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第27話 正式に

数日後、都内でのイベントを終えた澄川律は、すぐには建物を出られずにいた。 楽屋口の外へ集まった人数が、事前の想定を越えていたらしい。 スタッフが車を回す位置を変更し、建物側のセキュリティスタッフも出口を一つ閉じる。控室の扉は何度か開き、そのたびに外の状況が短く伝えられた。 澄川はソファへ座ったまま、テーブルのペットボトルを手に取る。 「そんなにいます?」 少し驚いた声だったが、嫌そうではない。 事務所の担当者は手元の端末から顔を上げなかった。 「最近、増え方が早いです」 「いいことじゃないですか」 「悪いとは言ってません」 「じゃあ大丈夫です」 そこでようやく、担当者が澄川を見る。 「大丈夫じゃないから話してます」 澄川は蓋へ掛けていた指を止めた。 外で騒ぎが起きているわけではない。危険物が見つかったわけでも、誰かが無理に建物へ入ろうとしているわけでもなかった。 ただ、人が増えた。 写真を撮る人も、名前を呼ぶ人も、出てくる時間を待つ人もいる。これまでならスタッフ数人で流せていたものが、今日はそれだけでは足りない。 担当者が画面を操作する。 「次から、移動警備を増やします。案件によっては身辺側も入れます」 「ずっとですか」 「ライブ、イベント、撮影。移動が多い日もですね」 澄川はボトルを膝の上へ置いた。 「分かりました」 「抵抗ないんですね」 「ないです」 返事は早かった。 「やれること増えるなら、その方がいいです」 担当者が息を吐く。 「見られるの、怖くないですか」 澄川は少し首を傾げた。 「何がです?」 「人が増えることです」 窓のない控室にいても、外にまだ人が残っていることは分かる。 今日の映像も夜には切り抜かれ、明日には別の場所で流れるかもしれない。街にはすでに桂木有が撮った写真が出ていて、大型モニターにも自分の顔が映っている。 初めてそれを見た時、澄川は足を止めた。 怖かったからではない。 自分の音が、自分の知らないところまで届いている。そのことが嬉しかった。 「俺、嬉しいです」 担当者が顔を上げる。 「もっと増えたらいいと思ってます」 しばらくして、担当者は端末を伏せた。 「じゃあ、そのためにも警備入れます」 「はい」 「会社側と候補を調整します。移動だけじゃなく、現場によっては対象者のすぐ近くに付く形になります」 澄川は少し考える。 浮かんだ顔が一人いた。 「真壁さんでもいいですか?」 「アトラボの?」 「はい」 「知ってる人の方が安心ですか」 「それもあります」 澄川は少しだけ言葉を選ぶ。 「仕事も分かってる人なので」 担当者は頷いた。 「真壁さんの所属、東央セキュリティサービスでしたよね」 「たぶん」 「国内でも身辺警護まで扱ってる会社です。確認はできます。ただ、勤務も適性も契約もあるので、希望通りになるとは限りません」 「分かってます」 「別の人になっても?」 「行きます」 迷いはなかった。 真壁がいなければやめるという話ではない。 「でも、選べるなら真壁さんがいいです」 担当者はそれ以上聞かなかった。 少しして、外の導線が整ったと連絡が入る。 控室を出る前に、澄川は上着を手に取った。 扉の向こうからは、まだ自分の名前を呼ぶ声が聞こえている。 先にセキュリティスタッフが出る。 廊下の先、車両位置、周囲の動きを確認してから、澄川へ合図が来た。 澄川もそのあとへ続く。 人が増えたからといって、止まりたいとは思わなかった。      * その数日後、真壁修司はアトラボ地下の警備室で、東央セキュリティサービス株式会社から届いた案件資料を開いていた。 澄川律の身辺警護。 単発ではなく、今後も複数の現場で発生する可能性がある。 イベント、撮影、ライブ、移動。 館内警備とは違う。 対象者の近くに付き、建物の外へ出てからも周囲を見続ける。出入口、車両、人の流れ、立ち止まる者、近づく者。必要なら進路を変え、対象者へ触れてでもその位置を動かす。 真壁は資料を最後まで読んだ。 アトラボに立つ時は、建物全体を見る。誰が入り、どこが詰まり、どの導線を空けるか。 身辺警護では、見る範囲が狭くなる代わりに深くなる。対象者のすぐ近くで、その人を中心に周囲を読む。 真壁にとっては、初めての仕事ではなかった。 視線を上げれば、警備室のモニターに地下導線が映っている。 それを見ながら、真壁は一度だけ椅子の背へ身体を預けた。 澄川が自分を希望したことも聞いている。 理由を確認するつもりはなかった。希望があっても、配置を決めるのは会社だ。 仕事になれば、それだけだった。 午後、私用の端末が震えた。 《今日います?》 《います》 《夕方、Ridgelineの打ち合わせで行きます》 少しして、 《その時、話したいです》 と続く。 《分かりました》      * 夕方、澄川はいつもの地下導線から入ってきた。 真壁は警備受付で入館処理を進める。 端末へ必要事項を入力している間も、澄川はその場を離れなかった。 「聞きました?」 「はい」 「嫌でした?」 入力を終え、真壁は顔を上げた。 「嫌ではありません」 澄川の肩から、わずかに力が抜ける。 「じゃあよかったです」 「ただし」 真壁は端末を閉じた。 「私だからという理由で決めることではありません」 「分かってます」 「業務です」 「はい」 「身辺警護に入る時は、今までとは違います」 澄川が少し笑う。 「どのくらい?」 「必要な距離を取ります」 「徹底するんですね」 「仕事ですから」 澄川は一度だけ視線を落とした。 嫌そうではない。 むしろ、その違いを見てみたいようだった。 「それ、ちょっと見てみたいです」 「何をですか」 「アトラボ以外で仕事してる真壁さん」 「見学ではありません」 「知ってます」 真壁は入館証を渡す。 「配置が正式に決まれば、会社から連絡が入ります」 「はい」 「私でなくても、警備は受けてください」 今度は澄川がすぐに答えた。 「もちろんです」 真壁はその返事を聞いてから、入館証から手を離した。 澄川は誰かがいなければ進めない人ではない。 そこは最初から変わっていなかった。 「でも」 澄川が続ける。 「真壁さんだったら嬉しいです」 返事を求めている言い方ではなかった。 ちょうどその時、警備受付の端末に新しい通知が入る。 所属会社からだった。 真壁は内容を開いた。 次回撮影案件。 対象者、澄川律。 身辺警護担当、真壁修司。 画面を見た瞬間、意識が切り替わる。 撮影現場までの導線。 搬入口。 車両の位置。 現場側の警備配置。 澄川の入り時間と退出予定。 まず確認すべき項目が、順番に頭へ並んだ。 「決まりました」 澄川が顔を上げる。 「何がです?」 真壁も画面から視線を上げた。 「次の案件です。私が入ります」 澄川の目が明るくなる。 それでも近づいてはこなかった。 今いるのは警備受付で、真壁は勤務中だった。 「じゃあ」 澄川は軽く頭を下げる。 「よろしくお願いします」 仕事の言葉だった。 真壁も同じように返す。 「こちらこそ」 次に会う時、真壁が近くにいる理由は恋人だからではない。 東央セキュリティサービスのセキュリティスタッフとして、澄川のすぐそばに立つ。

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