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第35話
非常に難儀な閣議だった。城の王の私室でベッドに身体を投げ出し、リュートは天井を眺めた。
「王様って、難しいなぁ……」
先程の場面で痛感した。ティルが危険に晒されても、私情で手を出すことは許されない。議論を切り分け、その場を流すくらいしかできなかった。最終的にティルが跳ねのけてくれたからいいものの、毎回ティルに助けてもらうのも、それはおかしい。
正直、政策を回すだけならあまり苦ではない。城下町の再建など、考えるのは割と楽しいし好きだ。だがああいう政治の場が本当に苦手だ。その点、重臣のやり口は非常に鮮やかだった。言っていることは最低だったが、閣議が始まるなり鋭い言葉を差し込み、閣議の場の空気を持っていった。その中で自論を語り、空気をティルの処刑に着地させた。リュートにあの論の運びはできない。絶対に。
だがそうも言っていられない。政治ができなければ王としては失格だ。これから学んでいくしかない。差し当たって地の領主の話を聞こう……あの人は食えない人だから。
ごろん、と寝返りを打つ。足だけもぞもぞと動かしてブーツを投げ出し、ベッドに上がり込んで、枕を抱き締める。無性に実家に帰りたい。愛猫のノアに会いたい。あのもふもふの鬣に顔を埋めて、干し草のようなノアの匂いを嗅ぎたい。
こんこん、とノックする音。誰だろう、こんな夜間に。侍女だろうか。でも水を頼んではいない。先王の例があるので、リュートは水は魔術で調達する。
怪訝に思いながらベッドから下りて、スリッパを履いて扉の前に立つ。
「どなたですか」
「俺だよ」
ふふ、とリュートは笑って、言った。
「俺なんて人、知らないので。帰ってもらっていいですか?」
「このっ……!」
ぐっと扉が押され、ティルが滑り込んでくる。後ろ手に扉を閉めて、リュートにキスをする。
「減らず口叩くのはこの口か」
「だって俺なんて名前の人知らないもん」
「まだ言うか」
もう一度キスをされる。してもらえるなら何回でも減らず口叩くのに、なんて思いながら、ふと気になってティルに尋ねた。
「どうしたの、こんな時間に」
「……て」
「ん?」
ぼそっと呟かれた一言を聞き逃して、彼の言葉を促す。
「会いたくて……」
数度瞬きをして、リュートは吹き出した。
「そんな可愛い理由で?」
「だって!お前最近忙しかったから……寝かせてやらねーと可哀想かなと思って行くの我慢してたんだよ……」
「そうなの?確かに来ないなと思ってたけど」
「溜まって辛い」
「もう」
ぎゅ、っと抱き締められて、夜着越しに彼の昂ぶりを感じる。この状態でこの部屋まで来たんだろうか。騎士団長の私室はかなり離れていたと思うのだが。
「したいの?」
「したい。抱かせろ」
「俺、もう国王なんだけど」
「俺の前ではリュートだろ」
もう、そんなことを言ってくれる人は、家族以外でリュートの周りにはいない。四領主ですら、リュートのことを王だと思っている。リュートではなく。だから、ティルのそんな一言が嬉しい。もう今すぐに身体を預けてしまいたいのだが、実は今晩はやろうと思っていたことがある。
ティルが性急に腰を撫でまわす。耳を食んで、リュートの中の熱を煽る。
「ちょっ……ま、んぅ、待って!」
「何だ?俺はもう止まらんぞ」
「違うの、今日はしたいことがあって」
「したいこと?セックス以外に?」
何だよ、と大層不服げなティルが言うので、リュートは部屋にある丸机にティルを連れていく。座らせて、魔術で光量を絞って明かりを点けて、座ってから空間から一冊の本を取り出す。
「その本」
ティルもリュートのやりたいことに気が付いたらしい。にこにこと笑みを返して、リュートはその本をそっと開く。そのページには、乾いた花が挟まっていた。
あの日の、ネモフィラが。
「綺麗にできてんな。色も飛んでないし」
「うん。上手くできてて嬉しいよ」
破かないように、そろそろと花を取り上げる。ふっと息を吹けば飛んで行ってしまいそうな軽いそれを、殊更慎重に机の上に置く。
「栞にするんだっけか」
「そのつもり」
『成功』の花言葉を持つ、可憐な花。これを摘んだからなのかわからないが、リュートの王統審判は無事に終わった。
