2 / 4

第2話

その日のバイトが終わり、滝は首尾よく手に入った半額の唐揚げ弁当が入ったエコバッグを軽く揺らしながら帰路についていた。 黄色の生地にデフォルメされたカエルが書いてあるエコバッグは、4年前に商品をまとめて買った際にもらった年季物だ。 件の大学生に見られた際はそれは盛大に笑われた。 「う、わっ!白水さんエコバッグ持ち歩いてるんすか。しかもそのエコバッグ!いやーツボっすわ!」 うるさい、親の金で大学行って遊ぶ金欲しさにバイトしてるお前に何がわかる。 こっちは3円でも5円でも節約してぇんだよ。 滝はいつもの如く腹の中で文句を言って、その時は確か半額ののり弁だったか、それを入れて帰った。 半額の唐揚げ弁当、もちろん飲み物は水筒に持参。 贅沢なんて一つもできない。 物価高が叫ばれているこの世の中、無駄遣いなんて一つもできないのだ。 「人生おわんないかな」と思う一方で半額の唐揚げ弁当を作り置きの麦茶とともに食べる。 なんという矛盾だろう。 本当に人間は意地汚い。 いや、意地汚いのは俺だけか。 そういえば、と歩みを進めながら滝はぼんやり思う。 この道、1本逸れたらあの神社だ。 『絶対!絶対また来てね!』 スマホを見る。午前2時。 一瞬考えて滝はぶんぶんと首を振った。 いや、ない。 午前2時は確か丑三つ時と呼ばれる時間ではなかったか。 怪談だったら何かが起きるにはおあつらえ向きの時間帯だ。 この時間に神社行くなどありえない。 第一あの女もこんな時間の神社にいないだろう。 結局滝は寄り道をせずにそのまま駅に続く道を直進した。 滝の家はコンビニのある繁華街とは反対側にある。 木造の2階建アパートで家賃4万5千円。 6畳1K。 とりあえずは東京の端っこ、少しいけば埼玉だ。 快速の止まらないこの駅は比較的家賃が安い。 さらに寂れた反対側はもっと安い。 人気のない駅の閉まった改札を通り過ぎ、階段を降りる。 そこから10分ほど歩くと滝の家だ。 靴音を響かせながら帰路を急ぐ滝は、ふと空を見上げる。 今日はやけに月が白く明るい。 満月だ。 ぼんやりと見上げると月明かりが目に滲んだ。 ああ、太陽見て残像が残ることはあるけど、月も目に焼きつくんだな 眩しくて、綺麗。 立ち止まりしばらく眺めたあと再び歩き出そうと目線を前に戻すと、そこには黒を切り取ったような影があった。 突如現れた全身黒を纏ったその人物は、美しかった。 ただ、美しかった。 白く発光するような肌も。 柔らかく靡く黒髪も。 薄く水の幕を張ったような、少し眦が上がった大きな瞳も。 こんなに美しい人を、滝は初めて見たと思った。 薄く形のいい唇が開いた。 「お前、魅入られたな」 若干低めの声。 おそらく男だ。 男は声も美しかった。 女にしては低く、男にしては透明感のある声。 もっと聞きたいと思わせる声だ。 だから反応するのが数瞬遅れてしまった。 「え……あ…はい?」 我ながら間抜けな声だ。 しかし、綺麗な声だが意味がわからないのだから仕方ない。 滝の反応に男はため息をついた。 ため息すらも美しいと思う自分は、かなり重症かもしれない。 「お前、夕方神社に行ったろう」 これなら滝もすぐ答えられる。 「はい、行きました」 「その時誰かと会わなかったか」 「はい、女の人と」 聞かれるままに答えていくと男は小さく首を横に振った。 「違うな、あれは人ではない」 「え……?」 滝の胸にあの時の感覚が蘇った。 どこかじとりとした空気。 「人じゃ…ない…?」 男は滝の反応に鼻で笑って言った。 「あんな禍々しい人間がいるものか」 あの時の女の姿を思い出す。 血を思わせる赤いパンプスに赤いワンピース。 夕陽を帯びた赤い瞳。 そして最後にあの女はなんと言った? 『絶対!絶対また来てね!』 「っ……!」 ひゅっと喉の奥がなる。 それをどこか冷めた目で見ながら男は続けた。 「気をつけろよ、お前は『首輪なし』なんだからな」 「首輪なし……?」 なんのことを言っている? この男は変だ。 わからないことばかり言う。 「おまえ、家族がいないだろう。 それどころか、友人も、恋人もいない。唯一の社会との関わりである仕事仲間ともまともな関係が築けない。通りすがりの人間にすら避けられる」 「………」 男の言葉に滝は唇を固く結んだ。 両親を亡くしても無表情の滝を、ある親戚は気味悪いと言った。 また違う滝の叔父と名乗る人物は酒を飲んで笑いながら「気持ち悪いガキだなぁ!いくら殴っても泣きもしねぇ!」と血を吐いた後も何度も殴った。 担任もクラスメイトも、通りすがりの人間ですら滝を気持ち悪がる。 バイト仲間には「気持ち悪いけどまあ仕事ちゃんとやってくれるし便利だわ」とバカにされているのも知っている。 「……あんたに、何がわかる」 「わかるさ、だってお前は『首輪なし』だからな」 淡々とした男の声に滝は耐え切れず叫んだ。 「だから、『首輪なし』ってなんなんだよ!」 滝の言葉に男は唇を吊り上げて右手の指を二本立てた。 