「……………………はい。」
好ましい態度で接してくれる栄二くんをガッカリさせたくなくて、嘘の上塗りを重ねてしまった。
それを1年も引きずってしまうなんて、その時には分からなかったけれど、ゆるく自分の首を絞めることになってしまったのはご覧の通り。
お互いを名前で呼び合う程、親しくなっても本当の事は隠したまま。彼を幻滅させたくない一心で隠し通している。
当然、サンプルの感想を求められても、飲めずじまいの自分の意見を言う事は出来ないので、ネット上の知識を細かく拾ったり、弟に飲ませて感想を貰ってしのぎ続けてきた。
この嘘はそのまま突き通すつもりだった。栄二くんに嫌われたくはないし、悪印象を抱かれたくない。だけど彼とどうこうなるつもりも無かったし、自分の片思いで収めておきたかったから余計に話を拗らせることもしたくない。
「夕紀さん?」
「あ……。」
考え込んでいたら、栄二くんが自分を呼ぶ優しい声に意識を現実に戻される。
僕を心配するような、太い眉を少し下げた栄二くんの表情に胸を締め付けられながら、口の中の小さくなった飴玉を軽く噛み潰す。
砕けた飴の口当たりの悪さに引きずられるように気分を曇らせつつも、尋ねられたサンプルの感想を捻り出した。
「えっと……。ウォッカベース……を使っているから……クセは少ないし、梨とリンゴ味を再現したフレーバーも爽やかで……季節的にもピッタリだと思うよ。でもやっぱり度数9%は喉とか胃にくるよね。慣れていないと500mlは飲めないかも。」
息を吐くように口から出まかせを話す自分は何て醜くて浅ましいのだろう。
「なるほど、ありがとうございます! メーカーさんへの意見に上げときますね。」
栄二くんが眩しい笑顔を向けてくれればくれる程、嬉しさと同時に積み重なる罪悪感は僕の心を黒く染めていく。
チクリチクリと胸の奥に刺さる針の数が増えていく。
(……痛いな。)
表面上だけでも上手く笑おうと、口角を上げて返事をした。
そうして後ろめたさを隠しながら、空になった瓶を収めたいくつかのケースを集配トラックに積む作業を終えると、栄二くんと過ごせる短い時間が終わる。
僕は栄二くんを見送ろうとトラックに乗る彼の姿を眺めていたのだが、突然、開いた車窓から手招きをされた。誘われるがままに運転席に近づく。
「それじゃあ……これも新商品なんですけど、また感想ください。」
「……うん。」
僕が抱える後ろめたさを知らない栄二くんは、車の助手席から紅葉の印刷が施された350ml缶を取り出した。
今度はチューハイではなくビールのサンプルのようだ。
受け取ろうと缶に手を伸ばしたその瞬間、栄二くんが缶を差し出していた手とは反対の手で僕の手に触れた。
(…………っ!?)
僕の手よりも少し大きい、体温の高い手のひらにギュッと包まれたかと思ったら、包まれた手の中にしっかりと缶を握らされる。
いつもの心の本音が唱えられない程、驚いた僕は一瞬で耳の先までカッと熱が回り、自分の手を目を見開いて凝視した。
状況についていけていない僕の耳に柔らかい笑い声が聞こえる。
「ふふ、炭酸、あまり振らないようにしっかり持ってくださいね。」
「……うん。」
するりと撫でるように手が離れても、触れられていた場所にはまだ温もりが残っている。
視線を自分の手から、柔らかい微笑みを浮かべる栄二くんの顔へと移すと、しっかりと意思を持った黒い瞳とぶつかった。
栄二くんの優しい視線は僕の心を見透かすかのような雰囲気があって、抱いている感情を誤魔化すように渡されたビールと共に慌てて両手をエプロンのポケットに捩じ込んだ。
すぐに僕の手の先がポケットの中にある小さく硬いものに触れる。
「じゃあ、また次の配達で!」
「あっ、あの……栄二くん……これ……」
彼の形の良い唇が別れの言葉を紡いだ後で、僕はポケットの中に入っていた飴を3つ握り、差し出した。
いつも何かと親切にしてくれる彼に、何でも良いから返したい。
「お仕事、頑張ってね。」
(これしかあげられないのが情けないけど……)
「ありがとうございます! 頑張ります!」
栄二くんは差し出された飴を一つずつ太い指で摘んで胸ポケットに収める。
再び爽やかな笑顔を僕に投げて、栄二くんはトラックと共に駐車場を出て行った。去り際に窓から大きく手を振りながら。
自分も彼に見えているか分からないけれど手を振り返す。トラックが見えなくなると、身体中の力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。
(本当に良い人だな……。お話しできるだけで幸せだ。)
栄二くんに触れられた手を取り出して西に傾いた太陽に手を翳す。陽の光と同じように温かかった体温を思い出して物思いに耽った。
と、僕の目の前に、酒のケースを荷台に積んだ原付バイクが止まる。
「……おかえり。」
原付バイクを運転していた人物に声をかけると、僕は膝に手をついて立ち上がった。
「何やってんの? 兄貴。」
「別に? はいこれ。」
自分を兄貴と呼ぶのは同居している実の弟だ。
小脇にヘルメットを抱えた弟に、栄二くんから受け取ったビールの試飲缶を差し出した。
「まーた、飲めないのに貰ったのかよ。」
「だって……くれるから。」
そのまま弟に缶を渡す……はずだったのだが、すぐには缶を手離したくなかった。
というか、先程のことを思い出して缶を手放すのが少しだけ惜しくなってしまったのだ。
僕の不自然な態度に弟は眉根を寄せる。
「オイ。」
「ん……ごめん。感想よろしく。」
「ハイハイ。」
栄二くんに手ずから渡されたものの、自分が嘘をつき続けている要因に執着を抱いていることにすぐに罪悪感を覚え、潔く缶を弟の手に渡す。
大丈夫、自分は弁えている。彼へ憧れを抱くだけに留めておいて、恋心を募らせるのもほどほどにしておかなければ。
僕はそのまま、弟に背を向けて店内に戻った。
「……またあいつに渡さないように言っとかないとな……」
弟が缶を片手に溜め息をついて呟く。
その言葉はかろうじて聞こえてはいたものの、勝手に落ち込んでいた僕は関心がないものとして聞き流してしまっていた。
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