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1 怨嗟の眼差し

 真介に出会ったのは、高校二年に上がったばかりのクラス替えで、偶然隣同士の席になった時だった。 「初めまして、赤池凌平です。名前なんて言うの?」  俺は笑顔で真介に声をかける。  人は第一印象で決まると、大企業の人事部をやっている父は言う。  その教えのおかげか、人に嫌な印象を持たれることはあまりなかったように思う。  だけど、笑顔を向けられた真介は、黒縁眼鏡を押し上げ、目尻にかけて切れ上がった目を細めて、睨むように俺を見た。 「成瀬」 「下の名前は?」 「言う必要ない」  真介は俺から視線を逸らしながら、ボソボソと言った。  真介がクラスで浮いた存在として嫌われていると知ったのは、後になってからだ。  俺はそれを知る前も、知ってからも、真介に付きまとい、何とか笑顔を引き出そうと躍起になった。  我ながらなぜそこまでしたのか不思議だが、笑顔を向けてそんな態度を取られたことがなかったため、真介の態度は俺にとって新鮮だったのかもしれない。 「しんすけー!」  名前を知った直後、俺は放課後に颯爽と教室から立ち去る真介を追いかける。 「なっ、一緒に帰ろうぜ」  俺は真介に追いつくと、回り込んで通せんぼした。 「邪魔。名字で呼べ」  真介の態度はいつも頑なだ。  眼前に岩のように硬いシールドを突き出されて鼻を打つ感覚を毎度味わう。  でも、俺はめげなかった。 「いいだろ。友達なんだし」 「誰が、いつお前なんかと」  真介はうんざりと吐き捨てるように言って、長い足を素早く動かしながらさっさと行ってしまおうとする。 「え?そりゃ、最初に自己紹介した時から?」 「……」  真介は溜め息をつき、何かを言おうとして、背後からかかった声で遮られた。 「凌平くーん!一緒に帰らない?」 「あ、塩原」  手を大きく振りながらやって来たのは、塩原鈴音。クラスが一緒になった時からやたら懐かれている。  美人なのに、こんな平均的な俺でいいなんて変わってるな。  と思いつつも悪い気はせず、俺は返事をしようとした。 「うん、かえーーあれ?」 「どうしたの?」 「真介がいない」  見回すと、真介がちょうど校門から出るところだった。 「おーい!待てよ!」  俺は真介を追いかけようとしたが、塩原に腕を掴まれた。 「待って。二人で帰ろう?」  塩原に上目遣いにお願いされ、さすがの俺も断れなかった。  塩原と歩き出した時、視線を感じた気がして顔を上げると、遠ざかる真介の背中が見えた。  相変わらずつれねえな、と呟けば、塩原が苦笑する。 「何?」 「ううん。赤池君、物好きだなあって」 「物好き?」 「うん。だって、成瀬君って何か取っつきにくいじゃない?いつも話しかけると素っ気ないし、ボソボソ喋るし」 「ああ……。愛想笑いして、人からの印象ばかり気にしてる俺からすれば、羨ましいと思うけど」  そうだ、俺は羨ましいのだと口にして初めて気がついた。  真介の人からの評価を全く気にせずにありのままを晒している態度は羨ましく、同時にすごく格好いいと思えた。 「ふうん。でもそれ、普通だと思うけど。多少は周りの目を気にしないと、周り中敵だらけになるよ」  塩原が口にした台詞が事実になるのは、それからすぐのことだった。 「おい、お前調子こいてんじゃねえぞ」  その声が響いたのは、昼休みに真介の姿を探していた時だった。  屋上に行く手前の踊り場で、柄の悪い三年生達が真介に絡んでいる。  真介はどう絡まれようと無視して、屋上に向かおうとしているが、三年生のうち一番派手な髪色をしている男が立ち塞がる。 「どけ」  地の底から響くような真介の声に、三年生が拳を振り上げようとして。  