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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――(プロローグ)③

 ――それから季節は巡り、三年の月日が経つ…… 「克巳さん、聞いてよ。どうして俺が参院選に出ることが、週刊誌にバレちゃったんだろ」  伸ばしていた髪をばっさりとカットし、オーダーメイドの濃い目の色したスーツを身にまとった稜が、煩わしそうな表情を浮かべて、パイプ椅子に座る俺を見下してくる。  渋い顔をしていなければ、ビジネススーツのモデルとして、直ぐに仕事が出来そうだなと思った。 「お手伝いをしてくれた人で、口の軽い人間が混じっていたのかもな。ひとりひとりを問い詰めて、誰がリークしたのか吐かせてやろうか?」  稜の出馬を快く思わない、対抗勢力の仕業の可能性もあるので、注意するに越したことはない――。  今回の選挙で後ろ盾となる政党の幹部と打ち合わせのために、ホテルで会食をしたのだが、そこを二流の週刊誌にスクープされてしまった。 『スキャンダル発覚か!? 葩御 稜が○△党の幹部とホテルで密会、その後客室に消えて――!?』    手にしていた週刊誌を、両手で引き裂いてやる。有りもしない事実を並べ立てた記事を元に、出版社に抗議しなければと考えた。  参院選出馬を目論んでいた稜に合わせて、勤めていた銀行を一年前に依願退職した。  モデルの仕事をこなしつつ、ニュースキャスターやリポーターをして、時事ネタの勉強を欠かさずしてきた彼を、自分なりに支えてきたつもりだ。 「ドSの克巳さんが手を下したら、みんなが逃げちゃうって。ヒーヒー言わせるのは、俺だけにしておいてよ」  こういう軽口を叩くところは相変わらずなれど、今までの経験から知性を手に入れた稜は、一皮むけて更にカッコよくなってしまった。  長い髪を切ったお陰で、端正な顔立ちが露わとなり尚更、人目を惹く存在になっただけじゃなく――。  バラエティー番組で見せていた、チャラチャラした印象を一切封印し、報道番組で展開させる理論武装を兼ね備えた毒舌ぶりは、老若男女を問わずに人気が出てしまった。 (その人気も参院選に出るために、稜が頑張って築き上げてきたものだけど……)  視聴者の人気同様に一生懸命に仕事に打ち込む姿を見て、番組関係者からもたくさんの応援がなされた。  俺のせいで番組を降板する形となった稜を、最初のうちは人気を盛り返すためだけに、必死になっていると思ったらしい。  しかし、番組で真剣に仕事をする彼を見て、少しずつ声をかけるスタッフが増えたら、自然と一体感が生まれて番組の雰囲気が良くなり、結果それが視聴率に繋がったが……。 (成果を出すため一生懸命になるのはいいけど、俺の心配を少しは考えてほしいものだ) 「ん? 克巳さん、もの言いたげな顔して何?」  目の前で微笑む稜の髪をかき上げる右手を、意味ありげにじっと眺めてやる。その手に貼られた、大きな絆創膏が痛々しい。  昨日自らを使って歩きスマホについての危険性を示すべく、実験台になって思いっきり転んでしまった経緯がある。  こんなに派手な怪我になったのは、最近の疲れが手伝っていたのかもしれないが、これを機にスケジュールの緩和……なんてしたら怒られるか。参ったな――。 「克巳さんってば、さっきからどうしたのさ。そうそう、ちょっと調べてみたんだけど議員になったら、議員宿舎に住むことになるでしょ。何でも家族以外の部外者を、みだりに入れては駄目なんだって。これって克巳さんとHができないという、危機的な状況だと思うんだ。どうしよう♪」  どうしようと言ってるのに、実に楽しそうに語ってくれてもな。ナニを強請っているのか一目瞭然なだけに、簡単に応えるもの癪に障る。 「……君が当選した暁には、議員宿舎の近くに引っ越してあげる」  かなり癪に障るが、恋人のおねだりに応えないワケにはいかないんだ。彼の望むことは、何だって叶えてやりたいと切に願うから。  これでまたひとつ、仕事が増えてしまったが致し方ないだろう。 「やったね! ご褒美があると思ったら、俄然やる気が出るよ♪」  満面の笑みを浮かべながら両手を握りしめて、張り切っているとアピールしているつもりなんだろう。  だが言葉とは裏腹に、拳が小刻みに震えている様子が目に留まったので立ち上がり、手にしていた雑誌をパイプ椅子の上に置く。一年間傍にいて、仕事をする彼の姿を眺めているうちに、分かったことがあった。  笑顔を振りまく無防備な稜の両手首を強引に掴み、背後にある壁に張りつけにしてやった。 「わっ!? いきなり何っ――」  掴んだ手首から伝わってくる――プレッシャーを感じ、緊張して震えている躰。仕事相手が厄介な人間のときにだけ現れる、この現象。  テレビに映る彼はそんなものを微塵に感じさせなかったから、とても驚いたのと同時に、俺が何とかして解放してあげようと思った。 「愛しているよ、稜。君なら大丈夫だ」  他に何を言えば、この緊張を解くことができるのだろうか。 「克巳、さん……」 「俺の綺麗な華、胸を張って正々堂々と、報道陣に立ち向かっていけばいい。それだけだ」  ゆらりと瞳が滲んだのを見て、宥めるように唇を強く押しつけた。