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1能動的な快楽の享受を①
地下闘技場の薄汚れた檻から叩き出され、名ばかりの自由を手に入れたその日。
陽の光と共に、大量の血の雨とミンチにされた内臓が空から降ってきた。
「なんだよ、これ。これじゃ歩くのも一苦労だな~」
俺は頭にへばりついた出所不明の赤黒い肉片を、シワシワのティッシュでめんどくさそうに拭い取った。
全身が異形の実験体のようにつぎはぎ傷だらけの俺の身体は、生々しい血の通った、ただの締まりのないムチムチの肉塊だ──と、俺自身は本気で思っている。
実際には、服の裏に世界最高造形の六塊に割れた腹筋を隠しているのだが、地下で感覚の許容量をバグらされた結果、自分の肉体の価値などこれっぽっちも理解していない。
この程度の治安の悪さや、空からの汚辱は、ただの「雨」と同じくらいの温度感でしか脳内処理されない。
だが、薄い私服のシャツの裏側、褐色肌に淫らに食い込む「それ」の異物感だけは、嫌でも自己の存在を主張してくる。
国家予算が数億円投入されたという、対・堕竜特殊衝撃吸収型・特注メンズブラ。
防弾繊維と衝撃分散ジェルが、雄っぱいを強力な圧力機のように締め付け、背面では肉体の躍動を魅せるためだけの極細のコードクロスが、傷だらけの背中に酷く冷たくへばりついていた。
地面を伝う物理的な振動が、容赦なく肉の芯まで狂わせにくる。
地鳴りのような咆哮は何処までも轟き、その巨大な脚が地を踏みしめる度に、身を震わす程の低周波が足の裏から頭の天辺まで、脳ミソを直接揺さぶるような不快感と共に駆け上がった。
周囲の車の防犯アラームが一斉に共振し、狂ったように鳴り響いている。
──堕竜。神の座から腐り堕ちた成れの果て、人類の敵。
──竜。その堕竜と対をなす、神の座に君臨する人類の守護神。
『──堕竜警報、堕竜警報。堕竜の出現を検知しました。直ちに東京全域に魔法防壁を展開します。避難指示を発令します。新宿セクターゼロイチ区の住民の方は速やかに避難シェルター及び建物内に避難して下さい。繰り返します。新宿セクター01区の──』
けたたましいサイレンの音が、新宿の上空を分厚いヘドロのように覆って鳴り響いた。
『堕竜、地上への出現まで十、九、八──』
それは、周囲の高層ビル群すら玩具のように見える程に巨大な、生気のない青白い肌の巨人が、異空間の裂け目からぬう、と顔を覗かせた瞬間だった。
顔は無い。まるでのっぺらぼうのようだ。
唯一違うのは、中心に一筋の縦一文字の口が、まるで肉を引き裂いた傷口のようにぽっかりと開いていること。ゾッとする程におぞましいオーラを漂わせた、無機質な存在だと云うこと。
紫色の血管が幾つも醜悪な筋を作り、均整な体格のそれは人間と遜色の無い姿をした──ヒト型の堕竜だった。
『アン・クルダ号の出撃まであと十、九、八──』
機械的なアナウンスと同時に、青色に煌めく鱗粉のようなものが辺りにキラキラと舞った。直後、大気を押し潰して、漆黒の竜が霧の中からぞぶりと姿を現した。
竜の姿を認識した堕竜が、縦一文字の大口を開けておぞましい咆哮を轟かせる。
その鳴き声はデタラメな振動を伴って、三半規管を直接揺さぶるように脳味噌に響く。口の奥に、鉄と胃酸が混ざったような生々しい内臓の味が広がった。否、それは俺の五感を苛む、錆びついた鉄パーツと焦げたレバーの味の始まりだったのかもしれない。
大口を開けた堕竜が、黒い竜の肉に噛み付き、脂の爆ぜるような嫌な音を立てて引き千切る。ぶちぶちと肉繊維が断裂し、大量の赤い血が雨のように降ってアスファルトの陥没跡を濡らしていく。
それはまるで、現実の時間の流れを歪められたかのように緩慢な動作だったが、実際には空気をビリビリと揺らしながら、物凄い質量と衝撃を伴っていた。
たった腕の一振。
それが周りの大気を強制的に巻き込み、アスファルトの破片を弾丸のように撒き散らしながら、巨大な竜巻を起こすのを、俺は薄い私服のタンクトップを血に濡らしたまま、ただじっと見つめていた。
