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第1話 俺の天使

出会ったのは、ホテルで開かれた財界のパーティだった。 俺は、その日だけ入っていた給仕のバイト。 奏真は、今をときめく若手実業家。 背が高くて、顔がいい。 金もある。 仕事もできる。 どう考えても、住む世界が違った。 なのに。 なぜか、その日のうちに惚れられた。 次に会ったときは、両手でも抱えきれない花束。 その次は、予約の取れない高級レストラン。 その次は、夜景の見える場所を貸し切り。 「……俺、何か騙されてる?」 本気でそう思った。 「何で?」 「何でって……普通ここまでやる?」 奏真は少し考えて。 「澪に喜んでほしいから」 真顔で言った。 ずっと、そんな感じだった。 疑っても。 逃げても。 俺を見る目だけは、最初から変わらなかった。 熱くて。 真っ直ぐで。 気づいたときには。 俺の方が、その目を好きになっていた。 **** 付き合って、まだそんなに経っていない。 今日は二人で遊園地に来ていた。 「澪」 「何」 「さっきからあれ見てる」 「見てない」 「見てる」 視線の先。 売店に並んでいる、丸っこいクマのぬいぐるみ。 かなり大きい。 かわいい。 でも。 「いらないからな」 「まだ何も言ってない」 「お前、買おうとしただろ」 「欲しい?」 「いらない」 「分かった」 あっさり。 本当に。 それ以上言わない。 奏真はそのまま歩き出した。 俺もついていく。 少しして。 振り返る。 クマはまだ売店にいる。 「……」 「戻る?」 「戻らない!」 奏真が笑う。 「何笑ってんだよ」 「かわいいなと思って」 「それ禁止」 「はい」 全然反省してない顔だった。 **** 昼。 今度はカフェ。 ショーケースにケーキがずらっと並んでいる。 「好きなの全部頼む?」 「頼むな!」 「でも見てる」 「選んでんの!」 「一個?」 「一個」 「三個くらいいけそうだけど」 「いかない」 本当はいける。 でも。 いかない。 「これ」 悩んだ末に、一番気になっていた苺のケーキを指した。 奏真が店員を見る。 「じゃあ同じものを二つ」 「お前も?」 「澪が選んだの食べたい」 「もっと高いやつあるぞ」 「これがいい」 また。 そういうことを言う。 二人で同じケーキを食べる。 うまい。 かなり。 「美味しい?」 「……うまい」 「よかった」 「お前が作ったわけじゃないだろ」 「澪が嬉しそうだから」 まただ。 俺はケーキをもう一口食べた。 「……次来たら、別のも食う」 奏真が笑う。 「うん」 それだけ。 「全部頼んでおく」とは言わなかった。 そういうところは。 ちゃんと分かってる。 **** 夕方。 遊園地の奥へ歩いていたら。 急に視界が開けた。 大きな城。 本物じゃない。 もちろん。 でも。 高い塔。 白い壁。 夕日に染まった窓。 思わず。 足が止まった。 「……すげえ」 奏真が隣を見る。 「好き?」 「別に」 「かなり見てるけど」 「見てるだけ」 さっきと同じ。 言ってから。 自分でも分かった。 奏真が笑う。 「何だよ」 「いや」 「言えよ」 「澪、こういうのも好きなんだなって」 「……悪い?」 「全然」 俺はもう一度、城を見る。 ちょっとだけ。 恥ずかしい。 「……こういうの、憧れるだけ」 「うん」 「子供っぽい?」 奏真がこっちを見る。 「かわいい」 「だからそこにつなげるな!」 吹き出す。 奏真も笑った。 それで終わった。 **** 夜。 奏真の家。 ソファに座った途端。 「澪、こっち」 「近い」 「恋人だから」 「便利だな、その言葉」 「かなり便利」 腰を引き寄せられる。 俺も。 もう本気では抵抗しない。 今日一日。 ぬいぐるみを見て。 ケーキ食べて。 城に見とれて。 その全部を。 奏真は笑って見ていた。 でも。 勝手に買わない。 勝手に決めない。 俺がいらないと言えば、そこで止まる。 「奏真」 「ん?」 「今日、楽しかった」 奏真の顔が。 ものすごく嬉しそうになる。 「ほんと?」 