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第1話
それでもどうか最後はあなたに救ってほしいのです
第一章 おわりとはじまり
「だいたいさ、つり銭間違えといて『さーせんした!』はないだろうがよ、え、そう思わない?おたくの店さ、店員にどういう教育してんの」
「…申し訳ございませんでした」
頭を下げる滝に、客である男は値踏みするように目を細めた。
嫌な目だ。
痛ぶる獲物を見つけた、そんな目をしている。
「あーあんたさ、学生じゃないっぽいけど社員?」
「あ、いえ、俺はバイトで……」
男はハッと馬鹿にしたように笑った。
「白水……えっと、シラミズくん?見たとこ25くらい?俺と同い年くらいじゃん。それなのにコンビニ店員のアルバイトってさ、まともに就職できなかったの?あーでもわかるー。そんなでかい体でこの世の終わりなんて面してたら俺が面接官でも取らないわ。なんかカワイソー。ね、人生、生きてて楽しい?」
「……」
カスタマーハラスメントという言葉はだいぶ定着しているし、滝の働くコンビニにも啓発ポスターは貼ってあるが、今回はこちら側がお釣りを間違えてしまったのが悪い。
しかもその後の対応も最悪だった。
こちら側のミスだった。
無言でレジ台の下で拳を握りしめる滝に、終始あざける表情を向ける男は気が済んだのか
「まあ、いいや、今日はカワイソーなシライシ…ああシラミズくんだっけ。…に免じて許してやるよ。次から間違えんなよ」
と言い捨てて店を後にした。
誰もいなくなった店内に、控室からそろそろとおつりを間違えた張本人の大学生バイトが顔を出す。
「……あ、行きました?いやー参っちゃいましたよね。ちゃんと謝ったのに。あれ、カスハラっすよ、カスハラ。まったく店長がケチってセルフレジ導入しないからっすよね。だいたい、ダメっすよ、白水さんもちゃんと言い返さないと。ああいうのは黙ってるとつけあがるんだから。ああやだ、ああいう客って絶対よそでも同じことしてますよ。もう来んなって」
そもそもおまえがつり銭間違えなけりゃあの男が怒ることも、滝が失礼な謝り方についてさらなる謝罪をすることも、必要以上に客に馬鹿にされることもなかった。
全部おまえのせいだろうが。
言いたい言葉の代わりにため息をつき、滝はさらに文句を言っている大学生の言葉を遮った。
「……とりあえず、次回から気を付けろ。防犯カメラ見た店長が何か言ってくるかもしれないけど、その時はおまえもちゃんと証言しろよ」
「はーい」
悪びれもせずサボるためにまた控室に戻っていく大学生の後ろ姿に、滝はまたため息をついた。
結局、大学生からは滝に対して感謝の言葉の一つもなかった。
仕方ない、いつもの事だ。
代わりに謝罪した相手からは嘲られ、かばった当の本人からは感謝の言葉もない。
そのままにしておいてもよかったが騒ぎが大きくなるだけだったから、仕方なく対応したが思ったより疲れてしまった。
まあこれもいつもの事だ、仕方ない。
仕方ない、仕方ない。
もはや口癖になってしまった言葉を心の中で重ねづける。
なにをしても報われることはなく、他人から軽く見られ嘲られる白水滝の人生において、これはよくある出来事の、ほんの一場面にすぎなかった
数日後、あの大学生バイトが学校の都合で遅れてくるとかで、滝は夕方の便で来た商品を忙しく棚に並べていた。
品数が少なくなった弁当や総菜を並べ、それが終わったら今度は裏に回ってドリンクも補充しなければならない。
滝がバイトをする「ロプコ練馬大槻駅前店」は快速が止まらず普通電車しか停車しない「練馬大槻駅」から徒歩2分の距離にある。
昼は近所の住人の来客がほとんどで比較的時間に余裕があるが、朝と夕方から夜にかけては通勤・通学の学生・社会人が来客しにわかに忙しくなる。
忙しく総菜を並べているとチャイム音が鳴り、滝は反射的に声を上げた。
「いらっしゃいませー」
振り返りちらりと窺うと入ってきたのは女子高生の二人組だった。
よく来る二人組だ。
一人は大人しそうなすらりとしたセミロングの女の子、もう一人は耳下あたりで切りそろえたボブカットの女の子だ。
主によくしゃべってるのがボブカットの子、セミロングの子はおっとりと話を聞いていることが多かった。
勢いよく出る言葉をやんわりと受け止め、あるいは受け流す。
正反対の話し方なのに妙にかみ合っていて、滝はこの二人のやりとりを内心微笑ましく思っていた。
聞くともなしに二人の会話が耳に飛び込んでくる。
「願いが叶う神社?」
訝しげにおっとりとした声が尋ねると、元気のいい声がそれに答えた。