堕竜の腹に黒い竜の腕がみちみちとめり込み、ボッ、とくぐもった鈍い音が響く。
それが巨大な腹の肉壁を引き裂いた音なのだと、俺の脳が、視覚が、まともな規則性を失った現実として認識した瞬間、頭上からドロドロとした内臓がぼたぼたと降ってきた。青紫色の肥大化した内臓は、おぞましい寄生虫のように管を巻いたまま、アスファルトの上に瞬く間に山となって積み上がる。
鼻腔を突くのは、腐った硫黄と生の脂が混ざり合った、脳の奥が直接錆びつくような強烈な悪臭だ。焦げ付いた重油と排気ガスの匂いが、じわじわと俺の精神を支配し始めていた。
再び青色に煌めく鱗粉が、黒い竜の周囲を狂ったように舞い踊った。
光の粒子は鋭利な幾筋もの線を描いてヒト型の堕竜へと突き刺さり、その肉を内側から爆砕していく。
鼓膜を破らんとする絶え間無い咆哮。絶望的な呻き声が、やがて世界を呪う唸り声へと変貌していく。狂乱した堕竜の口から、粘液まみれの肉の管が何本も飛び出し、生き物のようにのたうち回りながら黒い竜の首へと巻き付いた。
黒い竜は漆黒の巨躯を激しく捩り、報復として堕竜の首筋へ深く牙を突き立てる。堕竜が最後の抵抗とばかりに両腕を回し、黒い竜の首を締め上げる──が、勝負は一瞬だった。
黒い竜は、まるで赤子の手を捻るような絶対的な暴力で、堕竜の首を骨ごとベキベキと捥ぎ切ったのだ。
糸の切れた凧のように、頭部を失った堕竜の巨体が地面に激突し、伏した。
時折ピクピクと不愉快に痙攣するその巨肉を、黒い竜は無慈悲に貪り喰らい始める。脂の爆ぜるような生々しい音を立てて、骨も内臓も残さず平らげると、黒き神は何事もなかったかのように霧へと溶け、姿を消した。
まさか檻の外の地上で、こんなデタラメな地獄が日常茶飯事として起こっていたなんて。
我が目を疑うような光景だが、網膜に焼き付いた網目状の血文字のような現実は、紛う方なく真実をありありと突き付けてくる。
心の準備をする暇すら、世界は与えてはくれないのだ。
だが、真に脳の認知をバグらせたのは、その直後の光景だった。
あれだけ大規模な物理破壊が起きたというのに、東京全域を覆っていた魔法防壁のシステムが明滅したかと思うと、崩壊したビルも、陥没したアスファルトも、山をなしていた青紫の内臓も、時間が逆再生するようにパタパタと修復(完全ロールバック)され、傷一つ無い新品同様の状態へと元通りに戻っていく。
終末論的な演出と共に一瞬で完了した世界の完全修復。
だというのに、俺の精神と疲労のダメージだけは、逆再生されることなく確実に肉体の奥底へ累積していく。
薄い私服のシャツを締め付ける特注メンズブラのフロントホックが、己の脈拍に合わせて冷たく、そして重く軋みを上げていた。
化け物同士の闘いは、どれほど狂暴に荒れ狂おうとも、まるで最初からこの街が存在していなかったかのように透過され、処理されていたのだ。
「……あら~まあ~なんて便利システム!」
俺は、無傷のまま日光を反射している小綺麗な新宿の駅前を見つめ、瞳をキラキラ輝かせた。
兎に角、俺は檻を出て早々、本物の地獄という名の、あまりにも不条理で乾燥した洗礼を受けたのだ。
◆
己を大真面目に自己評価するなら、怠惰が服を着て歩いているような男だった。
寄る辺のない身の上、行くあてもなく、希望も無い。
ふらふらとあてどなく彷徨う海月のような根なし草。
コインロッカーベイビーとしてこの世に不要なモノとして産み落とされ、裏賭博の地下闘技場で奴隷闘士として飼い殺される人生を何に例えたら良いのだろう。
それが幸せか虚しいかなんて、考えるだけ脳ミソの電気代の無駄だ。
俺は物心ついたときから考えることを完全に放棄し、ただ受動的に、他人の求めるままに生かされてきた。
東京の超高層ビル群の地下深くに造られた闘技場──ここに来る奴らは例外無く全員が裏社会と繋がりを持ち、倫理観を母親の胎に忘れてそのまま便所に流してきたような成れの果てばかりだった。
何でもありの無法地帯。奴隷同士を殴り合わせたり、猛獣対奴隷なんて見世物で賑わう世紀末ごっこ。