「何でそんな顔すんだよ」 「澪が楽しかったなら、俺も嬉しい」 「……またそれ」 「何が?」 「何でも俺に結びつける」 「澪が好きだから」 即答。 俺は顔を逸らした。 「恥ずかしくないの」 「澪に言うのが?」 「そう」 「全然」 本当に。 こういう男だ。 **** 夕飯のあと。 奏真が俺の膝に頭を乗せてきた。 「何してんの」 「甘えてる」 「堂々と言うな」 「澪だから」 「理由になってない」 それでも追い払わず、髪を少し撫でる。 奏真が気持ちよさそうに目を閉じた。 「……嬉しそう」 「嬉しいよ」 「これだけで?」 「澪が触ってくれてる」 またそれ。 「お前ってさ」 「うん」 「ほんと俺のこと好きだよな」 奏真が目を開ける。 「今さら?」 「そこは少しくらい照れろ」 「何で」 「俺だけ恥ずかしいだろ」 起き上がった奏真が頬に触れる。 「じゃあ澪も言えばいい」 「何を」 「俺が好きって」 「やだ」 「恥ずかしい?」 「うるさい」 「かわいい」 「それ禁止」 笑いながらキスされた。 一度。 もう一度。 「今日、泊まる?」 「そのつもり」 奏真の顔が、分かりやすく緩む。 「そんな嬉しい?」 「嬉しい」 「昨日も泊まっただろ」 「昨日泊まったら、今日泊まってほしくなくなる?」 「……ならないけど」 「俺も」 また負けた。 「澪は俺の女神様だな」 「はぁ!?」 身体を離す。 「女神!? 俺は男だ!」 「じゃあ天使」 「だから男だって!」 「天使は男だろ」 「……た、確かに。ってそういう問題じゃない!」 奏真が吹き出した。 「その顔がもう天使。かわいい」 「バカ!」 そこで終わり。 また唇を塞がれた。 **** 寝室へ移っても。 奏真は相変わらず俺を見ていた。 「澪」 「何」 「好き」 「知ってる」 「澪は?」 「……分かってるだろ」 「聞きたい」 「面倒くさい」 「澪限定」 その言い方に。 また笑いそうになる。 「好きだよ」 普通に言った。 それだけなのに。 奏真が本気で嬉しそうな顔をする。 「何」 「嬉しい」 「知ってるくせに」 「知ってても嬉しい」 そんな顔をされると。 こっちまで嬉しくなる。 奏真が待っている。 俺は一度、顔を逸らして。 それから。 少しだけ甘く言った。 「……好き♡」 奏真の目が変わる。 「今の、すごく好き」 「言うな!」 「もう一回」 「調子乗るな」 キス。 今度は長い。 奏真の手が背中を撫で、そのまま服の内側へ入ってくる。 肌に直接触れられて。 少し身体が跳ねた。 「手、冷たい」 「すぐ温かくなる」 「そういう言い方やめろ」 笑いながら言ったのに。 首筋へ唇が触れると。 声が止まった。 そこから胸元へ。 ゆっくり触れられるたび。 さっきまで普通にできていた会話が少しずつ短くなる。 「澪」 「ん」 「かわいい」 「今、言う?」 「今だから」 「ほんと……バカ」 まだ。 返せる。 奏真の肩を掴む余裕もある。 でも。 弱いところを指先でなぞられて。 「あっ♡、そこ……」 思わず声が漏れた。 奏真が笑う。 「そこ好きなんだ」 「聞くな」 もう一度。 今度はさっきより丁寧に触れられる。 「まって……んっ♡、そこ」 身体が勝手に揺れる。 恥ずかしい。 でも。 嫌じゃない。 奏真は急がず。 何度もキスを重ねながら、俺の身体をゆっくり慣らしていく。 「奏真」 「うん」 「……もういい」 目が合う。 少し。 困らせたくなった。 俺は奏真の首へ腕を回す。 「来て♡」 奏真が一瞬止まった。 「……それ、反則」 「お前がいつも言わせるんだろ」 「責任取る」 「大げさ」 次のキスは。 今までよりずっと深かった。 ゆっくり。 身体を重ねる。 奏真を受け入れた瞬間。 「っ……」 息が止まりそうになる。 「待って。少し……」 すぐに動きが止まる。 背中を撫でられながら。 呼吸を整える。 「……もう平気」 少しずつ。 浅く。 動き始める。 内側を擦られるたび。 身体の奥へ熱が増えていく。 「奏真……」 「ここにいる」 「分かってる」 まだ話せる。 でも。 同じところへ何度も触れられて。 「あっ♡、そこ」 反射的に肩へしがみついた。 「澪」 「今、聞くな」 「好き?」 