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10章②.これからも、どうぞよろしく(次回R18)

夕方。午後4時ちょうど。 二葉からの電話で、マンションのエントランスにトラックが到着したとわかった。一沙も既に下にいる。 しばらくすると、玄関の鍵が開いた。亜紀だ。 「春彦ぉ……」 10センチくらい開いたドアの隙間から、弱気な声が入り込む。すかさず、その指に贈った指輪が嵌められているのを確認した。ガッツポーズしたくなるのを抑え、「迷子になった子猫みたいだな。可愛い」などと言ってみる。思った内容は事実なので。 「可愛いかどうかはわからんけど、その子猫の気持ちはよくわかるよ。先に俺だけ行けって言われたんだけど、なにが起きているの。なんで答えてくれないの」 困り顔で、上目遣いで。うっ、となるが冷静に、冷静に、と自分を落ち着かせる。いい加減慣れてもいいはずなのに、なんでまだこんななんだ。永遠に慣れる気がしない。 春彦がまともに答えられなかったのは、「あとで」だけで通せ、と二葉たちから言われていたためである。二葉と一沙とはあれから何度も顔を合わせ、特にこの用事とは関係ないことでもメッセージを送り合うようになっていて、すっかりいいお友達になってしまった。彼らが「ここまで来たんだから、サプライズならサプライズでやり通せ」と言うのだ。「いまから弁解しても、もう手遅れなんだから」とも。 「わりとあのふたりも強硬なんだよな……」 つい、呟く。さすが、佳代さんの孫だけある。とはいえ、社内にいなかった「自分を振り回せる人間」が、亜紀の周りには普通にいっぱいいるのが面白い。春彦にとっては、3人いたらもうそれは「いっぱい」である。 「なに」と亜紀。 「なんでもない。入れ。自分の家だよ」 「本当にいいの? 食費と光熱費と管理費と、あと固定資産税?」 「……の、半分な。そんなものはおいおい決めればいい。おまえの部屋はこっち」 本当は心臓バクバクだが、それをひた隠しにして表情を殺す。 漫画みたいにうまくはいかないのだ、すんごい引かれる可能性もある。 あとはもう、恋人のノリを信じるしかない。 「コンプラ的にもいかがなものか……言質があったって、録音はあるのか? いや、それじゃむしろ犯罪では」 「ねえ、なにぶつぶつ言ってんの」 「なんでもない。いや、なんでもあるんだが、まあ、見てくれれば。どうぞ」 ドアを開け、亜紀を先に通す。一歩、二歩と部屋のなかを進む。 「先に謝っとく。おまえに許可もなく勝手にごめん。ただ……、」 もう、下手に繕ってもしょうがない。ストレートに言ったほうが、まだいい。 「……亜紀と一緒に住みたくて、強硬手段に出た。で、意図せず……というかちょっと意図したが、協力者たちが思っていたより強かった。別にいいんだ、ときどき使ってくれるくらいでも。いまさらだけど」 「…………」 亜紀はこちらに背を向けたまま、なにも言わずにいる。 開け放った窓からは、秋の柔らかな風が入り込んで気持ちいい。青とブラウン基調の家具と、薄いクリーム色の壁に合わせて、明るいグリーンのカーテンを選んだ。それがさらさらと揺れている。 「……ふふっ……ふふふ」 亜紀が笑いはじめた。彼の背中が小さく揺れる。 「亜紀?」 「春彦ね。コンプラとか、気にしすぎ。まあもちろん関係によってはダメダメだし、そもそもそういうのがダメなひともいるよね。でもさ、この場にいるのは俺だし、君だから。それに、ここは会社じゃないから」 「……よかった」 「前向きに考えるって言ったじゃん。君が一緒に住みたいって思ってくれてたのは知ってるし、俺は、先行プロポーズを受けてもいる。既にね」 「ん」 「でもさ、普通ここまでやる? 二葉たちの店のたっかい家具揃えちゃって。いいカモじゃん」 「それは──」 くるりと身体を翻して、亜紀が顔を見せてくれた。 「……亜紀」 「ちょっと、嬉しくて泣きそうなんだけど。どうしてくれる?」 言葉通りの表情で、ぼすんと胸に飛び込んできた。なんだか久しぶりの小さくて黒い頭。 たった数時間しか離れていなかったのに。 「君の秘密って、これだったんだね。ありがと、春彦」 「……こちらこそ、ありがとう。これからも、どうぞよろしく」 待たせたままだった二葉と一沙を招く。荷物を運び入れつつもそれぞれと会話を交わす。 亜紀は、二葉が不自然なくらいスムーズにここまで運転できた理由もわかったし、最近になって一沙が「亜紀ちゃんちに遊びに行きたい」と、夕飯を食べにきた本当の理由もわかった、と言った。二葉は家具を運び込むために何度かここにきているし、一沙の訪問の正体は「引っ越しの下見」だ。 「すっかり騙されたよ。それにしても、佳代さんだって二葉たちだって、春彦とは会ったばっかのはずなのに、なんでそんな息ぴったりで……」 亜紀に訊かれ、春彦は「いや、ぴったりというか……正直、俺が引っ張られたというか」ともごもごするしかなかった。 「みんなが同じ方向を向いていると早いよね」と二葉。「それで、ばあちゃんにラクさせたい、っていうところと、亜紀ちゃんを幸せにしたいっていうところが、うまく乗っかった」 「俺のしあわせ……ありがとうございます」 「それで、なんか全体的に面白かった」「まあそうね、それが原動力のいちばんかも」と二葉と一沙がうんうん頷いた。 まあね。面白いって、本当にパワーになるから。 トラックをこれ以上マンション前に停められない関係で、パソコンデスクを含めた多少の家具や衣類の搬入が終わると、ふたりは「今度はみんなでお酒でも」と去っていった。 亜紀はあっという間にダンボール箱の中身を収納し、家具や床の乾拭きまで完了させた。 春彦が手を出す余地はちょろっとしかなかった。さすがだった。

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