俺は咄嗟に駆けていき、間に割り込んだ瞬間に頬を殴られ、階段から転がり落ちた。 「っつ……」 「おい、やべえぞ」  三年生達が慌てた声を上げて、俺を跨いで逃げていく。  その足音が遠ざかった頃に、頭上から声が降ってきた。 「何してるんだ」 「殴られたんだよ。見てただろ」 「そうじゃなくて」  真介は溜め息をつき、俺の目の前に背中を向けて屈み込んだ。 「乗れよ」 「え?いや、でも」 「いいから早く」  苛立ったように急かされ、俺は恐る恐る背中におぶさった。  真介は細い見た目に似合わず、俺を軽々と背負って歩き出す。 「ごめん。重いだろ」 「別に。お前が殴られに行った方を謝ってくれ」 「それは謝れない。だって、それだと真介が……いや、成瀬が殴られたから」 「名前、真介でいい」  素っ気なくそう言われて、俺は痛みを忘れて嬉しくなった。 「俺が殴られたからって、別にお前は気にしなくていい。嫌われるのはいつものことだ」 「俺は、嫌ってなんかいない。むしろ好きだ」 「………」  長い沈黙の後、真介は俺の方を振り向いた。  その目が、熱を帯びているような気がして、俺は慌てて言い募る。 「あ、いや。別にそういう意味じゃ……」 「そうか。別にどっちでもいい」 「え?」  言葉の意味を理解できずに問い返そうとしたが、保健室についてしまい、機会を逃した。  その時から、俺は視線を頻繁に感じるようになった。  視線の先を追えば、必ず真介がいる。  けれど、決まって俺の方は見ていなかった。  俺が気づく前に視線を逸らしていると思ったが、自意識過剰だとも思えて、気に留めないように努めた。 「凌平、ちょっといいか?」 「うん?」  ある時、友人の武藤影鷹が、神妙な顔で俺に声をかけてきて。  招かれるままに教室を出ようとした時、いつも以上に強い視線を感じた。  俺は首筋の産毛が泡立つような感覚を抱いて、視線の先を見ると、真介がこちらを見ていた。  一瞬、般若の面を真介がつけていると感じたくらいに、憎々しげにさえ見えるほどの目つきで俺を睨んでいる。  俺は殺されると思い、ぱっと視線を逸らしたが、その視線は教室を出てからも付きまとっているような気がしてならなかった。  真介のやつ、何であんな目を……?  俺が疑問に思ううちにも、校舎裏についたところで影鷹が放った言葉で頭から吹き飛んだ。 「凌平、あのさ。俺、お前のことが好きなんだ」 「……は?」 「いや、だから」 「ちょっ、待てよ。急すぎ。俺は男だぞ」 「分かってるよ。今どき、そういう人種がいることくらい分かるだろ」 「えっ……あ、まあ。そりゃ……でもよ、俺は普通に女が好きだから」 「塩原か?塩原が好きなんだろ」 「えっ、いや……」 「言い淀んだな。お前、分かりやすすぎるんだよ」 「別に、そんなんじゃ。てか、誰でもあんな美人と付き合えたらいいなとか夢想くらいするだろ?」 「俺はお前で夢想するんだよ」 「俺……って。いやいやいや」  俺は危うく想像しかけて、慌てて搔き消す。  性別もだが、影鷹でそういう想像はしたくなかった。 「冗談とか思ってるんだろ」 「そりゃ……」  その時、影鷹が壁に手を突いて俺を囲い込んだ。 「ちょっ、何のつも……」 「冗談とかじゃないから」  影鷹の顔が近づいたかと思うと、止める間もなく口付けられる。  咄嗟に顔を動かしたおかげで唇からは逸れてくれたが、しっかり頬にキスされた。 「逃げんな」 「ちょっ、やめっ……ろよ」  俺は影鷹を突き飛ばそうとするが、無駄に力が強くて敵わない。  嫌だ、嫌だ!  と心の中で叫んだ瞬間だった。 「おい」  影鷹の肩を、背後から現れた誰かが叩く。 「んだよ、邪魔す……っ」  影鷹の頬が思い切り殴られ、その弾みで俺は解放された。 