「……好き」 普通に。 一度。 また。 同じところ。 「んっ♡、好き」 今度は。 声が勝手に甘くなった。 奏真が嬉しそうに笑う。 「俺も好き」 「今、そっちじゃない……」 「どっちも」 「欲張り」 言い終わる前に。 もっと奥へ届いた。 「っ……奏真!」 身体が跳ねる。 「深い……」 奏真が少し動きを緩める。 でも。 俺は首を振った。 「違う」 「ん?」 顔が熱い。 それでも。 「……そのまま」 奏真の目が細くなる。 今度は深いところを確かめるみたいに。 ゆっくり。 だんだん。 返事が追いつかなくなる。 「奏真……っ」 「うん」 「そこ……んっ♡」 声が崩れる。 動きが少しずつ強くなる。 「まって……っ♡、ちょっと激しい」 「澪」 「違う……止めるな」 言ってから。 自分でも驚いた。 でも。 もう恥ずかしさより。 欲しい方が勝っていた。 奏真を見る。 意識して。 甘く。 「もっとして♡」 奏真の目が変わる。 「それ言われたら止まれない」 「……止まらなくていい」 今度は。 甘く言う余裕もなかった。 本当に。 余裕がなくなっていたから。 「奏真……っ」 「うん」 「そこ……あっ♡」 奥まで届く。 身体が跳ねる。 「だ、ダメ……」 しがみつく。 「奏真……」 「ここにいる」 「んっ♡、もう……」 限界が近い。 「澪」 「だ、ダメ……いくっ♡」 その瞬間。 頭の中が真っ白になった。 **** 目を開けたとき。 俺は奏真の胸にくっついていた。 髪を撫でられている。 呼吸も。 もう落ち着いている。 「澪」 「……何」 「幸せそう」 「……幸せ」 今度は迷わなかった。 奏真が笑う。 俺も少し笑う。 「こんなに甘やかされて大丈夫かな、俺」 「もっと甘やかすつもりだけど」 「やめろ」 「嫌?」 「……嫌とは言ってない」 奏真が嬉しそうにする。 「じゃあ続ける」 「調子乗るな」 また。 笑った。 その夜。 俺は何も疑わず。 ただ。 好きな人の腕の中で眠った。 **** 翌日。 知らない番号から連絡が来た。 指定された場所へ来てほしい。 詳しい話はそこで。 最初は詐欺かと思った。 でも。 告げられた所属を聞いて。 笑えなくなった。 小さな会議室。 向かいに座った男が、資料を一枚差し出す。 そこに。 奏真の名前。 「鷹城奏真さんについて、確認したいことがあります」 「……何ですか」 「最近、彼のプライベート口座から、百億円規模の資金移動が確認されました」 一瞬。 意味が分からなかった。 「百億……?」 「複数の法人を経由しています。その一部が、現在追跡中の国際テロ組織への資金供与ルートと接触している可能性があります」 頭が冷える。 「違います」 反射的に言った。 男が俺を見る。 「何がですか」 「奏真は、そんなことしません」 自分でも驚くくらい。 すぐ言えた。 「断言できますか」 「できます」 「では、その百億円の使途をご存じですか」 そこで。 初めて。 言葉が止まった。 知らない。 そんな大金を動かしたなんて。 聞いたこともない。 「……それは」 男は淡々と続ける。 「我々も、彼が関与していると断定しているわけではありません」 俺は資料を見る。 奏真の名前。 大きすぎる数字。 見覚えのない法人名。 「だから確認が必要です」 「俺に何をしろっていうんですか」 「鷹城さんに最も近い人間として、協力していただきたい」 「嫌です」 即答した。 「恋人を探れってことですよね」 「無実だと思うなら、それを確認するためです」 「そんな言い方――」 「あなたが協力しなければ、こちらが直接動きます」 胸がざわつく。 「必要なのは、鷹城さんと組織を繋ぐものがあるかどうか。それだけです」 「……」 信じている。 絶対に。 奏真がそんなことをするわけがない。 昨日だって。 あんなに幸せそうに。 俺を見ていた。 好きだと言っていた。 でも。 百億円。 その使い道を。 俺は知らなかった。 資料の数字だけが。 やけに大きく見えた。

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