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第1話
この国は、終わる。
リュートは、城の最上階、城下町が一望できるバルコニーに立っていた。
強い風が、頬を打つ。緩く縛ったせいで余った髪が嬲られて、目や鼻にかかってくすぐったい。そっと髪を耳にかけて、彩度の低い紺色の瞳を、再度城下町に向ける。
城の周囲を覆う城壁の向こう側。人の営みがある。リュートが幼い頃は、まだ活気のある声が城まで届いていたように記憶しているが、今ではもう、その声はない。
身分上、あまりふらふらと出歩くことは難しい。だが、身なりを変えて、町中を歩くこともある。そのときに見た町の様子は――酷いものだった。
崩れかけた家、道路に転がる人。酷く腹を空かせた子供が、少し綺麗な格好をしている人の足元に縋りつき、物乞いをする。そして、された人がまるで物のようにその子に蹴りを入れ、振り払う。
この国は、終わる。
そう、直感した。王城の内部がどれだけ華美に飾られようとも、この国を作り、土台となるのは民草だ。城下町ですらこの有様では、四地方の村はどうなっているのだろうか。いや、四地方は各地に領主がいるから、彼らが上手くやっていれば、ここよりはマシかもしれない。
はあ。とリュートは溜息をついた。この凄惨な光景を、終わらせる手段を考えて。
階下に行くと、この国を治める若き王、レオニールが両腕に若い娘を侍らせて歩いていた。見ただけでまたしても溜息が出そうな光景だが、リュートは廊下の端で臣下の礼を取った。できればこのまま関わらずにどっかに行って欲しいと思っているのだが、まあ無理だろう。
「アルトフェルトか」
じゃらり、と頭上でレオニールが着ける装飾品の音がした。金銀宝石をふんだんに使った特注の宝飾品。嘗ては採掘制限をかけ、資源を大切に維持してきた金山や鉱山は、現王が採掘に制限をかけなくなったために枯渇した。鉱山夫は廃業を余儀なくされ、山賊になった者もいると言う。そう言った背景も知らず、騎士団は頭ごなしにそういった人々を斬り、処罰する。
「ほら」
頭を下げたリュートの口元に、レオニールが靴を出した。またか。
「忠誠の口付けをしろよ。ほら」
「そのようなことをせずとも、我らアルトフェルトは国に――」
「そんなもので信じられるか!?」
レオニールの甲高い声。彼は、いつもそうだ。自分が不利になると大声を上げて威嚇する。もう怖くもなんともない。ただ、哀れだなと思う。
「しろ!今すぐ!お前らは我らヴァイスベルクの配下だと!示せ!」
「……」
その程度のことで解放されるなら、まあいいか。そっとレオニールの靴を両手で捧げ持ち、爪先にそっと口を寄せる。口付けはしない。ぎりぎりまで寄せるだけ。それで満足したのか、ふん、と言いながらレオニールが離れていく気配。やっとどっか行ったと思いながら頭を上げ、立ち上がる。
視線を感じたのでそちらを見ると、少し離れた柱に黒衣の男が凭れてこちらを見ていた。
――騎士団長、フェティル・ノイズシュタイン。
「お前」
言いながら、こちらに寄ってくる。何だろう。できるだけ関わりたくないな。
「あんなことさせられて、自尊心とかないのか?」
どうやら先程の光景を見ていたらしい。リュートはどこか冷めた視線を、騎士団長に向けた。
「それで済むなら安いものでしょ。君から見たら自尊心がないように見えたかもしれないけど、俺にとっては誇り高き撤退だよ」
「はっ……どこが。俺なら腹を切るね」
「じゃあ切れば?君は生きるプライドがないんだね」
「なっ……!?」
売り言葉に買い言葉。リュートが淡々とそう言い返すと、何も言い返す言葉がなくなったらしく、騎士団長が口ごもる。ざまあみろ、と内心舌を出しながら、これで失礼します、と一礼。呆気に取られる騎士団長を置き去りにして、リュートはその場を立ち去った。
綺麗な男だな。
正直にそう思った。騎士団長叙任を受ける玉座の間。居並ぶ高官の中で飛びぬけて美しい男。リュート・アルトフェルト。名前は聞いていた。魔物の一斉発生のときは先頭に立ち、一度の魔術で魔物を殲滅した、歩く砲台。国王の秘蔵っこ。この国唯一の魔導師。
騎士団長叙任の場にも当然のように立っていて、どこか、すん、とした表情だ。
どうしよう。気になる。ずっと見ていたい。騎士叙任そっちのけでそんなことを考える。いけない、と、思考を眼前に立つ御方に向ける。
ティルを騎士団長に任じたのは、レオニールの父、先代国王。穏やかな治世だった。良くもなく、悪くもなく、本人の気質も国王というより、遍く民の父のような人だった。
――この方に、俺の剣を捧げる。
そう、思ったのだ。だが、先代国王が急死したのは、割と最近のこと。レオニールが即位したのも、この一年ほどのことだ。仕えると決めた主が消え、ティルの忠誠はレオニールに向かった。先代国王の面影を探して。今の所、国王としての自覚よりも生来の奔放さが前に出ているが、あの名君のご子息なのだ。きっと、目が覚めるときが来る。
だから、レオニールがリュート・アルトフェルトに服従を求め、靴を舐めさせようとしているのを見たときは、正直頭が痛かった。そのようなことをしなくても、国王であるならば鷹揚に、臣下の忠誠を信じることも大切だと思うのだ。だが、レオニールはそれができない。リュート・アルトフェルトに執拗に迫り、最終的に平服させることに成功した。リュート・アルトフェルトだって、そんなことはしたくないだろうに。
――あの美しい顔が、屈辱的な場面に似つかわしくなくて。
声をかけてしまったのも、これまで彼を気にしていたからと言える。だが結局口喧嘩のようになってしまって、物別れに終わった。
(……顔に対して、口は美しくねーな)
そう、ティルは思った。
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