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第2章 魅了できない淫魔

 薄暗くなった教室の正面に、大きな映像が映し出されていた。  ベッドの上にいるのは、一人の淫魔と一人の男。  どちらも成人で、これは淫魔養成学校が授業用に制作した教材だった。  映像の中で、淫魔が男へ手を伸ばす。 『これから魅了を使用します』  画面の端に文字が表示された。  男が頷く。  淫魔がそっと頬へ触れ、目を合わせる。  唇が重なった。  ほんの数秒。  それだけで、男の呼吸が変わった。  淫魔が唇を離すころには、先ほどまで普通に会話していた男の頬が薄く上気している。  首筋へ唇が触れる。  男が小さく息を漏らした。  その手が淫魔の背中へ回る。 『魅了は、提供者本人の意思を奪うための魔法ではありません』  映像に合わせ、教官の声が教室に響く。 『事前の同意を前提として、緊張を和らげ、興奮や身体反応を補助するために使用します。効果には個人差がありますが、適切に使用することで提供者の負担を軽減し、効率的な精気提供が可能になります』  トアは机に向かい、教官の言葉をノートへ書き写していた。  魅了――事前同意必須。  興奮補助。  身体反応補助。  提供時間の短縮。  そこまで書いて、手を止める。  知っている。  全部、知っている。  試験にも出る。  何度も勉強した。  問題なのは、知識ではなかった。  映像の中では、淫魔の指が男のシャツを開いていた。  露わになった胸へ唇が落ちる。  触れられるたび、男の身体が素直に反応していく。 『精気の吸収は、性交時にのみ起こるものではありません』  教官が続けた。 『淫魔は提供者と親密に接触した時点から、少しずつ精気を受け取ります』  画面の淫魔が男の首筋を舐める。  唇が触れる。  指が肌を滑る。  そのたびに、淫魔の身体へ淡い光が流れ込んでいく様子が、教材用の加工で分かりやすく表示されていた。 『キスでも、愛撫でも吸収は始まっています。接触が深くなり、提供者の興奮が高まるほど流量も増える。そして絶頂時に、もっとも多くの精気が放出されます』  トアはそこにも線を引いた。  これも、自分と同じだ。  昨日の試験でも、最初の接触から精気は入ってきていた。  男の身体へ触れ、反応が強くなるにつれて、流れ込んでくる量も増えた。  最後には、一気に濃い精気を受け取った。  そこは何もおかしくない。  問題は、その前だった。 『では、もう一度、魅了を使用していない状態と比較します』  映像が切り替わった。  同じ男。  同じ淫魔。  今度は魅了を使わない。  淫魔が男へキスをする。  男は受け入れている。  けれど、先ほどとは明らかに反応が違った。  身体にはまだ力が入っている。  淫魔が首筋へ唇を移し、胸へ触れ、ゆっくりと愛撫を重ねていく。  少しずつ呼吸が変わる。  時間をかけて、ようやく男の身体に熱が入っていく。 『魅了を使わなくても精気提供は可能です』  教官が映像を止めた。 『ただし、当然ながら時間はかかる』  教室の明かりが少しだけ戻った。 「特に研修に入れば、一日に複数の提供者を相手にする場合もある。魅了を適切に使用し、短時間で双方の負担を抑えて精気を受け取ることも淫魔に必要な技術だ」  トアはノートを見つめた。  分かっている。  とてもよく分かっている。  だから困っている。 「トア」 「はい」  突然名前を呼ばれ、顔を上げる。 「魅了の実演を」 「……はい」  椅子から立った。  教室の前へ向かう。  用意されていた実習用の人形の前に立った。  人間そっくりに作られた魔導人形で、魅了を感知すると胸元の石が赤く光る。 「始めていいぞ」 「はい」  トアは人形と目を合わせた。  集中する。  身体の奥から魔力を集める。  ――『魅了』。 「…………」  石は黒い。  もう一度。  ――『魅了』。 「…………」  黒い。  トアは少しだけ眉を寄せた。  ――『魅了』。  変わらない。  昨日と同じだった。  数を打てば、一度くらい。  ――『魅了』『魅了』『魅了』。 「トア」 「はい」 「もういい」 「……はい」  席へ戻った。  誰かが笑ったわけではない。  もう珍しくもないのだ。  入学したころから、ずっとこうだった。  トアの魅了は弱い。  誘引香も弱い。  淫紋も薄い。  淫魔として生まれつき備わっているはずのものが、どれも人並み以下だった。  だから、別のところで追いつくしかなかった。  映像が再開される。  トアも再びノートを開いた。  触れる場所。  指の使い方。  相手の呼吸を見ること。  反応が鈍いときには同じ刺激を続けない。  映像の淫魔が男へ触れるたび、トアは細かな動きまで目で追った。  魅了は、何百回練習してもほとんど上達しなかった。  でも、知識なら覚えられる。  身体の使い方なら練習できる。  昨日の男だって、最初は何の反応もなかったのに、最後にはきちんと精気をくれた。  だったら、無駄ではない。  ノートの余白に、気づいたことを小さく書き足す。  隣の席から声がした。 「トアって、それまだ書くの?」  顔を上げる。  同級生がトアのノートを覗いていた。 「うん」 「もう覚えてるだろ」 「覚えてるけど」 「実技も上手いじゃん。そこまでやる必要ある?」  トアは少し考えた。  必要があるかと言われれば、分からない。  どれだけ練習しても、魅了が使えるようになるわけではなかった。  それでも。 「努力できるところくらいは、頑張らないと」 「……真面目だなあ」 「そうかな」 「そうだよ」  トアはもう一度、映像へ目を戻した。  画面の中では、淫魔がほとんど苦労することなく男から精気を受け取っている。  自分にはできない。  少しだけ羨ましい。  けれど、ないものを欲しがっても仕方がない。  魔法が駄目なら、技術を磨く。  技術でも足りないなら、もっと勉強する。  それでも駄目なら、また別の方法を探せばいい。  昨日、実地研修の話をもらったばかりだ。  まだ研修先が見つかったわけでもない。  それでもトアは、少しだけ期待していた。  学校の試験では、何度やっても駄目だった。  なら。  場所が変われば、何か変わるかもしれない。  トアは新しいページを開き、またペンを握った。

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