俺の言葉で、泣く必要なんてない。そう思った。 「んっ、ぁ……う、ぅっ!」  容赦なく口内を責めているのに我慢しているのか、いつもより小さな喘ぎ声をあげる。 (……当然か。扉の向こう側には今か今かと待ち構えている、報道陣がいらっしゃるんだから。でも――)  躊躇する稜の手首を解放し、左手は後頭部の髪の毛を掴み、右手は腰に回して、自分へと躰を引き寄せてやった。  掴んだ髪の毛を引っ張りながら上向かせ、顔の角度を少し変えて、もっと深くくちづける。  何も考えられなくすれば、頭の中は空っぽになるはず。それを狙うべく、音が鳴る様に上顎に舌を滑らせてみた。 「んあっ、あっ……あ、あっ、も……はげしっ、んぐっ……」  苦しそうな表情を浮かべつつも、どこかトロンとした様子は、感じているのが明白だ。 「克巳……さ、んぅ、うっ……すき、んっ……」  俺の躰に回してきた二の腕が、ぎゅっと背中を掴んできた。震えを微塵に感じさせない強い力で、抱きしめ返してくることに安堵する。 「くっ……んもう、ヤり過ぎだってば。囲み取材の時間までに、下半身が落ち着かなかったら、どうしてくれるのさ?」 「それなら今すぐ、俺がヌいてあげる」  意味深に笑ってから、自分の親指をちゅぅっと吸ってみせた。 「うっわー、何その誘い文句と行動は……。というか、ちゃっかりこの状況を楽しんでるでしょ?」  さいてーと言いながら、ぽかぽかと俺の躰を叩いてきた。やることが、いちいち可愛らしい。だがこれで完全に、緊張がとれただろう。 「ふふ。楽しむというよりも、君がいかに感じられるかを考えただけ」  乱してしまった髪の毛を手串で梳かし、曲がっているネクタイを真っ直ぐにしてあげた。 「はあぁ、もう……。克巳さんには敵わないな」 「何を言っているのやら、稜は誰よりも最強だよ。手ごわい上に、どうしようもなくHだから。俺は翻弄されてばかりいる」  今だって上目遣いで睨んでいるのに、そんな顔でさえも煽られてしまって、抱きたい気持ちに拍車をかける。  コッソリとため息をつき、腕時計を確認。あと少しで、取材が始まる時間になる。時間がちょっとでもあったなら、稜を楽にさせるべく、ヌいてやるのに――。 「克巳さんってば、目尻が下がってる。俺に手を出しちゃおうとか考えてるでしょ? 無理だからね、絶対!」 (やれやれ、まんまと心が読み取られてしまった。これだからうかうかと、考え事もしていられない)  たじろぐ俺のネクタイを掴み、キュッと結び直してくれた。稜だけじゃなく、俺の服装も乱れていたのか。 「俺に手を出したいだろうけど昨日の夜、いつもよりしつこく迫った上に、アヤシげな道具を使って感じさせて、出なくなるまで責め立てた次の日なんだよ。いつもは早い俺でも、今日は無理っていう話!」 「だって寝られないって言うから、疲れさせればいいと思って、俺なりに頑張ってみたんだ。すんなりと寝られただろ?」 「……だからって、あんなモノを使うなんて。俺の大事なトコロを、壊す気だったでしょ」 「俺のと、どっちが良かった?」  訊ねてみた途端に、稜の拳が俺の頭に直撃した。 「俺よりも克巳さんの方が、すっげーHだ。呆れちゃうよ、まったく」  真っ赤な顔を隠すためなのか、背中を向けてあらぬ方を見る。そろそろ時間だけど赤ら顔のまま、取材陣に囲まれる姿を見るのも、ちょっと面白いかもしれない。 「稜、時間……」 「分かってるよ、ちょっと待って。集中するから!」  頬をパシパシ叩き、深呼吸を数回して振り返ると元に戻っていた。切り替えの早さは、さすがは俳優といったところか――。 「ねぇ、参院選に出ることもそうだけど、いっそのこと夢を語ってみようかなって思ってるんだ。有言実行してやろうかなって」 「ふふ、君らしいね」  それを聞いた取材陣は、さぞかし大喜びするだろう。稜の夢は普通じゃないのだから。  余裕の笑みで俺を見上げる彼に微笑み返したら、首に両腕をかけてきて、耳元でソレを告げてきた。 「――なっ!?」 「ビックリしてる場合じゃないよ、克巳さん。俺の夢は、常に更新されるんだ。一番近くで、それを見せてあげるって約束してるんだから、大きくいかないとね」  短い前髪をなびかせながら颯爽と扉から出て行った稜に、返す言葉が見つからない。だって……だって――。 『克巳さんあのさ、内閣総理大臣の恋人に、なってみたいと思わない?』  そんなすごいセリフに対して直ぐに答えられない俺は、恋人失格なのかもしれないな。でも彼はやる男だ――きっと成し遂げてしまうだろう。  ――俺が愛した綺麗な華、葩御 稜。  彼の傍でその成り行きを見守り、そして愛していく。尽きることのない愛を君に注いであげるから、夢を叶えてほしい。  とても穏やかな気持ちで窓の外を眺めたら、抜けるような青空に向かって一羽の白いハトが偶然、目の前を飛んで行った。  軽やかに羽ばたく白いハトに、俺たちの願いをそっと乗せてもらう。 「さて、と。まずは選挙戦対策を考えてっと……」  幸せの象徴、白いハトのお蔭で俄然やる気が湧いたので、自分の仕事から始めることにした。  心から愛する、稜の夢を叶えるために――。

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