観覧席の人間モドキどもは血や死体を見るのが三度の飯より愉しいようで、死人が出るとキメた薬が脳髄に回ったように悦び、札束をただの紙切れとして撒き散らす。
退屈で麻痺した人生に彩りが欲しい勝ち組と、這い上がろうとするドブネズミが擦り合う、脂ぎった地獄だ。
『勝負あり! ブラッドナイフ立てない! 3……2……1……ゼロ! またしてもスカーフェイスの勝利ィィィィイ!! これで連勝記録を更に更新! この快進撃は一体いつまで続くんだぁ──!!』
「スカー!! 殺せ! 脳ミソぶちまけろぉー!!」
「そうだスカー! お前それでもキンタマ付いてンのかぁー!?」
怒号のなか、俺はリングの上で大真面目に「早く控室に戻って、カビ臭い麦飯に醤油をかけて喰いたいな」と考えていた。
物心ついた時から灯りの乏しい場所で鎖に繋がれ、暴力によって健やかに育てられた。と云っても過言では無いだろう。
命令だから、人を半殺しにする。
本当は殺す方が観客は盛り上がるのだが、上の連中から「有能な在庫を減らすな、仕入れ値が高騰してんだよ」とクソ真面目に怒られてからは、なるべく殺さないように手加減していた。
薄い私服のシャツを血で汚した今の俺を見て、奴らならきっと「いいからもっと肉を削ぎ落として踊れ」と叫ぶのだろう。
それでも時々、豆腐みたいに簡単に死んでしまうやつは死ぬのだが、それはそいつの耐久値の設定が悪い。
しくじれば死なないぎりぎりの過酷な責め苦が待っている世界だ。奴らはいたぶるのがとてもとても上手かった。
だが、成長と共に知恵が回るようになると、俺の脳内ルールは「どうすれば一番怒られずに、楽に飯にありつけるか」という方向で異常な進化を遂げた。
筋肉が付いて体格が良くなると、生き抜くための事務作業として勝ちに勝ちまくった。
指先や腕に走る数々の縫い目の傷跡は、この生々しく血の通った身体が生き延びてきた記録だ。
そしてある時、俺は猛獣を殺した。
かなり運に助けられたと云っても良い。
シチュエーションは『奴隷闘士10人対、1週間絶食して狂った猛獣』という、悪趣味な出し物のような企画だった。
他の9人が悲鳴を上げながら一瞬で沈められていく中、俺は「あいつらが襲われている間に、猛獣の視界の死角に回り込んで首の骨を折れば、一番体力を消耗せずに済むな。上手くいけばその肉も喰えるかもしれない」と、極限状態のなかで最高にピントのズレた計算を大真面目に遂行していたのだ。
即効性の毒が仕込まれた槍を持っていた奴隷闘士の1人が、猛獣の一撃を受けて倒れた。
俺は予定を変えてその槍をぶん捕ろうとしたが、亡がらに絡まって上手く抜けない。
「クソ、早く離せっつーの! ケチケチすんな!」
と、必死に綱引きをしている間に、鋭い爪が俺の顔面を容赦なく引き裂いた。しまった、隙を作っちまった。最悪だ。
絶叫。一瞬にして全身が燃え上がる感覚。顔面がひどく熱くて、頭が狂ったように叫んでいた。
それでも俺は、必死に槍を抜こうとしがみついていた。
恐らく俺は混乱と痛みで脳の安全装置が飛び、その事務的な行動しか出力できなかったのだと思う。我ながら致命的に間抜けである。
そうこうしている間に、餓死寸前で錯乱した猛獣の爪が、俺の脇腹を深く抉りやがった。
あの時は痛覚のメーターが完全にバグっていて、俺は「自分の小腸が何メートルあるか数える良い機会だ」と大真面目に思い立ち、ずるずると引っ張り出し始めた。飛び出た内臓は驚くほど綺麗なサクラピンク色をしていた。
だが、途中で砂ぼこりがついて汚くなったので数えるのをやめた。それからハッと意識を取り戻して俺が放った毒槍が猛獣の喉笛に刺さるのと同時に試合終了。結局生き残ったのは俺だけだった。
その後、闇医者に魔法を使った生々しい手術を施され、肉をパッチワークのように継ぎ接ぎにされて一命を取り留めたが、とにかく痛くて痛くて仕方がなかった。
「ア゛ァアア゛ァ゛ア!! くそっ!! くそっ!! おい! 痛みを止める薬をくれよ!! 痛くて死にそうだ!!」
薄暗い牢獄のベッドの上で、俺はのたうち回った。