「教えてやるよ、よく聞け『首輪なし』。 人には二つの業がある。 一つ目が魂の業。 これは人間がよく言う前世の業という奴だな。 罪を犯さない人間などいない。 その罪は幾度も生死を繰り返すたびに魂に蓄積されていく。 二つ目は肉体の業。 これもよく言う先祖からの因縁という奴だ。 犯した罪は当然肉体にも蓄積される。 通常、人間はどちらか一つの業を持って生まれる。 まあ、ごく稀にそうじゃない人間もいるがな。 ごく稀だ。 そしてこれもごく稀に二つの業を背負って生まれ落ちる人間がいる。 それがお前だよ、『首輪なし』 お前、今まで寂しかったろう?怖かったろう?悲しかったろう?誰かに自分を見つめてほしいと思っただろう? だけどそれは叶わない。 お前は二つの業を背負う『首輪なし』だから。 本来はここまで生きられないんだよ、『首輪なし』は。 二つの業で魂も肉体も押し潰されるからな」 そこで言葉を切って男は滝を見据えた。男の黒い瞳に月が重なる。 丸い月、綺麗だ。 男に腹を立てていたはずなのに、やはり滝は男に見惚れてしまう。 「おい、しっかりしろよ。お前のことだぞ。それとも脳が追いつかないのか?」 無言の滝にいらだったように男は言った。 この男、綺麗な割に気が短いのかもしれない。 「まあいい、続けるぞ。 通常人間には首輪がある。 そしてそこから伸びた鎖は必ずどこかに繋がっている。 鎖の本数は人によってまちまちだがな。 だがお前には鎖をかけるべき首輪が『ない』 だから誰とも繋がれない。 『人間とは』な。 だが喜べ。 孤独ではないぞ。 人ならざる者はお前みたいな『首輪なし』が大好物だからな。 空っぽだから入りやすい。 夕方に会った女も『首輪なし』に惹かれた口だ。 ……正直初めて見たよ。 首輪がない状態で、ここまで生きてきた人間を。 よほど運が良かったのか、簡単には死なせないという誰かの意思か。それとも、苦しみ抜いて絶望しながら死ねという誰かの強い憎悪か。 面白いよ、お前。実に面白い。 今世でも償いきれないほどの深い業を背負っている。 今世どころか来世でもその先の来世でも『首輪なし』のままだろうよ。 どれほどの罪を犯したらそうなるんだか」 男は楽しそうに瞳を細め、一瞬で滝まで間合いを詰めた。 驚く滝の耳元でそっと囁く。 「おまえ、前世で何をした?」 「……っ!」 滝は耳元で余韻が消える前に男から距離を取った。 手から黄色いエコバッグが音を立てて落ちたが、滝はそれを拾う余裕もなく男に背を向けて走り出した。 ただただ男から逃げたかった。 加速する滝の背中に男の声が静かに届く。 「逃げても無駄だ。お前は『見つかって』しまった」 その声をきつく目を閉じて振り切り、滝はさらに加速した。 家に着いた滝は荒々しく玄関のドアを閉めた。 安普請のアパートに大袈裟な音が響く。 深夜に申し訳なかったが今日だけは許してほしい。 キッチン兼用の狭い廊下を通り抜け居室に続くドアを開ける。 薄っぺらい、ただ空間を区切るだけのドアは驚くほど軽かった。 6畳の一部屋。 多分昔は和室だった部屋を改装したのだろう。 元は押入れだった大きな収納には、季節に合わせた服が数着しか入っていない。 あとは真ん中に安物のテーブル。 確か二千円もしなかった。 100均で買った座布団。 薄すぎて尻が痛い。 隅に寄せられた畳まれた布団。 小物をしまう木目調のカラーボックスが一つ。 これが滝の全てだ。 25年生きてきた白水滝の、全て。 ああ、と今更気づく。 半額の唐揚げ弁当も落としてしまった。 4年間使い続けたエコバッグと一緒に。 今日は近くの高校で練習試合があったのか、野球のユニフォームを着た高校生が大量に押し寄せたせいで休憩をとる暇もなかった。 一緒にシフトに入った大学生はちゃっかり休憩とって裏に引っ込むし。 だから正真正銘、あれは滝の今日1日の中で唯一のまともな食事だったのに。 冷蔵庫の中には何もない。 何もないのに。 「はは…ほんと何もねえのな、俺」 ずるずると座り込む。 こんな時だから涙が出るかな、と思ったが何も出てこなかった。 泣くことを忘れた滝は、自分のためにすら流す涙すら出てこない。 本当に何もない。 何もない滝にとって、死は唯一の救いだった。 死んだらこの空虚で惨めな人生から逃れられると思っていた。 死なないから死ねない。 他に理由はなく、それだけでただ生きてきた。 ただただ、生きてきた。 なのにあの男は死んでも逃れられないという。 来世も。 その先の来世も。 安らかな死さえ滝にはない。 あの女はなんだ。 あの男はなんだ。 ―俺は、いったい何なんだ―。 『おまえ、前世で何をした?』 『逃げても無駄だ。お前は『見つかって』しまった』 脳裏に綺麗で冷たい声が響く。 底のない恐怖に飲み込まれる中、滝は手を強く握り合わせ拳に額を押し付けた。 幼い頃よく思っていて、いつの頃からか忘れてしまった言葉が口をついて出る。 誰か。 誰か。 誰か。 誰か。 「…誰か…俺を救ってください……」

ともだちにシェアしよう!