あのときは、この花言葉を信じてもいいのか、少し不安に思いながら花を本に挟んだ。一週間後、必ず栞にしろよとティルに言われたことも、どこか仄暗さを覚えつつ頷いた。
こうして、ティルと向き合って、栞にしようと作業していることが、本当に嬉しい。
空間から少し固めの台紙を取り出して、魔術で栞らしい大きさに切って行く。
「糊つけたら破れそうだな。花」
「そうだね……本当は手作業で栞にしたいけど、綺麗に保存しておきたいから」
旅の思い出だから。
魔術を起動させ、台紙と花を圧着させる。そして表面をつるりとコーティングして、最後に紐を通せば、栞の完成だ。
手に持ち、そっと胸に抱く。全部、上手く行ったから。ありがとう。と小さく声をかける。
「よかったな」
「うん」
ティルに言われて、素直に頷く。栞は花が挟まっていた本に差した。一番お気に入りの魔術書。これからは読む度にきっと幸せな気持ちになれる。
「それにしてもなぁ」
「何?」
ティルが椅子の背凭れに身体を預けた。ぎし、と音がする。
「俺ら、何で付き合ってんだろうな」
「……え?」
急にそんなことを言われて、リュートは固まる。一体何が気に入らなかったのだろうか。やる気満々で入ってきたのに栞を作り出したから?謝れば済むこと?
「え?ごめん、俺」
「あ、悪い。そういう意味じゃないんだ。怖がらせたな」
ティルの手が伸びて、ぽん、と頭に置かれる。それですっと肩の力が抜けた。ではどういう意味なのだろうか。きょとんと首を傾げると、ティルが、いやな。と言う。
「俺ら、最初めっちゃ険悪だったじゃねーか」
「……ああ。まあ、確かに」
「よく付き合うなんて話になったなって」
「それは俺もそう思うよ」
旅の始めは酷いものだった。
ティルは無許可にキスをしてくるし、されれば掌底で追い払った。股間を蹴り上げようとしてもげればいいとまで言った。空間に逃げて一夜を過ごしたこともあるし、民のことを考えて萎えさせたこともある。
ただ、リュートは思っていることがある。
それは、きっと自分も、どこかティルが気になっていたのだろうと言うこと。
「俺は叙任式以降、お前しか見てなかったけどよ」
「……突然やめて。突然の惚気は心臓に悪い」
リュートは頬を赤く染めてティルに言う。ティルは人差し指を伸ばして、リュートの頬を突く。
「可愛い」
「うるさいよ」
「で、まあ俺はそうだったけど。お前は違うだろ?色町通いの噂の件もあるし」
「……」
そうだ。レオニールにべったり貼りついているのも気に入らなかったし、色町通いも嫌だった。だがそもそも思うのだ。
「……好きの反対って、何かわかる?」
「え?嫌いだろ?」
「違うんだって。好きの反対は無関心。嫌いって思ってるってことは、心の一部をその人に渡してるってことなんだって」
へえ、と軽く返事をしたティルが、ぴたり、と身体の動きを止める。そしてゆっくりリュートを見る。
「お前……」
「そうなのかもね」
「いや、そうなのかもね、って……」
唖然とするティルに、ふふ、と微笑む。彼は、いや、でも。と戸惑う。それはそうだ。そうかもしれないなんて、考えたこともないだろうから。
「きっと、両想いになるしかなかったんだよ」
「……そうか。そうかぁ」
感慨深そうにティルが頷く。長らく一人で片想いしていたのだから、それはそうだろう。そしてはっと息を呑む。
「お前!それならそうと言えよ!吹っ飛ばす前に!」
「だって気付いたの最近だし」
「そしたら俺だって、もう少し軽薄な仕草を、その、だな……」
段々声が小さくなっていく。面白いなぁと思いながら、リュートはティルの側に椅子ごと寄って行く。
「あの道のりを越えたから、俺はティルに惚れたんだよ。あの順番じゃなきゃ、駄目だったんだ」
「……それも、そうか」
視線が絡んで解けない。互いの気持ちを何度も確認しては、何度も愛を交わす。
「で、もうそろそろよろしいでしょうか?陛下?」
「うむ。よいぞ」
「ふざけるのも大概にしろ」
「ふふ……」
ひょいと横抱きにされて、そっとベッドに横たえられる。長い夜が、始まる。
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