「……って、あの呑んだくれぇ~! また呑みに行きやがったなチクショウ!」
静寂の虚無と化した牢獄には、俺の必死の叫び声が木霊するばかりで返事は無い。
三度の飯より酒が好きな看守であることが災いして、不幸にも看守は当番を放棄して呑みに出てしまっていた。
ここには、命の危機に瀕した奴隷闘士の痛みよりも、割安価格の発泡酒を優先するクソみたいな現実しかなかった。
「……お前、」
不意に、鉄格子の向こうから気味の悪い声がした。
気が付くと牢屋の外に、ニヤニヤとした歪な笑みを浮かべた男が立っていた。その顔にはひどく見覚えがあった。
畑頼だ。こいつはやたらと俺に執着してくる最悪な変態で、正直に云うと今一番、この世界で出会いたく無い相手だった。
しかも最悪な事に、奴は手に本物の鍵を持っていた。──どこからか盗んで来やがったのだ。
「──おい。おい!! 止めろ、止めろ止めろ止めろ!! 入ってくんなァ!! 営業時間は終わってんだよぉ!」
俺が重傷の身体で大真面目に拒絶するのもお構いなしに、そいつは鍵を開けてガチャンと中に入ってきた。
「ぎゃァっ!! コイツ、止め──」
──後に看守が赤ら顔で戻って来た時、牢屋の中は、この世の全ての汚辱を煮詰めたような完全な地獄絵図と化していた。
猛獣に開けられた腹の傷口が完全に開いて血の海が広がり、その中で、痛みと不快感で盛大に血と胃液を吐きまくっている俺と、そんな俺の腹の中に、嬉々として己のチンポをぶちこんでいる畑頼。
当事者の俺としては、内臓の傷が開く物理的な激痛と、変態に身体を貪られる不条理な生理的嫌悪感の二重苦で、一秒ごとに脳の神経がブチブチと焼き切れるような大真面目な生き地獄だったのだが。
戻ってきた看守が、持っていた酒瓶を落として「うわあ、なんだこの安っぽい見世物小屋の怪奇劇みたいな絵面は……」とドン引きした顔で呟いたその瞬間、この最悪な状況は、完全に乾ききったシュールな喜劇へと昇華されていたのだった。
「ひい、ぐぅ……ッ! ぐぇ、お゛ぇえ…ッ! は、やく゛……この乱暴者を退けろォ゛!!」
血ヘドと胃液の海に沈みながら、俺は涙目で大真面目に悲鳴を上げていた。
腹の傷口からサクラピンクの小腸が顔を覗かせている激痛のなか、クソ変態の畑頼に蹂躙される不条理は、まさに人間の魂への冒涜そのものだった。
そんな俺の噂を聞きつけたのだろう。その後、上の物好きな富豪の変態どもが「地下闘技場の無敗の奴隷闘士を抱いてみたい」と次々にのたまうようになった。
傷跡だらけの屈強な男を無理やり組み伏せて、己の好きなようにいたぶり犯すというのは、歪んだ特権階級の連中にとって極上の娯楽だったらしい。
畑頼による暴行は文句なしに人生最悪の泥濘だったが、富豪たちの道楽として強要されてきた行為を繰り返すうち、俺のバグった脳は「あれ、もしかして俺、セックスが大好きだな?」という最悪な認知に気が付いてしまった。
なので、俺は己が紛うことなき変態で、淫乱な色情狂であると大真面目に自覚している。
しかし断じて、そんなふしだらで卑猥な己を誇っている訳では無い。
ただ単純に、目の前の快楽にめちゃくちゃ弱いオツムをした、究極の楽観主義者なだけである。
しかし、しかしだ。世の中そう上手くはいかない。
どうやら俺は、これだけ感じやすい体質をしていながら、何ひとつ満足にイクことが絶対にできないという、最悪のペナルティを背負っているようだった。
幾ら奥をゴリゴリに穿たれようが、俺のチンポも申し訳程度の勃起のみで前立腺もうんともすんとも云わねぇ。まるでおねんね。子守唄でも歌ったろか、というレベルで静まり返っている。
それでも、俺を抱きながら「ほ、本当に奴隷闘士なのか……ッ」などとあられもなく情けない声を上げて喘ぐ男達の姿を見るのは、堪らなく愉快で楽しかった。
だから俺はセックスが大好きだ。
地下牢での唯一の娯楽と云っても過言ではなかった。
逆に、お上の命令で「俺が男を抱く」という業務もあった。勿論、逆らうと痛みを止める薬抜きの過酷な責め苦が待っているので大真面目に抱く。