「うん、亜美先輩、そこ行ってお祈りしたら今の彼と付き合うことができたんだって」
「え―、ほんと?駅から一本入ったとこにある、あそこ?」
「そう!そこ。行ってみない?」
「いってみたい!困った時の神頼みっていうし?」
「うん!行こ行こ!」
はずんだ声で会話した二人はそれぞれ飲み物を買うと店を後にした。
レジが終わってそれを見送った後、滝はのろのろと品出しに戻った。
願いが叶う神社。
女子高生の言葉を思い出す。
5年以上この街に住んでいるのに、一度も聞いたことがなかった。
まあ滝にはそんな情報を与えてくれる友人も知り合いもいないから当たり前といえば当たり前か。
願いを叶えてくれる神社。
もし、本当にそんなものがあるというのなら。
ふとこの間の男の声が脳裏によみがえる。
『ね、人生、生きてて楽しい?』
楽しいわけねえだろ。
「……あー、なら俺の人生も早く終わらせてくんねぇかな」
誰もいなくなった店内で滝の呟きを聞いているものは誰もいなかった。
ある日の夕方、シフトに入る前に滝は、件の女子高生の言葉を思い出しふとその神社に立ち寄ってみることにした。
駅の近くの、こじんまりとした場所にその神社はあった。
まず狭い敷地に不似合いな大木が目に飛び込んできた。
「でか……」
滝は思わず呟いた。
その高さはビルなら3階分ほどあり、大きな枝が奥にあるであろう社殿を覆いつくしていた。
決して小さくはない鳥居がまるでその大木の中に入るための玄関に見える。
滝は意を決して石造りの鳥居を跨いだ。
右手に水の張っていない手水舎、その奥に大木がある。
左側には社務所兼住居らしき小さな平屋があるが誰もいない。
そして正面には木に守られるようにひっそりとした社殿があった。
よくある木でできた重そうな賽銭箱の前で滝は固まった。
何も言葉が出てこない。
「早く人生終わらせてくれないかな」と思ってもそれを実際に神様に祈る勇気は持ち合わせていなかった。
迷った末、結局滝はなにも祈らず一礼だけして、踵を返した。
あたりは夕焼けに照らされている。
10月終わりのこの時期は暗くなるのが早い。
今日もあの大学生バイト一緒だが何事もなく終わればいい。
何かまたトラブルが起きなければいいが。
空から視線を戻し歩き出そうとすると、赤い靴を履いた華奢な足元が目に入った。
驚いて顔を上げると微笑む女と目が合う。
「こんにちは」
固まる滝に靴と同じ赤いワンピースを着た女は言う。
「あれ?今の時間はこんばんは?まあ、どっちでもいいわよね。ちょうど夜と行き合う時間だもの」
小さく口角を上げる女の唇は肌の白さとあいまり異様なほど赤かった。
滝は驚いて内心目を見張った。
なぜなら185センチの不気味な男に声をかけてくる女などそうそういないからだ。
女の歳は滝より少し年上に見える。
長い黒髪は背中の中ほどまであり、切れ長の目は夕日を受けて赤く染まっていた。
赤い女。
それが滝が女に抱いた印象だった。
「お参り?」
「はい...あ、いや…」
戸惑う滝に女はくすくす笑う。
「なあに、お参りじゃないの?私はてっきり…」
女は言葉を切って唇の端をあげた。
「……てっきり?」
滝は訝しく思い聞き返す。
「なんでもない。ねえ、この近くに住んでるの?」
「え、いや…」
滝はもごもごと口先を動かした。
人と話すのは慣れていない。
こんな美人なら尚更だ。
それを気にもとめないように女は続ける。
「ここはよく来るの?」
「…よくは、来ないです」
「ふうん、今日はたまたま?」
「いや仕事前に…」
「仕事場は近いの?」
「いや、すぐそこのコンビニ…」
なんだろうこの女。やけに積極的すぎる。
滝は背負ったリュックの肩紐を無意識に握り込んだ。
女は目を見開き嬉しそうに笑う。
「そう!そうなんだ!じゃあまたここくる?近いわよね?」
「え、あ…俺、仕事行かなきゃ」
その笑顔に何かじとりとしたものを感じて滝は小さく女に礼をして神社を後にした。
背後で女の声がする。
「絶対!絶対また来てね!」
「あ、はい、時間があれば……」
小さく首を振り再び歩き出す。
「しかし変な人だな…」
こんな背が高いだけの顔色が悪い男に話しかけ、次にまた来るかと聞いてくる。
それにあの神社に訪れても会える確証などはなく、滝など話して楽しい相手とは思えないのに。
ふとスマホを見るとバイトが始まる時間まであと5分しか残されていない。
慌てた滝は沈む夕日を背に走り始めた。
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