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第36話

ある日のこと。 「宰相様!陛下がいません!」 宰相となった地の領主の元に文官が駆け込んでくる。 この国の政治機構も大分形になってきた。優秀な文官が増え、やっと、国らしく、政治が回るようになった。 「陛下がおられない?」 やんわりと文官の言葉遣いを嗜めると、その若い文官は小さく、失礼しました。と言う。文官の登用では身分問わずに採用を行ったので、まだ城の言葉遣いに慣れない者は多い。おいおい改善していくだろう。 「はい。お部屋にも、図書館にも、騎士団の詰所にも、どこにも!」 国王の探索場所にしれっと騎士団の詰所が入っていることに、地の領主は苦笑いした。まあ、国王陛下と騎士団長の大恋愛は、今や国民の間での最大の娯楽となっている。 あの旅で領内を巡っているので、各地方であの二人の目撃情報が積み重なり、遂には小説として連載が始まったとも聞いている。なお挿絵は騎士団長だ。国王陛下がやめて!と叫んだにも拘らず、騎士団長は、内容は俺が監修して正しい事実を広める、と息巻いており、国王陛下が折れたのは、本人からの愚痴で聞いている。 「ほう、おられないと」 地の宰相は顎を撫でながら、あの二人のことを考える。行先は幾つか絞ることができるが……まあ、いいだろう。頃合いをみて騎士団に迎えに行かせれば。 「放っておきなさい」 「え?」 「陛下はまだお若い。息抜きの時間も必要でしょう」 「ですが、俺……この書類に玉璽が必要で」 「明日には政務に戻っているでしょうから」 「今日中なんですぅぅぅぅぅ……」 膝から崩れ落ちた文官を見てから、ふと窓の外を見る。白い鳥が、群れで空に羽ばたいて行った。 認識阻害の魔術を開発したのは、僥倖だったと言える。今の二人は、どこにでもいる村人の二人にしか見えないだろう。 「ティル!俺あの串焼き食べたい!」 「おう、好きなだけ食え!」 城を抜け出すのがすっかり癖になってしまった。最初はティルに誘われて、えー、でも。とか、皆に迷惑が……とか言っていたのだが、やり始めたら楽しいではないか。 城下町に下りる用の町人らしい服をクローゼットの奥にしまって隠して、それに着替えてこっそり窓から飛び出す。本当に楽しい。ただ最初の頃は顔で国王とバレてしまい、早々に退散することになってしまったのは、悔しい思い出だ。 城下町も大分復興してきた。まだ過去の賑わいを取り戻すには、時間がかかる。それでも民が前を向き、明るく、食に困ることなく、過ごせている。リュートの治世の成果の一つだろう。 最近ではバザールが広場で開催されるようになったと聞いて、もう行きたくて仕方がなかった。内務卿となった水の領主からは、だめですよ、と言われていたのだが、行きたいものは仕方がない。ティルと毎晩念入りに計画し、そして今日、実行に移した。 円形の広場。家々がそれを取り囲む。屋根から屋根にフラッグが渡され、色鮮やかだ。屋台もいくつも並んでいる。雑貨を売るもの、食事を売るもの、花を売るもの……どの屋台も声を張り上げ客引きに一生懸命だ。ざわざわとした雑踏をすり抜け、リュートは目当ての屋台の前に辿り着く。 「すみません!これ下さい!」 「はいよ!」 「俺も」 「はーい!」 貰った串を、人混みの中で人に当てないように歩きながら、屋台と屋台の隙間を確保する。串焼きを眺めて、 「ねえ、これ何なんだろう」 「お前何か知らないで買ったのか!?」 ティルが驚く。だって、香ばしい匂いがしたから、多分美味しいだろうなと思って。 「ティルは知ってるの?」 「知ってるよ。五平餅だろ」 「ごへーもち?」 きょとん、と首を傾げる。ティルがいうには、もち米を俵の形に整え、味噌を塗って焼く料理なのだとか。 「よく知ってるね」 「まあな。本見て、満腹になった気がする、みたいな感じで」 「……ティル……」 彼の貧困エピソードは何を聞かされても胸が痛い。大体本の中の食べ物を見たって満腹になるわけじゃないのに、食べたつもりになって満足するなんて。 「ティル、いっぱい食べてね」 「そんな顔されてもな……」 複雑そうにティルが言って、五平餅を口に運ぶ。焼き立てで熱かったのか、はふ、と息を吐いていた。リュートはそれを見てふー、ふー、と慎重に冷ます。 「そんなするほどか?」 「俺、猫舌」 「そうなんか。今度料理長に言っておくよ」 「やめて。迷惑かけたくないから」 多分、無駄なんだろうなと思う。リュートが国王になってから、食卓に脂のきついものが乗らなくなったし、今度からスープは少し冷めたものが出てくるようになるだろう。どうにも城の者は、リュートに甘い気がする。 