どうやら俺はセックスが大好きなだけでなく、技術的にも天才的に上手いようだった。小綺麗なおっさんから、加齢臭と脂でギトギトのおっさんまで、ベッドの上でワンワン鳴かせることが得意になっていた。
間違いなく、人生において最も要らない特技である。おっさんを鳴かせることに、一体何の価値があるのだろう。これはもしや、人類の根源に迫る哲学だろうか。
俺はカビ臭い藁の上で、よくそんな不条理な思考を巡らせていた。
そんな生活を続け、とうとうバース性の属性検査結果の通知が届いた。
地下の事務所では、渋い顔をした運営の男が、まるで鼻の頭に犬の糞をたっぷりと塗りたくられたような不快極まる表情で、検査結果の紙とにらめっこしていた。
「残念だったなぁ~?」
俺はニヤニヤ笑いを隠しもせず、男の肩にポンと手を乗せた。
この国の法律では、16歳でバース検査を受け、結果がオメガのやつは全員、例外なく国家の管理下に置かれることになっている。
つまり、どれだけ裏社会の闘技場が俺を所有物だと主張しようが、法律という暴力によって、このクソ溜めから合法的に引きずり出されることが確定したのだ。
「ああ、まさかこんな愛着のある地獄を離れることになるなんて……俺は、本当に悲しいよ。涙で明日が見えない」
悲しみを堪えるようなわざとらしい表情を作り、やれやれと首を左右に振って心にもない大嘘を大真面目に吐いてやると、男は苦虫を十匹くらい同時に噛み潰したような顔で呟いた。
「ハッ、スカーフェイス。まさかお前みたいな化け物が、オメガなんてな……」
男は苛立ちを隠そうともせず、結果表を雑巾みたいに乱暴に握り潰すと、目の前のゴミ箱に叩き込んで蹴り飛ばした。
俺の、おっさんを鳴かすだけの哲学の日々が、不条理な行政手続きによって呆気なく幕を閉じた瞬間だった。
壁に跳ね返ったゴミ箱の中身がそこらに散乱する。どうせ片付けるのは下の奴らの役割だ、とばかりの傲慢さで、運営の男は書類をぶちまけていた。
じと、と蛇にも似た陰湿な視線が俺に纏わり付く。
そっ、と肩を抱き寄せられ、顎に節くれ立った指が触れて上向きに持ち上げられた。
耳元で「スカー……お前が幸せになる事は無い。お前の人生は他人の幸せを踏みにじった上に成り立っているんだからな……忘れるなよ」と、愛の代わりに重たい呪いの言葉を囁かれる。
唇に男の指先が触れ、愛おしそうに撫でてきたかと思えば、ぐっ、と髪の毛を鷲掴みにされて噛みつくような強烈な口づけをされた。
そのまま机の上に押し倒される。机の上の書類も容器も何もかもが床に落ちて派手な音を立てて散らばったが、どうでもいい。
服をひん剥かれて、いつものように蹂躙される。この地下闘技場では、天気が変わるのと同じくらい見慣れた、ごく普通の事務的な光景だった。
◆
その後、牢屋に戻されて暫くすると、扉の開く音と足音がこの静寂に響いた。俺は藁の上から顔を上げる。
「よう、スカー。機嫌はどうだい?」
先ほどとは別の、これまた見慣れた看守の男が牢屋の前に仁王立ちしていた。
ゆっくり屈むと馴れ馴れしく俺の肌に触れ、さも今日の夕飯の世間話でもするように話掛けてくる。
「ご機嫌だよ、とてもな。やっとここから出られるんだから。あ~あ、清々する~」
「ハッ。俺は寂しいぜ。ほら、最後に俺にその最高にエロい顔を拝ませてくれよ……」
(嗚呼、どいつもこいつも別れの挨拶がこれって、一体俺を何だと思ってんの……まあ、セックスならなんだっていいか)
まるで至極当然な業務連絡の流れのようにまた鉄格子の間で重ね合って、男が夢中になって俺の奥に身体を打ち付ける最中、俺は頭の片隅で、これからの輝かしい新生活について大真面目に考えていた。
オメガの属性検査だって、どうせありふれたベータだろうと高を括っていたのだ。他を圧倒するアルファも、このオメガも人口のわずかな割合しかいない。
自分がそんな極上の希少種な訳がないと思っていた。
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