「え……?」  驚いているうちにも、その誰かーー真介は、影鷹を何度も殴る。 「ちょっ、真介。もういい。もういいから」  俺は慌てて真介を止めたが、その目を見て息を飲む。  真介の目は影鷹ではなく、俺を睨んでいた。 「何て目、してんだよ……」  俺は力なく笑う。  恐怖はもちろんある。  けれど、それ以上に悲しいとか、戸惑いとか、そっちの方が大きかった。 「行くぞ」  真介は影鷹の襟首から手を離すと、ぷいと視線を逸らして歩き出す。  俺は気絶している影鷹を見下ろし、このままほったらかすのも良くないと思ったが、遠ざかる真介の背中を追うことの方が重要なことに思えた。 「すまんな、影鷹」  一言呟き、真介を追いかける。  相変わらず足が早く、追いかけるのはちょっと苦戦した。 「真介、ちょっと速い……」  小走りで追いかけていくと、屋上に出たところでようやく真介が足を止めた。  まだ季節は初夏になったばかりで、仄かに暖かい風が心地いい。  真介は鉄柵の方まで歩いていき、柵に凭れて空を見上げている。  俺も釣られて同じようにしながら、太陽の眩しさに目を細めた。 「真介、さっきはありがと」  俺の言葉に、真介が意外なことを言われたような顔をする。 「……礼はいい」 「だけど、睨むのはやめろよな。こえーから」 「殺したいほど憎いからしょうがない」 「……え?」  真介は真顔で俺を見る。  嘘を言っているようには見えない。  ぞくっと悪寒に似た感覚が走り抜けた瞬間、真介は目を逸らして続けた。 「冗談だ。眼鏡の度が合わなくなったからそう見えるんだろ」 「なんだ、そうか」  頷きつつも、違和感は拭えなかった。  真介が終始笑っていないからだ。  だが、深掘りするのは躊躇われて、そのまま昼休みが終わるまで真介と過ごした。  真介の視線はそれからしばらくは気にならなくなった。  その視線が再度気になるようになったのは、梅雨が明けたばかりの7月、塩原に昼食の弁当を一緒に食べないかと誘われた時だった。 「ああ、もちろーー」  いいよ、と答えかけたところで、またあの怨念が籠ってそうな視線を感じ、首筋がピリピリした。 「どうしたの?」 「あ、ああ。何でもない」  俺は振り返るのも恐ろしく思えて、塩原に苦笑いを向けて一緒に食べるために弁当を手に教室を出た。  真介のやつ、言いたいことがあるなら言えばいいのに。  とは思うものの、あの台詞の真意を聞くのは怖くて聞けなかった。 「やっぱりどこか調子悪い?」  塩原が心配そうに覗き込んでくる。  俺は何でもない、と力なく答えて何気なく背後を振り返る。  そこには、真介の姿はなく、ただはしゃいでいる生徒が数人いるだけだった。 「涼しいね」 「本当にここで食べていいのか?」 「うん、委員長だから、先生に特別に許可もらってる。ま、先生が欲しい本を入手してあげたから、買収したとも言うかな」 「悪いやつだな」  舌を出していても、塩原は綺麗だった。  俺は妙に緊張しながら、司書室の椅子を引いて座る。  わざわざこんなところに呼び出したからには何かあるはずだと、期待もあった。 「で、さ……。赤池君、私と付き合ってくれませんか?」 「……」  俺はもちろんYesと答えようとしたが、他に誰もいない司書室の中でもあの目がじっと見ている気がして、一瞬言葉に詰まる。 「赤池君?あれ、やっぱりダメ、かな?」 「……ああ、いや。あんまり驚いたから思考停止してただけ。もちろんいいよ」 「ほんと?嬉しい!」  塩原が満面の笑みで喜ぶのを眺めながら、内心何度も呟いて、自分を宥めていた。  大丈夫、全部気のせいだ、と。

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