五平餅を一口齧る。味噌の塩気ともち米の甘さが堪らない。 「美味しい!」 「だよな。俺も旨いと思ったよ」 もふもふと五平餅を頬張る。買い食い楽しい! 食べ終わって、串を共用のごみ箱に捨てる。人混みの中から次行きたい屋台を探してきょろきょろとする。するとティルが手を握ってきた。 「はぐれるしな」 「そんな言い訳しなくても」 「やかましいぞ」 そうだな、次は……と眺めて、雑貨屋が目に留まる。リュートはティルの手を引いて、雑貨屋の前へ。革細工、銀細工、色んな物が置いてある。 枯れてしまった鉱山については、公費を出して再開発している。坑道の一本が駄目になったからといって、他の鉱脈がないとは限らないからだ。その結果、無事に数本の鉱脈が見つかり、宝石や金銀の類の再産出が始まっている。その恩恵を目の前で見て、じーんと胸が熱くなる。 「見てもいいですか?」 「どうぞ」 優しそうな老婆が店番だ。静かに一礼して、銀細工を見ていく。 「へえ、見事なもんだな」 「うん、腕のいい彫金師さんがいるのかもね」 二人で眺めていると、リュートの目に、銀のネックレスが目に留まった。それはトップに青い石の埋まったもので、リュートはちらりとティルの方を見た。 「ねえ」 「なんだ?」 「ちょっといい? 「おう」 ネックレスを持ち上げ、そっとティルの首に当てる。ティルもそれを見て、何か思ったのか、 「で?それをどうすんだ?」 「えー。ティル、これいる?」 「いる。大事にする」 「はいはい。おばあさん。これください!」 言われた値段を払って、早速ティルの首につける。涼し気な青の石が、ティルの胸元で揺れていた。 「お前はどうする?」 「俺?うーん、でも……」 見回しても、橙の石か琥珀を使った銀細工はない。残念だけど諦めるしかないのかなと思っていると、店番の老婆が、そっと何かを差し出してきた。 「……ブレスレット?」 細い鎖の連なるそれは、小粒の橙の石がきらりと光るものだった。何故これを隠していたのか……とリュートはそれを眺めて、息を呑む。 「オレンジダイヤじゃないですか、これ!」 「そんな驚くもんか?」 「驚くよ!すごく希少価値の高い宝石なんだ……何でこんなところに」 呆然とリュートが言うと、店番の老婆は、穏やかに笑った。 「私の夫は、鉱山夫でしてね」 「はい」 「欠片をこっそり持って帰ってくるんですよ」 なるほど。どおりで。 確かにオレンジダイヤだが、どこか粗削り……原石を多少磨いた、そんな風体だ。鉱山から産出された本体から零れた欠片を、加工して持っていたと言うことか。 「でもそれなら、これは受け取れません。どうかご主人の愛を、大事に――」 「いいのですよ、陛下」 「はっ……へい……何のことでしょう?」 慌てて取り繕うと、老婆はふふふ、と上品に笑う。 「アイオライトの瞳は、誤魔化せませんよ」 「え!?」 認識阻害が瞳だけ反応していないということか!やらかした……とリュートは頭を抱える。ティルが慰めるように肩にぽん、と手を置いた。 「……確かに俺はそう呼ばれる立場ですが、民の大事なものを接収はできませんよ」 リュートはそう言って、老婆の手にブレスレットを戻す。だが、彼女は首を横に振って、再度リュートの手にブレスレットを置いた。 「陛下がいなければ、夫は失業する所でした。この石は陛下の成果でもあるのです。お持ちください」 手の平のブレスレットを眺める。これが、俺の治世の成果。 「もらっとけ」 ティルがそう言う。リュートはそんな彼を見上げて、一つ頷いた。 「ありがとうございます。これを見て、今後も良き王でいられるよう励みます」 「どうかご無理はなさらずに」 深く老婆が一礼する。リュートはそれに――頭は下げず、小さく頷いた。 バザールの喧騒を抜け、城へ続く道に立つ。もう一度バザールのある方角を見てから、リュートはティルに言った。 「楽しかった!」 「だな。また来ようぜ」 「認識阻害の術は再構築しないと……瞳の色でバレるなんて」 先程の雑貨屋のことを思い出して、リュートが悔しそうに言うと、ティルは笑った。 「お前の完璧な魔術でも抜けることあんのな」 「意地悪!」 ティルが笑いながらリュートの振り上げた拳を避ける。リュートも笑いながらティルを追いかける。 城への道を駆ける。きっとこの後、宰相である地の領主のいい笑顔が待ち構えているが、いいのだ。 「ティル!待って!」 「お前走るの遅いのな!」 「じゃあ加速の術使うからね!」 「反則だろ!」 じゃれ合いながら、二人は今日も笑う。 明日も、明後日も、明々後日も。

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