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すべてを受け入れられるか
本日最後の講義が終わり、教室を出て部室棟へと歩いていく。左手側にあるグラウンドでは、サッカー部がシュート練習をしていた。俺も少しシュート練習を今日はしてみようと思いながら、ジャージ姿の学生たちとすれ違った。
俺の中に明確な変化があったあの夜から、数日が経っていた。あの日の俺は……荒っぽかったと思う。抱いたというより、犯したに近い状態だった。自分が自分じゃないみたいだった。
俺はーー嫉妬していた。自分にあんなに嫉妬心や独占欲があるとは思わなかった。
独占したくて、体で繋ぎ止めたくてあんな抱き方をした。
だが翌朝には「また連絡するから」と言って、夏樹さんは帰っていった。
俺には変化があったけど、あの人にはいつもと変わらない日常なのだろうか。それがかえって焦燥感を掻き立てる。
立ち止まり、深く溜め息をつく。いっそ思い切り嫌われた方が楽になれるんだろうか。それはーーやっぱり嫌だ。ではどうなりたいのか。その答えがどこにあるのか、今の俺には分からなかった。
「勇斗。おい、勇斗」
後ろから声をかけられ振り返る。恵介先輩がこちらに駆けてきた。
今、すごく会うのが気まずい人物だ。
彼は私服ではなくスーツと眼鏡姿だった。
「恵介先輩。今日はバイトですか?」
「あぁ。このまま行くから、部活は休む。みんなに伝えておいて」
恵介先輩は進学塾でバイトをしている。こうしてスーツを着ていると、いつもよりもっと大人に見えた。
スケッチブックに描かれた恵介先輩を思い出す。チクリと胸の奥が痛む。
俺の気持ちを知らない先輩は、俺の前に紙袋を突き出した。
「これ。夏樹に貸してた服。洗ってあるから」
紙袋には、確かに俺が夏樹さんに貸した服が数枚入っていた。服の数が、夏樹さんが俺の部屋に泊まった回数を物語っている。
どうも、と軽く頭を下げて受け取る。
「あいつ、勝手に着るだろ。困ったもんだな」
恵介先輩の苦笑いが心を抉る。この余裕は、俺にはないものだ。自分はそんな余裕を出せるほどの立ち位置に置かれていないと見せつけられているようで、勝手に劣等感を抱いた。
黙っている俺に、恵介先輩は困ったように笑った。
「勇斗、少し話そうか」
「でも……バイトあるんじゃ」
「まだ少しなら時間あるから」
近くのベンチに並んで腰掛ける。目の前ではサッカー部がグラウンドを走っている。ぼんやりとそれを眺めた。まともに先輩の顔を見れない。
「夏樹とはどうだ?」
先輩の口調は驚くほど穏やかだった。どんな気持ちでそんな質問をするのか、俺には理解できなかった。
「たまに連絡が来ます」
それしか言えない。どう言葉にしていいか分からないし、どこまで言っていいのか不安だった。
先輩は「そうか」と頷いた。その包容力が今の俺には怖くてたまらない。
「前にも言ったと思うけど、あんまり夏樹に入れ込むなよ?あいつは束縛されるのをもっとも嫌がる。執着して夏樹に切られた奴は少なくない」
「恵介先輩は平気なんですか?」
「何が?」
「夏樹さん、何日か前に俺の部屋に泊まったんですよ?その前も何度か来てるし、俺が夏樹さんの部屋に泊まることもありました。そこでどういうことしてるか、先輩なら分かるでしょう?なんで平気なんですか!俺ならーー」
耐えられない……。言葉を飲み込んだ。先輩の横顔が、ひどく切なく見えた。瞳の奥に暗いものが浮かんでいる。初めてみる顔に、俺は衝撃を受けていた。彼は遠くを見つめている。視線の先にグラウンドで練習をするサッカー部がいたが、それを見ているわけではないことくらい俺でも理解できた。
どこか、ここではないどこかーー追憶の向こうにいる夏樹さんかもしれない。
「勇斗。俺は夏樹という人間をすべて受け入れている。夏樹がそうすることで傷つかないなら、俺はそれでいいと思っている」
ゆっくりと静かな、落ち着いた声で恵介先輩は言った。
それはーー対等と言えるのか。あなただけが傷だらけじゃないか。
言葉を飲み込んだ。言える資格なんて俺にはない。
「夏樹さんと、どうやって付き合ったんですか?」
「馴れ初め?」
「まぁ、そんな感じです」
「体からだよ。飲み会の後にそのまま泊まって、いつの間にかそうなっていた」
「でも、夏樹さんにとって恵介先輩は特別なんでしょう?」
俺とは違って……。そう言いたかった。
「そうみたいだな。美術館のチケット持って来られた時は驚いたよ。勝手に部屋に入って飯を作ってることもある。あんまり料理は上手くないけどな」
合鍵、持ってるのか。さりげない言葉の中にある、俺にはない余裕の裏付け。劣等感と嫉妬心が心の中で殴り合っていた。
肩を叩いて先輩は立ち上がる。
「あんまり執着するな。辛い思いをするだけだから」
それだけ言って、先輩は去っていった。残された俺は虚無感ばかりが渦巻いていた。
俺は恵介先輩みたいになれない。夏樹さんの奔放さを受け入れ、すべて飲み下すなんて無理だ。だからといって、引き下がることもできない。
俺も、夏樹さんの“特別”になりたいーーそんな願望が俺の中に芽吹いていた。
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