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第六十四話 金色の糸が結ぶ約束

 時雨(しぐれ)の雨のおかげで、まとわりつく穢獣(けじゅう)を一気に片付けることができた。  しかし、視界を幾ら巡らせても光芒(こうぼう)の姿はない。    しかも全力で「紫電招来(しでんしょうらい)」を放った代償は重く、体内に残る霊気(れいき)は皆無に近かった。  紫苑(しおん)の体内に穿たれたあの忌々しい卵を破壊しなければならないというのに——。    無音の暗闇の中、遠くから幼い少年の泣き声が届く。   『穢わしい。龍の家に蛇が生まれるなんて』 『恥晒(はじさら)しにもほどがある』 『母親にも父親にも捨てられ、生きる価値もない』 『角がないなんて薄気味悪い』    声の途切れる方へ駆け寄ると、周りの大人たちから罵倒や殴蹴(おうだ)され、小さくうずくまる一人の少年の姿があった。 顔は腫れ上がり、全身があざだらけだ。   「……なぜ、こんな扱いを受けなくてはいけないのですか」   握りしめた小さな拳を震わせ、少年が叫ぶ。   「僕が何をしたと!生まれことが罪ならば、僕はどうしたらいい!!」    嗚咽を漏らし、しゃっくりを繰り返しながら、子供は痛む腹を押さえ、何度も口を突く吐瀉物(としゃぶつ)を撒き散らした。 そして惨状の中で、自虐的に嘲笑う。   「——もう、この世には汚いものしかない」    ボロボロの体で立ち上がり、ふらふらと心元ない足取りで歩き出す少年。   「最期(さいご)に、綺麗なものがみたい。せっかくなら……」   身体を抱きしめ、足を引きずりながら進む背中。  春雷は耐えきれず手を伸ばしたが、次の瞬間、一陣の風が吹き抜け、景色が変わった。 ——その場所を、春雷はよく知っていた。   「……不知火(しらぬい)様の屋敷だ」   中庭には鮮やかなツツジが咲き誇り、幼い日の笑い声が風に乗って聞こえてくる。 遠くで幼い菜種梅雨(なたねつゆ)と時雨(しぐれ)が戯(たわむ)れていた。   そして視線の先——。   『……ここでただ朽ち果てるくらいなら、いつか私に恩返しでもしに来てください』   幼い自分自身が、岩に挟まった金色の美しい蛇に話しかけている。 再び風が吹き抜ける。   『いつか青龍(せいりゅう)になり、私を軽蔑することになろうとも、私はあなたを恨みません。安心して』   腕に巻き付く金色の蛇は、名残惜しそうに離れていく。その腕に、一本の金色の糸を残して。   ——その糸は、今も春雷の腕にあった。   まさか。 気づけば景色は消え、目の前にひとりの少年が立っていた。 黒髪に、金の瞳。 傷だらけの姿で佇み、少し気まずそうに春雷を何度もちらちらと見上げている。 春雷は衝動のまま、その小さな体を強く抱きしめた。 少年は嬉しそうに愛おしそうに笑うと、春雷の手首の金色の糸をそっと撫でた。 「この糸はね、いつか再会できるように結んだんだ。どこにいても、あなたを守れるように」 「……そうだったんですね。穢獣がこの糸ばかりを狙うから、あなたに何かあったのかと思っていました」 「ごめんなさい」   少年は申し訳なさそうに謝った。   「まさか、あなたが狙われるなんて思わなかったの。でも、絶対に守るから……必ず見つけるから」   小さな手で春雷の腕を強く掴む。   「嫌いにならないで……」   春雷はそっと、子供の柔らかい頬に手を添えた。   「……なるはずがありません。私、あの日からあなたに会えるのをずっと楽しみにしていたんですよ。あなたがどんな青龍になったのか、どう生きているのか……そして、私を」   春雷は少し言葉を詰まらせる。   「私を、軽蔑していないだろうか、とか」 「しないよ! 絶対にしない!」   少年は弾かれたように視線を上げた。   「だって、あなたは——」   また一陣の風。 抱きしめていた少年の姿が消え、満天の星が輝く夜空の下、成長した青年が静かに微笑んでいた。   「そうだね。——けれど僕は、この世で二番目に綺麗だと思うよ」 「では、一番目は何なのですか?」 「あなただよ。僕には、あなたが一番綺麗に見える」    あの時、春雷の心は震えた。 溢れ出す涙は、確かな強さをくれた。 たった一度でよかった。 たった一言、一目見て、言葉をくれるなら。 風が優しく舞い、青年は金色の小さな蛇の姿となって春雷の手首に巻きつく。   春雷は静かに手を天へと伸ばした。   ——絶対に見つけるから。守るから。   『僕は、あなたの隣にいる今が一番幸せだ』   脳裏に、光芒(こうぼう)のふわりと笑う顔が浮かぶ。 光芒(こうぼう)——薄明光線(はくめいこうせん)。  確かなことは、自分たちは随分前から出会っていたということ。  そして——この金色の糸は、彼からの贈り物だった。 手首の金色の糸が眩い光を放ち、暗闇の空間を温かく照らし出していく。 きっと、この糸が導いてくれる。 大切な人——光芒の元へと。   「春雷!!」   暗闇を切り裂いて光芒の声が響き、春雷も答えるように叫んだ。   「光芒!」    遠くから駆け寄ってくる男の姿は、煌びやかな「薄明光線」ではなく、黒髪に黒い着物を纏った、いつもの「光芒」だった。  春雷は本能的に理解する。あの神々しい姿よりも、いつもそばにいてくれたこの姿こそが、本当の彼なのだと。  駆け寄る光芒を安心させるように、春雷は笑みを浮かべた。   「無事で……!!」   光芒が強く春雷を抱きしめる。 春雷はその力強い腕をそっと握り返した。   「……光芒。私、ずっとあなたに会いたかった気がします」   そう言って、春雷は光芒の頭を優しく撫でる。  金色の糸が、二人の手首のあいだで、淡く輝いていた。

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